19話 前々世の償い
澄み切った青空が広がっている。
遮るものがない太陽の光は眩しい。負けじとハゲは元気に反射している、そんな昼時。
大空を進む、光るハゲがいる。魔女のハゲマスコットとして、木箱に詰められた俺のことだ。上を見上げると魔女スタイルのハーマリーが杖に腰をかけ、横向きで進んでいた。スカートの中は見えない。
「付いてきて下さってありがとうございます」
「当たり前だ。マスコットだからな」
「えっ?」
肩には乗れないが、付属品としてはハゲはレアだぞ。今ハーマリーの肩に乗っている五センチのハチもかなりレアだが。マスコットの座は譲らねぇ。
聞くところによると、ハチは困ったことがあり魔女を頼って来たらしい。
魔女は人ならざる者の代弁者、と言っていた。てっきり精霊の代弁者だと思っていたが、違うそうだ。まさか虫とも交流を持つなんて、考えもつかなかった。
だからハーマリーは人外の物に話しかける根性があったんだな。あ、胸が痛い。
「見えてきました。あれですね」
ハーマリーがハチと会話しているが、ハチはブンブンいうだけでさっぱり意味が分からん。仕方なく、ハーマリーが示した場所に目を凝らす。
深淵の大樹森にぽっかりと開いた、楕円が二つくっついた特殊な場所。色彩豊かにみえたが、明らかに片方の円内部の色が違った。どす黒い何かが蠢いているのが遠目でも分かる。
「大分侵食されていますが、間に合いました」
どす黒い部分に向かって降下を始めた。近づくたびに禍々しい気配が強くなる。
「エレメンタルになる前の精霊か……」
この世界のエレメンタルは特異な存在だ。特化した属性を持ち、物理攻撃を一切受けつけない。魔物に分類される悪霊。
山一つ、町一つ分を特化した属性で支配して滅ぼす、厄災を呼ぶ魔物と言われている。物理担当の俺の天敵でもあるから、嫌な思い出しかねぇな。
「グランさん」
「なんだ?」
「魔女の仕事、見ていてください」
ふわっとしたいつもの雰囲気ではない、張りつめた雰囲気だった。俺は無言で頷き、眼下に見える蠢く黒い塊を睨みつける。
◇
地面に降り立つと分かる、異様な邪気。精霊が悪意を数年とか数十年受け続けると、エレメンタル化すると言われている。その境に、この生き物はいた。
粘着質な漆黒の玉からいくつもの触手を伸ばし、周りの命や魔力を食らってデカくなる。正直、近づきたくもねぇ。
「グランさん、ここに置いておくので見守っていてくださいね」
振り返り、息を呑む。
ローブの下に着てあった白いワンピースだけの姿だった。他には何もない、素足で黒く汚れた地面に立っている。見守っているってお願いされたが、正直これは苦言を言いたい。
「……ありがとうございます、心配してくださって」
しかめっ面してたから、バレバレだった。でも、ハーマリーがいつものように微笑んでくれて、少しだけ気が晴れる。
「邪気に染められてしまったあの子を救うのが、魔女としての使命だと思っています。それに――――」
俯いた顔が漆黒の玉に向く。見たことのない、強い意志が宿る目をしていた。
「前々世の罪の償いは続いています」
白い足先が黒い地面を踏みしめて進んだ。迷うことなく漆黒の玉に近づき、黒い触手に囚われる。どんどん黒に犯されていくのに、その歩みは止まらない。
急に巨大になった玉の中に消えてしまう。
「ハーマリーッ!」
気づいたら叫んでいた。
駆け出そうとして地面を踏みしめる、が瞬時に理性が訴える。
――――違うだろ!
全身に力を込め、手のひらをきつく握り締める。力が入り震え出す体を必死に押し留めた。荒くなる鼻息を聞きながら、溢れ出す衝動を抑えるのが辛い。
「クソっ!!」
耐え切れず地面に尻をつく。開いた膝に腕を乗せ、漆黒を見守る。
――――なんだよ、なんなんだよ。
前々世の罪ってそんなに重いものだったのか?
一つの世界を壊したり、全ての人を殺すほどの大罪でも犯したというのか?
千年以上の孤独を味わって、それで終わりじゃないのか?
これ以上、何を償うんだよ!!
