ヒーローイエローは、正直毎日がしんどい
正直毎日がしんどい。
七夕の短冊には毎年「世界平和」と書くし、書道の授業で好きな字を書けと言われたら「平和」を迷わずチョイスする。素晴らしい、平和。世界中から争いが消えて毎日穏やかに暮らしたい。
私は平和を愛する。大きな平和も小さな平和も愛する。
よって、小さな平和をぶち壊され続けている今、正直毎日がしんどい。
リビングでぼんやりテレビを眺めていると、兄と遊びに来たらしい顔見知りの先輩が入って来て、
「バイトやめたい」
ため息とともにそんな呟きが聞こえた。これは兄ではなく先輩のぼやきである。
「さっさとやめたほうがいいですよ、春休み明けたら受験生なんだから」
私が声をかけると先輩は大袈裟に驚く。私の家なんだからそりゃ私もいます。
「キエちゃん、こんにちは」
「はい、こんにちは」
人懐こい笑顔全開、しかも大袈裟に驚いて滑ったことでちょっと照れ笑いの可愛い黒森先輩と比べ、うちの兄ときたら「なんだ、いたのか」だと。お前だけの家じゃねえ。
「ギスギス崖っぷち三年生がバイトにかまけてちゃ親を泣かせますよ」
「お前何俺の方見て言ってんだよ。俺はバイトやめねえぞ」
お前は本気で今すぐやめろ。お前が一番やめろ馬鹿。週三の活動とはいえ天文部に所属して成績も二十番台の黒森先輩より帰宅部で試験ドベ争いしてるお前が誰よりもバイトするな馬鹿兄貴。
黒森先輩と兄は小学校から一度もクラスが別れたことがない腐れ縁。同じ教育を受けてきた二人なのに高校に入って成績に雲泥の差が出たのは、兄の方がバイトバイトバイト、バイトに命をかけ始めたからだ。
「お前はバイトなんてやってる場合じゃないと思う」
兄の成績を知っている黒森先輩は私と同じく冷やかに見つめて失笑している。
「馬鹿言うな! 俺がバイトしなかったら、世界中の人が嘆き悲しむことになるんだぞ」
「馬鹿言ってるのはお前だろ。何言ってんだよ、大袈裟な」
そうだそうだ、大袈裟だ、と言えないのが残念なところだ。兄の言っていることはあながち間違いでも大袈裟でもない。
兄のバイトは世界を守る。同じバイトをしている私のバイトも世界を守っている。重い、重すぎる。重責すぎる。学級委員だってやったことないのに。
「お茶菓子買って来ます。何がいいですか?」
「しょぼいの買ってくんなよ。和菓子屋の和菓子買ってこい」
お前には訊いてねえ馬鹿。そこのコンビニまでしか行かねえよ。
だいたい、黒森先輩がうちに来たのは遊ぶのが目的でないのは明白。赤点取りまくりのうちの馬鹿者に出された春休み特別課題を教えてくれるためだ。
大事な春休みをこんな馬鹿のために使う先輩の気が知れない。妹としてはお世話していただいてありがたいけど。
「いいよ、キエちゃん、花粉症辛いんだから」
「コンビニ行くくらいならなんてことないですよ。お兄ちゃんの面倒見てもらってるんだからそれくらい」
「いいよ、いいよ、俺が好きでやってるんだから」
こんな先輩の爪の垢を煎じて飲ませたいうちの馬鹿は、いいから早く買って来いよなんて言っている。そもそもお前がお世話になるんだからお前が事前に用意しとけ。
その上黒森先輩は、一応手土産も持ってきたからと言って立派な箱に入ったゼリーを私によこす。何で私の兄はこの人じゃないのか。
「わ! 桜ゼリーって。可愛い。先輩が選んだんですか?」
「うん。キエちゃんが好きそうだと思って」
可愛い可愛い! と盛り上がる私たちを盛り下げるように、「普通にミカンとか桃がよかった」という兄は全力で無視する。
「朱里、スマホなってるけど」
「あ? あー……、ちょっと電話してくる」
先輩に指摘されスマホを見た兄はデレっとだらしない顔で部屋を出ていく。
「彼女できたんだってね。嬉しそうだ」
「二股掛けられてるんですけどね」
「えっ」
ゼリー、冷やして食べようかなあ、すぐに食べようかなあ。
「それ朱里は知ってるの?」
「一応教えましたけど、何度言っても信じないから諦めました。本人が幸せならいいんじゃないですか。学生の恋愛なんて一生を左右することは滅多にないし、人生経験人生経験」
そりゃ最初は私だって兄の幸せのため散々忠告したし証拠を揃えて報告もした。でもどんなに明白な証拠を提示しても馬鹿は実の妹より可愛い彼女を信じるのだ。兄のために走り回って、円満に別れる方法も提案して、あるいはどうしても好きなら二股をやめさせるよう提案しても、あの馬鹿は私を嘘つき呼ばわりした。モテない女の僻みと言いやがった。
だからもう知らん。好きにすればいい。ふられた時あいつの愚痴は絶対聞かない、相手しない。いや、「だから言っただろバーッカ!」つって笑ってやる。近所迷惑になるくらい大笑いしてやる。
「け、けど、学生の恋愛から結婚までいく人もいるよね」
「いますね。でもお兄ちゃんはないでしょう」
四六時中一緒にいると兄妹でも疲れる。あんなのと結婚したらどんなに疲れるか。デリカシーがない、空気が読めない、下品、馬鹿、暑苦しい。
