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空に消えた星くず達へ  作者: 中村なっちゃん
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「あっ、マジでいた……」

 明はその姿を一目見ただけで、思わず屋上のドアの後ろに隠れた。

 天気は曇っているけれど、屋上には春の風が吹き、校舎裏から飛んで来た桜の花びらが舞っている。そんな中で一人、夕霧は座っていた。

 他に人はおらず、一人で座ってフェンスの向こう側を眺めている。その後ろ姿はどこか、少しだけ寂しげに見えた。そのフェンスの端に腰かけている彼女の、オレンジ色の三つ編みが二本、足下に垂れ落ちていて、わずかな風に揺れる。

 やっぱり、きれいだ……。

 明はこっそりと顔を出して、その後ろ姿に見蕩れていた。

 一人でいても背筋がしゃんと伸びていて、美しい。誇り高く、見える。こんなときでさえ。

 明は胸の辺りを手でおさえた。心臓がバクバクいっている。顔が引きつる。緊張していた。

 でもまぁ、話しかけたって死ぬわけじゃない。それぐらいで、人間は死んだりしない。けれどここでこのチャンスを逃してもまだ次があるなんて、そんな保障はどこにもない。

 俺は今日、死ぬかもしれないのだから。

 そう思うと明は、ドアの後ろから出ることができた。緊張していたせいか、足を思い切りドアにぶつけてしまい、大きな音が鳴ったけれど。

 ゴガンッ。

「痛っ」

 さっと、すぐに夕霧は振り返る。痛そうに左足を抱えている明を見ると、不機嫌そうに目を細めた。

「あっ、えっと……こんにちは?」

 明ははにかみながら夕霧に声をかける。迷って、迷って、出てきた挨拶は疑問形だった。

 手に汗をかいていた。体が妙に熱いと思うのに、頬に当たる風は妙に冷たく感じる。自分がちゃんと立っているのかよくわからないし、頭の中は軽いパニックだった。

「何?」

 夕霧は明に、うっとうしそうな目を向ける。

 うわぁ、夕霧が俺を見てる……。ゴミを見るような目だけど、でも間違いなく他の誰でもない俺を見つめている……。

 明の顔は赤くなった。

 屋上に足を踏み入れ、ゆっくりと夕霧に歩み寄りながら、明は口を開く。

「あの……その、ちょっとだけ話をしないか?」

 後悔した。何かもっと、まともな言葉を用意しておけば良かった。

 夕霧は威嚇するような目で明をにらみながら、それには何も答えなかった。

 それは強くて、かっこいい瞳だった。琥珀色のそのきれいな瞳に、見蕩れるなという方が無理な話だ。

 女子とどんな風に会話をすればいいのか、裕一に聞いておけば良かったと思った。俺は男ばかりだったけれど、あいつは中学の頃も男女問わずに仲良くしていたから。いつも人の輪の中心で笑っていたから。でも偽物っぽい笑顔だったけど今は、どうなのかなぁ……。

 明はふと、横を向いた。

 黒いフェンスの向こう側には果てしない、鮮やかな緑色の野原が広がっている。それはすぐそこなのに、とてつもなく遠かった。

 あそこは学校の敷地外だから出ることはできない。

 こういうときは本当に、牢屋の中に入ったんだなぁ、と思ってしまう。

「夕霧は、なんでこの学校に入ったんだ?」

 考えたというよりは、つい口から出てしまったような言葉だった。この学校にいる人間になら、誰に対して言ってもおかしくはなく、けれど聞かれた当人は大概顔を曇らせてしまうような、そんな質問。そう思うとやっぱり、俺と雅紀は異常なのかもしれない。

 夕霧は腕を組んで、足を組んでいた。不機嫌そうに明をにらむ。

 つい呼び捨てにしてしまったことに、俺は遅ればせながら気づいて、それを怒っているのだろうかと思った。

 けれど夕霧は、怒っているというよりは悲しげにつぶやいた。

「あなたには関係ないでしょ」

 冷たいほどの視線を明に向ける。人を拒絶し、一歩も踏み込ませまいとする瞳だった。

 おっしゃる通りだ。

「それは……その通りだな」

 夕霧の言うことを素直に認めて、俺は黒いフェンスの穴に指を差し込んだ。遠くを眺める。ぼんやりと。

 夕霧はほんのわずかだけ気にかけるように、明の横顔を見ていた。

 一陣の風が吹き、目を逸らす。

「………」

 夕霧は足下に置いていた、風呂敷に包まれた弁当箱を手に取って立ち上がる。

 長い三つ編みが揺れる。

「あなたの目的が何かは知らないけれど、警戒心なく人と関わろうとするのは賢明とは言えないわね」

 わずかに振り向いた夕霧の目が、少し切なげだった。

 場違いとわかっていても、キュンと胸が高鳴る。

「俺は………」

 夕霧が目を細めて明を見る。

 明は口をつぐんだ。

 俺は……俺は、何て言うつもりだったんだ?

 自分でもよくわからず、視線を逸らした。

 夕霧は顔を少し歪める。

「あなたって変な人。でも、どんな人間でも必ず、この学校に入ったことを後悔するわ」

「えっ……」

 明は目を丸くする。

 夕霧はそれで話は終わりだというように、明に背中を向けた。オレンジ色の髪をたなびかせて、姿勢よく歩いて行く。

 このままじゃ行ってしまうと思った。何か、何でもいいから呼び止めなければいけないと、思った。

 そうして出てきた言葉が、これ。

「あっ、あの……一目惚れって信じますか?!」

 そう口に出して言ってしまった後で、自分が今、何を言ったのかようやく理解する。顔がかーっと熱くなる。

 夕霧は怪訝そうに振り向いた。眉間にしわが寄っている。

 そして一言、明に向ってつぶやいた。

「死ね」

 異性にそんなことを言われたのは生まれて初めてのことだった。

 夕霧が去って行ってしまい、明は一人だけ、そこに取り残された。

 その姿が完全に見えなくなってから、黒いフェンスに背中を預けて寄りかかる。まだ少し赤い顔のまま、曇った空を見上げる。

 何と言うのか……あまりにもかっこ良すぎて、好き……かもしれない。

 明は揺れる息をゆっくりと吐いた。空を見つめたまま、口元が自然と緩んでしまう。

「好き……かな」

 そう小さくつぶやいた。

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