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四月七日。
入学式も無事に終わり、今日からは普通の授業が始まる。けれどそれよりもまず先に、この学校特有のイベントが一つだけあった。
明は教室でもらった番号とアルファベットが書かれた紙を片手に、体育館にやって来た。
もちろん体育の授業をするために来たわけじゃない。しかし授業の一環であることは確かだった。
明は広い体育館を見渡す。体育館には明以外にもたくさんの生徒がいた。
この学校は制服に違いがあるわけでも、学年章を付けているわけでもない。だから一目で学年を判別することはできないが、少なくともここにいるほとんどの生徒は一年生であるはずだった。入学のしおりにははっきりと、現在の生徒数は一年生が二百十三人、二年生が七十六人、三年生が三十一人なのだと書かれていた。とりあえず、四月現在では。
まぁそんなことは今、どうでもいいことだけれど。
明は紙を片手に体育館内を歩き、壁に貼られた目当ての番号とアルファベットを見つけた。
”5ーA”
そう書かれた紙のそばにはすでに一人、立っている人物がいた。
明はそれを見つめて立ち止まる。
体育館内のむしむしとした空気の中に、開けられた窓から吹く涼しい風が通り過ぎる。
壁に寄りかかっている少年の黒髪と、その少年が読んでいる本のページがヒラリと揺れた。まるでそれによって気配を感じたかのように、少年はゆっくりと顔を上げ、明の姿を捉える。
俺はなぜだかドキッとした。
目の前には中学を卒業して以来、実に一月ぶりに顔を見る裕一が立っていた。
変な緊張感で口の中が乾く。
それでも明は裕一に近づきながら口を開いた。
「……良かった。知ってる奴が一人でもいて」
内心、戸惑ってもいるけれど、久々に会ったのだからそれも仕方のない話だろう。やっぱり妙な緊張感はある。それでも本心から、会えて良かったと思えた。
明の足は体育館に靴音を響かせながら歩いた。裕一の隣に来ると並んで壁に寄りかかる。
「そうだな」
裕一もどこかほっとしたような笑みを浮かべていた。
それがなんだか少しだけ嬉しかった。
俺と裕一は立っているのも疲れるので、壁に寄りかかったまま床に座り込んだ。
明は自分の持っている紙に目を落とす。
今さらながら不思議に思った。
「なぁ裕一、ところでこの数字とアルファベットって何なんだ?」
ここで裕一の笑顔が少し、引きつった。
「明、先生の話を聞いてなかったのか? ホームルームのときに話していただろう?」
ホームルーム……寝ていたような気がする。
裕一はため息を吐いた。
「アルファベットはともかく、5っていうのは五月の誕生石、エメラルドのこと指しているんだよ」
「誕生石?」
裕一はうなずいた。
「そう。シープと戦うのにパワーストーンを使うは知っているだろ? その中でも他を圧倒するほど強力な武器になるのが誕生石と呼ばれる十二個の石だ。一月ガーネット、二月アメジスト、三月アクアマリン、四月ダイヤモンド、五月エメラルド、六月パール、七月ルビー、八月ペリドット、九月サファイア、十月オパール、十一月トパーズ、十二月トルコ石」
明はほう、と感心して息をついた。
「すごいな……。よく覚えてるな」
「そう? ちなみにこの誕生石っていうのは自分の誕生月のものしか持てないから、僕ならエメラルドだし、明ならガーネットになる。もっともその石に認められなければ持つことはできないけれどね」
へぇー、よく俺の誕生日も覚えてるなぁ。自分でも忘れそうなのに。それに俺の場合、捨て子だからその誕生日が正しいかどうかは定かではない。
「とにかくこの石を持っている人たちはリーダーになって、だいたいA~G、七つぐらいの班を受け持つんだ。つまり、僕たちのチームのリーダーはエメラルドの石を持っているんだよ」
「ふーん、なるほどなぁ」
軽く、相づちを打つ。
それから明は前を見た。こっちに向かって歩いて来ている人物が見えたからだ。
「ようー、お前ら五月のA班?」
