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32話 ハゲに毛が生えてもロクなもんじゃない

 ……朝日、眩しい。そろそろ起きないと、マリーが起こしに来るなぁ。とりあえず、あご以外の伸びたヒゲを剃らんと。頭はいつも通りだろう。


 ――――ジョリ。

「……ん?」

 ――――ジョリ、ジョリ。

「……んんっ!?」


 頭皮を何度も何度も確認する。手のひらで感じる、微かに芽吹く毛髪の兆し。

 まじか、まじか。俺の不毛な頭皮に、とうとうこの日が来た。……夢じゃないよな? 頭でも殴ってみるか。


「……いでぇっ!!」


 夢、じゃない。夢じゃないんだ!!


「うおぉぉぉぉおおっ!!」


 こうしちゃいられねぇ、マリーだマリーに伝えねぇと!!


 寝台を飛び起き、部屋を出てキッチンに急ぐ。扉を開けると、こちらに近づいて来ていたマリーの姿が見えた。喜びが俺の中で振り切れる。


「ど、どうされたので」

「おぉぉおおぉっ、マリーーーッ!!」


 駆け寄り、腰辺りを両腕で抱きしめ、持ち上げる。


「きゃぁっ!?」

「見てくれマリー! 俺の頭皮に毛が、毛が生えたぁぁ!!」


 この気持ち抑えられねぇ!! 俺はそのままの体勢でぐるぐると回る。


「グ、グランさんっ!?」

「見てくれ、俺の不毛だった頭皮に毛がぁ!! マリーのお陰だ、ありがとう!!」


 感謝しても胸の奥からどんどん喜びが溢れてくる。今の俺だったら、なんだってできそうだ!


「お、下ろし……下ろしてくださいっ」

「おぉ、すまん!」


 おっと、ちょっとはしゃぎ過ぎたな。床に下ろすのもなんだから、チェアに座らせてっと。ん、顔を覆って俯いてしまったんだが。


「大丈夫か? 回りすぎて気持ち悪くなったのか?」

「……いえ、そういう訳ではないです。あの、本当に気にしないで……ください」


 めちゃくちゃ声が小さいぞ。なんだか体が震えているような……まさか風邪か? 額は……熱くない。手も腕も熱くないし、首も熱くねぇ。


「あ、あぁぁあのっ!!」

「どうした?」


 顏を覆っていた手がゆっくりと下がる。なんか目が潤んでいるような、顏が赤いような。本当に大丈夫か?


「ななっなんで、さっ触ってっ」

「風邪でも引いているんじゃないかと思ったんだが」

「わたっ私なら、だだっ大丈夫です! ちょ、朝食をたっ食べちゃいまちょう!」


 何度も頷いたり、両手をブンブン振ったり、言葉噛んだりして大変だなぁ。やっぱりどこか可笑しいんじゃないか?


 むむむっ、ここはハゲの恩返し的に至れり尽くせりしないといけない場面ではなかろうか。よし、まずはこのままテーブルに着かせて。朝食は卵と燻製肉の焼き物、サラダ、パン、スープか。


「あ、あの……何を?」


 遠慮がちに顔がこちらを向いているが、目がめちゃくちゃ泳いでいる。いつも美味い朝食ありがとな、マリー。今日は日頃と再発毛の感謝を込めて、マリーを労いに労ってやる。


 まずは汁物から食べさせようか。

 匙でスープをすくい、息を吹きかけ冷ます。それをマリーの前に差し出すと、真顔のマリーと視線があった。


「えっ」

「はい、あーん」


 ポカーンと口が開く。そこに匙をゆっくりと持っていく。口は閉じない、なぜだ。


「口閉じてくれ」


 伝えたんだが、中々口は閉じない。それどころか震え出してきたんだが。つーか、また両手で顔を隠したぞ。口開けたままだから可笑しくて笑えるな。

 ほら、頑張れ頑張れ。念じたらゆっくりと口が閉じて、ごくんと喉が鳴る。お、いい子だ。よしよし、と頭を撫でてやった。その瞬間、チェアが後ろに動く。


 ――――ガラガラガラ、ドン。


 マリーがチェアごと高速で動き、壁に激突した。顔を両手で押さえて、チェアに座りながらうずくまってしまう。お腹とか痛いのか? 今日のマリーは可笑しいぞ。


 ◇


 毛が生えるだけで俺の世界は美しく輝きだした。ジョリ。食後の食器洗いも、泡が弾けるだけで幻想的な世界へと俺を誘ってくれる。ジョリ。部屋のほこりも朝日で煌めいて、星屑を散りばめたようだ。ジョリ。あぁ、世界ってこんなに美しかったんだな。ジョリ。


 毛があるって素晴らしい。あ、あんまり触ったら抜けてしまいそうだからやめておこう。


 俺は今、玄関前あたりで座り込んでいる。目の前にあるのは桶で、中で回る洗濯物を見ている。電気的な全自動ではなく、マリー術的な全自動だ。


 手伝うっていったら、これ見ていてくださいって言われたんだよな。だから見ているんだが、楽しかったのは最初だけだ。今はつまらん。マリーは野菜の状態を確認するため菜園に行ったんだが、戻りが遅いような。


「まさか、ドリアードたちが悪戯して急激な成長をした野菜が実って大変なのでは!?」


 それはいけない、手伝わなければ!


