☆9月1日★ その2
昨日と同じように、僕達は4人で帰路に着いた。
由香里の気持ちもやや落ち着きを見せ、4人で歩いている時にはすっかりいつもの雰囲気だった。
だけど、僕は自分の中に微かなぎこちなさを感じていた。
無理をしている、と言う言い方をしてしまうのは癪だけど、もうすぐ離れ離れになるかもしれない恐怖を押し殺し、この場を皆で楽しく過ごそうと、空気を明るく保つ事に専念していた。それが、少しだけ僕の心を軋ませている。
由香里も、今は楽しそうに里美と笑っている。
だけど、その胸の内を見透かすことは出来ない。彼女もまた僕と同じように、そう言う思いを抱いているのだろうか?
雅人との会話を続けながら、頭の隅ではそんな暗い考えを巡らせていた。
「あれ?」
その時不意に、里美が声を出した。
里美の顔の先には昨日の公園があり、更にその目線を追いかけていくと、砂場に二つの人影を見つけた。
「ん? 良平と公平だな」
里美の疑問を雅人が拾う。
「何やってるんだ、あいつら?」
「ちょっと行ってみようか?」
里美の声を合図に、僕達は昨日と同じように公園に立ち寄る事にした。
砂場まで近寄り、雅人が二人に声を掛ける。少しぽっちゃりとした恵比須顔が二つ、こちらへ振り向いた。
古鷺良平と公平の兄弟とは、低学年の頃に同じクラスになった事がある。恰幅のいい体格に、どこか惚けた、おっとりとした物言いが特徴の双子だ。僕は公平と、雅人は良平とクラスが一緒だった。
「ああ、大塚君達。それと、橘さん達」
ゆっくりとした物言いで、公平が僕達の名を呼ぶ。
雅人が砂場に入って行き、縁に腰を掛けながら彼らの手元を見つめて言った。
「お? 何だ、泥団子作ってたのか?」
「うん、僕達、小さい頃からよくここで遊んでたんだ」
「だから、久しぶりに泥団子でも作ってみるかって話になってさ」
「でも、昨日雨だったから」
「そうそう、固まるんだけど、綺麗にならないんだよね~」
古鷺兄弟は、そうやって楽しそうに言葉を紡ぐ。
彼らの趣味はお菓子作りで、2年生の時に二人が作ってきた大福餅があまりに好評で、その年のバレンタインには、女の子がお菓子のお返しを貰う為にみんなでチョコを渡していた程だ。
物々交換なんて生易しいものではない。
ホワイトデーには、その女子達のチョコレートを練り込んだクッキーをクラス中にふるまったりしていた。
古鷺錬金術士、なんてあだ名が一部で流行ったとか流行らなかったとか。
「僕達のお菓子作りの原点はここだからねぇ」
「そうそう、一杯作ったんだよね」
彼らの手元を覗き込むと、綺麗なまん丸の泥団子がいくつも出来ている。ぷっくりとした手から、どうやってこの丸みが出る物なのか、不思議だ。
「もうすぐ、あの日だからさ」
「色々、懐かしい気持ちになっちゃうんだよね」
二人が哀しげにそんな事を呟いた時、僕達の空気も一瞬凍りついた。
まるで、割れないようにそっと持っていた薄い氷に、そっとひびが入ったみたいに……。
「僕達って、動きだけじゃなくて、考えるのも割とのんびりでさ」
「そうそう、だから、色々とね、早めに考えないと、いけなくてさ」
「そんなの、どれだけ考えたって、答えなんて出ないわよ」
二人の言葉に、里美が強い口調で答える。
僕も、同じ意見だった。
思わず雅人の顔を振り返った。
目線がかち合う。
雅人も、僕と同じ思いを抱いていたみたいだ。僕の方を見て、恥ずかしそうに笑った。きっと僕も、同じような顔をしているだろう。
「うん、どうしようも無いって、分かってるんだけどね」
「どうしても、その事ばかり考えちゃうんだよね」
辺りの空気が、急速に重力を増していく。
僕は、自分の心がジリジリとした感覚に襲われるのを感じていた。
遠くの島は見えるのに、纏わりつく水が邪魔をして、必死に沈まないようにする事しか出来ないような、抗えぬ真綿の絶望感。
「怖いよね……」
後ろから声がした。
振り返ると、由香里が唇を震わせていた。
「どうしたらいいのか、全然分からないよね。私も、そのことばっかり考えてるのに、全然、全然どうしたらいいのか分からなくて、怖くて怖くて、堪らないの……」
二人に向けられていた言葉は、いつしか彼女の胸の内の言葉となっていた。
由香里の瞳から、再び涙が生まれ出る。
良平と公平は、由香里の涙を見て、顔を伏せて押し黙ってしまった。きっと、女の子を泣かせる気なんて欠片も無かったのに、結果的にこうなってしまった罪悪感の所為だろう。
里美がそんな由香里を抱きしめる。
大丈夫だよ、と優しい声を掛けながら、里美は由香里の頭をそっと撫でていた。
不意に、肩に重みを感じた。
振り向くと、気がつけば後ろに回っていた雅人が、僕の肩に手を置き、微笑みをくれた。
僕はその笑顔に、軽く頷きを返す事しか出来なかった。
