02.我輩は○○である
「おい、ゴルァ!どぉこ見て歩いてるんじゃい!コスプレ野郎!」
新宿、歌舞伎町一番街で罵声が響いた。
金曜の午後四時。
遊び歩いていた学生の集団が、声の方へ目を向ける。
「シカトぶっこいてんじゃねぇぞ、ゴルァ」
「すまぬ…職安へ向かう途中、知り合いとはぐれたのだ。不安でキョロキョロしてしまい、貴殿にぶつかった。許してくれ」
チンピラに絡まれていたのは、金の長髪に、尖った耳の大男だった。
六芒星の印字された黒いニット帽の左右からは鉤角が飛び出ていて、裸にマント、ハーフパンツに革靴という風体。そして左腰に据えた大剣は、毒々しい装飾が施されていた。
一見して男は、間抜けなコスプレイヤーに見える。
「てんめ、ヲォイ。なんだその喋り方はぁ?なぁ」
チンピラが詰め寄り、男の黒いマントに手をかけた。
「すまぬ…我輩の不注意だ」
「舐めた喋り方しやがって、ちっとばかしガタイがいいからって調子こいてんじゃねぇぞ」
「なんと謝れば許してもらえるのだ」
季節はずれのハロウィーンに勤しむ男と、チンピラの周囲に人だかりができた。誰かが「やっちまえ」と囃したてる。
「カネ出せ」
「カネはあるが、日本政府の人間から借りたカネだ。渡せぬ」
「これが見えるか?ゥヲイ!ナイフだよ、ナァ、イィ、フゥ!」
チンピラが春物のジャケットの懐から取り出した刃物を見て、人だかりは散って行った。
「貴殿は我輩と決闘がしたいのか?」
男は腰に据えた大剣に手をかけながら言う。チンピラは舌打ちをした。
「そんなコスプレグッズ出してイカレてんのかコラ?さっさとカネ出せ、おっさん」
そうチンピラが言いかけてる間に、男は大剣を鞘から抜き目にも止まらぬ速さでそれを振った。
「皮肉なものだな…記憶はなくとも剣の扱い方は覚えておる」
縦横無尽に繰り出された刃先。チンピラの衣類が紙ふぶきのように舞う。
「あ…サーセン。じじじじじ、じぶんパンピーなんで、しししし失礼します」
全裸にされたチンピラはナイフを投げ捨て、駅の方へ逃げていった。遠巻きに見ていた野次馬が悲鳴をあげる。
「すませーん。ちょっといいですかぁ?」
男の肩を叩いたのは制服警官だった。傍らにいた彼の相棒は全裸で逃走したチンピラを追っていった。
「なんだ」
「それ本物じゃないですよね?」
警官が無線で連絡を取り、パトカーがやってきた。男は溜息を吐いた。
◆
「だーかーらー、いい?オタクは銃刀法違反なの。住所、氏名、年齢、言ってもらわなきゃ手続きできないでしょ?黙秘のつもり?」
新宿署の取調室で実に一時間が経過した。担当刑事は真っ白な調書を机に放り投げ、詰るが、男は俯いたままだった。
「ナベさん、ちょっと」
若手の刑事がドアごしに手招きをする。
「釈放?んなのおかしいだろ!政府…?外務省?警視総監からも伝達?はぁ?」
廊下から耳を劈くような声が聞こえてきた。
「おら出ろ」
刑事に促され、男は席を立つ。
「あんた何者だよ」
男の腰からぶら下がった大剣を忌々しく見つめながら、刑事は煙草に火をつけた。
「我輩も分からないのだ」
男は薄く笑う。犬歯が牙のように伸びていた。
◆
「手間をかけたな、國分どの」
「いえいえ、私が方向音痴だったばかりに…はぐれてしまいすいません。こんな時間ですし、職安は後日にしましょう」
タクシーの中で、外務省の國分がすまなそうに言った。
「面倒をおこした我輩にこそ責任がある」
男は俯く。マントの下で大胸筋が痙攣した。
「そういえば、アパートの件、正式に決まりましたよ。随分お待たせしてすいませんでした」
「管理人が決まるまで我輩の入居が保留だったという、あれか…」
「他の入居者さんはもう先に住み始めてるんですが、管理人さんがやっと今日の夕方に決まったので、住む上で不便はありません」