 立ち上がり、家の裏に回り込んで駆け出す。水車を通り過ぎ、短い橋を越えていく。菜園の前でマリーが座り込んでいるのが見えた。膝を抱えて菜園を眺めていたが、顔を伏せてしまう。


 どうしたんだ、腹でも痛くなったのか?

 いつもとは違う様子に恐る恐る近づいていく。


「……はぁぁ、どうしよう」


 すごく深いため息をついてらっしゃるんだが。


「嫌じゃないけど、でも……うぅ」


 今度は唸り出したぞ、やっぱりお腹が痛いのか?


「言ったらきっと……だったら、今のままで」


 言うって、俺に何か伝えたいことでもあるのか?


「今のまま……うぅっ」


 また唸り出したな、面白れぇ。っていうか埒が明かないな。


「マリー」

「ひゃぁぁっ!!」


 俺の声に激しく反応をした。頭を強く振り上げて、衝撃で尻もちをつく。すぐに振り向いた表情は戸惑っているのか、目が泳いで顔が赤い。


「いいっいぃいいっいつから、しょっしょこにっ!?」


 めちゃくちゃ噛んでる。


「あー、俯いたところかな」

「そそっそそそっそぉっ」


 何を言おうとしたのか全然分からねぇ。いや、ここは聞き耳を立てていた俺が悪いな。独り言なんて聞かれたくねぇよなぁ。……ちょっと、興味あるけど。


「すまん。迷惑かけたみたいだ」

「あっ、いえっ!!」


 再発毛した頭を下げると、マリーが慌てて立ち上がった。さっきまで戸惑っていたのに、急に詰め寄って来たぞ。鬼気迫る、そんな雰囲気だ。


「迷惑だなんてそんなにっ……全然思ってません! と、いうのは……突然だったのでついていけなくなっただけなので、そのっ」


 うん、確かに突然だったよな。洗濯物の監視も怠ったのに、怒らずにいてくれる優しさがありがたい。


「なので嫌ということではなくて、どう接したらいいのか分からないだけです! そ、それに……」


 はっきりと伝えてきた割には、最後が口ごもっている。少し俯き加減の視線が泳いでいて、落ち着いた様子ではない。胸元辺りで組んだ指先がちょこちょこと動いていたりもする。その手がぎゅっと握られた。


「わっ」

「わ?」

「わっ……悪く、なかったです」


 上目遣いの視線が熱い。じっとして動かず、こちらを返答を待っているようだ。ちょっとだけ俺の体温も上がった気がするが、他に気になることがある。


 突然後ろに立って盗み聞きしていたのが、良かったのか?

 うーむ、分からん。


「あー、なんだ。盗み聞きされるのが、そんなに良かったのか?」

「えっ」

「えっ」


 速攻で返答が来て驚いた。


 マリーは俺の顔を見つめながら固まってしまい、どうしたらいいのか悩んでしまう。これは、二人が考えていたことが合わなかったっということか?


 そう伝えようとした時、ようやくマリーが動いた。力強く握った手は震え、その震えが肩まで伝わる。ちょっと間抜けた顔は分かりやすく赤く染まった。


 あ、きっと勘違いしていたんだな。


「あっ、あぁっ……」

「マリー?」


 ゆっくりと後ずさりしている。後ろ畑なんだが、大丈夫か?


「そのっ違うんですっ……そういう訳ではっ! いやっ、そういう意味もって……私のバカッ!!」


 両手と顔を力一杯に振り続け、訳の分からない言葉を叫んだ。

 めちゃくちゃな慌てようだな。


 呆然と眺めていると、金の装飾が施された黒色の杖がマリーの前に出現した。あっと声をかける前に、マリーは杖に乗って空に向かって勢いよく飛んでいく。

 小さくなっていく声が「バカー」と言っていたのは分かった。が、俺はさっぱりこの状況が分からん。


「……ん、待てよ。勘違いっつったな、俺」


 腕組をして考える。一体マリーは何を考えていたのか。マリーが喋っていた内容を思い出し、何を考えていたのか今日一日の流れを思い出していく。


「そういえば、朝から可笑しかったな。朝、朝……」


 ふむふむ、ほうほう。

 ……思い出して、全身がカーッと熱くなった。


 そうだ、朝に俺……マリーに抱きついて持ち上げていた。

 いや、それだけじゃねぇ!

 他にもアレも、コレも、ソレもっ!!

 再発毛の喜びに浮かれて、俺は一体何をしたんだ!?


「うっ、うわぁぁあああああっ!!」


 マ、マリーに謝りたいのにお空の上だぜ、チクショウ!!

 あぁっ、記憶を全部消し去りたい!!


 俺は小川に飛び込み、上流を目指して走り出した。

 意味は全くない!

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