最終話
汽車の窓から見える風景は一面が真っ黄色だった。背高泡立草がどこまでも群生しているために、汽車からの眺めが変わり映えしない。真魚は思わず汽車が本当に動いているのだろうかと思ってしまった。
すると、その風景に新たな展開が。海である。真っ青な海が彼女の目に飛び込んできた。なぜかホッと落ち着く。昔からそうだった。真魚は名前がそうであるせいなのか、水に関係するものが好きで、もちろん海も好きだった。子供の頃から海で泳ぎ、真っ黒になっていたものだった。それこそ毎日のように海で過ごす。夏だけではない。全ての季節において彼女は海に通いつめたものだ。春のうららかな海。秋の夕焼けに染まる海。冬の雪が吸い込まれていく海。彼女にとっては海が全てだった。まるで恋しい恋人か、はたまた血を分けた姉妹かと思うほどに。
「あ…」
その時、真魚の膝に何かが落ちてきてた。窓に向けていた視線を自分の膝に向ける。色あせた縮緬地の玉が一個、ぽつんと膝に乗っている。どうやらお手玉らしい。
「すみません」
その声に顔を上げる。目の前に三十代だろうか、申し訳なさそうな表情をした女性がいた。ふと横を見ると女の子が一人、いや、二人座っていた。まだ三才にもなっていないような幼子のようだ。真魚はお手玉を手に取ると、女性に渡した。女性は横に座る女の子にそれを渡し、真魚に軽く会釈をする。真魚も釣られて首を傾げて見せた。
「すみません。うるさかったでしょう?」
「いえ、そんなことありません」
「この子たちを連れて実家に帰るところなんですよ」
「はあ…」
まあ母親なのだなということは彼女にも想像がついた。それにしても子供たちがはしゃいでお手玉をしていたのにも気付いてなかった彼女である。それだけ彼女は物思いにふけっていたのだ。まるで世界の関心などどうでもいいと思えるようなそんな事情が彼女にはあったから。
「お子さんたち、双子なんですね」
「ええ、そうなんです。実家の父母がとにかく見たいから連れてこいってうるさくて」
「それはそうでしょうねえ。こんなにかわいらしいお孫さんなら」
「ありがとうございます」
確かにかわいい女の子たちだった。くりくりっとした目に薄い茶色の髪の毛はまるでパーマをかけたようにカールをしていて、赤いリボンで頭の上で二つ結ばれている。おそろいの白いワンピースを着せられて、ケンカもせずに床に届かない足をプラプラさせながら仲良くお手玉をしている。すると、そんな子供たちを見ていた真魚は、頭の芯がズキッと痛むのを感じた。
(いた……)
思わず頭を押さえてしまうところだったが、かろうじて留まった。
その時、彼女の目が大きく見開かれる。
(ひ……)
心の中で小さく悲鳴を上げる。
何故なら、目の前に座る女性の右の肩に手が乗っていたからだ。女性はそんなところに人の手が乗っていることにも気付かず、隣でお手玉をする娘たちを目を細めて見詰めているばかり。
手は右手で女の手のようだった。細くてすらっとした指。その指の薬指には銀色の指輪がはまっている。
真魚は気絶しそうになるのを必死にこらえて、丁度止まった駅に慌てて降りた。
「私たちは次の駅なんです。気をつけて旅行を楽しんでくださいね」
「おねーちゃん、ばいばーい」
「ばいばーい」
車両の窓からさっきの親子が手を振ってきた。真魚も手を振った。その視線は女性の肩に注がれたが、もうすでに女性の肩には手はなかった。
結局、真魚は田中に女性の霊の話ができなかった。そして、彼女は退院をし、しばらく療養することにしたのだ。
仕事をしばらく休む事にし、一人で旅行に出ることにした。皆は止めたが、強引に出てきてしまった。
とにかく一人になりたかった。
一連の恐ろしい出来事は、間違いなくあの幽霊のもたらしたものだろう。彼女はどうすればよいかわからなかった。恋人に相談しようにもどうしてもできず、結局一人で抱え込んでしまい、疲れ果てて、無意識のうちに新幹線に飛び乗り知らない田舎へと旅立ったのだった。
改札口を出てぽつりぽつりと歩き出す。
駅は商店街の外れにあるらしく、歩いて程なく薄汚れた商店が並ぶ道に出た。ある喫茶店の前を通り過ぎようとした時、中から一人の男が出てきた。ぶつかりそうになって彼女は「すみません」と言ったのだが、その男が「あっ!」と驚いた声を上げた。不思議に思い顔を上げる。若い男だった。真魚と同じくらいの二十代前半の男で、痩せぎすな暗い感じの青年だった。
