17話 お母さんドラゴン、再び
朝食が終わり、食後のコーヒーを楽しむ。
んー、心がホッとするこの匂い。中毒性あるなー。
「あっ!」
キッチンで洗い物をしていたハーマリーが声を上げた。
一体どうしたんだ? カップを置いて視線を向けると、ハーマリーもこちらを見てくる。
「ん、どうした?」
「昨日の夜にお母さんから連絡が来て、この後来るそうです」
……お母さんドラゴンかぁ……あーコーヒーうめぇ。
◇
というわけで、芝生が広がる家の裏に来ています。なぜ、俺も外にいるかというと……お母さんの希望だったそうですね。理由? さぁ、このハゲ頭では分かりません。高貴なお方の考えなど、このハゲには分かりませぬ。
「あっ、来ますね」
白いブラウスに薄緑のロングスカートなハーマリーさん。お母さん来たら、あれですよ。スカートめくり上がりますね。……ちょっと、後ろに回って――――
「ギャオォォォッ!!」
はい、大変失礼しました。
羽ばたく翼の音が次第に大きくなると、お母さんの影も大きく見えてくる。あ、俺たちの前方に降りてくるのか。ちょっと危ないって。
ハーマリーの前に出て《仁王立ち》のスキルを発動させる。
今日のラッキースケベはお預けだな。
翼を羽ばたかせ、地上に降りてくる赤いドラゴン。強風と共に地響きが襲いがかる。ま、別になんともねぇんだけどな。
しっかし、見上げるほどデカイなぁ。人に化けたり、ちっちゃいマスコットになったりしてくれねぇかなぁ。
――――あっ、金色の瞳がこっちを見た。
「お前の頭が光って降りやすかった」
誰がハゲ頭ピッカリーンだ!! やかましいわっ!!
「今日はどうしたの? この間の干物は届けたはずだけど」
そうそう、それな。すでに用事は終わっていたはずだ。つーか、普通口調のハーマリーはいいな。いや、いつもの丁寧なのもいいんだが。うーん、これを考えるとお母さんが来るメリットあるなぁ。
「干物が大好評で一番に選ばれた」
「そうなんだ、良かったね」
「酒で戻したクラゲがコリコリしていて美味だった」
えぇっ、俺が釣ったクラゲ!? あ、またこっち見た。縦割れの目が怖い、ちびりそう。
「むさ苦しい男だと思ったが、多少は見直してやるぞ。感謝せよ」
目をつぶって、うんうんと納得したように頷いた。が、むさ苦しいもハゲも余計だぜ、お母さん!!
うっ、またこっち見た。
「今日は二人の様子を見に来た」
「お、お母さんっ」
「その様子だと……まだのようだね、マリー」
なんか、あれだな。新婚夫婦に「子供はまだか」と突撃してくるお母さん、みたいな圧力だ。流石のハーマリーもタジタジだなぁ。
……けど新婚夫婦か、フヒヒッ。
「まったく、あんたはウジウジして。噛みつくぐらいの気概を見せて欲しいもんだね」
「か、噛みつくって……わ、私はドラゴンじゃない、し」
「なら、人間みたいに抱きつきゃいいじゃないか」
「ちょっちょっ、お母さんっ!!」
両手を後ろに組んだり、前に組んだり。前に突き出して上下にバタバタ動かしたり。実に挙動不審な動きを見せるハーマリー。
うん、いい……抱きつきたいぞ。けどそんな日がきたら髪の毛一本残らんな。骨も肉も残らんかも知らん。
「おい、そこのハゲ」
うっわ、妄想中に話をふってくるんじゃねぇよ。
恐る恐る顔を向けると、鋭く射抜く金色の瞳が見てきた。縦長に割れている眼はさらに威圧感が増していて、なんだか石化させられそうだ。
「お前もお前だ。マリーを傷つけないやり方は評価しよう。だがな――――」
「な、なんだ……」
「人とは見守るだけでは成長しない」
言葉に詰まりすぐ返答できない。その通りだと思ってしまった。手を上げて、むき出しの頭皮をつるりと撫でる。
「……っ。だから俺の頭皮は」
「不毛な話だったな」
その返しが一番キツイッ!! 不毛不毛ってどいつもこいつも!! 俺という素材のせいではない、断じてないんだ!! このハゲは、あの神のせいなんだよ!!
その時、お母さんの鼻息が吹き荒れ、頭皮に残った髪の毛が揺れる。
「あー、二人揃って情けない。いい加減飽きたわ」
強烈な魔力の波動を感じた。本能が恐怖を感じ、思わず身構えてしまうほどだ。自然と吹き出した冷や汗が頬を伝うのが分かる。
「これはっ、拘束の魔法陣っ!?」
ハーマリーが焦りながら声を上げた。視線を向けると、ハーマリーの背後に張りつくように赤い魔法陣が浮かび上がっている。
そして、その魔力の波動は――――俺の背中にも感じた。
「《縛》」
ぐぅっ! 体が魔力でっ……縛りつけられいるっ!?
