26話 不確定な感情
朱い西日が射しこむキッチンで、ハーマリーの金髪を縮毛矯正していく。
薬剤つけて放置し、洗ってヘアアイロンでプレスする。
電源はハーマリーに担当してもらったんだが、ちょっと試行錯誤するだけで電流が通った。魔女ぱねぇ。
知識と技術をコピーしたけど、美容師を舐めてたわ。これは科学技術なんだな。
失った髪の毛は戻らない。だが、ハーマリーの憂いは取れるし、今後の頭皮管理もできそうだ。うん、一石二鳥だぜ。
プレスするごとに真っすぐになる髪。その度にハーマリーの表情が驚きと喜びに満ち溢れていくのが見えた。
「す、すごいですね。真っすぐになっていきます!」
鏡越しに目を輝かせ、笑ったと思ったら。
「これは今だけ真っすぐになるってことですか?」
不安に駆られてしょんぼりと表情を暗くする。
だから長期間真っすぐが続くと教えた。
「えっ、しばらく髪の毛をサラサラできるんですね!」
サラサラできるってなんだよ、って笑った。
二度目の薬剤を塗布し、流してトリートメント。あとは丁寧に乾かすだけだな。ブラシで髪の毛を巻き取り、ブローしていく。
少しずつ乾いていく髪がサラリ、と落ちていくのは見ていて気持ちがいい。もちろん、ハーマリーはそれを鏡越しで興奮しながらみていた。
「あっ! い、今サラっとしてましたね!」
「そうだな」
「真っすぐでサラサラしていて、絹糸みたいに綺麗です」
そわそわしながら笑って喋り続ける。
きっと自分でも触りたいんだろうな。もう少し待っていてくれ。丁寧にブローして最高の触り心地にしてやるぜ。
一束一束、根気よくブラシで巻き取りブローする。
嬉しいと笑ってくれる瞬間を想像すれば、面倒くさい作業も心が躍るわ。
そして、ようやく最後のブローが終わった。
仕上げにオイルを塗るんだったな。手に取って、手ぐしで馴染ませてっと。ほい、終わり。
「で、できました?」
「あぁ。後ろを見せてやるからな」
終わる瞬間を今か今かと待ち望んでいた。ま、締めのこれはやっておこうか。
使っていない鏡を取って、鏡の中に反射するように調整する。ほら見えた。
「どうだ?」
「……これ、本当に私の髪の毛ですか?」
目を丸くしてぼそりと呟いた。
ふっふっふっ、驚いているな。それだけで嬉しくなっちまう。
「白マント外して触ってみたらどうだ?」
「はっ、はいっ」
元気のいい返事なのはいいんだが、慌てなくてもいいんだぞ。
首の後ろに手をかけ白マントを外すと、恐る恐る金髪を手で梳く。小さな声で「わぁぁっ」と歓声を上げていた。一撫二撫、手ひらで感触を確かめている。その手は中々止まらない。
そういや、もう夕方なんだな。
ふとキッチンを見渡せば、窓から強い西日が入り込んでいた。朱く照らされる室内は埃が光って少し幻想的だ。
少し立ち位置を変えると、ハーマリーの金髪が西日に照らされる。一本ずつ煌めいて……すごく綺麗だ。
その時、金髪が大きく揺らめいた。
「すごいです、すごいですね!」
振り返ったハーマリー。喜びが溢れる満面の笑みが、西日で照らされる。
「グランさんと出会ってから私っ……良いことばかりで」
見上げてくる青い瞳が潤む。
西日で光る涙がキラリと一つ零れた。
鏡を持つ俺の手に……ハーマリーの手が優しく添えられる。
「感謝しています。本当に言葉を尽くせないくらい、心から……」
細めた目から、また一粒の涙が零れた。
西日に照らされる喜びに溢れた表情は、俺の心を熱くさせる。ずっと眺めていると、心地いい鼓動が体中に染み渡っていく。
鏡をテーブルに置き、その手をハーマリーの顔に近づける。
なんとなく涙が気にくわない
親指で零れそうな涙を払う。
「だったら」
顔から力が抜けて、柔らかく微笑む。
「涙は引っ込めておけよ」
泣きたい顔を見たいわけじゃないから。
俺の意図が伝わったのか、もう涙は出てこなかった。
西日が強くなったんかな。
顏がやけに赤い気がする。
◇
キッチンの窓からわずかに射す、月明かりは優しい。反対に天井付近で浮いている光球が、ハゲを容赦なく照らしてて辛い。
キッチンのテーブルで一人ボーっとして、どれくらい時間経ったのか分からない。肝心のハーマリーは部屋にこもってしまったし。
……これが分からない。
二人で夕食取りながら、仕上がった金髪を眺めていたかったのに。とにかく悲しい。
「はぁぁ~、暇」
クッソ、一人だと独り言が出ちまう。返答がないっていうのが本当に辛いな。
ハーマリーが作り置きしていた煮込み料理とパン、食い終わったし。食器だって洗った、テーブルも拭いてしまった。
二階の部屋に閉じこもってしまった時「すいません、ちょっと待っていてください」って言われたんだよ。
うん、聞き耳を立ててみた。なんか布の擦れる音とか、切るような音が聞こえたんだが……何してたのかさっぱり分からんかった。
大人しく待っていたんだが、落ち着かねぇ。頭皮ケアでもしておけばよかったな。
「はぁぁ~……」
こんなときにドリアードでもいてくれたらな、って思うところが重症だ。
――――バタン。
ん、扉が閉まった音? 足音が聞こえるってことはもういいのか!
