39話 いただきます
水車から汲み上げた水で綺麗に洗った野菜は皆、とても綺麗だ。ニンジンを指でなぞると、つるつるして気持ちがいい。時々溝に指先が吸い込まれるのがなんとも……なまめかしい。
こいつをぶつ切りにするのが、すごく辛い。
こんなにも立派なニンジンなのに、どうして……どうしてっ!
「わぁー、これ面白いですね。しかも簡単で早いです!」
笑顔のマリーに木っ端みじんにされてしまう!
テーブルに乗ったフードプロセッサーを操り、マリーが次々と野菜を処理していく。
魔女はすごい、機械を動かす電流を微調整して簡単に通してしまう。お陰で丹精込めて育てて、最後の最後でドリアードたちに悪戯されてしまった愛着のある野菜たちがっ!
「あ、グランさん。手が止まってますよ!」
「お、おぅ……」
細切れになった野菜を鍋に入れながら催促された。なんつーか、尻に敷かれ始めたというか。まぁ、その、嫌な感じはしない。妄想が膨らむというか……んんっ!!
さて、ふざけるのも終わりにして切るか。
◇
キッチンに漂うのは、肉と野菜がトマトで煮込まれる匂い。ふわっと鼻先に現れては、テーブルに頬杖をつく俺の胃を刺激する。
ちらりと目線を上げれば、マリーが丁度鍋をかき回しているところだ。ゆっくりと腕が動くと、高く結った金髪も揺れる。その先をじっと見つめてしまう。
「どうしたんですか?」
げっ、バレてた。横目でこちらの様子を見られていたようだ。
「創造スキル使ってから少し様子が変わったので、気になってました」
「……それを言うなら、マリーこそ朝から俺を凝視してなかったか?」
「ぎょ、凝視だなんてっ……ちょっといつもより見ていただけです」
言い返してやると、慌てて顔を鍋に向けた。
ははっ、分かりやすいな。まぁ、お互いに見ていたことはあきらかだ。ちょっと不機嫌そうな横顔を見ているとからかいたくなるが、我慢だな。
「俺は……あれだ。過去の記憶を覗いていると、余計なことばかり考え始めて面倒くさくてな」
「そ、それとこれとはどんな関係が……」
「あーー、まぁ。マリーを見ていると、コロっと忘れられるからかな。余計に考えていた部分が」
「……ふ、ふーん」
不機嫌そうな横顔があっという間に、まんざらでもないって顔をしやがる。よくよく見てみると、口角がピクピク動いてから上がった。結局満足そうに微笑んでいる。
「で、マリーはどうして朝から俺を見ていたんだ?」
「……毛が沢山生えてきたなっと思いまして」
嘘だろコノヤロウ!
今、目線逸らしたろうが!
……むむむっ、待っても口を開かないだと?
「ふーーーーーん」
「うぅっ……い、いいじゃないですか」
「ほーーーーーん」
意味ありげな声攻撃でも食らいやがれっ。すると、難しい顔になり少しだけ俯いた。しまった、やりすぎたか? 途端に不安になる。
「そのっ……以前、私の前世を聞いてもらったじゃないですか」
「あぁ」
「私も、グランさんの前世が……気になるかなっと思って。聞く機会を伺ってました」
少し恥ずかしげに答えてくれた。俺の前世か。つっても、何を喋ればいいのか分からんぞ。
一人で考えていると、また強い視線を感じた。マリーがこちらをじっと見つめてきている。
きっと、俺にも未練がないかって思っているんだろう。
俺の勝手な憶測かもしれねぇが、そんな気がした。
何度もこっちを見ては、鍋に視線を戻すマリー。分かりやすいというか……気にかけてくれるのがありがたいよな。さてと、何を言おうか。
「前世ねぇ……普通だったな」
「前世の普通とはなんですか?」
「子供の頃は遊んで、思春期には馬鹿をして、大人になってから仕事に忙殺される。これが前世の普通だと思う」
普通にも色々あるんだが、俺の場合はこれが普通。
マリーの様子を見てみると、頷きながら鍋を見下ろしていた。多分色々考えているんだろう。さて、次はどんな言葉が飛び出すか。
「……未練とかはあったんですか?」
おずおずといった感じで問いかけてきた。マリー自身がそうだったから、俺のこと気にしてくれてんのかなぁ。なんかまた胸の奥が温かくなってきたな。優しさに包まれているっていう感じだ。
っと、返答まだしてなかったな。
未練かー……あっ。
「それかな」
「えっ、どれです?」
マリーのほうを指差すと、首を振って辺りを見渡している。その仕草が可笑しくて、ちょっと笑っちまった。俺の声に気づいたのか、マリーがこちらを睨んでくる。
「グランさん……」
「いやいや、そこにあるだろ。鍋の中身」
「……これですか?」
「そうそう」
睨んでいた顔がすぐに柔らかくなり、興味深げに鍋を見ている。
「俺が死ぬ前、食べ損ねた料理だ」
「えっ……そうなんですか」
驚いた表情でまたこっちを見て、また鍋を見下ろす。あっちこっち顔を動かしてて、見ているだけで面白い。
次第にマリーの顔が真剣になっていく。
「しっかり仕上げますね」
そう言ってじっと鍋を見下ろして動かなくなった。かき回す以外はチェアに座ればいいのにな。正直言って暇で仕方がない。でもマリーの気持ちは嬉しいから、ないがしろにはできない。
なんだがもどかしい時間だけが過ぎていく。
コトコトと煮詰まるミートソースの香りがキッチンに広まっていく。
◇
頬杖をついて目を瞑っていると、意識が散漫になっていく。
このまま寝て――――
「うん、美味しい」
……はっ、できたのか?
