移動準備
ゴキ、グキ、と骨が鳴る度に悲鳴も上がる。
ホウ老師の整体屋は今日も繁盛していた。
「二号さんどうした?珍しい」
話があると言うとホウ老師は若くて美人な助手たちに店を任せ出てきてくれた。
白衣を着ているが老師は拳法の達人爺だ。柳のようなしなやかさと鉄球のような安定感を同時に体現している。
「飯を食べながらなら聴くぞ」
老師は身振りで付いてこいと言った。
二号さんは付いていく。
老師が選んだ店は庶民向けの店としては高級な店だった。
「一度、食ってみたかったんだ。高いだけあって空いてるな」
「奢らせる気ですね」
二号さんの声は平坦だ。
「話し聴いてやるんだいいだろ。あっ、土産も頼む、わしだけこんなところで昼を食べたなんてばれたら、助手どもがうるさいからな」
ホウ老師は店員に遠慮なく高いものから順に頼みだした。
二号さんは定食と、おちびちゃんのおやつを頼んだ。
「で、どうした」
「わたし、裏庭地方を統一して大王になろうと決意しました」
「はあ、相も変わらず突拍子もないこと思い付くな」
老師はちょっと驚きちょっと呆れた。
「ついては、老師に従軍して欲しいのです」
「なんで?魔術士ならうじゃうじゃいるじゃねえか」
店員が料理を運んできた。
二号さんの分はまただが、ホウ老師は食べ始める。店を長く空けてられないのだ。
「多分、老師でないと治せない患者です」
内臓疾患の治療は魔術士は不得意だ。
「重要人物か、そいつは」
おちびちゃんが老師に食べ物をねだる。老師は根菜を取り分けてやる。
「ファリア国女王ヴァレリー」
「征服する国の女王を助けるのか?」
「降伏すれば助けますし、それを条件にして降伏させてもいい」
「二号さんも食えよ、お前さん持ちなんだから」
皿をひとつ二号さんに押しやる。口に合わなかったのだろう。
念を押すのも忘れない。
「わしは店があるからな……」
老師はやんわり断ろうとした。
「老師好みの薄幸の美熟女ですよ」
食事が止まる。
老師の助手は皆若いが、老師の好みは熟女だった。ライゾウは優秀だ。
「歳は?」
「四五だったと、三十を越えて子供を産んだので身体を悪くしたらしいです」
「美人なのは間違いないな」
ジロリと拳法の達人が睨む。
嘘だったらただじゃおかない目だ。
「協力会の情報力を舐めないで下さい」
二号さんは受け流す。
「いつ行く?」
「え!」
「美人が苦しんでたら可哀想だろう」
そういう人、わたし好きですよ、老師。
「今日の内に発つつもりです」
老師の行く気を削いではいけない。
二号さんは黙々と食べ出した。
店員を呼んで老師の店に出前も頼んだ。老師を見習って高いもの順に、助手たちを買収するためだ。
助手たちの反対で翻意されてはたまらない。
会計をして老師の店に戻った。
お腹が一杯になって、腕の中でうつらうつらしているおちびちゃんを、そっと休憩室の長椅子に下ろす。助手たちがおちびちゃんに構っていると料理が届いた。仔犬と料理の両方に気を取られている隙に老師の従軍を告げる。
特に反対は無かった。買収の成果だろうか?
美熟女に会えると老師が張り切っているのか、休憩室まで患者の悲鳴が聞こえる。
午後の診療が終わる頃、迎えにくると約束して二号さんはホウ老師の店を後にした。
おちびちゃんは腕の中だ。気合いを入れないと仔犬の魔法に掛かってしまう。眠くて仕方ない。
二号さんは宮殿に戻った。
ローデンが荷支度を済ましていた。
いかにも戦士らしい甲冑を着ている。
ありふれた金属製の甲冑に偽装してあるが、裏庭地方の小領主ごときでは、全財産をはたいても購入できない一品物だ。傍らに巨大な戦斧が立て掛けてある。
「丸麦たちは見つかりましたか?」
おちびちゃんをソファーに寝かす。
仔犬は寝ることが仕事だ。
「二号さんの部屋で寝てるよ、ジェムーロは支度中」
ローデンは親指で上階を指す。
成犬も寝ることが仕事らしい。
「成犬は丸麦と黒蜜だけですか?」
「あんた、仔犬とか、荷物のこと考えてなかったろ?」
ローデンは二号さんが渡した資料を防水鞄に入れる。
「ええ、さっき気づきました」
ローデンは言い淀む。
「……二号さんの部屋にマーサもいるけど……」
マーサか……
珍しく二号さんが迷う。マーサは陛下の騎獣だ。しかし、皇帝がマーサに騎乗することはまず無いのでマーサは暇犬だった。
「ファリアに行くだけだし、いいか
」
帝国の貴族が知ればひっくり返ることをあっさり決める。
「俺は知らないからな!」とローデン。
二号さんはホウ老師の従軍をローデンに告げて荷造りのため自室に向かう。
開け放たれた扉から、ヌゴゴゴと翼犬の寝息が聞こえる。
成犬の寝息も危険だ。三頭いるから三倍危険だ。気合いを入れないと眠ってしまう。
宮殿は何もかも翼犬サイズで造られている。熊より大きい翼犬と無理なく暮らせる部屋は倉庫のように広い。その広い部屋を素早く移動し、要領よく荷支度を済ませると翼犬たちを起こした。
翼犬たちの挨拶を受けながら丸麦に鞍と馬銜を取り付け、荷物袋を固定すると二号さんは丸麦に跨がって他の犬たちに付いてくるよう手振りで指示する。
普通の犬より翼犬は賢いし、帝国あるいはクルース国で訓練を受けている。簡単な単語なら言葉も理解している。
二号さんの合図に成犬の二頭は仔犬を咥え、執務室の発着バルコニーに降り立つ。
執務室にはジェムーロの姿もあった。深緑色の上着に同色のズボンを履いている。至って普通の服装だが背中のボンボンが際立っている。
協力会最高の魔術士ジェムーロは恐ろしく無口だ。必要最小限もしゃべらない。二号さんにとって都合が良かった。どんな無体なことをしても文句を言われないのだから。
成犬三頭がお座りの姿勢で待機している。
二号さんに目で命令され、ローデンは「知らない、俺は知らない」と呟いてマーサの背中に檻取り付ける。仔犬の運搬用だ。
協力会会長は手を汚さない。
二号さんは黒蜜の準備をした。
ジェムーロと彼の荷物を黒蜜に乗せる。
ローデンの戦斧を特殊な布でぐるぐる巻きにして鞍の側面に固定する。
「二号さん、武器は?」
ローデンの言葉に執務室に転がっている盾槍を足で蹴り上げ「これでも持っていきますか」と二号さん。
ローデンは眼を剥いて絶句して、肩をすくめる。
「好きにするさ」
盾槍は試作品にありがちな、どちらの長所も殺した、欠陥武器だ。腕に通して使うのだが、盾として使うには槍の部分が邪魔で、槍として使うには盾の部分が重すぎた。
おちびちゃんらを檻に閉じ込め、盾槍をマーサに固定すると準備が整った。
二号さん一行はホウ老師を拾うとファリア国ラサに向かった。