12話 美味しさは心を満たす
さて、病人の空腹を満たすために何を作るべきか。
ハゲよ、我が神秘なるハゲ頭よ……どうか妙案を授けてください。撫で撫で……うわっ、脂汗気持ち悪ぃ。
「食事を用意してくださるのですか?」
声がして見下ろすと、布団を被りながら話しかけてきたハーマリー。時折聞こえる苦しそうな呼吸を聞くと、心が落ち着かなくなる。
気を取り直して考えよう。食べやすいものって言っても、色んなものがあるしなぁ。ハーマリーが食べたものを知れたら――――
「それだ!!」
「えっ」
そうだそうだ、創造スキル様があったじゃねぇか。なんでこのハゲ頭は重要なことをすぐに思い出せねぇんだよ。と、決まればアレだな。
「ハーマリー、そのままでいろよ」
「何を……」
忠告したからな。
床に膝をつき、布団越しにハゲ額をハーマリーの額に合わせて目を閉じる。
「きゃっ!?」
「《ダイブ》」
眩いフラッシュの後、いつもの真っ白な視界が生まれた。
意識が沈んでいく。今までとは違い、揺れの激しい視界は頭を痛くしやがる。
移り変わるハーマリーの記憶映像。転生後なのに、転生前の記憶が流れている。魂に記憶が残っている証拠だな。映像はまるで電車のように、視界の両端を走り抜ける。処理できない情報がどんどん溜まっていく。
まだ……いや違う。もっとだ、もっと深くだ。
頭が痛い。情報が多くなれば、不快感が高まっていく。だが堪えろ。俺が見たい映像に辿り着くまで、絶対にやめないぞ。
頭の痛みが増えてきた時、映像に変化が現れた。自然豊かだった映像から、人工物に囲まれた大勢の人たちが現れる。先ほどとは比べられないほどの情報量が流れて来て、頭の痛みが激しくなる。
こい、こい、こい……来やがれっ!!
いた、あれだ!
ようやくきた映像。白い寝巻姿の金髪幼女がいた。寝台の上で渡された皿を持ちながら、黙って見降ろしている姿だ。傍には年端もいかないメイドがいる。満面の笑みで話しかけているようだが、話の内容までは分からない。
お、食った。
金髪幼女が一口すすって飲み込んだ。パッと明るくなる顔はメイドに向けられる。メイドも満足げに頷いて、見守っているようだ。
微笑ましく、心温まる光景だろう。
だからソレ―――ちょっと貸してくれや。
《キャッチ》
意識して掴み取る皿。途端に意識が引っ張られる。引き離される、いや追い出されていく感じだ。
頭痛が最高潮に達した時、戻ってきた。急いで体を起こし、両手を掲げるが……うげぇぇ、気持ち悪ぃぃっ。
「うぐっ……《エンボディ》」
吐きっ、耐えろっ。
そう思っている間に、手の上で想像される一皿。優しい匂いのする湯気が辺りに広まる。
「クッソ、頭いてぇし気持ち悪ぃ。ハーマリー、ちょっと待ってろよ」
「…………」
あれ、どうしたんだ?
ま、沢山喋って疲れたんだろうよ。休ませておくか。よし、俺はこの一皿を味見しながら作るかな。……あ、結構毛が抜けた。
◇
キッチンの前に立つハゲ男子。
キチンと整理されているな。うん、まず物の場所が分からない。
「おっと、先にこれ味見しねぇとな」
匂いからして美味そうだ。じゃなくて、めちゃくちゃ複雑な匂いがする。一口……うん、うまい。じゃねぇーよハゲ。
牛乳は入っているし、コンソメ的な旨味が微かに感じられる。この舌ざわり、じゃがいもか。この小麦の匂いはパンだろう。ドロドロに溶けているから、すりつぶしたか跡形もなくなるまで煮込んだか。
「まずは材料だな」
この世界に冷蔵庫みたいなものは存在するんだが、ハーマリー家はちょっと違う。扉のついた三段の棚。そこに内側と外側から魔術印なるものを施して、気温を操作して食材などを保存しているらしい。
いやはやファンタジー。素晴しきファンタジー。
おっとこうしちゃいられない。
えーっと、これとあれと……あれ牛乳どこいったか。あったあった、これだな。
えーっと、調味料は……塩にハチミツ。え、こんだけ? うっそぉ、まじでぇ。あー、煮込むと旨味が出るんだっけか。とりあえず、食えそうな野菜ぶっこめばいいな。
「あーー……包丁と鍋。あとまな板……どこだ。ここか? そこか? んん?」
ハーマリーの動きは見ていたはずだが、さっぱり分からん。
あーー、んーー、ここか? 鍋発見。
えーっと、あーー。あっ、棚の横にぶら下がってる。うし、包丁とまな板は大丈夫だな。確か野菜は洗って保存してあるって言ってたから、このまま皮むきゃいいんだな。
……包丁で?