「ふざけんなよっ。今度あの神に会ったらぶん殴ってやるっ」
記憶の片隅にあった、神の存在が疎ましくなった。
◇
見上げるほど巨大になった玉は時間が経つにつれて、萎んでいった。邪気の浄化、それが魔女の役割だろう。漆黒が可視化された邪気ならば、ハーマリーはその中心にいるということ。
見ているだけは歯がゆい。ただ待つのは辛すぎる。
――――ようやく、その時が来た。
急に漆黒が蒸発し始めた。昇りながら消えていく漆黒を見て、身を乗り出して凝視する。見慣れた金髪が現れ、徐々にハーマリーの姿が露わになった。
だが、まだ終わらない。駆け寄りたくなる衝動を抑え、全ての漆黒が消えるのを待つ。白い足が現れ、白い足先が見えた。
何かを抱えて立っているハーマリーの体がふらつき、そのまましゃがみこんだ。
「ハーマリーッ!」
堪らず地面を蹴って駆ける。ものの数秒でハーマリーの傍まできたんだが、どうしたらいいのか分からない。どこかに移動させたらいいのか、いやそれ以前に触れてもいいのか。
最近、距離感が曖昧で思い切ったことができなくなった。すぐに決められない。俺もしゃがみこみ、顔色を窺った。
「おい、大丈夫か?」
「……大丈夫です。ちょっと魔力を使い過ぎただけ、ですから」
「なら……これを飲むといい」
弱弱しい声だ、胸が苦しく締めつけられる。
すぐにアイテムボックスから最高品質の魔力増幅薬を取り出す。キャップを外して目の前に出すと、震える手が弱弱しく掴む。ゆっくりとした動作で飲み込むと、盛大に息を吐く。
こちらに少し顔を向け、微笑んでくれた。
「……少し落ち着きました」
「移動するか?」
「いいえ、この子と一緒にいます」
そういえば、何か抱えていたな。
手元を覗き込むと、桃色と白色の縞模様の毛皮が見える。もっと観察してみると、それはリスの形をして背に透明な羽を持っていた。
「エレメンタルになる前の精霊か?」
「はい、花の精霊ですね。姿形は様々ありますが、頭に花が乗っているのが一番の特徴です」
確かに、頭に黄色い花を乗せていた。手のひらの上でむくりを起き上がり、キョロキョロと辺りを見渡す。顔がハーマリーに向くと、深くお辞儀をした。
手の甲を覗き込んだと思ったら、ちゅっと音がする。
ちょっとイラッとした。
「喋らないのか、こいつ」
「下位の精霊なので、聞く能力はありますが話す能力は備わっていませんね。ドリアードたちは高位に近い精霊なんですよ」
「……マジかよ」
あんなに数がいたら、ありがたみがねぇ。
渋い顔をしたら、ハーマリーが眉を寄せて苦笑いを浮かべた。それからゆっくりと立ち上がり、手の中にいた花の精霊を空へと放つ。
花の精霊はちょこちょこと手足を動かし、跳ねるように駆け回る。
「ほら、きますよ」
何が? と、問いかける前にそれを知る。向こう側の花畑から空に飛び上がる様々な色たち。タンポポの綿毛が浮かぶようにふわふわとして、意思を持って集まっていく。
「ここは花の精霊が生まれる場所です」
「深淵の大樹森って精霊の宝庫なんだな」
「えぇ、まさに魔女に相応しい森でしょう?」
立ち上がりちらりと表情を伺うと、自信気に笑うハーマリー。
――――そこかよ。
思わず俺が笑っちまう。先ほどの苛立ちが嘘のように消えていき、自然と手が伸びる。ポンと頭を優しく叩いた。
「ハーマリーの夢は、人と暮らすことだろ?」
ゆっくりとこちらを見上げるハーマリーの顔、面白れぇな。目を見開いて、口は堅く閉じている。突然触られて、緊張したんかな。
「その夢を叶えるために頑張って来たんだろ。成し遂げようぜ」
ちょっと叱るように、ポンポンと叩いてやる。ま、緊張を和らげるために少し笑っているんだがな。
「……覚えててくださったんですね」
「言ったろ、協力するって」
丸くした青い瞳がじっと俺を見つめてくる。とても長い時間だったような、そうでもないような。
だから、周りのことなんて見えていなかった。視界に虹色が通り過ぎたと思ったら、強烈な花の匂いが鼻先を掠める。
いったい、何が起こったんだ!?
はっと我に返り、周囲を見渡す。驚きの光景に俺も目を見開いてしまう。
「……うっそだろ、おい」
不浄の地が一瞬で色彩鮮やかな花畑に成り代わっていた。どこをみても一面の花畑だ。
「これが精霊の力か」
常識なんて通じない、そんな存在なんだろうなぁ。空を見上げれば色と形が様々な花の精霊が飛び交っていた。仲間が無事で嬉しいのかなぁ、と呑気にそんなことを思う。
――――その時、指先をぎゅっと握られたのに気づく。
ゆっくりと振り向くと、俯いたハーマリーがいた。
「少しお話……しませんか?」
緩めのウェーブがかかった金髪から覗く耳が、少し赤い気がした。