34話 エルフな前世
昼食後、テーブルに湯気の立つ二つのコップが置かれた。爽やかな匂いが漂い、中を覗くと薄茶色の紅茶が見える。
「私の前世、ですか」
専用チェアに座ったマリーがボソリと呟いた。手にコップを持って息を吹きかけ、少し飲む。なんてことない動作なのに、見入ってしまうな。……俺、頭沸いてんのか?
「そんなに面白い話じゃありませんよ」
困ったように笑って首を傾げた。あー、そういう動作好きだな。って、俺は何を考えているんだ、このハゲ。いや、もう俺はハゲではない! これから生えてくるんだ!
おっと、落ち着け俺。今はそういう話ではない。
「もし、嫌だったんなら話してくれなくてもいいんだぞ。ただ単に俺が知りたいだけだから」
「そうですね。前々世のことばかり話していたので、気になりますよね」
未練の鎖を断ち切るヒントでも見つかれば、と思った。前々世のことがあれだけ根深く残っていたんだよな。今も断ち切れない前世の未練っていうのも手ごわそうだ。話すのが嫌なら遠慮しようと思ったが、全然平気そうで安心した。
コップを手に取り、俺も一口飲んでおく。あぁ、胃に優しい。
「エルフとして誕生した私は、一年もしない内に親の手から離れた。と、育ての母が教えてくれました」
「親の手から離れた。それも償いの一種なんだよな」
「はい。一人で生きる償いですから。でも、人はいなくても動植物たちが私を助けてくれました。神からの情け、というものでしょうか」
まぁ、一歳で放置させられても生きていけないのは明白だろうな。ある意味、その措置は優しい残酷というべきか。
「というと、育ての母っていうのも?」
「フェンリルという、その世界では神聖な存在でした。大きな犬の形をしています」
ドラゴンの前がフェンリルとか。マリーを育てた母親は伝説級じゃねぇか。それなのに、こんなにお淑やかに育ってて……いやいや、今はそこは重要じゃない。
「フェンリルのお母さんに育てて貰いながら、森で過ごし、森の中で天寿を全うしました。人とは会うこともなく、動物たちがどこからか持ってきた書物で世界を知るだけでしたね」
コップを眺める表情に悲壮感はない。懐かしいと穏やかに微笑んでいるのが可愛……ではなくて、安心した。今の話を聞くと、動物たちの動きもきっと神が意図通りなんだろうな。あくまで一人で生きて償わせるのが目的だから。
ふとマリーが可笑しそうに笑い出す。
「初めの頃は前々世の私が色濃く残ってましたから、毎日悪態ばかりついてました」
「全然想像がつかない」
「前世の私もすごいんですよ。二桁の年齢までずっと愚痴ばかりでした。でもその度、正しいことを叩き込むために、フェンリルお母さんから首を噛まれ地面に押さえつけられましたね」
スパルタじゃねぇか! いや、だからこそ悪役令嬢の部分か改心したってことだよな。そこまでしないと気づかないくらい堕ちてたってことなのか。今のマリーからだと全然想像できねぇな。
「フェンリルお母さんや動物たちのお陰で今の私がいます。改心した途端に日常が穏やかになり、ようやく過去を振り返り、罪と向かい合いました」
「そこからは少し話を聞いていたな。ずっと向き合って考えていた、と」
「……お陰様で今世では、ドラゴンなお母さんに甘えられました」
にっこりと笑いかけてくれるマリー。幸せそうな笑顔に胸の奥が熱くも、幸福感で満たされる。以前、お母さんが愚痴ってたことって、素直に今を受け入れられたマリーだからこそできたことなんだな。
「大体こんな感じですかね」
と、少し冷めた紅茶をくいっと飲んだ。
え、これで終わりなのか?
