1話 俺、ハゲ散る
俺は乱れた息を整えながら、視線を上げた。
薄暗かった大広場に日の光が差し込み、目の前の塔を照らし出す。少し傾いたレンガ造りの大時計塔。その外壁には散々苦しめられた吸血鬼が埋まっている。
始祖と呼ばれた吸血鬼との戦いは激闘だった。黙って眺めていると、吸血鬼は笑いだす。
「くくっ、お前はきっと後悔する……俺を、倒したことにっ」
垂れ下がる黒髪に隠れた青白い顔。見られているのだろう、鋭い殺気を感じる。
傷だらけで痛む体に力を込める。支えにしていた大剣を手放して、吸血鬼に近づく。乱れる呼吸を整えながら、俺は吸血鬼を睨みつける。
「……うるせぇな。早くくたばれよ」
背後が温かい、日が昇っているようだ。
その時、背後から朝風が吹いた。少し冷たい朝風が頭を撫でる。
目の前で粉雪のように軽く舞い上がる、俺の毛髪。さらさら、さらさら。灰色の毛髪が俺の頭から舞い抜けて、一本一本が朝光を受けて光り輝く。
耳から上がとても寒くなった。だが、昇ってきた朝日が俺のむき出しの頭皮を温めている。
「俺はとっくに後悔してるんだ」
逆光の中で泣く。
ハゲ散らかしたことに、心から泣いていた。
◇
赤い屋根が目立つ二階建ての家屋。灰色の外壁と屋根からも灰色の煙突が見える。
「ここがあの神が言っていた魔女の家か」
深淵の大樹森、という場所に俺は来ていた。
数十メートルに及ぶ大樹に囲まれた広大な森だが、この場所だけは可笑しい。周囲に生えている木は普通の大きさだ。それにこの場所だけ、綺麗に切りそろえられた芝生が広がっている。
家の裏には音を立てて回る木製の水車もあり、不可思議な場所だ。いつか読んだ絵本に似ている。空想世界から切り取ったような風景だ。
いや、今はそんなことはどうでもいい。問題はここに俺の永久ハゲを治してくれる魔女がいるかということだ!
転生して四十年。神から創造スキルをもらったのは良かった。
が、頭皮の一部から永久に毛が生えなくなる副作用つき。せこく、チマチマ使っていた。が、この間の吸血鬼との戦いで一気に使用してしまい、落武者ハゲになってしまった!
憎き神。だが、今回の魔女を教えてくれたのもその神だ。この憤り、どうするべきか!
むしゃくしゃする気持ちを抑え、俺は魔女の家の前に立つ。赤い扉が目の前にあり、緊張を緩めるために一呼吸おく。高鳴る鼓動を押さえて、輝く頭を愛おしくひと撫でした。
ゆっくりと持ち上げた手で扉を叩く。
「誰かいな――――」
――――ドンガラガッシャーン!!
ひぃぃっ、何事っ!?
家の中から急に音が鳴るとか、心不全で息が止まるだろっ。ったく、そういうドッキリ苦手なんだよ。どれ、耳を当ててみて聞いてみよう。
――――ガタンッドタドタッガッバタンッ
え、何その騒々しい音。……怖い。んん、静かになったぞ。ちょっと待つか……いいや待てない。……でも怖い。待つか待たないか。
か・み・の・け・の・い・う・と・お・り。
よし決まった。控えめに再度扉を叩く。
「すまない。少し聞きたいことが……」
――――ダンダンダンダンダンダンッ
やだなにこれこわい。ずっと扉の前を回ってるみたいだ。
……犬、きっと大型犬だ。俺を主人と間違って、扉の前で今か今かと待ち構えているに違いない。涎を垂らし、目を輝かせ、尻尾を振り振り、毛はもさもさ。可愛い奴なんだろうなぁ。
――――うぅぅぅっ、あぁっああっ!!
やだなにこれこわい! 人だよ人、女の人! え、なに……魔女ってゾンビなのか!? きっとあれだ、パニック的なホラーだ。銃が足りない。セーブするアイテムもない。物資、俺に物資を寄越せぇ!
――――ダンダンダン、ゴトゴトッ
……なんか重いものを動かした音、なのか? あっ、こっちに近づいてくる。
その気配に扉から離れた。何が出てくるのか不安しかない。あぁ、妙に緊張して手のひらに汗が出てきた。心臓ドックンドックンいってる、辛い。
俺の目の前でゆっくりと赤い扉が――――
――――ギィッ…………バタンッ!
