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空に消えた星くず達へ  作者: 中村なっちゃん
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 ん……んん?

 明は目を覚ました。目をこする。

 変な感じだった。まさしく、夢の中で目を覚ましたようなフワフワとした感覚がする。

 明は壁に寄りかかって座っていた。右を見ると細田と雅紀が同じように壁に寄りかかって目をつぶっているので、少し驚いた。左を見ても同じく、裕一と長塚先輩が眠っている。そして正面を見れば、そこに立っている伊森先輩の背中が見えた。

「伊森先輩」

 呼びかけて、明は立ち上がる。

 走りながら、辺りの風景を見回した。

 そこは不思議なところだった。少し離れると、俺や他のみんなが眠っていた場所はお店とお店の間の、小さなスペースだったことに気づく。ここの全体を見渡すと、真ん中に大きな丸い穴というか空洞があり、その空洞を囲むようにして丸く、店がいくつも並んでいる。薄い色合いの、パステルカラーの店たちが。しかもそれがタワーのように何十階と果てしなく続いている。下には十階くらい、上は本当に一番上が見えないくらい果てがない。床は透明なので上も下も見えるのだが、それにしても店しかないのにそのどの店のどこにも、人の姿はなかった。

 不思議で、不気味なのかもしれないが、恐怖のようなものは全く感じなかった。

「おっ、もう起きたのか。早かったな」

 伊森先輩はこっちに気づいて振り返った。自分が一番早いのに、本気で感心しているようだった。

 洋吾は真ん中の空洞のギリギリの場所に立ち、その周りを囲っている五センチ程度の小さな柵に片足をかけていた。

「伊森先輩、みんなを起こさないんですか?」

 明はつぶやきながら洋吾の隣に並ぶ。

「あぁ、もうそろそろ起こそうとは思ってたんだ。あいつとの戦い方も、だいぶ考えついてきたところだしな」

 伊森先輩は平然とした顔で大きな空洞の真下を見下ろしている。

 明もその隣から下を見下ろした。

「!」

 そして目を見開く。

 空洞の底、ここから十階分ぐらい下の場所に、黒いぐにゃぐにゃとした蛇のような、けれど蛇にしては細く、長すぎる生き物がひしめいていた。

「あれは……何ですか?」

 明は顔をしかめた。

 その質問に洋吾はあっさりと答える。

「あれがシープだよ」

「えっ、あれがシープ?」

 明は驚いた。なんとなく、羊っぽい姿を想像していたからだ。

 あれじゃ蛇だ……。

 伊森先輩はクスッと笑った。

「シープの姿は千差万別だからな。でもあれはザコだよ、色でわかる。黒色や白色は初級、倒すのはそう大変じゃない。色がついているのは中級、倒すのにはそれなりに苦労するけれど、死者を出さずに倒せることの方が多い。そして宝石のように輝く体を持つ奴は上級。倒すことは大変困難だ。死者も大概出る。まぁ、そうそう出てくる奴じゃないから、俺はまだ会ったことがないんだけどな」

 そんな話でさえ、伊森先輩は軽く語った。それは伊森先輩がこの学校に入ってからの二年間で身に付けた、余裕のようなものにも思えた。

 生き残った者だけがたどり着ける境地だなぁ。

 そんなことを考えていると、後ろから声が聞こえてくる。

「伊森先輩、どのくらい寝てましたか?」

 振り返ると、長塚先輩が眠そうな目をこすりながらこっちに歩いて来ていた。さらにその背後を見ると、裕一も雅紀も細田も少し眠そうではあるが目を覚ましていた。

「ほんの十分くらいだよ」

 伊森先輩のその言葉には俺も驚いた。そんなに時間が経っていたということは、他とちょっとしか違わない俺もけっこう寝ていたのかもしれない。

「今日は戦闘演習だし、シープも初級だから急がなかったけど、もしかして起こして欲しかったか?」

 伊森先輩は意外にも、少しいたずらっぽい笑みを浮かべていた。

「いえ……」

 比べて長塚先輩は明らかに不服そうな顔で、それでもそう言った。

 どうやら起こして欲しかったようだ。

「さて、今日はたった一回の演習だからな。できるだけ経験のない一年生に戦って欲しい。だから俺は途中までは手を出さないことにするよ」

 伊森先輩は自分の周りに集まったみんなを見回して、あっさりそう言う。

 俺は伊森先輩の言葉に、ふーん、って思うだけだったが、細田だけは真っ青な顔をしている。おそらく普通の反応なのだろうが、このチームはどうも頭のネジが一本取れてしまったような人間が集まっているので誰も共感はできない。

