男女間に友情はあるか?
今日、友人から古臭い質問をされた。
中学生ならいざしらず、こんなおっさんになって、まさかその質問をされるなんて思っていなかった。
「男女間に友情はあるか?」
もちろん、回答は決まっている。
「ねえよ」
だ。
しかし、本当にそうか?
人生を振り返ってみると、まったくなかったとは言い難い。ちょっとアレだが、ものすごく気の合う女がいて、最初は間違いなく恋愛感情なんて抱いていなかった。
それが、あんなことになるなんて……。
いやはや、人生は危険な落とし穴がいっぱいですな。
話がそれた……。
今、酒をしこたま飲んで、難しい事を考える事ができないから、このどうでもいい問題について、人生で初めて正面から取り掛かってみよう。
暇つぶしと言い換えても過言ではない。でも、暇つぶしがダメと一方的に定義するのも間違っているだろう?まあ、皆さんも、一緒にこのろくでもない質問を考えてみましょうや。
以下、考察を進める。
この問題が複雑化する理由としては、名詞の定義が曖昧な事があげられると思う。「友情」といわれても、広辞苑以外に、きちんと定義できるヤツがいるかどうか……。
ちなみに、私は〇ン〇ンを入れる(入れられる)友情はないと考えている。ひねくれた輩は「前戯」だけなら友情か?などと意義を申し立てるかもしれないが、そこは大人として、冷静な対応をお願いしたい。
そう、ここで問題なのは「どこまでが友情?」なのではない。「友情の定義が曖昧」ということなのだ。人によっては「キスまでは友情でいける」と主張する人がいるかもしれない。「友情とはメロス的な自己犠牲を伴うものだ」と主張する人もいるだろう。
余談だが、「〇ェラチオは教育的な手段として有効だ」という男性がいたが、それは特殊な例として申し添えておく。
ここが分水嶺。
感情は個人のモノで、不可侵なものだ。そこを「定義」という暴論で侵すことはできない。モヤッとしたものは、モヤッとしたまま理解しなくてはいけないのだ。
と、するとだよ?
問題は「友情」だけではないと思わないかい?
男女というか、二人のホモサピエンスが、お互いの関係を定義する時は、常にこの「認識の違い」を超えていかなければならないと言う事になる。
もっと言うと、「認識の違い」は常に他者の間に存在し、それが障害になったりするのだろう。「恋人なら毎晩、寝る前に私の事を考えてくれるはずだ」と思った人は少なくないはずだ(まあ、もちろん童貞処女に限るだろうが……)。
「会社員なら、真面目に夜遅くまで働くべきだ」という思想を押し付ける事も、実は同じ所から出発しているのかもしれない。
私達は、常に互いを誤解している。
自分の持っている定義を、相手に押し付けて、関係性をぶっ壊している。
だってしょうがないだろう?
人は、「自分の物差」しか持っていないんだから。
浮世に生を受けてから、人はずっと「自分の物差」を構築・再編し続けている。生きている環境、属している組織、愛すべき隣人――それら全てが「自分の物差」の材料だ。
結局、自分以外の要素じゃないかって?
そりゃそうだ。大人なら「自分」なんてものは、空想以外の何ものでもないって知っている。「自分探しの旅に出る」って二十歳すぎの友人が言っていたら、悲しくなるだろう?
私達は常に外部の影響を受けている。自我なんてものは、楽器みたいなもんで、使う人間によっていくらでも音色が変わるもんだ。
音色を探しているウチは、いつまで経っても毛は生え揃わない。楽器の質を上げるのが、大人ってもんよ♪
また、話がそれたな。
ようするに、互いの関係を、互いに誤解なく認識している関係はありえないって話。それが男女間の友人関係であれ、同性の友人関係であれ、それぞれ誤解し合っているんだ。
もちろん、一般生活を送る上では影響はないのかもしれない。でも、特殊な条件がそろうと、とたんに関係が破たんしたりするだろう?人生のターニングポイントで別れるカップルが多いのはそういう事なのかもしれん。
最初の質問に、ここで戻るぞ。
「男女間の友情関係は?」
当然、ありえる。
互いに「友情」という単語に、誤解があるかもしれないが、ある一時、ある一瞬、両者がそう思えば、それはあるのだろう。将来的に、恋人に昇格する可能性があるものを「友人」と呼ぶ人がいたとしても、それは認識の差であり、問題じゃない。大事なのは、両者がある共有した時間帯に、互いの関係をどう呼ぶかという事なのだ。
そう。
重要なのは、時間だ。
そんでもって、あたりまえだが時間は過ぎる。
時間が過ぎれば、赤子は立ち上がり、美女に変化して、ババアに昇格する。
変わらないものなどない。
関係もそうだ。
今日は友人かもしれない。
でも、明日は違うかもしれない……。
俺達がそうだっただろう?
無二の親友だと互いが思っていたのは中学の頃か?
何時の頃か、互いの隙間は、違う誰かが埋めていった。今は、年に数回、居酒屋でチューハイを煽るだけの関係――。全てを話す事はないし、全てを理解して欲しいとも思っていない。
今、流れていく小田急線の景色みたいに、お前は俺の背景になった。
いや、嫌いになったわけじゃないぞ?
ただ、関係が変わったんだよ。
いつか、また、親友になるかもしれない。でも、今は違う。互いに同じ方向を見て、手を取り合っていた時代は終わってしまった。横を向いても、互いの姿はもう見えない。
……でも、いるのが分かる。
そうだろう?
横を向いても、手を取り合っているのは違う人だ。俺じゃない。でも、どこかに、遠くないどこかに、俺の存在を認識しているはずだ。
もしかしたら、声くらい聞こえるかもしれない。でも、それもしないだろう?もう、そんな関係じゃあないんだ。
それでいいよな?
変わらない関係はないんだから。