14話 水遊び
目の前で水車が元気に回っていた。突っ立ってずっと眺めているが、これが不思議と飽きない。流れ落ちる水音が心地いい。
小川の流れを目で追い、時々見上げて空を目に映す。
今日もいい日だ。心が穏やかになる。
「グランさん、こちらを持ってください」
「お、わりぃな」
水車小屋からハーマリーが出てきた。
農具が入った布をひょいっと軽く担いで手渡される。受け取るとずっしりとして、ちょっと驚いてしまう。
ちょっとひ弱なイメージあったけど、案外頼もしいなぁ。
「菜園はこちらになります」
流れるような視線で涼しい顔をして先導してくれた。まだ目は合わせてはくれない。寂しいもんだが、この先に期待するか。だが、一つだけ心の中で言わせてもらおう。
視線をハゲに向けられても、すっごく困る。
今日のテカり具合は、とか観察日記でもつけてるんじゃないかって疑うほどの凝視っぷりだ。ハゲって意外と傷つきやすいんだよ、ハーマリー。
優しさをください。
そんなアンニュイな気分のまま小川を少し遡ると、小さな木製の橋が見えてきた。水面に近い高さ、段差の少ない真っすぐな形だ。
この幅だったらジャンプでもいけそうだな。五歩で渡り切ると、正面に小さな畑が見えた。
「いいんですか? 畑拡張してもらって」
畑の前でクルリと振り向く。揺らめく金髪が日差しに反射して煌めいていた。俺のハゲもほどよく油がのって煌めいている。ってうるさいわ。
魔女の帽子で日よけをして、長袖の薄茶色のワンピースで農作業するらしい。なんかこう、あり合わせっていう感じが家庭的? 牧歌的? 田舎的?
「俺の食べる分が増えてしまったからな。こういう労働なら任せろ」
駆け出しの傭兵の頃、金がなくて農作業の手伝いしてたんだよな。小遣い稼ぎと肉体改造的な意味合いで。いや、本当は金欠で困ってたんだがな。あの頃は死ぬも生きるも地獄だったわ。
農具の入った袋を置いて、改めて中身を確認。ふむふむ、ほうほう。
「とりあえず、石と草でも除けるか」
手に取った小さなスコップの刃先を持ち、柄を向けてハーマリーに手渡す。
「あっ、ありがとうございます」
おっかなびっくりって感じで、ゆっくりと手を伸ばしてくる。申し訳なさそうな表情するけど、気にすんなって言いたい。自主的に触れるようになるまで、頑張るぞ!
んじゃ、やるか! どっこいせっと。
「きゃっ」
おいこらハゲ。いうこと聞けハゲ。光を反射させるんじゃない!!
ハーマリーも申し訳なさそうに、指の隙間からこっちを見ないでくれ。
◇
目立つ石は俺が担当して、小石はハーマリーに回収をお願いした。それが終われば草を抜いて刈って、一段落。
鍬を手に持つと、よいこらしょっと耕し始める。そこに肥料をふりかけ、混ぜ込んでいく。
頭の角度を変えながらの農作業は、次第に速度が上がっていった。輝く増す、俺のハゲ乱射。
ハーマリーの顔を目がけて照射されたソレは、時折聞こえる小さな悲鳴で露見する。そのたびに顔は見合わせるも、目は合わせず。複数の意味で気まずくなる。
もうあれだ光合成でもして、草でもいいから生えてこないかな。
この肥料かけたらいけるんじゃないか?
悶々としていると、ハーマリーの大きく吐く息が聞こえる。
「昼ごはん前に耕し終わっちゃいましたね。お疲れ様です」
土のついた手のこうで、伝い落ちた汗を拭う。少し赤みを帯びた頬で視線を逸らしながら、熱い日差しの中で微笑む彼女。
胸の奥が締めつけられた。
眩しいのに、目が背けられん。
……ちくしょう。姿を現したらこっちが戸惑うことが多くなるって、なんだか悔しい。恥ずかしさを隠すために、ズボンに突っ込んでいたタオルでハゲと顔の汗を取る。
「汗流してくる」
少し足早に水車まで歩く。短い橋を渡って小川を下ると、一分で着いちまう。
変わらずこの水車は元気に回るわ、憎たらしい。俺の毛根にその元気を分けてくれ。
落ちる水に流し台を差し向けると、少し離れた俺のところまで水が流れ落ちてくる。そこに油汗でテカった頭を入れた。
「ひゃぁー、つめてぇっ」
毛穴がキュッとなるわキュッと。俺の毛穴が生きてる実感するわ~。
「気持ちよさそうですね」
「うおっ」
―――背中がつめてぇぇっ!
驚いて一歩踏み出してしまった。
「お、驚かせないでくれ!」
慌てて水流から離れた。髪をかき上げる動作をしたが、前髪がない。
ちょっと内心傷つきながら、ずぶ濡れの顔を手のひらで拭う。
「ご、ごめんなさい」
振り向くとハーマリーが謝った。が、口元が笑っていやがる。隠すように手を口元においてもバレバレなんだよ!