「てきとうに分けるけどいいな。藤藤と細田はここからシープを撃ってくれ。これぐらいの高さからが一番狙いやすいしな。石村と橋島はそこにある階段から一番下まで降りて、シープを横から狙い撃つ。ただし、くれぐれもシープの接近には気をつけること。長塚はここからさらに五階分上に上がり、一年生が苦戦しているようなら上から撃つ、ということでいこう。俺はてきとうな場所で見守っているし、やばくなったら出るから、できるだけ一年生の力だけで頑張ってくれ。殺傷能力は低いけど、あれは一応本物のシープだからな」

「えっ……」

 最後の一言に一番驚いた。

「じゃあ、健闘を祈る!」

 しかしそれ以上説明してくれる気はないのか、伊森先輩はそう言ってさっさと階段を下りて行ってしまった。体が小さいからか、エメラルドの力なのか、伊森先輩は身軽で足が速かった。階段を覗き込むが、そこにはすでに姿がない。

「言われた通りにやるしかないみたいだな」

 隣に来た裕一がつぶやく。

「だな」

 俺もうなずいた。

「じゃあ、俺たちが一階についたら敵への攻撃を始めるから、それを合図にしてお前らは攻撃を始めてくれ。それでいいだろ?」

 雅紀はレッドタイガーアイのピストルを軽く、指先を器用に使って回しながら、楽しげにそう言った。

 すげぇな、初めて持ったにしては扱いがうまい。そしてなぜこんなときでも楽しそうなんだか。理解はちょっとし難い。でも、いいなぁ、それ。

「なぁ、そのピストルさばき、俺にも教えてくれよ」

「いいけど、俺みたいに上手にはなかなかできないぜ」

 明が聞くと、雅紀は得意げにそう語った。しかしそんな楽しい会話をしていた二人の背後に、一人の人物の黒い影が伸びる。

「いいからさっさと行って来い、一年坊主ども。シープの前にお前らのケツに銃弾打ち込むぞ」

 長塚先輩は、とても冗談を言っているとは思えないような怖い顔をしていた。

 それから明と雅紀は急いで階段を下り始めた。基本は二段飛ばしで。そして二人は暇だったので、階段を駆け下りながら話を始める。

「あの人、絶対冗談通じないよなー」

「全くだ。俺みたいなユーモラスがないとはかわいそうな人だ。絶対、あの人彼女いないぜ」

「そういうお前はいるのかよ」

「いるわけないだろ。いたらこんな学校に入ってない」

 まさかそんな理由でここに入って来たんだろうか。こいつの場合、本当にありえそうだから怖いな。

 そんな雅紀はプラス思考に、さらに話を続ける。

「まぁ、俺がモテるのもこれからよ。このイケてるフェイスを世の女の子たちが放っておくわけないだろう」

「うーん、どうだろうなぁ……」

 明は考え込むフリをした。

 ぶっちゃけ、ブサイクでもないけれど普通だ。

「そういうお前だって彼女いないんだろ?」

「まぁ……そうだなぁ。せっかく高校に入ったんだし、彼女の一人くらい欲しい気もするけど」

 たとえこんな学校だったとしても。

「わかった、加神夕霧だ」

 明は駆け下りていた階段を、危うく踏み外しそうになった。焦って、何とか軌道修正をして、赤くなった顔を上げる。