やたらと口調の軽い少年だった。制服を着崩し、腕に三つもキラリと光る赤い腕輪を付けた、派手で目立つ少年だ。俺や裕一もこの学校では浮いている方だと思うが、それ以上に浮いているように思えた。
けれどペラペラと振っている紙にははっきりと、5ーAと書かれている。
明と裕一は立ち上がった。
「一年二組の藤藤裕一だ。よろしく」
「俺は同じ一年の一組で、石村明。どうも」
俺も裕一もそれぞれに手を出して、少年はニコニコと笑いながらその両方の手を握った。
「へぇー、よろしく。俺は橋島雅紀、一年の三組なんだ」
雅紀は俺や裕一の手を握ったまま、何度も手を縦に振った。なんだか気のいい奴みたいだが、この学校でこんな明るい奴に出会うとは思ってもいなかった。
と、そこで明は雅紀の後方に目を向ける。そこに一人の少女がいたからだ。
俺たちの方を見て、自分の持っている紙に目を落として、けれどこっちには来ずにおろおろとその近辺を歩き回っている。
ショートカットで、右の方だけを小さくくくっている彼女に、俺は見覚えがあった。というか、同じクラスで隣の席になった女子だった。
「おーい、細田ー。そこで何やってるんだー?」
声をかけると細田はビクッと大きく体を揺らした。びっくりしたような表情でこっちを見る。そんなに予想外のことをしただろうか。
細田は困ったようにおろおろしながらも、緊張したような足取りでこっちに近づいて来た。そして俺たちの目の前にまで来ると、自分の持っている紙を俺たちに開いて見せる。
「あの……私も………」
小さな声で細田はつぶやいた。
まぁ、そうだろうと思って声をかけたのだから今さら驚いたりはしない。
「へぇー、名前は何て言うんだ?」
雅紀が明るく声をかける。
「一年、一組の……細田千乃……です」
細田はやっぱり小さな声で、うつむきがちにつぶやいた。
「よろしくな、細田」
俺はなるべく優しい声で言った。俺は雅紀や裕一のように笑顔が常時装備ではないので、二人ほど誰かに優しくしたりすることが得意ではないのだが、これから同じチームでやっていくのだからできるだけ仲良くしたいとは思う。
しかしそう思った直後に、とげとげしい声が後ろから響いた。
「フン、どいつもこいつも場違いなほどアホっぽい奴らばっかりだな」
そんなことを言いながら近づいて来たのは、目つきの悪い男子だった。
「二年の長塚宗広だ。今年の一年は明るい奴が多いようだけど、その顔がいつ苦痛に歪んでいくのか見ものだな」
そう言って長塚先輩は意地悪くクックッと笑った。
隣を見ると細田が青ざめている。
俺はけれど、それを聞いても何とも思わなかった。怯える細田を不思議に思うほど、怖いだとか、悲しいだとか、そういうことを思わない。
軽く後ろを振り返ると、裕一や雅紀も別に普通の顔をしていた。俺と同じようにその言葉に全くびびってはいないようだ。偶然にも、けっこう似た者同士がこのチームには集まってしまったのかもしれない。
しかしどうせ偶然なら、昨日のあのオレンジ髪の女の子と……。
そこまで考えて明は、あっ、と思った。
「そうだ裕一、お前オレンジ色の髪の女の子を知らないか?」
「は?」
裕一がちょっと驚いたように目を丸くする。
けれど裕一が次の言葉を発するよりも早く、明の背後から嫌な声が聞こえてきた。
「オレンジ髪だぁ? それってもしかして加神夕霧のことか?」
明はすぐに宗広を振り向く。
宗広はバカにするように薄い笑みを浮かべてその少女のことを語った。
「あの恐ろしい女のことだろ? 他人をゴミのように切り捨てる、サイテー女の!」
明は何も言わなかった。
ろくに知らない他人について、反論できるはずもない。
わかってる。でも、この腹の底から湧き上がるような、怒りみたいな感情は何だろう。たった一度会っただけで、ちゃんと会話をしたわけでもない相手に対して思うこととしては、おかしいものなのかもしれない。それでも……。
明は鋭く宗広をにらみつけた。本人も自覚していないほどの嫌悪感を込めて。
それは人を殺す、殺気をはらんだ視線だった。
宗広はぞっとして、思わず一歩後ろに下がる。けれどそこで、後ろに立っていた人物にぶつかった。
「痛っ」
「あっ、悪い……ってなんだ、伊森先輩か」