マリーの声が聞こえてきて、意識が戻る。目を開けて顔を向けると、鍋の前で満足そうな笑顔を浮かべていた。
味見をしていたのか。片手に小皿を持っている状態だ。
「グランさんも味見してみます?」
「もちろん」
あいててっ。ずっと同じ態勢で座ってたから腰が痛ぇ。
マリーに近寄ると、お玉で小皿にミートソースをよそってくれた。
「はい、どうぞ」
「おう」
「あ、そろそろ茹で上がります」
小皿を受け取ると、すぐに動き出した。俺は邪魔にならないように二、三歩後ろに下がって見守る。
鍋の取手を掴むが熱かったんだろうな、すぐに手を離して耳を掴む。うん、いい。今度は鍋つかみを手につけて、鍋を流し台に持ってきて中身をザルに流した。
おっと、いけない。なんだかんだで見続けてしまう。
俺は小皿に盛られたミートソースを眺めた。色と匂いは現世の時のままだ、これは期待できそうだな。
吸いこむようにミートソースを口に含む……うん。
「うまい」
「安心しました、良かったです」
複雑な旨味とトマトの酸味が絶妙だな。前世で作ってもらったヤツよりも美味しいかも。今の俺の味覚が変わったせいかもしれんが、うん美味い。
もう一度、小皿を見つめてあることに気づく。俺が口をつけた場所のすぐ隣に口をつけたあとが残っていた。
そういえば、さっきマリーが味見していたな。
…………はっ。ちょ、ちょっと待て待て待てっ。いやいやいや、これはセーフこれはセーフだ! よく見ろ、恥ずかしくて見れねぇけど、いや見ろよ!
だ、大丈夫だ……うん。間接的なアレにはなっていない……よな。あぁでも、よく見れば端が重なっているように見えるぞ! いや、これは違う断じて違う!
「どうされたんですか?」
「あっ、いや全然そのつもりは!!」
「グランさん?」
しまった、見つかってしまった! マリーが両手に盛りつけた皿を持ちながら覗き込んでくる。うわぁ、気づくな気づくな。
緊張しながら黙っていると、不思議そうに頭を傾け続けるマリー。良かった、このまま気づかないでくれよ。
「小皿が何、か…………あ」
一言呟いて動かなくなったんだが。まさか、いや……マリーに限って気づくなんてことは。
「あぁっ」
みるみるマリーの顔が赤くなり、俺まで恥ずかしくなってしまう。お互いに視線を合わせず、無言で耐える時間だけが過ぎていく。
いや、何も言えねぇだろ……コレ。
「とととっ、とりあえずっ!」
「へぇぁっ!?」
「冷める前に食べまちょう!」
めちゃくちゃ目を泳がせながら噛んだな。いや、俺も変な声出しちまったから。あーくそ、恥ずかしい。
ぎこちない動きで着席すると、これまたぎこちない動きで皿が置かれた。テーブルにはすでに水とフォークが設置されており、あとは食べるだけだ。
マリーがチェアに着席するのを待って、チラリと視線を向けてみる。恥ずかしげに俯いた顔は赤みを帯びて、体がもじもじと動いていた。
見なきゃよかった、俺も恥ずかしさ倍増したんだが。
……えぇい、まずは食おう!
「「いただきます」」
揃った声が妙に気まずい。視線を合わせずフォークを手に取り、パスタをソースに絡めて巻き取る。一口食べると旨味と酸味が口一杯に広まった。
そして、小皿を思い出して手が止まる。
遅い昼食は食べ終わる頃には日が傾き始めていた。
未練の味なんて感じる余裕はなかったな。