「なっ、なんでそこでその名前が出てくるんだよ!」

「いやだって、さっき伊森先輩に聞いてただろ? わかりやすいなぁ、お前」

 雅紀は変に面白がるのでもなく、平然と言ってのけた。

 別に、そういうわけじゃ……ない、と思うんだけどなぁ。

 明は複雑な表情で少々うつむく。

 雅紀自身はこの話題に大して興味がないのか、すぐに話題を切り替えてきた。

「しっかし、ヘンテコな場所だよな~、ここ。どうもこのドリーム・ヴィジョンって場所は人の夢の中だから、毎回全く違う風景の場所に送られてくるらしいぜ」

「へぇー、そうなんだ」

 話題が変わったのをいいことに、明はあっさりと顔を上げる。

 雅紀は少し呆れた。

「そうなんだって、お前はそういう基本的なことを何も知らずにこの高校に入ったのかよ。っていうかお前、なんでこの学校入ったんだ?」

 それはそれで難しい質問だ。

「うーん、なんでって……なんとなく?」

 明は言いながら首を傾げた。

 実際、俺自身にこれといった、はっきりとした理由は存在しなかった。ただ、特定の誰かに未練がなく、俗世間に未練がなく、やりたいことも特にないし、必死こいて生きる理由もないし……なんとなく? あえて言うなら、俺を変えてくれる強烈な何かを探しに来たとも言えるが。でも中二病っぽくてバカにされそうだからそれは黙っていた。

「なんとなくって……」

 雅紀は呆れ顔でつぶやく。けれど批判したりもしなかった。

「じゃあ逆に聞くけど、雅紀はなんでこの高校に入ったんだよ」

 その質問には雅紀も、少し顔を曇らせた。聞かない方が良かっただろうかと一瞬思ったが、それは取り越し苦労というものであった。

「なんで……って、なんとなく?」

「やっぱり。だよな」

 二人は顔を見合わせる。

 ここで雅紀は急にテンションを上げた。

「だよなー! いや、お前なかなか見所のある奴だな。俺と同じ境地にはなかなか達する人間がいないんだけどなぁ」

 つまりは変人。もしくは心に何か病をお持ちか。

 まぁ、なんでもいいさ。せっかく自分と似たような人間に出会えたのだ。ここは素直に喜んでおこう。

 明は口元に少しだけ笑みを浮かべた。

 雅紀は意外そうにその横顔を盗み見ていた。

「あっ、そういえばさ」

「えっ、なんだ?」

 突然話しかけられた雅紀は少しびっくりしてしまう。

「伊森先輩はあのシープが本物だって言ってたけど、それっておかしくないか? だって今日は戦闘演習で、死者は出ないって話じゃなかったのか?」

「あぁ、それか。いや、本物ではあるけれど、たぶん死者は出ないぜ」

「どうして」

「今日いるこの場所自体は偽物の夢の空間で、ここに誕生石持ちたちが本物のシープを生きたまま捕獲して連れて来たんだってさ」

「へぇ、生きたまま」

「ただ初級とはいえ、それなりに命がけで捕獲して来たらしいぜ。殺したらダメだから、それなりに手加減をしなければならないわけだし。まぁそういうわけで、ここのは伊森先輩がある程度弱らせて連れて来たわけだから、倒すのは難しくない。死人ももちろん出ないだろうっていう、そういうわけだ」