宗広は謝りかけてから、ほっとしたようにそう言った。
「なんだとは何だよ。謝れよ」
「いや、マジですみませんでした。遅かったですね、また道に迷ってたんですか?」
宗広は後輩たちに接するときとはがらりと態度を変え、苦笑しながらも礼儀正しく尋ねた。
「身長が縮むと景色が変わってよくわからなくなるんだよ」
「いや、それ絶対関係ないですよ。伊森先輩はその呪いにかかる前からよく迷子になってましたから」
明はさっきまでの感情を忘れ、首を伸ばして宗広の体に隠れて見えないその人物を見た。
そして、その姿が見えると目を見開いた。
身長が、明らかに低い。どう見ても小学校の高学年ぐらいの少年が、俺たちと同じ制服を着てそこに立っていた。身長が低いだけならまだ、成長が遅いだけだと思ったかもしれない。けれど顔が幼く、体付きが細く筋肉がない。まるでそこにそのまま、小学生の男の子がいるみたいだった。
そしてその少年の髪と瞳は、鮮やかな深い緑色をしていた。
「おっ、その子たちが新しいA班か。みんな、よろしくー」
少年は宗広の後ろからひょっこりと顔を出して、明るい声で一年生に声をかける。
細田だけでなく、裕一や雅紀もその姿にはぎょっとしていた。目を丸くして、突然現れたその人物を凝視する。
ただ、当の本人も自分の容姿が普通とは変わっていることをよくわかっているようだった。
「いやー、悪いなぁ。俺はエメラルドの今の所有者なんだけど、呪いのせいでこの姿なんだよ」
少年は照れたような顔で頭をかく。この人もけっこう、明るい人のようだ。
「あっ、呪いってわかるか? 誕生石を持ってる人間は全員、強大な力を得る代わりにその石から呪いを受けるんだよ。その呪いは人によって異なるんだけど、俺は見ての通りどんどん若返っていく呪いなんだ。力を使えば、使うほどにな」
少年は笑いながらそう告げた。それは全く、大したことではないかのように。
「さて、五人全員揃ってるな。俺はこの班も含めた、五月のA~Gの全ての班のリーダーに当たる、三年生の伊森洋吾だ。今日はこのA班だけを受け持つように言われているから、とりあえず一緒に移動しようか。この後は第五遊夢室で戦闘演習をすることになってるんだ。本番じゃないからたぶん命を落とすことはないと思うけど、演習をするのはこの一回切りだから気は引き締めておけよ」
伊森先輩はちっちゃいながらもみんなを見回し、先輩らしく語った。
他のグループのリーダーがどういう人なのかはわからないが、俺は少なくともいい人に当たったのだと思う。いい人……そうだ。
洋吾はみんなを誘導するために先頭に立って歩き出し、明たちはそれに続いた。
伊森先輩の話ではその第五遊夢室という部屋は、北棟の一階にあるそうだった。
この学校は中庭を中心として東西南北にそれぞれ校舎がある。南棟には全てのクラスの教室があり、東棟には理科室や図書室などの特別教室があり、そして北棟の一階と二階には計十二室の遊夢室があり、そこから夢の世界に行くのだという。第五遊夢室へと向いながら、伊森先輩がそう教えてくれた。ちなみに西棟という場所もあるが、西棟は基本的に生徒の立ち入りが禁止されているため、その内情は誰も知らないそうだ。
そんな話が一通り終わった後で、俺は伊森先輩の隣に並んだ。背の低い伊森先輩に合わせて少し屈みながら、さっきから頭の中でぐるぐる回っていることを小声で尋ねてみた。
「あの、伊森先輩。伊森先輩は加神夕霧っていう女の子を知ってますか?」
エメラルドの誕生石を持っている伊森先輩なら、彼女のことを長塚先輩よりもよく知っているかもしれないと思った。だって、彼女の髪もきれいな……。
「加神って……あぁ、もしかしてトパーズの誕生石の女の子か?」
伊森先輩はつぶやいた。
明は小さく息を漏らす。
「トパーズ……」
「オレンジ色の髪の長い女の子だろ? 十一月の誕生石、トパーズの持ち主だよ」
やっぱり、誕生石持ちだったんだ……。
明は続けて尋ねた。
「伊森先輩はその、加神夕霧っていう女の子について何か知っていますか?」
自分たちの後ろでは裕一と雅紀と長塚先輩が何かを話していて、細田もそれを見守っている。こっちには誰も注意を払っていなかった。だからこそ丁度いいと思った。