「え、無理じゃね?」
現実とは時に厳しく、ハゲにも厳しい。
◇
湯気立つ鍋から中身をお玉ですくい、慎重に皿の中に入れる。
あれ、思ったより水分が少ない。ちょっと焦げてるし……香ばしいからいいよな。始めは白色だったが……うん、なんか薄茶色になっている。
「どれ、味見……あちっ、あふっ……ぅん?」
ほう、味は悪くない。ちょっと舌触りがざらついてるっていうか、固形物が溶け切らない感じだ。
うん、でも――――
「俺にしちゃー、上出来だ」
待たせちゃ悪いからさっさと持っていくか。……洗い物が散乱している惨状から早く遠ざかりたい。
お盆に皿と匙、新しい水差しを置いてキッチンを後にする。廊下を少し進むだけで居候部屋に着く。
いや待て。この食事はハーマリーに合うのか?
なんだか急に不安になってきた。色が微妙だし、ちょっと焦げてるものが混ざってる。いつもの綺麗な食事じゃねぇ。
いやいや、大丈夫だ! 味見はちゃんとしたし、あの味に近い……と思う。大丈夫だ、きっとこれを待っていてくれる。……だ、大丈夫だよな。
「ハーマリー、起きているか?」
「っは、はいぃっ!!」
お、おいおい。そんな声だして大丈夫か?
だが、このままではいられない。恐る恐る扉を開けて中へと入る。あ、やっぱり布団被ってた。しゃーねぇな、サイドテーブルに置いてっと。はぁー、とりあえず俺は一休みだな。
「不味かったら食べなくていい」
はー、どっこいっしょ。あー、ソファーに包まれて疲れが抜け落ちる。
「あの……ありがとう、ございます」
「おう、こっち気にしないで食ってくれ」
あー、緊張でハゲ頭テカりそう。クッソ……あー言っときながら、正直振り向きたい。あーー、どんな反応するかすごく気になる。何か方法は……あ、鏡だ!
「鏡、鏡をくれ」
アイテムボックスに手を突っ込み、鏡が来るのを待つ。お、きたきた! よし、これで向こう側を……ハゲ頭まで見えやがる。クッソ、なんで自分のハゲを見なきゃいけねぇんだ。角度を変えて、見えた!
「何し――――」
言葉と一緒に息も呑み込んだ。
起き上がった横顔に意識を奪われた。なんて言ったらいいか分からない。綺麗とか美人とか、そんな言葉とは違う何か。世界が違う、そう……手の届かない絵画を見ている錯覚だ。
自然と腰が浮き、立ち上がり彼女に―――
い、いかんいかん。そうじゃないだろ。
あ、危ない。踏み越えちゃいけない線をあっさり越えそうだった。視線を逸らしつつ反応を見よう。そ、そうだよ……反応を知るぐらいならいいはずだ、うん!
だが、ずっと皿を見下ろしているだけだな。やっぱり見た目が悪いから食べるの躊躇してるんだろうなぁ。
や、やっぱり記憶から取ってき――――あぁ!! 匙ですくった! クッソ、緊張する。一口を……うわぁ、見たくない!!
「ど、どうだ? その、味見はしたんだが」
落ち着け俺。吐いて~、吸って~。よしよしよし、罵倒されるハゲは整えたぞ。
「……」
「不味いなら無理しなくても大丈夫だぞ」
「……う」
う? なんだどうした。あぁああぁ、気になるぅぅっ!
ちょ、ちょっとだけ鏡で覗いて。不味そうな顔してたら嫌だなぁ。
薄目になりながら鏡を覗くと――――青い瞳から大粒の涙が零れていた。変わらない表情のまま、匙を咥えながらだ。身動ぎもせず、動くのは零れていく涙だけ。
自然と腰が浮いて振り向き、駆け寄る。
「泣くほど辛いならっ」
何が悪かったのか分からねぇ。どうしたらいいか分からねぇ。
なんだ、一体どうしたっていうんだ。
「……い、いえ。お、美味しくて……本当にっ、美味し……うぅあぁっ」
整った顔をゆっくりと歪んでいく。大粒の涙がボロボロと落ちているのに、匙はもう一口と持ち上がった。震える匙はハーマリーの口へと消える。
「んぅくっ。……こんな、に……美味しっ……私、初め……でっ。うぅ、あぁぁっ」
歪んだ口元が震えながら上がる。笑おうとしていたのか、それはすぐに崩れた。
「私……嬉しくて。私の、ために……作ってくれた、それだけでもっ嬉しいのに……こ、こんなっ」
とうとう匙を置き、両手で顔を隠す。
「あり、がとう。本当に、ありがとう」
手の隙間から今も涙が零れ落ちる。震える唇からは耐えかねたような泣き声が上がる。しゃっくり、と丸まった体が跳ねている。
俺は見守ることしかできなかった。触れることをためらったせいだ。このまま触れてしまえば壊れてしまいそうな、そんな脆さを感じさせた。
でも、それでも思うことがある。
この人のために作って良かった。
不思議だな、血は繋がらないのに。