慌てて立ち上がり、隣の部屋まで移動する。ついでに俺のハゲを追って光球も移動してきた。その優しさがちょっと辛い。
光加減に悩みながら、部屋の隅にある二階へ続く階段に目を向けた。白い足が辛うじて見える。
どう声をかけたらいいだろう?
一人悶々としていると、ゆっくりとハーマリーが降りてくる。
――――その姿に目を奪われた。
膝を隠す艶やかな白いスカートがふんわりと揺れる。
括れた腰には透けた薄桃色のリボンが巻かれ、余った先がヒラヒラと舞う。
わずかな光でも輝き出す金髪
その金髪の隙間から覗き見える、むき出しの白い肩が扇情的だ。
白いドレスを纏ったハーマリーが降りてきた。
俺はしばらく見つめて、一言も声をかけられずにいる。
いや、うん……なんて言えばいいんだ?
「すいません。わがままで待たせてしまって」
一階に降り立ったハーマリは申し訳なさそうに頭を下げる。
「い、いや……それはいいんだが。どうしたんだ、その、なんだ……綺麗な格好をして」
正直、直視し続ける勇気がねぇ。視線を少し外すだけで精一杯だ。
なんつーか、あぁっ! 言葉がでねぇっ。
「今晩だけグランさんの時間をくれませんか?」
はっきりと聞こえたんだが、どういう意味か分からない。ちょっと不埒な想像をしてしまうと、すぐに自己嫌悪に陥ってしまう。
とと、とりあえず無難な答えを言うか。
「……そんなことならいくらでも大丈夫だ」
「そうですか。良かったです」
あー、見れねぇ。声色からして笑っているんだろうけど、見れねぇ。
ハーマリーが近寄ってくる気配がした。
俺の手を突然握り、引っ張って歩き出す。
「お、おい。どうしたんだ?」
「外に行きましょう」
そんな格好で外?
先頭を進むハーマリーの後頭部が見える。繋がった手が熱く、鼓動が少しずつ高まった。今は情けない顔をしてるんだろうな、俺。こっちを見られなくて、少しだけホッとした。
キッチンを出て、暗がりの短い廊下を進み、玄関を開ける。開くと廊下よりも明るい外の景色が見えた。
「こっちです」
手をぐいぐい引っ張っていく。
向かう先は……家の裏手か。何もない、平坦な芝生があるだけなんだが。そこに連れて行って何をさせようというのだろう?
裏手に回ると月光が照らし出す芝庭が現れる。他には何もない。
そこに手を離したハーマリーが進み歩く。白いドレス姿が月光に照らされて幻想的だ。
立ち止まり、後ろ向きのままで話しかけてきた。
「グランさん、本当にありがとうございます。最後のわがまま聞いて下さって」
「……最後だっていうなよな。まだハゲ治してもらってないから、居座る予定だぞ」
「ふふっ、そうでしたね」
何気ない会話でも気分が高揚する。手先が落ち着かずそわそわしてしまう。それを隠すように腕組をして待つ。
芝生の上で凛と立つ姿はいつもとは違う雰囲気だ。ただ黙って眺めていると、こちらをゆっくりと振り返る。揺れる金髪と白いドレスが月光に反射して煌めいて見える。
――――思わず惚けてしまった。
白い手がドレスの端を摘まんで、優雅に持ち上げる。
軽く膝を曲げて腰を少し落として、頭を傾けた。
「私と踊って頂けませんか?」
前々世の姿が重なって見えた。