「へぇー、そうだったのか」

 明はなるほど、とうなずいた。

 けれどそれから気がついて、少し驚いたように雅紀を見る。

「っていうかお前、よくそんなことを知ってるよな」

 雅紀は得意げに鼻を高くした。

「いやぁ、俺って情報通だからな」

 それにしてもすごいな。だってまだ入学してから一日しか経ってないんだぜ? どうやったのかは知らないが、凡人にはとても真似できない方法だろう。

 しかしそこで、そんな二人の楽しい無駄話は終了した。

 二人ともが足を止める。目の前には真っ白い柱が何本も建っていて、その向こうにはとぐろを巻く、黒くて大きな生き物がいる。

 頭や目がどこにあるのかもよくわからないが、こっちにはまだ気づいていないようだった。

「で、どうする?」

 明と雅紀は目を合わせた。

「どうするもこうするも、とりあえず撃つのみだろ。問うなら、二人で一緒に行くか、別れてバラバラの場所から狙うかだな」

 雅紀はベルトからピストルを取り出し、また指先でくるくると回していた。

 明はうなずく。

「なるほど。で、どっちの効率がいいと思う?」

「バラバラだな。場合によってはそっちの方が安全だ。ピンチになった場合、もう片方が敵の注意を引けるからな」

「なるほど、じゃあそれでいくか。俺が反対側まで回るよ」

 明は雅紀の意見に全面的に賛成し、急ぐでもなく歩き出した。

 意外と、恐怖心はまだ今のところないが、とぐろを巻いているシープを不気味だとは思う。

 明は歩きながら、ベルトからピストルを取り出した。

 レッドジャスパーのピストルだ。赤と橙の間のようなそれをきれいだとは思うが、おもちゃのようだとも思う。

 これ、本当に弾が出るんだろうか。

 指先でつるつるとした表面をなでた。

 確か、レッドジャスパーの意味は情熱と永遠の夢と、勇気と行動力を与える、だっけか。それはどれも、俺からはものすごく遠い言葉のように思えた。いや、他のどのピストルが俺の手元に来てもそう思ったのだろうけれど、でもなんでこれが俺を選んだのかわからない。

 石の意志、か……。

 明は円形の建物をぐるりと半周し、雅紀が今も立っている場所からちょうど一直線になる、反対の場所まで来ていた。

 まぁ、このとぐろが邪魔で向こう側は見えないけどな。

 雅紀と話をして、敵を攻撃する一発目は明が撃つことに決まっていた。

 つまりは、これを合図にしてみんなが戦いを始めるというわけだ。

 明は両手でレッドジャスパーのピストルを構え、黒いとぐろのだいたい中心辺りに狙いを定めた。

 真ん中を狙えば、ピストルなんか触ったこともない俺でも、当てることが出来るだろうと思ったからだ。

 明は敵を真っ直ぐに見据え、引き金に指をかける。

 一瞬の緊張感。

けれどそんなものはすぐにかき消え、ピストルを撃つ、というぞくっとする感覚が脳に走る。

 それと同時に、思い切り引き金を引く。

 カチャン。

「ん?」

 明は自分が今、両手で持っているピストルを見下ろした。首を傾げながら、もう一度引き金を引く。

 カチャン。

 乾いた音がするだけで、銃口からは何も出て来ない。

「………」

 明はピストルの銃口を覗き込み、何とも言えないような顔をした。

 え……いや、これ、どうするの?

 顔を上げ、異常事態を向こう側にいる雅紀に知らせようかと迷う。でもはたして、こんな敵前で叫んだりしても大丈夫なんだろうか。シープは今のところこっちに気づいた様子がないから、少なくとも耳は遠いのだろうが、しかし叫ぶのはさすがにまずくないだろうか。

 明はしばし難しい顔で黙って考える。けれどやがて結論は出た。こくん、と一つうなずく。

 うん、そうだな。静かに雅紀のところまで戻るのが得策だ。いくら今日が演習とはいえ、命の保障は絶対ではないだろう。

 そう思い、明は来た道を戻ろうと二、三歩動く。だが、

 チュドーンッ!

 けたたましい音とともに、黒いシープの体に何かが当たった。一瞬、赤い火花が散り、白い煙が上がって、その体から牛乳のような白い液体が流れる。

 えっ……あれ、まさか、雅紀の奴、撃ったのか……?

 考えるまでもなく、そうとしか思えなかった。銃弾の飛んできた方向から考えて、完全に敵の真横から撃ち込まれていた。こちらではなく、向こう側から。

 おい、作戦はどうしたんだよ。

 そうも思ったが、こっちにはトラブルが起こっていたので、ちょうどいいと言えばちょうどいい。

 もしかしてあまりにも攻撃が遅かったから、こっちのトラブルを察して撃ってくれたんだろうか。……いや、あいつに限ってそれはないな。たぶん、待つのにしびれを切らして撃っただけだろう。

