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双子星  作者: 泣村健汰
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☆9月1日★ その1

 ☆9月1日★


「お前らは、運命って信じるか?」

 教室の中に、中村先生の低い声が響いた。

 今日一日、いつも通りの授業を受け、給食を食べた後の5時間目の授業は、道徳に変更された。

 今日は金曜日。

 つまり、血の一週間に入る前に一日土曜日を挟む為、これが双子星の日前の、最後の授業となる。

 中村先生の言葉に、教室からは肯定の声も否定の声も上がらない。

 普段は比較的賑やかに行われる道徳の授業も、今日は水を打ったようにしんとしていた。クラス中で中村先生を見つめ、先生の次の言葉を待っていた。

「先生にもな、当然だが、お前達と同じ頃には、双子が居た。風太って名前でな、先生は風太の事が大好きだった。先生は今ではこんなんだが、小さい頃はそりゃ病弱で、いじめられっ子でな。そんな先生を、風太はいつも庇って、守ってくれていた。両親や風太に、いつもいつも迷惑を掛けていてな、病弱だった事もあり、自分はどうせ長い事生きられないだろうなんて考えていた。これが運命なんだって思っていた。だけど、風太はそうは思ってなかったんだ」

 先生は一度言葉を止め、掛けていた眼鏡の位置を指で直し、一つ息を吐いてから続けた。

「あいつは俺を助ける為に、6日になる前に、9月1日、18年前の今日、勝手に死にやがった。俺に一言の相談もせずに、勝手にな。腹が立って仕方無かった。風太にも、自分にもな……。だけど、あいつが命を捨ててまで守った俺の命を、粗末にするわけにはいかないって思ったんだ。それから、身体を鍛えて、勉強して、今こうしてお前らの前に立っている」

 先生はそこで教壇に手を置き、身体を僕達の方に倒しながら、教室中をゆっくりと見渡した。それはまるで、クラスの生徒一人一人の顔をじっくりと目に焼き付けているように。

「運命なんか存在しない」

 先生は、確かな強い口調で言った。

「そんな下らないものに身を委ねようなんてのは、馬鹿のする事だ。もしもお前らが死ぬことになったとしても、それは運命なんかによるものじゃない。予め決められているものなんてクソッ食らえだ。お前達がそういう決断をした時は、お前達が心から信頼して、愛している自分の双子の命を、自ら守ったって事なんだ」

 先生の言葉が、明鏡止水の水面に一滴の水を垂らす。

「もしそうなった時は、そうなれた自分を誇れ」

 波紋は広がり、堰を切ったように嗚咽を漏らす女子も現れた。教室中の空気が、途端に湿っぽくなる。

「そして、生き残ったのなら、強く生きろ」

 先生は続ける。

「その時お前達は、身重の人間と同じだ。自分の他にもう一つ、命を背負って生きていくんだ」

 先生が教壇の上で、拳を強く握る姿が目に入った。

「俺は、教師と言う立場上、お前達に必ず生き残って来いとは言えない。それは、2組の連中全員に、お前達の為に死んでくれと言っているのと同じだからだ」

 そこで先生は一度言葉を区切り、だけどな、と繋いで、柔らかく笑った。

「俺は、お前達が、このクラスの連中が大好きだ。だから、これだけは言っておく」

 先生の声は、とても温かく、優しく、力強かった。

「俺は、絶対にお前達の顔を忘れない。お前達の事を忘れない。もう俺の目の前に現れる事が出来なくなったとしても、俺はお前達の事をずっと覚えている」

 微笑む先生の顔が、何だかとても愛おしく感じた。

 僕の目からもゆっくりと涙が零れ落ちて来る。袖で拭いながら、隣の由香里をそっと見やる。

 由香里は両手で顔を覆い隠していた。恐らく、流れ出る涙と格闘しているのだろう。

 教室が、ゆっくりと海の底に沈んでいくような錯覚。

 視界はぼやけ、空気は重く、だけども微かに温かい。

 浮上の合図を知らせるように、チャイムが鳴り響いた。

「じゃあ、本日の授業はここまで!」

 先生が力強く叫んだ。

「ありがとうございました!」

 日直のいつもの言葉も、いつもとは違う熱を帯びていた。

 教室中が、その言葉を繰り返すいつもの光景。

 だけどもその言葉が生み出す空気は、確かな言魂となって、いつもの空間を非日常的なものにしていた。

 こうして、最後の授業が、終わりを告げた。

 ゆっくりと教室を出ていく中村先生の後姿は、何だか、とても大きく見えた。

 先生が教室を後にしても、教室内の空気はすぐには動きださなかった。

 隣の席の子と何やら話したり、ぼんやりと窓の外を見ているクラスメート達を横目に見ながら、僕は由香里にそっとハンカチを手渡した。

「由香里」

 そう言葉をかけると、彼女は顔を押さえている手を少しだけ緩め、僕の手から水色のハンカチをおずおずと受け取った。

「ごめんね、ありがとう」

 そんな言葉を漏らす由香里から、そっと目を離した。

 教室の外から、徐々に喧騒が聞こえ出す。

 外の空気が動き出した事を機に、教室内でも立ちあがる生徒が疎らに出て来た。

 その時、7組の入り口が開かれて、雅人と里美が入ってきた。

 いつものように明るい声を飛ばす事は無く、神妙に僕達の席までやってくる。

 里美は、泣いている由香里に手を伸ばして、抱きしめた。

「由香里、帰ろう」

 抱きしめながら、里美は優しく言葉をかける。

 由香里は頷き、鼻を一度だけ啜ると、押さえていたハンカチを離して立ちあがった。由香里につられるように、ランドセルを背負って僕達は教室を後にした。

 7組の教室を出る時、ふとクラス全体を見渡した。

 この中で、再び出会う事の出来るクラスメートは何人いるのだろうか?

 胸の奥が、何かが深く突き刺さったように痛む。

 これが最期の別れになるかもしれない。だけど、とてもさよならを言う気にはなれなかった。

 それは、全てを理解した上で、僕がまだ、生意気にも諦めきれていないからなのかもしれない。

 そんなささやかな本能の抵抗が、僕から別れの言葉を奪ったのかもしれない。

 じわりと滲み始める視界をクリアにするべく、両掌で頬を強く叩く。手と頬、両方から感じる痛みは、僕に生と現実を教えていた。


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