37話 知りたい気持ち
キッチンに続くドアノブを握る……寸前で手が止まった。
昨晩のことを思い出すと、マリーと顔を合わせるのが恥ずかしすぎる。
なんであんなことしちまったんだよ!
あぁ、どうやって顔を合わせればいいんだ。いつも通り、おはようって言ってしまえばいい。そうだ、それしかないだろ。……あぁ、扉が開けられねぇ。このまま逃げ出したい気分だ。だが、ここで逃げ――――
ガチャッ
「あ、やっぱり。どうしたんですか、こんなところで」
バレていた、だとっ!?
体は硬直しながらも、俺はしっかりとマリーの姿を凝視していた。
高く結った金髪がさらりと肩から落ちる。薄桃色のワンピースの上に若草色のエプロン姿で俺を出迎えてくれた。
眺めていると、首を傾げてこちらを見上げてくる。
なんかいつも以上に可愛く見えるというか、綺麗というか。
――――いつものマリーだよな?
「中に入ってください。用意は終わってますよ」
うおっ、笑顔で手を握られて引かれたんだが! 引っ張る力は弱いのに抗えねぇ。ってか、朝から手を繋ぐって……なんか熱くなってきたぞ!
昨晩のことが急に思い出してきたんだが、うおぉっ!!
「――――昨日」
その言葉に俺の息が詰まる。
「夜更かして寝坊してしまったので、簡単な朝食しか用意できませんでしたが」
手を引っ張るマリーがこちらを振り向いて苦笑いを浮かべた。その声と言葉で心は落ち着くんだが、顔を見るとダメだ……熱くなっちまう。
「さぁ、一緒に食べましょう」
あっ、手が離れた。トタトタと可愛らしく歩き、マリーがチェアに座る。
俺の中で気分と熱が急降下して、全身から力が抜けた。
……残念だと思っていたのか? いやいやいや、落ち着け俺。これから生えるけどハゲで四十なおっさんだぞ。
マリーは二十四で美人で綺麗で可愛くて優しくて、おまけに料理も掃除も洗濯も裁縫もできて、魔法がすごく得意で強く……マリーって実はすごい。
呆然とそんなことを考えていた俺は、ふらふらとした足取りでようやく着席した。今日も正面にいるマリーの微笑みが眩しくて、心が落ち着かない。
◇
食後のお茶を楽しむと、俺は気恥ずかしさに負けて家の裏までやってきた。芝生に寝転がり、雲が流れる青空を見上げる。
何も考えないように流れていく雲を見つめるだけだ。この時は心が穏やかになる。
眠るように目を閉じた。
いってらっしゃい、と笑顔で見送ってくれたマリーの姿を思い出してしまう。
「はぁぁっ……」
マリーは昨晩のことがあったのに、変わらずに接してくれる。なのに俺は……情けねぇな。
深いため息を吐くと、静かに目を閉じた。何も考えず、時々吹く風の心地よさに身を委ねる。温かい日差しを肌で感じて、少しずつ意識を離していく。
――――あの時も温かかったなぁ。
……ダメだ、全然忘れられる気がしない。意識を離そうとすれば強く思い出すマリーのこと。余計に感じるのは一人でいる孤独感。
なんで俺は一人で寝転がっている?
強い憤りを感じるほど、今の状況に俺自身が納得いっていないようだ。
「はぁ……」
横向きになり少しだけ体を丸める。何も考えるな、何も考えるな。
……俺は何を悩んでいるんだ? あー、もう訳が分からん! 良く分からんけど、ふて寝――――
「何をしているんですか?」
「なぁっ!?」
マママ、マリー!? いつの間に俺の傍まで来ていたんだ、気づかなかった。すげぇ驚いた、心臓がドクドクいいやがる。
「隣に座ってもいいですか?」
「お、おぅ」
腰をかがめて俺の顔を覗きにきたから、思わず言葉を詰まらせてしまった。クッソ、これじゃ以前と逆の立場になっちまったじゃねぇかよ。
俺が体を起こすと、マリーは隣に腰を下ろす。その隙間、わずか十センチなんだが……近くねぇか? 変に意識してしまうんだが。
「ふふっ」
可笑しそうに笑う声だ。な、なんだよ……
「なんか、以前と逆になってますね」
「うっ」
図星をつかれてしまった。あぁ、むずがゆいっていうか……なんかざわざわする。けど、傍で声を聞いていると落ち着いてくるのが不思議だ。余分な力が抜けていく感じがする。
しばらく何も喋らないでマリーは傍にいてくれた。何もせず、広い芝庭を眺めているだけの穏やかな時間。
「昨日のことで」
不意にマリーが話し始めた。
「何か気まずかったことがあったら言ってください」
顔を向けると、真剣な眼差しと目が合う。緊張感が俺の中で少しだけ高まった。気まずくなり視線を逸らしてしまう。これじゃ本当に逆になったみたいじゃないか。
「グランさん」
いつになく強気の声だ。
恐る恐る視線を戻すと、体を向けて俺を見上げるマリーがいた。
「グランさんが聞いてくださったように、私もグランさんの気持ちを聞きたいです」
じっと俺を見続けるマリーの目は真剣だ。絶対に聞くまで諦めない目をしている。
うぐぅ、これはキツイぞ。というか以前の俺も同じようなことしてたから、ここで答えないわけにはいかない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……」
「はい、いくらでも待ちます!」
今すぐ気持ちを整理しろってか。頭を抱えてからチラッとマリーを見ると、じ~っと見てきていた。いつか穴が開いちゃうんじゃないのか、俺が。
はぁ~、なんで俺こんなに意識しているんだろうか。やっぱり昨晩のだっ、抱きしめたのが恥ずかしかったからか?