また長塚先輩に何かを言われるのは嫌だからな。
けれど洋吾は少し、難しそうな表情を浮かべていた。
「うーん、でも俺は実際に会って話したことがあるわけじゃないから、性格とかはよく知らないなぁ。ただ噂話程度の知識ならあるけど、聞く?」
俺の頭にはさっきの、長塚先輩の言葉がよぎった。けれどすぐに大きくうなずいた。
「聞きます。聞かせて下さい」
伊森先輩も軽くうなずく。
「じゃあ話すけど、加神って今の校長先生の実の娘らしい」
「え?!」
明は思わず声が漏れた。が、すぐに口を閉じた。
洋吾も特に気にせず、話を続ける。
「あの女の子、わりときれいなオレンジ色の髪をしていただろ? 俺たちの髪の色は誕生石の力を使えば使うほど濃くなっていく。それによって呪いも進んでいくんだけど、それはともかくとして彼女、今年入ったばかりの一年生なのに髪の色がもう変わっているっていうのはおかしい話だと思わないか?」
俺は彼女が同じ一年生であることすら、たった今知ったのですぐにはうなずけなかったが、それが本当だとしたら確かにおかしな話だ。
「彼女、まだ中学生だった去年からこの学校に来ているんだよ」
何のために……いや、髪の色が変わっているのだとしたら、そんな理由は一つしかない。
「どういう経緯があってそんなことになったのかまでは知らないけど、彼女は去年からここで戦っているらしい。実際に夢の中で会ったことがあるわけじゃないから確かなことは言えないけどな。……あっ、行ってみればわかるんだけど、夢の中に入るとちょうど同じ時間に入っていた他のチームに出くわすことがごくたまにあるんだよ」
「はぁ……」
明は気のない返事をした。
思った。俺が平々凡々と暮らしていたこの一年間、あの子が戦い続けていた日々を。もしかしたらそれは、彼女の本意ではなかったかもしれないのに。それなのにそんな戦いを乗り越えて、今あんな強い瞳をして生きているのだとしたら……切なく、思った。あんな強そうな女の子に対して。
「ただ……」
洋吾がつぶやいたので、明は洋吾に目を戻す。
「彼女について俺はあまり知らないけれどただ、彼女の悪い噂が流れているのは知ってるよ。まぁ噂は噂でも、結果はどうしようもない事実なんだけどな」
伊森先輩はそう前置きしてから告げた。
「彼女のチーム、高確率で彼女以外の人間が死んでしまうそうなんだ」
明はそれを聞いて、驚かなかった。驚かなかったし、どうでもいいとさえ思えた。
彼女が無事ならそれで。他はまぁ、どうでもいい。
「どういう戦い方をしているかは知らないけど、まぁ色々良くない噂がたつのも仕方のないことだとは思うよ」
伊森先輩は話をそう締めくくった。
「ありがとうございます。教えてくれて」
伊森先輩はニコッと笑った。いい人だ。
それから伊森先輩は立ち止まり、後ろからついて来ている全員に聞こえるような大きな声で言った。
「さぁ着いたぞ、ここが第五遊夢室だ。とりあえずみんな中に入ってくれ」
第五遊夢室の扉は赤い上等な布生地が張られた、両開きの扉だった。立派なその扉の前では、さすがの俺もゴクリと唾を飲み込む。
たぶん俺だけじゃなくて、細田はもちろんのこと、裕一や雅紀だって、微塵も恐怖心がないと言ったら嘘だと思う。いくら覚悟して、死ぬつもりでこの学校に入ったとしても、いざ目の前にやってきた死は恐ろしいものだ。
今日はまだ、予行練習に過ぎないとしても。
「ちょっと不気味かもしれないが、ここが遊夢室という部屋なんだ。遠慮せずに入って来てくれ」
伊森先輩の声に導かれるようにして、俺たちはその部屋の中に足を踏み入れる。中は辺りが何も見えないほどに真っ暗だった。
しかし、伊森先輩が電気のスイッチを入れるカチリという音が聞こえたと思った瞬間、その部屋の全容が目に飛び込んで来た。
「!」
明るくなった部屋の中はまるで何か、化け物の胃袋のような印象を受ける、そんな気味の悪い場所だった。壁も床も天井も、全てが赤い色で塗り固められている。しかもどう見てもそれは普通の壁や床ではなかった。小刻みに、まるで呼吸するようにゆっくりと上下に動いているのだ。