「なぜ閉じた!!」
開くよりも閉じるほうが早いって、どういうことだ!? ほんのちょっとの隙間しか開かなかったぞ! ……えぇい、ままよ!!
「俺は悪者ではない! あんたは神に力を授かった魔女ではないか? 俺はあんたの力を借りたくて、ここまで来たんだ」
求めていた魔女ならこの言葉の意味に気づくはずだ。叫んだ後、しばらく無反応が続いた。え、駄目……だった?
――――ギィィ
開いた、開いたが……
――――ギギギギギギギギッ
いや、こえーよ。なんで扉がそんなに震えてんだよ。俺、善良な一転生者なんだけど。
……ちょっと苛ついてきた。いや、ここは寛大な心で許さなければな。頑張れ魔女、負けるな魔女! 早く扉を開けて、俺のハゲを治してくれ!
――――……ギィ
「そこで閉じるな」
扉のドアノブを掴み、思いっきり引いた。呆気なく開く扉。その向こう側に見えたのは、犬型動物のミイラの顔。
「ぎゃあぁぁぁあああぁぁっ!!」
「いやぁぁぁぁあああぁぁっ!!」
うっっっそだろ、おい!! えっ、ちょっと待って、ミイラこっちに倒れてっ……
「ひぃいいいっ!!」
やめろこっちくんな!!
グーでミイラの顔を殴った。するとミイラの顔は割れて、中から金髪が波打つように現れる。
「あ……」
割れたミイラから出てきたのは、白い肌に眩しい金髪の女性。ゆっくりと倒れてきて、とっさに受け止めてしまった。女性は脱力し腕の中でピクリとも動かない。
――――は?
童貞の俺にこれからどうしろっていうんだよ!!
◇
あの後、腕を引っ張るか足を引っ張るかでしばらく悩んだ。抱きかかえるは魅力的だったが、魅力的過ぎて却下だった。そもそも度胸がない。
腕を引っ張るチャレンジをしてみて、あまりの柔らかさにびっくりして離してしまった。何か他の部位は。足を引っ張る……これだ!
――――黒いローブ姿の足を引っ張れば、そりゃあれだ。うん、ごめんなさい。
柔らかさとか、いい匂いとか。いろいろテンパったけども、脇から腕を通して、ズリズリと引きずりながら家の中へ連れて行った。
「ここが良さそうだ」
入ってすぐの扉を開けると、談話室のようなつくりだった。奥に暖炉、床に絨毯。向かい合わせの長いソファー、その合間に四角いテーブルがある。
女性を引きずりながら、決して抱きかかえもせずソファーに寝かせることに成功した。とても……いい匂い。心なしか手のひらに匂いが移っているようで、何度か嗅いでしまった。
「……何やってんだ」
この自己嫌悪は辛い、精神的にくる。
他人の家に上がり込んで悪いが、俺も少し休ませてもらおう。向かいのソファに移動して腰を下ろすと、優しく沈んだ。……森の奥にこんなにクッション性の高いソファーが?
外にあった水車もそうだ。あの神の話だと、ここには魔女一人しか住んでいないはず。一人でこのソファーも水車も、この家も作ったのか?
背もたれに体を預けて、目の前の魔女と思われる女性を見た。仰向けで寝かしているためか、横顔は見えている。のだが……うん。薄目で見ないと平然を装うことができないほどに美人だった。やばい直視できない。でも視線を外せない。
ちょ、ちょっとだけ。ちょっとだけ目を開け――――
「うぅっ……」
はい、すいません閉じました!!
女性が唸り声を上げると、布が擦れる音が聞こえてくる。目が覚めるのか?
緊張で少し鼓動が早くなって息が詰まる。女性が立てる音が大きくなり、膨らんだ興味を押さえられずに目を開く。
「「……あ」」
声が重なり、目も合った。吸い込まれそうな鮮やかな青い目。真っすぐに俺を見て――――すぅっと視線が上がる。
「ひいぃぃぃっ!!」
こいつ、俺のハゲた頭を見て悲鳴上げやがった!
それどころかソファーの後ろに隠れやがった!
これでもハゲて傷心中なんだよ!!
優しくしてくれよバカヤローーッ!!