國分は鼻を啜りながら言った。年は四十手前。黒縁めがねに童顔という風体で大学院生といえば、それで通りそうな若々しさが彼にはあった。
「なぜ我輩だけ保留だったのだろうか」
男は疑問を直接、述べた。
「色々と事情がありまして…お一人だけ別手続きになってしまって申し訳ないです」
國分は眉尻を下げて言う。男は自分が彼を批難したような空気に少し申し訳なさを感じ、國分から目を反らし、窓の外を見た。
「構わぬ。場所はどこだ。この地にやってきて数週間…せっかく慣れた頃だ。転居先も似たような街並が好ましいが」
窓の外には見慣れた街並があった。タクシーは高円寺の駅前ロータリーで停車した。
「でしたら問題ありません!都内の中野区…区は違いますが、ここ高円寺駅から、歩いてすぐの場所です。私のウチからも近いんで、何かあればすぐ駆けつけます」
國分は料金を払い終えると「あっちです」とアパートのある方角を指さした。
「いつまでも貴殿の家でお世話になっていては肩身が狭いからな」
「うちの娘の遊び相手になっていただいて感謝してるんですよ。では、アパートの下見に行きましょうか」
「今からか…」
「善は急げって言葉がこの国にはあります。さっそく見にいきましょう」
國分は手招きをする。
「そうか。いこう」
「お友達、できたらいいですね」
國分は男に微笑みかけた。
「友人か…」
男は孤独だった。記憶を失った事情もあるが、彼の心には断片的な過去の映像だけが残留していた。焔。瓦礫。紫色の空…。
「なぜだろう…我輩は、普通の人間と友人になれる気がしないのだ。もし友人をつくるならば我輩の命を奪いかねない好敵手が好ましい。そう、互いに技を磨き、命のやり取りをし、それでもなお倒せぬ強敵…なぜだろう。なぜ我輩はこのようなことを考えておるのだろう。我輩は記憶を失う前、どのような生活を送っていたのか…ますます謎は深まるばかりだ」
男は拳を握り締めた。
高円寺駅前商店街の喧騒が嘘のように、彼の心には荒涼とした風が吹きすさんでいた。
「そ…そんなこと言わず、新しい出会いに期待しましょうよ」
「期待か」
國分の言葉に、男は意味を噛みしめるようにして空を仰いだ。見事な満月が世界を照らしてた。
「お花見や海水浴、紅葉狩りにスキー、スノボ、山登りやバーベキューに温泉、釣りにパーティーに海外旅行…お友達ができれば、たくさん楽しめますよ!」
「そうか…よく分からぬが、友人ができたら、国づくりをしてみたいな」
男は本音を漏らす。
「く、国づくりですか」
「我輩は小高い丘の上で陣を敷いた即席の玉座に腰をおろす。燃え盛る焔の中で聞こえる無数の叫び声…敵国の魂が不死者に変わり、我輩に忠誠を誓う…睨み据えるはさらなる領地拡大…我輩は立ちふさがる五つの影を討伐すべく、不死者の大群を進軍させる…水晶玉に映し出された戦闘…我が軍の劣勢…そこで我輩は自ら戦地に赴く…なぜだ、なぜ、このような映像が頭に浮かぶのだろう。我輩の過去は…いったい…」
脳裏に浮かんだ映像。男は身震いをしながら無意識に大剣を抜こうとしていた。
「か、過去よりも今、今よりも未来…一年後に故郷へ帰るまでの思い出作りに…心を燃やしてみませんか?」
國分がそう言った瞬間、男の意識に「焔の映像」が見えた。
「燃えておる」
「そうです!燃えるんです!」
國分は頷いた。
「行かなくては」
「行きましょう!すぐですよ、アパート」
國分は駅前の交番前に設置された地図を指差した。
「ここより百メートル先で家が燃えておる」
「へ?」
「中に二人…取り残されている」
男が見た「焔の映像」――それは、ここからさほど遠くない住宅地で民家が燃える映像だった。
「いつもの…あれですか?魔法による千里眼…ってやつですか」
「そうだ」
「じゃ、じゃあ、いま百十番します…あ、百十九番だっけ…えっと」