「なんか他にないのか?」
「改心するまでの生活が大変だったとかはありますが、それ以降は穏やかに森の中で暮らしていました。人と接することもなかったので、特に何か変わったことがあった訳でもありませんし」
ちょっと考えるように首を傾げて答えてくれる。が、欲しい答えは全くなかった。嘘だろ、ヒントどころか未練の欠片もなかったぞ。だが、前世の未練はあるのは確実だ。こうなりゃ、直接聞くしかねぇな。
「なぁ、マリー」
「どうしました?」
「その、興味本位なんだが……前世に未練とかあったか?」
「……未練、ですかぁ」
うーん、とコップを眺めながら考え始めたマリー。この待っている時間がすげぇ緊張する。少し早くなる鼓動を呼吸をすることで抑えて、口を開くのを待った。
「最初の頃にお伝えした、人の暮らしの中で暮らしたいっていう思いが芽生えたのが前世でした。それが未練なのかもしれませんね」
「ということは、町で暮らせるようになると未練はなくなるのか?」
「えっと、そう……なのでしょうか? ちょっとその辺り……はっきりしない、といいますか」
どういうことだ? なんか急に歯切れが悪くなったな。言い辛いことでもあるんじゃねぇーか?
「……そうだ、人との暮らしに憧れるきっかけがあったはずじゃないか?」
「えっ!!」
目を見開いて、めちゃくちゃこっち見た。体が硬直したのか、全く動かなくなる。
反応いいな、おい。ここは攻め時だろ。
「あるんだな、きっかけが!」
「えぇっと、あっあるには……あるんですが。あんまり、その……言いたくない、といいますか」
身を乗り出して聞き出すが、マリーの反応が怪しくなった。目を泳がせてごにょごにょと呟いている。
言いたくないっていわれたら、正直引き下がってやりたい。しかし俺も引き下がれねぇな、すまん!
「マリーには辛いかもしれねぇけど、教えてくれないか?」
「いや、その、あの、えっと…………はい」
どんどん下がっていく頭。最後にはテーブルにこつん、とくっついた。小さな唸り声も聞こえて来て、言うのが相当辛いんだろうな。
今更ながら罪悪感がこみ上げて来て、胸が痛い。ここはぐっと堪えてマリーの返答を待つ。
マリーはゆっくりと頭を持ち上げ、俯き加減で口を開く。
「……群れで暮らす動物を見ていたら、羨ましくなってしまって」
髪の毛から覗く目がちらりと見える。視線が泳いでいる。
その返答は、はぐらかしているつもりなんだろうが……バレバレだぞ。
「それは嘘だな」
「うっ……嘘じゃないですよ。本当の……ことも含まれています」
テーブルの端に乗っかった指先同士をくっつけていじいじしている。うん……なんだか可愛く見えて、ここで許してしまいそうになる自分がいるな。クッソ、耐えるんだ。ここで引いて解決しなかったらマリーの転生が終わらねぇぞ!
「具体的に動物の群れの何を見てそう思ったんだ?」
「それはっ……うぅ」
とうとうテーブルに突っ伏してしまった。小さな唸り声を上げては、テーブルの上でゴロゴロと頭を動かしている。マリーって感情が行動に出すぎ、だよな。まぁ、そういうところも……いかんいかん。懐柔させられるところだった。
しばらく様子を見ていると、観念したのかマリーが起き上がる。相変わらず視線は逸らされているのだが、何かを言おうと口がもごもご動いていた。
「……その、羨ましかったんです」
「どんなところが?」
「仲睦まじい……番いが」
言い終わると、マリーの顔が次第に赤くなっていく。
番い、夫婦ってことだよな。それが羨ましかったっていうことは、そういう相手が欲しかったっていうことか。なるほど、それがマリーの未練ってわけだな。
一人で考察していると、強い視線を感じた。マリーを再度見ると、赤く染まった頬を隠さずこちらをじっと見つめている。
「そういう人がいたら……いいなって思うとき、ありますよ」
少しだけ言葉に詰まりながらも、はっきりとした口調で告げてきた。変わった様子を見て、今度は俺が言葉に詰まってしまう。少しだけ体が熱くなり、手のひらに汗がにじみ出る。
自分の体調の変化に気づかないフリをして、改めてマリーの言葉を考察した。
――――マリーの前世の未練は、一緒に添い遂げられる相手か。
そこまで考えて、胸の奥がぎゅっと痛くなる。
なぜだろう、と考える思考の余裕はなくなった。
今はただ、少しだけ切なくなった気持ちに蓋をするしかできない。




