路傍の石にも花は咲く
短編だと、わざわざ小説情報ページに行かないとあらすじが表示されないのでここにも掲載させていただきます。
『ずっと好きだった彼は草花に夢中で、わたしのことなんて見てくれない。
だけどようやく、わたしにもチャンスが巡ってきたんだ。逃がすわけには――いかない。』
幼い頃からずっと好きだった。
いつかは彼の隣に侍りたいと、そう願って、しかしきっと、そんな願いは叶わないとも思っていた。
だって彼は、一ミリたりとも女の子との恋愛に興味を持ったことなどないのだから。
当たり前のように花に恋し、草木を愛する。そんな人だから、わたしも安心して好きになれたのかもしれない。
わたしを見てくれない。そんな人に、恋をしたんだ。
――でも、一度くらいわたしを愛してほしい。
そうやってわたしは、矛盾した気持ちを抱く。
◇◇◇
ああ、花になりたいなあ。
◇◇◇
「ん? おお、清楚系じゃないか」
「……由良さんまでそのような呼び方しないでください」
「いいじゃないか。単純に名前を呼ぶより親しみやすい」
「バカにされているようにしか思えません」
とある大学の研究室。そこを借りて、彼はほぼ毎日研究を続けている。
何の研究かと問えば、「世界を草花で埋め尽くす研究だ」という。いったいどんなことをするつもりなのかは、彼の横で研究を見続けているけれどわかりやしない。
「いつもいつも思うのですが、いったいどうやって世界を草花で埋め尽くすおつもりですか、由良さん」
「あー……そうだな、イメージ的にはたんぽぽが近い。たんぽぽって、ふわふわと風に乗って遠くまで行くだろ? あれをもっと強力にするというか、広範囲に行き渡らせるというか……ま、具体的な方法は大体思いついてるから、あとは完成させるだけだ」
まさか、マジで実行するつもりなのだろうか。
もしもこの研究が成功して、本当に世界が草花で覆いつくされたとしたら……ちょっと想像できない。
もしも本当にそんな世界になったなら、彼はたいそう喜ぶはずだ。喜ぶはずなのだが……ああ、わたしってば、植物なんかに嫉妬している。
恋のライバルが可愛い女の子ではないなんて、ある意味こっちのが無理難題な勝負ではないだろうか。
ああ、花になりたい。
◇◇◇
さらなる月日が経ち、ついに完成したという。何が完成したのかは知らない。
「で、何が完成したのですか?」
「種だよ。種! 品種改良したものでなあ、この種があれば本当に世界中を草花で覆い尽くすことができる! ……たぶん」
そう言って彼がかざしたのは――中身が空のビン。
「えと……何もないように見えますけれど」
「まあかなり小さくしてあるからな。そうじゃなきゃ、うまく飛んでいかないんだ」
わたしには、彼が虚言を口にしているのかとも思った。しかしそれでは説明できないほどの光が彼の目には宿っている。
おそらく、彼の中では本当に完成しているのだろう。あとは実験を繰り返し、うまく行くことの証明をし、研究会で発表し、世界に触れ渡っていく。
世界が本当に草花で埋め尽くされるのはその後――、
「ああ、楽しみだなあ。世界がきれいな植物たちで埋め尽くされる……あはは!」
「あの、由良さん」
「ん? なんだ?」
「――――、いえ、なんでもありません……」
その種は、世間に受け入れてもらえるのだろうか。
世界中を草花で埋めるとは言うが、近代化が進む日本でそのような種を撒くことが許されるのだろうか。
もしかしたら彼の研究は、発表した時点で凍結されるかもしれない。
そう思ったが……彼の、心の底から嬉しそうな笑顔を見て、水を差すことなどできなかった。
「さて、それじゃあ実験だな」
「あ、わたしは帰りますよ。そろそろ遅いので……由良さんも、あまり無理はせずに」
「わかってる。あともう少しっていう時に倒れてなんていられないからな!」
――――――――。
――――――。
――――。
夜、あまりにも寝苦しかったため、窓やドアを閉め切って冷房をつけて寝た。
◇◇◇
――目が覚めて、違和感。
「あれ……」
いつもならこの時間には、多少なりとも外からご近所さんたちの世間話が聞こえてくるはずだ。
しかしそれが聞こえない。
「ああ、そうだ……全部閉めてるんだった……」
まだ寝ぼけているらしい頭を、顔を洗うことで覚まし、部屋の窓を開け放った。
――しかし、
「あれ……?」
やはり、静かなままである。
珍しい朝もあるものだ、と大学に行く準備をする。今日はたしか二時限目だけだったはず。最初に研究室に寄ることにしよう。
たぶん彼は、結局家に帰ってはいないだろうから。
◇◇◇
家を出て、駅が近づいてくるとさすがにきづく。
あまりにも静かすぎる。
そして、もう一つ、常とは違うもの。
「なに、あちこちに……木?」
駅に向かう道すがら、昨日の夜まではなかったはずの木が何本も立っているのだ。
それはコンクリートの上、あるいは店の中、――その他さまざまな場所に。
そのどれもが不気味な赤紫色をしている。単なる木ではない。
不安だ――。
何か言い知れぬ不安がわたしを支配する。
「あっ……電車、動いてない」
そして、駅構内にも不自然に木が生えていた。
わたしは家に戻り、自転車を使って大学を目指すことにした。幸いなことにさほど離れてはいない。電車を使っているのは単に、彼が電車通学だからだ。
とにかく急いで大学へ――自然、ペダルをこぐ足は速くなる。
◇◇◇
ああ、花になりたいなあ。
◇◇◇
不意に、鋭い痛みが背中を襲った。それは大学まであと少しというところだった。
「ッ……!」
自転車をこいでいられないほどの激痛。勢い余って転倒して、怪我でもしたのかと背中に手を伸ば
背中から何か、飛び出していた。
「へ――」
硬いようで、しかし鉄ではなく、ザラザラとした手触りで、どこか柔らかさがあって。
あ、いや、なんだこれ、ああ、あ?