國分はスマホを操作する。
「では、助けにいってくる」
「あ」
男は夜空に向かい跳躍し、そこかしこの電柱や建物を軽々と蹴って、消えた。
◆
「大丈夫か」
男は泣き崩れる主婦に声をかけた。頬に煤がついていて髪も乱れている。彼女はこの家の人間に間違いなかった。
「息子と娘が取り残されているんです」
燃え盛る焔に包まれた民家が黒い影を落とす。野次馬が集まり叫ぶが消防車はまだ到着していない。男は深呼吸をしてから満月を仰いだ。
「命とはいずれ尽きるもの…であるが、救える命は救いたい。なぜかは知らぬが、我輩の心がそう叫んでおる。まるで、それは自国の民を慈しむ皇帝のような気持ちだ…なぜだ、なぜこのようなことを我輩は考えているのか…分からん。だが、待っておれ」
「流星…!詩音…!」
主婦は子供たちの名を叫んだ。
「氷結魔法」
男が焔に向かい手を翳し、詠唱する。一瞬で焔は消え去り、民家は氷結した。
「火が消えて、家が凍ったぞ!」
「なんだ、あれ!」
「おいおい、どういうことだ!」
そこかしこから声が聞こえる。
男はアスファルトを蹴り、跳躍すると、氷付けの民家の窓を破った。
「大丈夫か」
男が叫ぶ。
建物の壁や天井は凍っているものの、部屋の内部は多少寒いがそのままだった。
「おじちゃんだれ?」
泣き叫ぶ子供たち。
二人ともまだ未就学児童だろう。男は彼らに手を伸ばしながら「大丈夫だぞ」と声をかけた。
「あれ、あんたも助けにきたの?」
子供部屋のドアが開き、女の声がした。ドアの向こうから七つの顔が交互に見えた。
「貴殿らはだれだ」
「ぼく…改造戦士サンダルガーです。偶然通りかかって…家屋を破壊して子供たちを救出するつもりでした」
頭部と両眼に赤い縁取りがされた銀色の仮面、堅牢な鎧を纏った男――改造戦士サンダルガーは、機械音を立てながら説明をした。
二人の子供たちが「あ!サンダルガーだ!」と嬉しそうにはしゃぐ。
「私は超能力少女、安東ナツ。テレパシーで火事を知ったの。テレポートで救助しようと思ってたんだけど…」
続いて、灰色のロングヘアに左右一本ずつ触覚のようなアホ毛を立てた少女、安東ナツが人差し指を翳しながら名乗った。眉毛が短く、目つきが悪いものの、睫毛が異常に長いのが印象的だった。
「あたしたちは魔法少女だよう!放火犯を追ってたら火事に気づいたんだぁ~!魔法で、火事が起きる前の状態に戻そうと思ってたよう。うふふ~」
五人の少女たちが交互に顔を出して名乗った。
中でも左右をお団子頭にした少女が、目を丸くして男の方を見ている。両手に握った魔法ステッキの先端部分のハートが忙しなく輝いた。その輝きを見て、男の頭が割れそうになった。
「あ、自己紹介するね!あたし魔法少女エミ…他の四人は、ミリ、リカ、カヨコ、コズエだよう…あなたは?」
お団子頭の魔法少女、エミが目を丸くして訊ねてきた。
「我輩は…」
男は魔法ステッキの輝きを見つめながら、自分の名を思い出そうと意識を集中した。
「…誰だろう…だが、名前を思い出せそうだ…」
頭が痛い。
しばらくすると、過去の記憶だろうか「マオ…サマ…、マオ…サマ…」と自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「我輩の名は、マオ・サマ…だそうだ」
不確かながらも名乗り終えると、改造戦士サンダルガーが他の六人を押しのけ、男に歩み寄ってきた。
歩くたびにガシャコン、ガシャコンと鳴り、彼が右腕を伸ばすとキィィ…ウィィンと機械音がした。
「はじめまして。マオさん」
二人は氷付けの部屋で握手した。子供たちは、改造戦士サンダルガーの足にまとわりつく。
「あたしたち同様、普通じゃないのだけは確かね」
そう言ったのは、超能力少女の安東ナツだった。