「何か?」
真魚は多少の警戒心を抱きながらそう聞く。と同時にどこかに逃げられるようにあたりに目配りをした。すると近くに交番が見えた。ほっとする真魚。これなら大丈夫だ。
「いや…別に」
だが、男はあっさりとその場から立ち去ってくれた。
真魚は胸を撫で下ろし、再び歩き始めた。
商店街を抜けると、そこは汽車から見えた背高泡立草の群生が広がっていた。少し離れた場所に海も見える。
彼女は海に行ってみたいと思った。そして、歩き出した。まるで恋しい人にこれから逢うんだと言わんばかりに、ただ一心に歩く。そんな彼女を先ほどの男がつけているとも知らないで。
背高泡立草はアメリカから入ってきた植物で、その繁殖力の強さで他の植物を一掃してしまった。だが、真魚はこの背高泡立草が好きだった。花の黄色も好きなのだが、この背高泡立草を見ていると何だか懐かしい気持ちになることがあるから。この花たちに囲まれていると、誰かが自分を呼んでいるような、そんな気持ちになるのだ。それは海に接するときもそうだった。子供の頃から、海にいると誰かに呼ばれているような気がしたのだ。早くおいで。ここにおいで、と誰かが導いてくれるようなそんな気が。
一度だけその話を親にしたら、とても叱られたのを覚えている。だから、それ以来その事は誰にも話さなくなったのだが。
そんな物思いにふけりながら歩いていると、海についた。
砂浜ではなく、岩場の多い海だった。申し訳程度に砂浜もあるにはあったが、岩のほうが多い。子供などが泳ぐにはなかなか難しい場所かもしれない。そんな彼女の目に、少し離れた場所に岩の洞穴が見えた。
「…………」
彼女は吸い込まれるようにその洞穴に歩き出した。と、その時。
「元気だったんだね、清水さん!」
「えっ?」
突然、肩をつかまれて振り向かされた。それはさっきの男だった。泣きそうな顔をしている。
「僕は…僕は…もう後悔したくないから、だから言うけれど。僕は君が……」
「やめてください!」
真魚は激しく男を突き飛ばすと、もう一度叫んだ。
「やめてください!」
「清水…さん?」
「あたしはキヨミなんて名前じゃないです。マオです。それにあなたなんか知りません…」
強く言い切っていた彼女だが、途中からなぜか自信のなさそうな声に変わっていった。
男は目を丸くさせて呟く。
「そんな…そんなはずは…だって、君は清水さんじゃないか。君が清水さんじゃなかったら、いったい誰が清水さんなんだよ…そんな、そんなはずはない…あ、だとしたら、もしかして…?」
意味不明な言葉を発する男に気味が悪くなってきた真魚は、じりじりと後ずさりをしだした。しかし、男はなおも詰め寄ってくる。
「もしかして君は……」
「い…や……だれか…誰か、誰か助けてえええ!」
「何をしている!」
そこへパトロール中だったのか、自転車に乗った警官がやってきた。大声で声をかけてきた。それを見た男はビクっとして警官に視線を向けると、一目散にその場から走り去ってしまった。
「たすかっ…た」
真魚はその場にへなへなへと崩れ落ちる。その時、彼女の耳に岩場に叩きつけられる水しぶきの音が聞こえたような気がした。まるで何かが潰されたようなそんな不気味な音だった。
それから真魚は警官に連れられて駐在所の休憩室にやってきた。そこで温かいコーヒーを出してもらい、それを啜りながらこの町に来てからのことを警官に話した。
「それで君はどこから来たの? ここには何の目的で?」
話を一通り聞いてから警官は言った。真魚はためらうように言葉を途切れさせたが、優しい表情のこの若い警官にポツリポツリとここにやってきた理由を話し出した。
「あたし、東京に住んでたんです」
彼女は駐在所の警官、山中という名前のこの警官に今まであった出来事を全て話した。もちろん、あの幽霊の存在のことも。
「それは…それは怖いですねえ」
「ですよね」
「気のせいってことではないんですか? ほら、失礼だけど暴漢に頭を殴られたんだから、それで幻覚が見えたとか」
「でも、それから何度も見てるんです。実はここに来る汽車の中でも」
「そ、そうですか…」
山中は引きつった顔をしている。無理もない。こんな話、普通なら信じてもらえないだろう。
(でも、幽霊はいる)
彼女は確信していた。
(でもどうして?)