最近の科学技術を使えばまるで生き物のようなこんな部屋、作ることはそう難しくないのだろうが、これを作った人間はどう考えても悪趣味だ……。
明は壁に恐る恐る手を伸ばし、その肌触りがなめらかで生温かいことがわかると、すぐに手を離らかせた。
明は顔を引きつらせ、その様子を見ていた洋吾は苦笑する。
「まぁ俺も初めて見たときはびびったけれど、心配しなくてもこれはこういう風に作ってあるだけだから何も危険じゃない。初めは慣れなくても、そのうち何とも思わなくなるさ」
そうだとしても、慣れるまでには少し時間がかかりそうだと思った。
改めて部屋の全体を見ると、とても広いところなのだとわかる。前後はそれほどでもないが、横にはけっこう長く伸びている、横長な部屋だった。入ってきた扉のある壁には数えきれないほどのホックが取り付けられており、その半分ほどに輝くようなきれいな色のピストルがかけられていた。そしてそれにしばらく見蕩れてから正面を振り向くと、そこにはたくさんの両開きの扉が並んでいる。全部で十枚のその扉は、遊夢室の入り口の扉と同じように豪華な布が張られていた。ただ扉を分けるためなのか、全て違う色の布が使われていたりする。この部屋には窓が一枚もなく、それがあるべき場所にはホックや扉が並んでいるので、明かりがついていても中は薄暗い。
その扉たちのはっきりとした用途はまだわかっていなかったが、明は何となくなら予想がついていた。それを考え、少し緊張した面持ちになるが、部屋の端にいる洋吾に呼ばれて明はそこから離れた。
そして部屋の端では洋吾がダンボール箱に蓋をしていたガムテープを剥がし、その箱を大きく開いていた。
ビリビリビリビリ。
「えーっと……石村明」
「えっ、あっ、はい?」
洋吾のそばまで来た明は目を丸くする。
改めて名前を呼ばれたことに驚いていると、伊森先輩に白い布に包まれた何かを手渡された。
? あっ、ちゃんと布に名前が書いてあるんだ。
その布には一年一組出席番号二番、石村明と書かれたシールが貼られている。
「布を開けて見てみてくれ。入学式の前に適性検査をしただろ? それによって決められた武器が先生の方から届いたんだよ」
明は白い布を開いてみた。すると中から現れたのはオレンジ色と赤色の中間のような、錆びた鉄のような色をしたピストルだった。きれいで、触ってみると表面がつるつるとしている。
「すげぇ……」
明はつぶやいた。
不思議なほどに、そのピストルが一目で気に入った。まるで初めから自分の物であったかのように、ぴったりと手に馴染む。
そして壁にかけられていたたくさんのピストルも、一つ一つが誰かの専用の武器なのだとわかった。
伊森先輩はクスッと小さく笑う。
「それはパワーストーン、レッドジャスパーのピストルだよ。情熱や、永遠の夢っていう意味があって、勇気と行動力を与えてくれるんだ」
それからちらりと裕一の方を振り返る。
「藤藤が持っているのはブラッドストーン。勇気や献身という意味があり、優しさと包容力を与えてくれる」
裕一が持っているピストルは、深緑色に赤いまだら模様が入ったような色をしていた。
それから伊森先輩は雅紀を指差す。
「橋島が持っているのはレッドタイガーアイ。洞察力や判断力を養い、運命の破壊と創造というような意味を持っている」
なんだ、そのかっこいい意味は。
雅紀は赤というより黒に近い色合いのピストルを構えて見せた。よく見ると赤いラインが入っていたりする。
雅紀はニヤニヤと笑う。まるでピストルのおもちゃをもらった小学生みたいだった。
そして伊森先輩は最後に、細田の持っているピストルを指差した。
「細田のはミルキークォーツ。愛を呼ぶ石とか、幸福の石とか言われていて、自分の存在価値を知るように導いてくれるんだ」
細田はまじまじと自分の手の中にある、透明だけど白いもやがかかったような色のミルキークォーツのピストルを見つめていた。
「へぇー、面白いんだな。それぞれにちゃんと意味があるんだ。ちなみに、長塚先輩は何なんすか?」
雅紀はみんなのピストルを見終わると、不機嫌そうな顔をして立っている長塚先輩に声をかけた。けっこう怖いもの知らずな奴だ。