そうだね、と黒森先輩は苦笑して頷く。
「キエちゃんはそういう人いな」
「いませんよ」
食い気味に被せたのはいい加減この手のやりとりをこの人とやるのにうんざりだからだ。割と露骨に気があるアピールをしても向こうは全然気づく気配なし。
そして向こうからの好意駄々もれなことを本人が気づく気配もなし。
好きな人いるの? とか、彼氏ほしいと思う? とか。最初はこんな質問されるなんて、え? え? と浮かれていたけれどそこから先に何故進めないのか。
「そっか。あ、それじゃあお願いがあるんだ。テーマパークのペアチケットが福引で当たったんだけど、一緒に行く人がいなくて、キエちゃん、今週の日曜日空いてる?」
デートに誘われるのはこれで七回目。それなのに未だ一度も行けていないのは何故か。
「先輩に予定が入らなければ私もその日に予定入りませんよ」
毎度毎度、世界の危機に妨害をされるからだ。
***
『ごめんね。急用ができて行けなくなってしまいました。本当にごめんなさい』
朝、ベッドの中で黒森先輩からのメッセージを見て思わず声をあげて笑った。全然面白くない。馬鹿じゃないのこの人。自分から誘ったデートを当日にドタキャンなんて二度と口をきいてもらえなくても文句を言えない所業だ。
枕に顔を埋めていると馬鹿兄貴がノックもせず乙女の部屋に入り込んでくる。
「希依!」
「怪人が出たんでしょ」
「そうだ! 変身して出動だ!」
今日はテーマパークに行く予定だったのに。
私のバイトは世界を救う。
愛と勇気と正義の元に戦うヒーロー。いや、ヒロイン? でも全身タイツとヘルメットで戦うし、これでもヒロイン? どっちでもいいけど。
選ばれし戦士。五人ヒーローのピンク。ではなくイエロー。
「私が守りたいのは平和だけれども」
世界が平和になっても私の日常の細やかな幸せは確実に潰されている。犠牲がでかすぎる。私が平和を守りたいんじゃない。誰かが守ってくれる平和の中で私は生きたい。私自身で守るのは小さな日常の平和であって大きな平和はどなたかにお任せしたい。
しかもイエローって。ピンクだけでよくない、女の子は。紅一点でよくない? バランスとかどうでもよくない?
しかも、
「おいイエロー! おっせえんだよ、ちんたらしてんじゃねえ!」
「ごめん」
現場に駆け付けるとうちの馬鹿ことレッドにノロマノロマとケチをつけられる。ピンクが、やめなよお、かわいそうだよお、とクネクネして、レッドはそれにデレデレになる。馬鹿が。ピンクの本命はお前じゃなくてグリーンだから。二股かけられて浮気はお前の方だから。
最悪だ。正義のヒーローがメンバー内でドロドロ修羅場状態。
「君は常日頃からだらしがないな」
「すみません」
クソまじめグリーンが冷静に静かに私に説教する。そんなグリーンも、「女の子をいじめちゃ、めっ!」とピンクにヘルメット越しにおでこをこっつんされるとでれる。本命とはいえお前も浮気されてるんだぞ。可哀想な奴。
「日曜でやる気が出ないのはわかるけどな」
メンバーの良心、クールだけど常識のあるブルーにですよね、フォローありがとう、と敬礼する。彼だけが、私の腹痛原因からはずれたメンバーである。お前もピンクにおちたら洒落にならん。もしブルーまでピンク争奪戦に参加したらいよいよ怪人よりも怖い内乱が始まってしまう。
「怪人やっつけ終わったら二人でラーメン食べに行こうよイエロー」
男癖に問題はあっても友人としては良い奴という最高に扱いづらいピンクにパスを告げる。良い友達でも兄に手を出されちゃさすがに思うところがあるよ。
メンバーでギャアギャアしているうちに雑魚戦闘員に囲まれ、高い建物から爽やかな高笑いが響く。
「現れたなヒーローたちよ! 今日こそ貴様らを亡き者にし、世界を我らの手に!」
足元の小石をひろって高笑い男に投げつける。悪の秘密結社幹部のその男は容易くそれをかわす。
目元だけを隠す仮面、燕尾服に黒マント。そしてシルクハット。
いつもムカつくけど今日は特にムカつく。なんだお前は。売れないマジシャンか。何で今日そんな恰好してるんだ、宇宙一の馬鹿だお前は。うちの兄貴より馬鹿だ。
「くっ、乱暴な女め、ヒーローイエロー!」
くっ、じゃないわボケナス。
そんな目元しか隠さない仮面つけて正体隠せてる気か。おかしい。なんで私の周りの連中は誰もあの幹部の正体に気付かないのか。顔半分出てるのに。声もそのまんまなのに。グリーンは同じクラスでしょ。ブルーは同じ部活でしょ。ピンクには私が紹介したでしょ。おい馬鹿レッド、お前は何年一緒にいるんだ。
そして悪の組織の幹部、一番の問題はお前だ。
「日曜だったらテーマパークにデート行きなさいよ! 馬鹿っ!」
私と行く予定だったのに何を考えてるんですか? なんでこんな日に戦闘員差し向けちゃったんですか? デートドタキャンしてまでこれやりたかった?