勢いでやっちまったが、今の様子を見る限り嫌だとは思っていないってことか?
「あ、あのな……昨日勢いで、その……抱きしめてしまったんだが。嫌じゃなかったか?」
あぁ、顔を直視できねぇ。なんて思われているか、今になって怖くなってきた。この場から立ち去りてぇ。
「あ、あの……嫌、じゃなかったです」
ボソリと呟く声は少し震えていた。俺、ちょっと不安になる。
「……こんな言い方じゃダメですね。はっきり言います」
マリーの言葉で緊張が走る。顔を見れないまま俺は目を固く瞑った。
「恥ずかしかったですけど、本当に嬉しかったです」
――――はっ?
嘘だろ、と顔を向けた。少し照れ臭そうにしながらも、未だに真剣な目でこちらを見つめている。少しずつ俺の鼓動が高まっていく。
「勢いでって言ってましたけど、それって違う言い方をすると……偽りのない本心からの行動ってことですよね」
「……あ」
言われて気づく、自分の行動の理由。あの時は心から伝えたかったんだ、一人ではないということを。
ぶり返してしまった過去の辛い記憶だったが、それは過去であって今じゃない。俺があの時、一番に伝えたかったことだ。
ストン、と俺の中で納得が降りてきた。そうか、そういうことなのか。だからあの時、俺はあんな行動をとったんだ。
「心配してくれているんだなっと思ったら、嬉しくて涙が止まりませんでした」
微笑みながら伝えてくれた。それだけで、俺の馬鹿な悩みは簡単に吹き飛んだ。
なんだ、俺の考えすぎだったのか。なんかホッとしたというか、とにかく嫌がられなくて本当に良かった。
「グランさんが気に病むことは一切ありません」
「あぁ、ありがとな」
ようやく俺は笑顔で返答ができた。いやー、すっきりしたな!
「では、教えてください」
「何をだ?」
「私を避けていた理由です」
……今度はそうきますか。っというか、ここからが本題のような雰囲気なんだが。ああぁぁっ、なんか急に熱が上がってきたぞ!
いや、それはあれしかないんだがっ。言ってしまって関係がギクシャクしねぇか、そっちが心配なんだけどなっ。あぁ、すげぇこっち見てきてるぅ。顔がめちゃくちゃ熱くなってきやがった。
か、覚悟を決めて言ってしまえっ。
拳を握り締めて、声を絞り出せっ!!
「なんか、そのっ……女性、として……意識して、しまったというか」
「へっ」
ポカーンと口を開いて動かなくなるマリー。うわぁぁっ、こんなこと言われてやっぱり気持ち悪いよなぁっ!?
「いや……な。あんな風に、抱きしめたのって……初めてでな。なんというか、こう……柔らかくて温かいなっと思ったら……めちゃくちゃ恥ずかしくなって、な」
「私だって、そのっ……異性にあんな優しく抱きしめられたこと、なかったからっ、です……」
ハゲ頭をジョリながらマリーをチラ見する。マリーも恥ずかしいのか目を泳がせながら、顏が赤くなっていた。なんか、すげぇ気まずくなる。
「あ、あははっ。や、やっぱり……嫌だったとか、気持ち悪いとか、臭かったとか」
「そっ、そんなこと思ってません! むしろっ」
「む、むしろ?」
突然身を乗り出してきた!?
なんか目がマジというか、すごい威圧感があるんだが。
俺の喉がゴクリと鳴る。
マリーの顔の赤みがどんどん増していく。
「いっ」
「い?」
「言えるわけっ、ないじゃないですかっ!!」
えっ、ちょっと待て!
めちゃくちゃ良いところで、逃げないでくれー!!
マリーは全速力で離れて行ってしまった。
いや、うん、まぁ。しばらくここから動けねぇな。すげぇ、顏が熱い。
はぁ~、次に顔を合わせる時のことを考えると辛い。




