27話 二人きりでダンスを
夜空に浮かぶ満月。そこから地上に光が降り注ぐ。
星をかき消すほどの強い光が、ハーマリーを照らし出していた。
芝庭の上で優雅なお辞儀を披露するハーマリー。
白いドレスは艶やかに光り、真っすぐ伸びる金髪が星屑のように輝く。夜空から星が落ちてきたようだ。佇む姿は幻想的で見惚れてしまう。
「あっ、えっと……」
情けねぇ、言葉が出ない。口元を手で押さえてしまった。
もう一度ハーマリーを見るが、微笑んだままで身動きしない。
これは俺が返答するまで動かねぇ気だな。何か行動をしろっ。足よ動けっ!
「あー、なんだ。俺、踊ったこと……ないが」
「大丈夫です。リードします」
「もしかしたら、足踏んじまうかも」
「平気ですよ」
言い訳をしつつ、少しずつ近づいていく。高鳴っていく鼓動が緊張を高めて、思うように歩けない。
俺は緊張していることを誤魔化そうとして、会話を繋げていく。
「ど、どうしてダンスをしようと?」
「前々世の時に憧れていた夢でした。いつか真っすぐな髪を揺らしながら踊ることが」
「そう、なのか……」
三歩手前で立ち止まる。
少しは心の準備ができたが、正直言って辛い。心臓はバクバクうるさいし、手のひらに嫌な汗をかきやがる。ハゲだって脂汗がきっとすごいことになっている。
想像したくない。
「半身をずらして立って、腕を横に水平に伸ばしてください」
「……こうか?」
「肘を緩めて左手で私の手を握り、右手を私の肩甲骨辺りに添えて下さい」
まじかよ、ガチなヤツじゃねぇか!
左手、左手ってハーマリーが握ってくれたわ!
右手、右手……ムリっ!
こんな抱きつく形なんて、恥ずかしくてできやしねぇ!
挙動不審な俺にハーマリーは優しく微笑んでくれる。それを見ていると自然と気持ちが落ち着いてきた。が、恥ずかしいものは恥ずかしいんだ!
「なら右手は手を重ねるだけにしましょうか」
「あ、あぁっ……」
それでも、この距離はやばいっ!
鼻息がっ、荒くなった鼻息がハーマリーにかかっちまうぞ。息を止めて、息を止めて……駄目だ死ぬっ!
緊張のせいで体がガチガチになって、動きだせなくなっちまった。
あぁ、情けねぇ。
しばらく手を取り合って微動だにしなかった。この状況にきっと呆れているんだろうな、とハーマリーを盗み見る。と、視線が合っちまった。
緊張で握った手に力がこもってしまう。痛いはずなのに、ハーマリーの穏やかな笑みは崩れない。
「左右にゆっくり揺れましょう」
「へっ、そんなんでいいのか?」
「はい、動きに合わせて揺れてください」
拍子抜けだった。難しいステップとか姿勢とか求められると思ったけど、違うんだな。
ハーマリーが揺れるタイミングを見計らい、俺も左右に揺れた。時々だが一歩前に出て、一歩下がる。いつの間にかその場を回ったりもしていて、リードの上手さを実感した。
しばらくそんな風に踊っていると、安心したんだろうな。俺の体にはもう緊張感がない。体は柔らかく動く。その代わり、わずかに残る羞恥心がしつこくて嫌になる。
「もう慣れました?」
見上げた顔はにっこりと微笑む。
それ、そういうのはちょっと……あれですよ。
「ハ、ハーマリーのお陰だな」
「グランさんが呑み込み早いお陰ですよ」
見上げているんだろうが、恥ずかしくて顔を見ていられねぇ。
視線を外して揺れている金髪を見る。金色に波打つ髪は優雅で見惚れちまう。駄目だ、どこを見ても心臓がうるさくなるばかりだ。
「グランさん、右手を離して左手を高く持ち上げてください」
「ん? こ、こう……か?」
言う通りにしてみた。
ふわり、と目の前でハーマリーが回る。
月明かりで反射する綺麗に広がった金髪と白いドレス。
そよ風に香る髪の匂い。
視線も意識も奪われて見つめ続ける。
くるりと回った楽しそうな表情が現れた。
「これがやりたかったんです」
無邪気に笑う。いつもの控えめな微笑みではなくて、心から楽しいと破顔した。
釣られて俺の頬が緩む。
――――悩むのが馬鹿馬鹿しい。俺も楽しめばいいじゃないか。