矢張りどうしても気になってしかたなかった。
あの女性の幽霊は自分に何か言いたいことでもあるのだろうか。
それに、あの暴漢。矢張り自分を襲ったのはあの幽霊だったのだろうか。
そういった話は田中には話さなかったが、この警官には話してみようかと、そんな気持ちにまで真魚はなっていた。
「あの……」
真魚は山中に暴漢はもしかしたら幽霊の女性かもしれないと話そうとして口を開きかけた。しかし、そこで息を呑んだ。
(ひ……)
目を見開いて山中を見詰める。なぜなら、彼の両肩から二本の腕がたらんと垂れ下がっていたからだ。まるで誰かをおんぶしているような感じで、無防備に垂れ下がった細い腕。その右手の薬指には例の指輪がはまっていた。
「どうしたんですか?」
「え…ええ、いえ、あの……」
なぜだろう。なぜかは分からない。山中の肩から垂れているその二本の腕を見ていたら、ここからどうしても逃げなくてはという思いが生じてきたのだ。
「あの、でももういいんです」
「いいって?」
「暴漢には襲われたけれどこうやって生きてますし、幽霊もどこかのお寺で除霊でもしてもらえばきっと見えなくなると思うし。だから、これから東京に戻ります。親もきっと心配してると思いますから」
「でも……ああ、そうだ。それなら僕が送っていこうか?」
「え…そんなことまでしてもらわなくてもいいです。あたし、もう子供じゃないですから、一人で帰れますよ」
お願い。ここにいたくないの。ここから出て行かせて、と真魚は心で絶叫していた。相変わらず山中の肩には二本の腕がダラリと垂れ下がっており、それは山中が動くたびにユラユラと揺れている。
「だけど……」
山中が真魚の手を取ろうとしたその時に、我慢の限界だった彼女は飛び上がるように立ち上がると、駐在所から飛び出していた。
走って走って、駅に向かって走っていたと思ったのだが、はっと気付いた時には真魚はあの海辺の洞窟の近くにまた来ていた。ぜぇぜぇと肩で息をし、ややもすればその場に崩れてしまいそうになる。
すると、彼女の視界にあの痩せぎすの男が入った。向こうは真魚にまだ気付いていないようだった。彼女は慌てて隠れるところを探した。その目に洞窟が見えた。彼女は気付かれないように静かに走った。
洞窟はかなり深いようだった。それでもどこかから光が入るようになっているようで、まったくの真っ暗というわけではない。おそるおそる彼女は進んでいく。すると、いきなり彼女の肩をポンと叩く手が。
「だ、だれっ?」
真魚は大声で振り返った。そこには山中がいた。
「なんだ、おまわりさんでしたか」
「なんだじゃないですよ。東京に帰るのではなかったのですか。君がここに入るのが見えたんで追いかけてきたんですよ。ここは奥の方に海に続く水溜りがあるんですよ。そこにはまってしまったら危険です。最近でもここで事故があったんです。女性が暴漢に襲われそうになってここに逃げ込んだところ、その水溜りにはまってしまって水死したことがありましてね。だから危険なんでもうすぐしたらここの入り口に扉をつけることになっていたんです。それまでは人が入らないように縄をかけていたんですが、今見たら取り外されていたんですよ。まったく、誰がそんなことをしたんだろう」
「水死ですか…怖いですね。海に続いているってことは、その女性は流されてしまったんですか?」
「と、言われています。実は死体があがっていないのですよ」
「え…?」
死体が見つかっていない? ではどうして事故があったとわかるのだろう。
「あの……ほんとにご迷惑おかけしました。今度こそ、駅にちゃんと向かって東京に帰ります」
おかしい。おかしい。なぜか頭がズキズキ痛み出してきた。殴られた場所はほとんど完治していた。だからもう痛みは出てこないはずだったのに。危険。その痛みが真魚に危険を知らせているようになぜか思えてくる。
「もう帰りますか。もうちょっとここでお話しませんか」
「やま…なか…さん?」
「ねえ、君は清水さんでしょう?」
「何を言ってるんですか」
「もしかして記憶をなくしたふりでもしているのかな?」
「なに…を?」
「君が悪いんじゃないか。僕の気持ちを受け入れてくれなくてさ。あんなに好きだって言ったのに。嫌がって。だから僕はあの日、ここで、君を僕の物にしようと思って……」
「なんで…すって……?」
「僕は毎日、君に好きだよって言い続けていた」
「おまわりさん…」
山中は不気味に微笑みながら話し出した。
真魚の頭痛はどんどん酷くなる。
何だろう、この不安は。
何だろう、この怯えは。
まるで自分じゃない誰かが自分の中に入って、この目の前の男に恐怖を感じているみたいだ。
「それなのに、君は僕の顔を見ると怯えて逃げるばかりで。確かに僕はたくさん女性と関係を持ってきた。半ば強引に相手と関係を持ったこともある。だけど、君を好きになってからは誰にも言い寄る事はしなかったし、君だけを好きでいた。それなのに何故信じてくれなかったんだ。どうしてあんなことを言ったんだ?」
だんだんと興奮してきたのか、山中の声が大きくなっていく。
真魚の怯えは頂点に達しようとしていた。
(このままでは殺される…?)