 まだ知り合って一時間も経っていないが、明はもうすでに雅紀の性格をなんとなく把握してきていた。

 そうに違いない。

 明は確信し、またピストルを構える。

 雅紀が撃てたのだから、自分も撃てるはずだと思った。

戻りかけていたために、さっきより少し右にずれた場所から黒いシープを狙い撃つ。

 カチャン。

 しかし、当然のように弾は出なかった。

「これ、壊れてるのか……?」

 明はレッドジャスパーのピストルをひっくり返して見たりしながら、首を傾げるしかなかった。

 その一方で、すぐそこではすでに銃撃戦が開始されていた。銃弾の光はその石によって変わるようで、雅紀の光は赤く、刃物のように鋭い。シープの体を突き刺し、白い血液を流させている。

 上から降ってくる緑色の光は、おそらく裕一の弾丸だった。一発一発の間隔は長いが重量感があり、弾が放たれるたびにシープの体が大きくへこんでしまう。

 そしてもっと上から降ってくる青色の光は、おそらく長塚先輩のものだ。逆にこっちの光は一つ一つが弱くて軽いものだが、連射のスピードが早く、広範囲を攻撃している。

 あれ、でも目に見える光の銃弾の中には、細田のものがないような気がする。もしかして俺と似たようなトラブルにでも合っているんだろうか。っていうか本当にこれ、なんで出ないんだよ。

 明はそこら中に向って何度も引き金を引いてみるが、弾が出てくるような気配は一切なかった。

 明はしかめっ面をする。レッドジャスパーのピストルを、ちょっと憎らしげに見つめた。

 しかし、そんなときだった。雅紀の鋭い声が響いたのは。

「明、そっちに行ったぞ!」

 はっとして顔を上げる。

 その瞬間に思ったことは、あっシープってちゃんと顔があるんだ、ということだった。

 体が細いくせに、頭だけはぼってりと太くて、その顔はまるで人間のようだった。人間と同じような目と、鼻と、口がついている。

 唾液を滴り落としながら、化物がその大きな口を開いた。不気味に真っ赤な口を。

 そして聞こえるはずのない、声が聞こえた。

【フリ……人間の、フリ……】

 瞬間、ぞっとした。自分の心臓をギュッと握り締められたかのようだった。

 固まる。

 体が動かなくなる。

 走馬灯のように、あらゆる今までの思い出が脳を駆け巡った。

 明は唇を噛み締める。

 シープは大口を開けて明に向っていた。

 真っ赤な口がさっきまでよりも大きく見え、きれいに並んだ白くて鋭い歯がはっきりと見えた。

 明は目が離せないかのように、そこから動くこともなく立ちすくんで、シープの口の中を見ていた。

 きっとそのまま、誰も助けてくれなかったら俺は死んでいただろう。

 けれど助けは空から現れた。

 小さな体が、身の丈に合わないような大きな剣を手にして現れる。緑色に輝くエメラルドの剣を上から正確に、シープの頭に突き刺した。その瞬間、息を呑む暇さえない短い時間で、白い液体がシープの頭部から勢いよく吹き出し、その体は揺らいだ。崩れゆくシープから飛び降りた伊森先輩の体は、そのせいで白いペンキを頭からかぶったように真っ白になっている。目元をこすり、こすったその腕の臭いを嗅ぐと、くせぇ、とつぶやいた。

「大丈夫か、石村」

 はっとする。

 明はいつの間にかすぐそこにまで来ていた伊森先輩を目で捉えた。自分が床にへたり込んでいることにさえ、気づいてはいなかった。

「顔が青いぞ」

「あっ、いえ……」

 額の汗をぬぐいながら、明は何とか立ち上がった。

 足下がフラフラした。動いていないのに、揺れている。確かに、気分は悪かった。これが夢だとしたら、悪夢以外の何ものでもない。

「シープから声でも聞こえたか?」

「えっ?!」

 明は驚いて背の低い洋吾を見下ろす。

「シープってしゃべれるんですか?」

「いや、しゃべれないよ」

 洋吾はあっさりと否定する。

 その手の中にはもうエメラルドの剣はなく、手に付いたシープの血液を服にこすりつけていた。服もすでに白いため、意味はあまりないが。

 しゃべれないって……。でも今、声がどうのこうのって……。

 洋吾は自分のズボンの汚れを確かめながら、続きを話した。

「シープはしゃべれない。けれどたまに人の心の声を反射することがあるんだ。声が聞こえたとするならそれは、お前の声だよ」

 明はさっきよりずっと、胸が痛くなったような気がした。

 心臓のところに手をおく。

 ”フリ……人間の、フリ……”