こんなバイトはさっさと辞めてしまえ。
「なっ!? お、お、俺だってデートする予定はあったんだ! こんな司令役とかいてもいなくてもいい仕事よりデートして今日こそ告白だってするつもりだった! いい加減嫌われる、受験よりもそっちの方が危ない。ぶっちゃけ受験には余裕あるし、ドタキャンしまくりのデートの方が死活問題だ!」
お前の一番の問題はイエローが私だって気づかないことだ馬鹿男。声で気付け。おかげさまで毎度毎度こっちはネタバレ的に好きな人の本心を聞かされていたたまれない。嬉しいとかその段階じゃない。もう、次に会うの気まずいレベルのいたたまれなさ。
「じゃあデート行きなさいよ」
「家業なんだよ! 今日のパートさんの息子さんがインフルエンザなんだ。断れないだろ、インフルの子ども置いて出て来いなんて言えないだろ。人手不足なんだよ。今辞められるとマジで回らなくなる。大学進学が断たれ実家継がされる。こんな将来が不安な職業継ぐ男絶対にふられる」
「一日くらい休業しろ!」
どうしても今日出なきゃいけないってこたあないでしょうが。
「それに断ったりしたらデートかって親に探りを入れられる。彼女は近所の子なんだぞ。うちの親しつこいんだ。そしていちいち重いんだ。万一彼女に結婚なんて学生には重すぎる単語出して『息子をよろしく』なんて本気の挨拶に行ったらどうする!? 嫌われる! あ、まだ彼女じゃないけど! 脈はあると思う!」
お宅のご両親が重いことは重々承知だよ。善意と本気で嫁においでってあんたの知らない所でもう既に猛アピールうけてるよ。
え? 家業ってことはあの重いけど超温厚な夫婦が悪の親玉なの?
私が石を投げまくっている間に戦闘員は他のメンバーがやっつけてくれていた。ごめん。司令塔があいつじゃない日はちゃんと働くから。たとえあいつの日でもデートドタキャンの日じゃなければちゃんと働くから。
「よっしゃ終わった! まだ何とか埋め合わせに行け……じゃなかった。く、ヒーローめ、今日のところは引いてやろう。しかし次に会う時が貴様らの最後だ」
ふははははは、という笑い声をあげ姿を消した幹部に舌打ちする。
これ、私が相手だからまだ続いてるけど普通の女の子相手だったら七回のドタキャンなんて二度と顔も見たくないって言われるのをあの人はわかっているんだろうか。
***
戦闘帰り(といっても私は今日石を投げてただけだけど)、コンビニに入ろうとしたら腕を引っ張られた。
息を切らして、不安そうな顔をする黒森先輩がガバリと頭を下げた。
「ごめん。約束してたのに」
本当にな。
「……急用が済んだんならお菓子買って、映画レンタルしてうちで見ます?」
頭を上げた黒森先輩は切なげな表情からパッと笑顔になる。
「いいの?」
惚れた弱みだ、許してしまうのは。
「今日はお兄ちゃん、デートして帰るって。だからうちにいません」
「え。え!? ええ!?」
「あ、親は普通にいますけど。日曜だからお父さんも」
「あ、うん。うん、そうだよね」
映画を見終わって、それじゃあ来週こそテーマパークに、と約束を取り付けた。
まあそれも、ドタキャンされたんだけど。
やってられない。ヒーロー活動も悪との恋愛ももう正直しんどい。