無意識のうちにそう思った彼女。
(……どうして? どうしてこの人があたしを殺すの?)
彼女は薄暗い洞窟の中で必死になって山中の顔の表情を見つめた。
初めて出会ったときの優しそうな顔ではなかった。まるで狂ったような目の光。それは正気な人間の目ではなかった。
清水という女性は間違いなくこの男に殺されてしまったんだろうと、真魚は確信した。
少しづつ少しづつ後ずさりを始める真魚。そして、ジリジリと迫ってくる山中。洞窟内はピンと張り詰めた空気で息苦しいくらいだ。本当に酸素が少なくなってるのではないか、或いは何か変なガスでも出るのではないかと、そんなことまで頭をよぎる。
「強姦魔と僕に言ったんだよ、君は。何だよ、それ。僕のどこが強姦魔なんだよ。あれは合意の上の行為だった。それなのに事の後でみんな僕に犯されただの何だのと騒ぎやがって。僕がもてるからみんな嫉妬したんだ。そうだよ、そうに違いない。嫉妬だ。僕がいろんな女とヤれることへの嫉妬だったんだよ。この町の奴等はみんなグルだ。僕を陥れようとして、僕の職を奪おうとして。なんてことだ。そうか、そうだったんだ。みんな僕を陥れようとしてたんだな」
「ひっ…」
山中の手が真魚の手首を掴んだ。
「君もそうだったのか? 僕がもてるから、いろんな女と関係持ったから、だから嫌いだって?」
「………」
真魚は何も言葉が出てこなかった。恐怖にすくんでしまって足がガタガタ震えて立っているのもやっとだ。ただ、力なく首を振るだけで。
「嘘だ!」
「きゃっ!」
山中は真魚をドンと突き飛ばした。
倒れこむ真魚。岩場なので手のひらなとどに擦り傷ができたようだ。ヒリヒリして痛い。だが、そんな痛みよりもこれから自分はどうなってしまうかわからない恐怖の方が勝っていた。怖くて怖くてしかたなかった。
(お母さん、あづさ…克彦さん…あたし、あたし、殺されちゃうのかな…誰か助けて…)
「絶対、嘘だ。あの時もそうだった。ここで君に僕の物になってと言ったときに、君はどうしても嫌だと言って逃げようとした。だから…だから、僕は……」
彼は足元にあった握りこぶしより少し大きめな石を拾った。
「後ろを振り返って逃げようとした君の頭にこれを……」
(ああ、そうだったんだ……)
彼女はまるで当時の状況が目の前で繰り広げられているような錯覚に陥った。
自分と同じ顔をした清水という女性が、山中の魔の手から逃れるために逃げようとしている。そして、その彼女の後ろから、山中は手に持った石を振り下ろす。彼女は激痛で倒れたことだろう。そのまま即死だったかもしれない。それともその後で海に捨てられたときに初めて溺れ死んだのかもしれない。それはわからないが。
恐らく、それと同じ日、同じ時刻、遠く離れた東京の路上で真魚は歩いていた。本当に暴漢に襲われたかどうかはわからない。だが、自分の頭を殴った凶器はどうしても見つからなかった。だから、なぜか、今自分がそうじゃないかと思いついた突拍子もない考えが何となく正しいことなのだと思い始めている。
(ああ…清水さんという人…まさか、もしかして…?)
真魚は目を閉じた。
今ではもうあの幽霊の女性がその清水という女性だと確信していた。
死んでしまった清水は己の死を真魚に知ってもらいたくて、それで彼女のところに出てきていたのだ、と。
(きっと彼女はあたしの……)
「危ない!」
山中の声ではない男の声がしたとたん、彼女は目を開けた。すると、今まさに山中が座り込む真魚の頭の上に石を振り下ろそうとしているところだった。彼女は目を見張るばかりで動けなくなっていた。
その時、洞窟の入り口を背にしていた山中が「ぐっ…」というくぐもった声とともに崩れた。その後ろにはあの痩せぎすの男がいた。手には板切れがあり、どうやらそれで山中を殴ったらしい。
「清水さん! 早く逃げるんだ!」
「あたしは…清水じゃ……」
「早く!」
真魚は混乱していた。しかし、とにかくここから逃げようと思った。そして、倒れた山中の身体の横をすり抜けて走り出そうとした。
「きゃ!」
その彼女の足をしっかりと握り締める手があった。彼女は震え上がった。まさか、あの幽霊の手?