長塚先輩は少しだけ眉間にしわを寄せたが、それでも腰のベルトに指していたピストルを見せてくれた。それは深い藍色のピストルだった。
「ソーダライト。学力、理解力、判断力の向上、理想的な行動力に導いてくれる石だ」
長塚先輩はそうとだけ言うと、すぐにピストルを腰のベルトに片付ける。
当然だが手馴れている。
明は宗広のピストルさばきに少々見蕩れていた。
「おーい、みんなこのベルトを付けろよー。ベルトのこの場所にピストルを差しておけるからなー」
洋吾はダンボールの底から専用の茶色いベルトを取り出し、みんなに配っていた。
明もそれを受け取る。
それからふと思って、ダンボール箱の前でしゃがんでいる伊森先輩に聞いた。
「そういえば伊森先輩、先輩の武器はエメラルドなんですよね? 俺たちと同じようなピストルなんですか?」
「いやいや、違うよ。普通のパワーストーンは全部ピストルなんだけど、俺の武器はこれだ」
伊森先輩は軽く笑って、俺に向って右手の甲を見せた。その手の人差し指には美しく輝く緑色の宝石、エメラルドの指輪が輝いている。
そして伊森先輩が軽くその右手を振ると指輪は消え、代わりにその手の中に鮮やかなエメラルド色の剣が現れた。剣の先から握り締めている柄まで緑一色のその剣は、目が離せなくなるほどの眩い光を放っていた。
思わず息をつく。
「きれいだろ。誕生石は他のパワーストーンと違って全部剣なんだ。力も他のパワーストーンよりずっと強いけれど、その分呪いもあるし、それに死ぬまでこいつは離れないから色々と厄介なんだよ」
伊森先輩が軽く手を振ると、また剣は指輪へと戻った。
「他のみんなの武器はこれから、あそこにかけておけばいいからな。誕生石の指輪は一度はめたら一生離れることがないけれど、他のパワーストーンはこの部屋に置いておくことができるんだ」
伊森先輩はやはり、たくさんのホックがある壁を指差した。そして空になったダンボール箱を片しながら、エメラルドのことも話してくれた。
「エメラルドには富、癒し、真実という意味があり、心を豊かにしてくれるんだ」
その顔はどこか、少しだけ誇らしげだった。
「富……ですか。じゃあ僕とは正反対ですね」
俺は後ろを振り返る。
裕一が、いつもと同じように優しい笑みを浮かべながら、それでも少しうつむきがちにつぶやいていた。
裕一がそういうことを言う、その気持ちは少しだけなら理解できた。あのエメラルドの剣の輝きは、人を惹きつける何か異常な力がある。呪いなんていうとんでもないものを内包しながらも、手に入れたいと思わせる何かが誕生石にはある。心がどうこうというよりも、むしろ本能に呼びかけられているような感覚だ。
伊森先輩はあごの下に手を置き、うーん、と何かを考えていた。
「……でも、うちだって別に金持ちっていうわけじゃなかったし、結局はその石の好みなんだと思うよ。ギャグじゃないけど石には意志があり、持ち主を選ぶ。その石によって好みも全く違うし、一月のガーネットなんかこの学校ができてからもう五十年経つけど、今まで一人も選んだことがないんだ」
「えっ、マジで?」
そう言ったのは明だった。驚きのあまり敬語も忘れる。
確か裕一は自分の誕生月の誕生石しか持つことができないと言っていた。もちろん捨て子である俺の本当の誕生日が一月とは限らないが、それでも一月の誕生石であるガーネットはどうやら入手困難のようだった。
別に……いいんだけどさ。呪いをもらっても困るわけだし……。
「でも、それに比べたらエメラルドは浮気性だ。今までほとんど絶え間なく持ち主を選んでいるからな。だからもし俺が死んだら、次の持ち主はお前という可能性もある」
つぶやいた伊森先輩のその瞳には、憂いのようなものが混じっていた。なんとなく、その小さな体の中に色々な葛藤や苦しみが渦巻いているように思えた。まぁそうでなければ言えるわけがないか、そんな言葉。死を覚悟していなければ。
めずらしく裕一も真剣な顔をしていた。今の言葉をどう受け止めたのかまではわからないけれど、何かを考えているようだった。
伊森先輩はここで大きく手を叩いた。
パン!