一体、何が始まるんだ。内心、怯えながら赤いドラゴンを見上げる。ニィィッ、と歯茎をむき出しにして笑いやがった。
そして、俺の体は前に押し出される。一歩、また一歩と足が動いてしまう。
「おぉ、おっお母さんっ!?」
驚く声が気になり顔を上げる。正面に同じく拘束されたハーマリーがいた。その表情は酷く焦っているようで……なぜか顔が赤い。よく見れば、ハーマリーもこちらへ一歩ずつ近寄っている。
「だ、ダメっ……やめてよっ」
「愚図は嫌いだと教えたはずだよ」
――――あぁ、そういうことか。
つまり、お母さんは実力行使に出たわけだ。これならお互いに逃げることもない、最善だ。まぁ、ハーマリーが心配だけどな。
「ぃやっ、そんなっ、ぅ、まっだぁっ……」
うぅぅんんんっっ!!
この声はおっさん的には、あかん。ハーマリーが涙目なのが、そそられ……ぅんんんっっ!! 本当に精神衛生上これは不味い。
いや、美味しい。……なるようになれ、俺。
――――ブチッ
ブチッて俺のパンツでも切れたか?
「集え、赤と黒」
まさかの切れ痔? 最近下痢気味じゃなかったんだけどなぁ。
お尻が気になっていると、赤と黒の何かが目の前を横切る。視線を追いかければそれらはハーマリーに覆い被さる。赤い魔女の帽子にローブがハーマリーを包み、黒と金の杖が目の前に浮いていた。
何が始まるんだと見ていると、動けないはずのハーマリーの手が動く。その手が杖を握ると、魔法陣が砕け散った。
「えっ?」
「《光神の憤怒》」
お母さんに向けられた、金色の装飾が施された杖の先。収縮する光は眩く、目を細めることがやっとだ。
少し光が収まった、そう思った時――――放射状にいくつもの光線が発射された。尋常ではない魔力の波動。お母さんに直撃コースを飛ぶ。慌てて見上げれば、空に赤い閃光が飛んでいくのが見えた。
「ハハハハハッ!! 怒った、久々に怒ったぞぉ!!」
追い打ちをかけるようにいくつも放出される魔力の塊。直撃する前、すでにお母さんは空へと舞い上がっていた。
光線は追尾し、空を駆けるお母さんへと迫る。一瞬止まり、残像でも残しそうな制動後の加速でお母さんは避ける、避ける、避ける。余裕そうに高笑いをして、舞うように避ける姿は圧巻だ。
「お母さんの馬鹿っ、馬鹿っ、馬鹿ぁぁぁっ!!」
一方で叫びながら、狂ったように光線を放出続けるハーマリー。次々と打ち出す膨大な魔力に平然とするどころか、さらに放出する魔力が高まっていく。
「《ハウリング》!!」
くぅっ、頭と耳がっ!!
強烈な空間魔法が行使された。魔法の無差別広範囲攻撃を前に、ハーマリーの魔法が止まる。次第に弱まる空間魔法に内心安堵しながら空を見上げれば、お母さんが巨大な魔法陣を背に羽ばたいていた。
「よかろう、わが娘よ。母の竜たる力を思い知るがよいっ!!」
「絶対に地に這わせてあげるんだからっ!! 今度こそ、その角をへし折ってあげるわっ!!」
「よく吠えた!!」
魔力の高まりとともに、ハーマリーの周囲に砂埃が吹き上がる。杖にまたがったハーマリーが地面を蹴り上げて空へと飛び上がった。
上昇中にも光線を放ちながら、両手に魔法陣を出現させて氷魔法を打ち続けていく。
一方でお母さんは光線を当然のように除けながら、氷魔法を炎ブレスで相殺していく。
「ガァァアアアアアア」
「こんのぉぉおおおおおお」
それは、もう、すごい、たたかいでした。
すごくて、すごくて、すごくて。
たいくずわりをしながら、ずっとみまもっていました。
◇
結局、引き分けでお母さんは帰って行った。すごくスッキリした顔をして、鼻歌を歌いながら飛び去ったのを見た。
激しい戦いだったのに、芝生も木々も無傷だったのがすごい。怒っていてもその辺りは配慮していたんだな。
「はぁぁっ、本当にごめんなさい」
ハーマリーは頭を下げて、なぜか俺に謝罪している。っていうか、あんなに魔力放出したのに大丈夫なのか?
「もう、お母さんったら……強引にっ」
「はははっ、そうだよな」
「そうですよっ! 全く、今はそんな関係じゃないのに」
ふくれっ面が可愛……今は? まだ?
――――その日の夜はやけに一人が寂しかった。