だが違っていた。それは呻きながら倒れている山中の手だった。
「逃がさない……」
「いやー!」
真魚が叫んだその時。洞窟の奥から、何かを引きずるような音が聞こえた。ずるっずるっという不気味な音だ。時折り、ぴちゃぴちゃと水の音も聞こえる。山中は真魚の足首を掴んだまま、顔だけ後ろを振り返った。その彼の首に二本の手が伸びてきた。それこそ手だけが。今度は真魚だけではなく、山中も、そして真魚を助けに来た男もハッキリと目撃した。
「うわあああああ!」
手は山中の首を絞めるように握るとずるずると洞窟の奥に連れ去ろうとする。その手の指にはあのシルバーの指輪が不気味に光っていた。山中は必死になって真魚の足を掴むが、結局は離してしまい、あっという間に暗闇に消えていった。絶叫だけを残して。
それから真魚と男の二人は洞窟を離れ、岸壁に並べられたテトラポットに放心したように座っていた。そして、そこで真魚は清水という女性の話を、この田所という男性から聞くことになる。
清水はこの町の喫茶店でウェイトレスをしていた。田所は彼女に恋をしていたが、彼女にはお客さんとしてしか見てはもらえなかったらしい。そして、あの山中も清水に目をつけていたのだ。
「僕は知ってたんだ。あの山中って奴はとんでもない奴だって」
山中はその職業を利用して婦女暴行を繰り返していた。この町の住人の何人かはそれを知ってはいたが、脅されていたらしい。喋ったら娘が傷物だっていうこともバレるんだぞと。
それが、最近のこと、突然清水が行方不明になった。一応捜索はされたが、海に落ちたのだろうとあの山中が事故として処理してしまった。しかし、田所だけは信じていなかった。いや、町の何人かも信じていなかったに違いない。清水はあの男に殺されてしまったんだと。
「清水さんが言っていたんだ。自分には双子の妹がいるんだよって」
(ああ、やっぱり…)
「名前は真魚っていうって言っていた」
「あたしの名前…」
「君は清水さんにそっくりだ。最初に君を見たときに、清水さんが戻ってきたと思ったくらいだからね」
田所は目を細めて真魚を見つめると話を続けた。
「君たちは赤ちゃんの時に施設にいて、二人別々に引き取られていったんだ。清水さんのご両親は早くに亡くなってしまって、その時に本当のことを知らされたらしい。いつか妹に会いに行くんだって、そう言って笑っていたよ」
「そういえば、あの指輪…」
「あれは妹さんと一緒にはめるんだって言ってた指輪だと思う。安物なんだけどねって彼女笑ってたけれど、とても楽しみにしていたよ。彼女の住んでたアパート、きっとまだそのままだと思うから行ってみるといいよ」
何もかもがまだ夢のようだった。自分に姉がいたことも。その姉が殺されてしまったことも。そして、その姉が幽霊になって自分の前にいつも現れていたことも。やはり、あの時、自分が暴漢に襲われたあの時に、姉もちょうど山中に殺されたところだったのだ。双子ってそういうこともあるって聞くから。
「お姉さん……」
真魚は波立つ海を見詰めた。きっと姉はあの海の底に眠っているのだろう。ずっと逢いたいと思っていた妹のことを思いつつ、ずっと夢を見続けているのだろう。
真魚が見たあの夢は、もしかしたら姉である清水が見ていた夢だったのかもしれない。
ゆらゆら漂っている。
今でも愛するあの人は清い水のあの人は漂っている。
愛する妹を守れた満足感できっと。
あたしはお姉さんの分も幸せになるわ。
あたしたちは二人で一人だったのだから。
離れていてもずっと繋がっていた、魂が繋がっていたから、だから、お姉さんが頭を殴られて殺されたとき、あたしの頭も傷ができた。お姉さんが死んだことで、あたしは魂の半分を失った。
一つになろう。
あたしはお姉さんの分もこれからも生きていく。
「お姉さん、ありがとう」
真魚は目を閉じて涙を流した。自分と同じ顔の姉を想って。