本当は僕も、泣きだしたくて仕方無かった。
叫び出したくて仕方無かった。
だけど、雅人も同じように耐えているのだと思ったし、由香里達の前で泣くのは格好悪いと思ったからだ。
気がつけば、影が伸びていた。
今日も太陽はオレンジを食べ始めたようで、辺りはゆっくりと夕陽の色に染まって行った。
公園を出て暫くすると、由香里が僕に対してごめんねと謝ってきた。
「なんだか、心配かけちゃったよね。駄目だな、もっと強くならないと……」
そう一人言のように呟く由香里からは、少しだけ諦めの空気が感じられた。
僕はそんな由香里に対して、気の利いた言葉を掛ける事が出来ないでいた。
雅人は少し前の方で、里美と何か真面目そうに話している。
きっと雅人だったら、由香里に対しても、この空気を変える魔法のような言葉を掛けられるのかもしれない。
だけど、今由香里の隣にいるのは、雅人じゃ無くて僕だった。そんな自分の駄目さ加減が嫌になり、僕の隣を歩く由香里を可愛そうだとすら思ってしまった。
分かれ道で二人と別れる。
もう二人の顔を見る事が出来ないのだろうかと思っていた矢先、雅人が里美達に、じゃあ明日な、と声を掛けた。
里美がそれに返事をするが、由香里は僕と同じようにポカンとしたままだった。
「雅人、どういう事?」
僕の問いに、雅人は更に質問を重ねる。
「なぁ叶人、明日どこ行きたい?」
雅人の言葉に、僕は必死で頭を巡らせた。
「どこって、どこか行くの?」
「さっき里美と話しててよ、折角休みなんだし、四人で遊びに行こうって話になったんだよな」
「明日?」
「おう。まぁ、それは後で決めてもいいしな。叶人、明日なんか予定あったりするか?」
ある訳が無かった。
「無いけど……」
「そうか、じゃあ悪いんだけど、俺達に付き合ってくれよ」
その笑顔に、僕はやっぱり頷く事しか出来なかった。
家に帰り着いてすぐ、玄関に入った途端、雅人は鼻をひくひくさせ始めた。
「お、今日はハンバーグだな」
その言葉につられ、僕も鼻に意識を集中する。
柔らかい肉が焼ける、ほのかな匂いを感じた。
そこで母さんがキッチンから出て来て、僕達を出迎えて抱きしめる。
「おかえり~」
力いっぱい抱きしめられて、少し苦しいくらいだけど、それも温かくて気持ちいい。
「母さん、今日ハンバーグだろ?」
「そうよ、よく分かったわね」
「匂いで一発だよ!」
雅人が嬉しそうな声を出し、僕も肯く。
「じゃあ、とりあえず手洗いうがいをしてらっしゃい」
「そうそう母さん、明日さ、ちょっと出かけるから、お弁当作ってよ」
雅人が言ったその言葉に、母さんは少しだけ怪訝な顔をした。
「出かけるって、どこに行くの?」
「それはまだ決めてないんだけど、里美達と遊ぼうと思って」
「そう……、うん、分かったわ」
母さんはその時少しだけ、困ったような顔をして僕達を見つめていた。
「その代わり、あんまり遅くなっちゃだめよ。明日は、晩御飯はちゃんと家族と食べる事、いい?」
「うん、それは大丈夫」
「そう、じゃあ、気を付けて行ってくるのよ?」
雅人は母さんに元気良く返事をしてから、居間にランドセルを放り投げて洗面所へと向かって行った。その後を追いかける途中、母さんが大きく息を吐く音が聞こえて来た。振り返ると、母さんは心配そうな顔をしながら、キッチンへと戻って行った。
明日は9月2日。
血の一週間に入る前の、最後の日だ。
もしかしたら母さんは、僕達がそんな日に出歩く事を、あまりよく思っていないのかもしれない。
手洗いを後にして、キッチンへと向かう。
「母さん?」
声をかけて入ると、母さんはハンバーグの入ったフライパンの前に立って、火を付けずにボーっとしていた。
僕の声に気がついて振り向くと、母さんは笑顔を見せて、僕に目線を合わせるようにしゃがんだ。
「叶人、手は洗ったの?」
「ううん、まだ」
「そう、早く洗ってらっしゃい、もうすぐご飯よ」
「ねぇ、母さん……、明日さ……」
そこで母さんは、僕の頭を撫でながら笑った。
「明日は楽しんでらっしゃい。由香里ちゃんや里美ちゃんをいじめちゃ駄目よ?」
「そんな事しないよ」
「そうよね、叶人は優しい子だもんね」
「雅人の方が優しいよ?」
「ええ、そうね……、明日のお弁当、何か食べたいものはある?」
「何でもいいよ」
母さんの作る料理はいつも美味しい。だから、僕は本当に何でもよかった。
「遠慮しなくていいのよ?」
「してないよ」
「そう、じゃあ、みんなで食べられるように、おにぎりとかはどうかな?」
その時、僕を呼ぶ雅人の声が洗面所から響いた。ちょっと待って~と、返事を返す。
「雅人に、どこに行くか決まったら教えてって言っておいて」
母さんの言葉に頷きを返すと、母さんはもう一度僕をギュッと抱きしめた。
身体を離してから、さ、もうすぐご飯よ、と笑った。