「さぁ、関係ない話はもうこれぐらいにして、軽く説明しておこうか。俺たちの敵であるシープと戦う手順についてな」
洋吾がそう言うと、そこにいる全員の顔が引き締まった。洋吾はその一人一人の顔を見回し、自分たちのちょうど真横にあるたくさん並んだ扉の内の一つを指差す。
「この扉から、ドリーム・ヴィジョンと呼ばれる夢の世界に入るんだ。この扉は全部で十枚あるけれど、それぞれに違う夢の世界へとつながっている。シープは一つの人の夢に根を張ると、そこに他のたくさんの人の魂を呼び込むんだ。その魂を食べることによってシープは命をつないでいる。そして食べられてしまったその魂は現実の世界でも死んでしまう」
ここは、その人たちを救うための学校。
伊森先輩はそうは言わなかったけれど、そういうことだった。見ず知らずの赤の他人を助けるために、俺たちは命を張らなければならないのだ。
明は胸の内で苦笑した。
その間も洋吾の話は続いている。
「あと、みんなに渡したピストルがあるけれど、それはあくまでも俺の援護をするための武器だ。元来、ピストルだけではシープを倒すことができないと言われている。だからドリーム・ヴィジョンに入ってからは無理をしないようにしてくれ。いくら死者が多く出てしまう戦いだとしても、人の命は大切だからな」
伊森先輩はそう言って笑みを浮かべた。
明はそれに思わず目を丸くしてしまう。
そんな当たり前のような言葉に、驚いてしまった。当たり前な言葉だからこそ、この学校でそれを聞くとは思っていなかった。
伊森先輩は本当にいい人だ。……というか、いい人すぎる。
明は少しだけ、伊森先輩の言葉は一体どこからどこまでが本音なのだろうと考えた。しかし考えたところで、そんなことはわかるはずもなかった。
伊森先輩にしかわかるはずがない。
一方でその洋吾は、この部屋の壁や床の色とよく似た、赤い布の張られた扉に手を置いていた。その扉を軽く指先でなぞり、明たちを振り返る。
「さて、みんな準備はいいか? 入ったら最後、制限時間である一時間が経つまで出ることは絶対に不可能だからな。たとえ、死んだとしてもだ」
伊森先輩の瞳が緑色に光る。
隣の細田が怯えたような表情でゴクリと唾を飲み込む様子が見えた。
けれど、意外というのか当然というのか、それ以外の人間にそんな緊張した様子は見られなかった。
俺も裕一も雅紀も長塚先輩も、挑むような顔をしていた。恐怖ではなく、絶望でもなく。
伊森先輩は一つうなずいてから、大きく扉を押して開いた。
「じゃあ、行こうか。夢の世界、ドリーム・ヴィジョンへ」
扉の向こうは虹色の光に満ちていた。それはあらゆる宝石の色を混ぜ合わせたみたいな色で、キラキラと輝いている。
純粋にきれいだな、と思った。
けれどそんな思考もすぐにかき消えた。