 なるほど。自分の声……か。さすがに、なかなか的を射ている。

 明は目を伏せた。

「それより石村、お前ピストルを使おうとしてたけど撃てなかったみたいだな」

 伊森先輩は明るい声で言った。

「あぁ、はい……」

 洋吾が手を差し出すので、明はその手にレッドジャスパーのピストルを乗せた。顔を上げると、こっちに向ってゆっくりと雅紀が歩いて来ているのが見える。

 伊森先輩は打ち倒され、白い血液を流し続けているだけのシープに向って、片手でそのピストルを構えた。

 真面目な顔で一瞬先を見据えると、あっさりと引き金を引く。

 ボゥッと音を立て、炎の塊がピストルの銃口から現れると、シープの体に火をつけた。まるでその体に油でも塗ってあったかのように燃え広がり、その炎はシープの体を包み込む。ドロドロと肌を溶かしていく。

「………」

 明は絶句した。

 洋吾は一つ、大きくうなずいた。

「うん、いい武器だな。炎系統のピストルは何回か見たことがあるけど、その中でも火力が強い方だ」

「えっ、いや、なんで……」

 もう、どう、今のこの気持ちを言い表せばいいのかわからない。とにかくついさっきまでは確かに弾は出なかったのだ。引き金を引いたのに間違いなく、弾は出なかった。

 洋吾は明の手の中にそのピストルを返した。

 それと同時に、明の瞳の中を覗き込む。

「石村。慌てなくても、ピストルを使えない人間はたまにいる。理由は人によって多少異なるけれど、一番は心の問題だ。次回、正義のヒーローにでもなったような気持ちで撃ってみろよ。愛と正義のためにでも」

「えっ、えぇ?」

 明はわけがわからず、洋吾の言葉に戸惑った。

 その様子を見ると洋吾は少しだけ、寂しげに笑った。それから改めて言葉を付け加える。

「もしそれが無理だって言うのなら、嫌いだとか、殺したいだとかって思って撃ってみろ」

「えっ……」

 明は洋吾の顔を見た。

 伊森先輩の瞳がどこか悲しげに揺らいでいた。

「何でもいいから強い気持ちがあれば、たぶん撃つことはできるだろうから」

 そう言った直後に、洋吾は明に背中を向ける。

「さて、細田の奴も撃ってなかったな。ちょっと見てくるよ」

 伊森先輩は、軽い足取りで跳ねるように去っていく。

 明はその後ろ姿を見送って軽く、頭の後ろをかいた。

 何とも、言い難い気持ちだ。見透かされただろうか。……いや、まだ会ったばかりの俺のことを、伊森先輩がそこまで深く知っているはずがない。だから、たぶんそういうわけじゃない。

 つまりはきっと、ここにいる人間はそういう奴らばかりなのだ。

 人間のフリをしている人間。

 愛だとか、正義だとか、バカらしくて笑うことさえできないような。その逆の言葉の方がピンときてしまうような人間。そんな人間ばっかりなんだ。

 もしくは、あの人もそうなのか。

 明はもう見えなくなってしまった、小さな背中を思い出していた。

 入れ替わるように、雅紀が目の前まで歩いてやってくる。目が合った。

 明は嘆息しながらつぶやく。

「なぁ、雅紀。お前さ、何を考えて撃ってた?」

「うん? 何って……エロいこと?」

「………」

 それでもありなんだろうか。釈然とはしないけれど個人差か?

 遠くで、ピストルの発砲する音が響いた。上でも、俺に対してやっていたレクチャーが行われているのだろう。

 細田と俺が同じぐらいのできの悪さだと知って、少しだけショックだった。

 勝手な話だけれど。

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