少しだけ気が大きくなり、心に余裕が生まれる。
「確かに今のは楽しかった。ま、ハーマリーにリードされっぱなしなのは悔しいな」
「毎日練習してみますか?」
「んーー、リードされぱなしも悪くない」
「なら、また回してください」
ちょっとだけ鼓動がうるさいが、何気ない会話もできるようになった。
ユラユラ揺れ合って、ハーマリーの合図で左手を上げる。綺麗な弧を描きくるりと舞い回った。それを見ていると、無性に楽しくなる。
「もう一回っ」
「はいっ」
急なリクエストにも軽々応えて、くるりと回る。楽しそうで、なんだか悔しい。
「まだまだーっ」
「えっ、ちょっ……あははっ」
無理やり回しても、少し慌てるだけだ。簡単に二回、三回と連続して回る。最後まで回り切ると、自慢げに笑ったハーマリーの表情が現れた。
「どうですか?」
「参りました」
肩をすくめて言えば、可笑しいと締まりのない笑顔を向けてくれる。
自然と左手を握り合い、右手も同じようにしようとした。だがハーマリーの右手は俺の手のひらではなく、肩の傍にそっと置かれる。
「……肘を上げて、手を後ろに回してください」
一歩前に出て、見上げられながら言われた。ぐっと縮まった距離に息が詰まる。お互いの体が触れ合わないギリギリの距離だ。自然と鼓動が高鳴った。髪から漂う匂いがいつもよりも感じて、クラクラしそうだ。
それでも気力を振り絞って、手を伸ばす。
「……こう、か?」
肘をゆっくり上げて、震え出した手を回す。軽く触る程度だ。
するとハーマリーの笑う声が聞こえてくる。
「ふふっ、遠慮しなくてもいいんですよ」
「こ、こういうのは……慣れていないんだ」
気まずくなり、視線が外れ、声が震えてしまった。俺の中で羞恥心がどんどん膨らんでいって、この場から逃げ出したくなる。
先ほどまで柔らかかった体の動きも、ぎこちなくなった。悟られてしまっているだろう、と思うと余計に気持ちが焦ってしまう。
「……私だって慣れていませんよ」
耳に届いた、囁くほど小さな声。少し不機嫌そうな低い声だ。惹かれて様子を窺うと、前髪で顔が隠れていた。今どんな表情をしているのか、すごく気になってしまう。
「そ、そうなのか?」
「……そうですよ。当り前じゃないですか」
ちょっと怒っている?
……どうしたらいいか分からない。俯いているから表情が見えなくて不安になる。
何もせずに組み合っていると、ハーマリーがゆっくりとリードしてくれた。揺れるだけの簡単なダンス。無言が辛い。
黙って見降ろしていると、頭がゆっくりと傾いていき――――俺の胸にトンと寄り添う。
「……バカ」
耳を通った言葉が全身をざわつかせた。わずかに触れた胸の部分から熱が広がり、鼓動がさらに高鳴る。少しずつ揺れ幅が小さくなり、ゆっくりと止まった。
静寂の月夜。
次に耳を打った音は――――ジャラッと音を立てる鎖の音。
なんだ、これ。
俺の視線の先、ハーマリーの背中に二本の鎖が生えていた。
目で追うとそれは天高く昇り、先が見えない。
そして、俺の後ろでも鎖が揺れる音が聞こえた。
恐る恐る振り向くと、俺の背中には一本の鎖が生えて天高く昇っている。
物理的な鎖の感触はない。視覚と聴覚で感じる存在だ。疑問が膨らみ、深い思考に陥りそうになった。
その時だ、ハーマリーの背にある一本の鎖が突然砂となって崩れ去っていく。ゆっくりと天を昇りながらサラサラと。砂に月明かりが反射して光の雨が生まれる。
その雨の向こう側、目を凝らして見ると人の形が見えた。
それに俺は見覚えがある。
――――前々世のハーマリーの記憶。
記憶を覗いた時の映像が浮かんでは消えていく。
直感で思う。
この鎖は前世を繋ぐ鎖なのでは、と。
きっと未練がまだ俺たちをどこかへと繋いでいるのだろう。
黙って見上げた夜空に、ひときは輝く光の雨。
それが消えるまで、俺はずっと見上げていた。
いつまでそうしていたか、分からない。
ただ、胸に残る強い思いが一つある。
この手は離しがたい、ということだ。
第二章完