「……清楚系、こんなところでどうしたんだ?」
声、人の声だ……しかもこれは、彼の――!
痛む頭を無理やり動かし、声の方を向いた。
そこには、――ガスマスクに、防菌服を着た彼がいた。
「おっと……自転車でここまで来たのか。清楚系、もしかしてキミ、昨日の夜は窓とか閉め切っていたか?」
その恰好は何。
教えて、あなたから見たわたしは、今、どうなっているの。
「はっははは、キミの花はきれいな色をしている……ああ、とてもきれいだ」
は、な――?
花。花だ。わたしの背中には花が芽吹いて――え? どういうこと?
背中から花が生えて――ぶちゅり――腕からも何かが突き破って出てきた。
わたしの体の中から、植物が、生え、て、ぇあ?
「とりあえず実験は成功かな……まあ放っておいても、この町の草花は勝手に芽吹いていくだろうし、そうしたらまた新しい種が飛んでくか。いやあ、世界が草花で覆われる日が楽しみで仕方ない!」
「どう、いう……こと」
世界が草花で覆われる。もしかしてこの現象は、彼が引き起こしたものなのか。
今まで研究していたのはまさか、
「うん? 見てわからないか? 今一番世界を広く覆っているのは海と大地だ。それはわかるだろ? そしてその海と大地には多くの生物が存在している。簡単なことだ。世界を草花で覆いたいのなら――その生物たちを、植物に変えてしまえばいい!」
――――。
ああ、なるほど。
次々とわたしの体を突き破って這い出てくる植物たち。これはきっと、昨日の『見えない種』が原因だ。
彼は言った。たんぽぽのようなものだと。きっとこれは細菌に感染したようなものなのだ。
ああ、そうか。そういうことだったんだ。
本当に、彼は植物にしか興味がないんだ。
「――はは」
そうと気づけば、漏れたのは乾いた笑み。一種の諦め、そしてその中に見出した希望。
そうだよ、わたしが植物になれば――花になれば、彼は愛してくれるんだ。だって、こんな狂ったことをしてしまうくらいに植物が好きなんだから。
「――ああ、楽しみだなあ。……もうすぐで、望んだ世界を見ることができる」
……いや、違う。
彼はたしかに植物が大好きだ。しかしそれは植物全てを愛するという気持ち。
いくらわたしが花になろうとも、わたしだけを愛するだなんてことは……ない。
嫌だ、そんなの嫌だ。
こんな、人間でなくなってまで愛されたいのに愛されないなんて――報われない!
「くう、あっ……!」
痛む全身を無理やり押さえつけ、少しずつ彼に近づいていく。
地面を這いずり、無様にみっともなく。
これのどこが美しい花なのだろうか。でもきっと、彼は植物というだけで全てを愛する。
結局、わたしが美しい花だろうと醜い花だろうと、きっと。
「由良、さん――」
「どうした? 清楚け――」
伸ばした手が、彼の体を覆う防菌服を破いた。
「――あ?」
「一緒に……なりましょうよ」
彼がわたしだけを見てくれないというのなら、一緒になってしまえ。
一緒に、植物になって、そして、一生添い遂げて――、
「あ――い――いやだ、あ、ああ、嫌だ、嫌だぁ!」
逃げ出そうとする彼をわたしはしっかりと掴み離さない。そしてその状態のまま、わたしの体の植物化は進んでいく。
もう自分でも動かせなくなり、彼の体はわたしに飲まれていく。
そして徐々に、彼の体にも異変が起き始める。
「ちょっと待て、待てよ。僕は、俺は植物違う、そうじゃなくて、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
あなたが愛した植物になれるのなら、それは本望でしょう?
――ええ、怖いでしょう。怖いよ。でもそれ以上にわたしは、この状況を喜んでしまっている自分が怖い。
怖ろしい。自分が自分でないものに、急速に変わっていく感覚。自分が消えていく感覚。
でも嬉しいんだ、本当に。わたしみたいな路傍に転がる石でも、花になることができて。
そして彼と添い遂げることができて――。
わたしは、
「嫌だぁああああああああああああああああああああああああ!!!!」
――――幸せ者だ。
私は体の中から何かが這い出てくるって大好きなんですけど、苦手な方も多いのでしょうか。