「なーに、笑ってんだよ」
「すいませんっ、そのっ……私もこんな感じだったのかなって思ったら、可笑しくなっちゃって」
あー、確かに。以前はこちらからアクションすると、ハーマリーは驚いたついでに失敗を繰り返していたなぁ。ん? 立場逆になってるじゃねーか!
何か言ってやろうと思うが、そんな気失せちまうわ。堪えるように笑わなくても良くねぇか? まー、しかしだ。良く笑ってくれるようになったな。これはこれでいい傾向だが、仕返しは必要だ。
流れ落ちる水に手を突っ込み、軽く意識を集中させる。
丸くなーれっと、ほらできた。
次は意識を逸らさせて。
「あっ!」
「えっ!?」
声に反応したハーマリーが顔を上げる。そこ目がけて水球を軽く投げつけてやった。バシャッと愉快な音を響かせて水球は破裂する。顔面を盛大に濡らしてやったぜ。
「はははっ、これで同じだ!」
フハハッ、笑ったお返しだ!
まだガキの頃に初歩魔法で習った、物質を動かす魔動力。手の中で水球をできるようになれば、初歩脱却の一歩だったなぁ。まぁ、俺らは水球を使ってぶつける遊びをしていたわけだが。いやー、懐かしい。
「……もうっ、グランさん突然っ」
「傭兵の俺が、魔動力を使えないわけないじゃないか」
袖で水滴を拭うその顔は、頬を膨らませて不服そうだ。いやー胸がスッとしたわ!
……おろ? 小川の水がハーマリーに向かって……あーーっ!! 指先でいくつか水球作りやがった。
――――こいつ、やる気だな。
「……私なんて一本の指先で作れますよ」
「おいおいおい。量より質だぜ? お嬢さん」
めちゃくちゃ自信満々な顔しやがる。だが破壊球グランのあだ名を持つ俺にも、譲れない矜持がある。数で対抗するのは悪くない一手ではある、だがな。
両手に水球を生み出し、魔動力を高める。バレーボールほどの大きさの水球が二つ、手のひらに完成した。津波に似た荒々しさと猛々しさだ。うねり続ける水球でハーマリーを威嚇する。
「それでは、これでどうです?」
お、小川の水が空中に向かって集まってやがる。うおぉっ、言うだけのことはあるな。クッソ、すげぇな、コンチクショウ。数え切れねぇ水球が空中で生み出された。
ハーマリーを盗み見ると指先を空に向けて、もう片方の手は腰に添えられている。クッソ、余裕の構えだ。口元の笑みが魔女っぽくて可愛いな。って魔女だったな。
「指先一本で全て自由自在ですよ。先ほどのお返しいたしますね」
「はん。幾度の戦いを生き抜いてきた俺を簡単に倒せると思ったら、大間違いだぞ」
芝生の上を駆け、ハーマリーとの距離を開ける。質で勝負する俺には不利だが、そのほうが燃える。破壊球グランの名、その目に焼きつけさせてやるぜ!
「……いくぜ。ハーマリー!」
◇
空が見えた。白い雲がゆっくりと流れる青空。芝生の上で仰向けで見える光景だ。それは俺のやさぐれた心を癒してくれる。
――――パンツまでずぶ濡れだ。
「ふふっ、私の勝ちですね」
青空を遮るように覗き込むハーマリー。彼女は一切濡れていなかった。緩いウェーブの金髪がさらさらと煌めき流れる。細められた目に上がった口角。
嬉しさを見せつけられた。
「あーー、負けだ負けだ」
体を起こして、深くため息を吐く。悔しかったが、童心に帰れて楽しかった。こんなにはしゃぐのはどれぐらいぶりだろうか? もう忘れちまったなぁ。
「……ありがとうございます」
俺の隣にハーマリーが座った。膝を抱えて、少しだけ微笑んで顔をこちらに向けている。
「町に行った時、この遊びを見ていました。いつかやってみたいなぁ、って思っていたんです」
ちらりと一瞬だけ目が合う。
「誰かとこんなに楽しく遊んだの、初めてでした」
子供みたいな無邪気な笑みを浮かべて、楽しそうに話してくれた。
なんか分かんねぇけど、嬉しくなる。目元と口元が緩んじまうじゃねーか。
シワも白髪も増えて、体もガタがきたのに……ガキみたいに飛び上がりそうになる。いい歳したおっさん、なんだけどなぁ。
「もう少し遊ぶか」
見上げれば青空が広がっている。
こんな天気じゃ濡れてもすぐ乾くだろ、大丈夫。
隣から「はいっ」と元気のいい声が聞こえてきた。
水車もまた、元気にゆっくり回っている。