プロローグ
アーマードコアラは激怒した。
「女の子登場しないじゃん!!」
しかしこうも思った。
「かわいければなんでもいいんじゃないかな?」
リンガリンガリンガ!
プロローグ
子供は好奇心が旺盛だ。良くも悪くも。
この時の反勃魔羅は7回目の誕生日を迎えたばかりで、まさに見るもの聞くものすべてが楽しめる年頃だった。知らない事を知って素直に感動できる、まさに子供らしい子供だった。
そして知ってはいけない事を知る危険性を学んでいないのも、子供らしいといえただろう。無知は罪だというが、年端もいかない子供がそんな言葉を慮って行動するわけもない。
だがもしも過去に戻る事ができるのであれば、魔羅は必ずこの時の自分を殴り倒してでも止めていただろう。人生最大の失敗なんて、誰だってなかった事にしたいだろう。
魔羅がいる場所は、反勃神社の本殿と呼ばれる場所だった。神社の最奥、人目をはばかるように竹林の中に建てられた建築物。亡き母の代わりに男手ひとつで育ててくれた父からは、絶対に近づいてはいけないと言われている建物だ。一度興味本位で近づいた事があったのだが、その時は父に見つかって恐ろしい形相で怒られている。
その時の恐怖心もあり普段なら決して近寄ろうともしない場所なのだが、今日は友人らが都合悪く出かけていて遊びに誘う事ができず、なおかつ父が市長と祭りの打ち合わせで出かけており大層退屈な時間を過ごしたのがいけなかった。
見慣れた神社の中で、唯一入った事のない本殿。
いったい父は何故入ってはいけないと厳命するのか。もしかしたら何か凄いものでもあるのではないか。自分に黙って美味しいお菓子を隠しているではないか。暇を持て余した七歳男子には、それはとてもとても興味心を刺激するものだった。
父に怒られた時の恐怖心をこの時ばかりは忘れ、魔羅は懐中電灯を片手に本殿に向かってしまった。
だが本殿を前に目にしたのはいかにも頑丈そうな扉と、それに繋がれた南京錠。極めつけに見るからに呪術的力が込められたお札が何重にも貼られている光景は、霊感などない人間が見ても後ずさりそうになるおぞましい何かがあった。実際、そういった類のものに敏感な魔羅にはそれが明らかにこの世のものではない何かを感じていた。近づけばろくでもない目に遭う。そう感じさせる雰囲気が辺りに充満していた。
「おぉー! なんだこれ、かっけー!」
…………しかし退屈を前にした子供を前に、そんな雰囲気だの何だのといったものは何ら障害とはなりえなかった。扉のところで引き返していればいいものを、あろうことか逆に好奇心を刺激されて無警戒に手を伸ばしていた。怖がって立ち去れば、彼の日常は狂う事なく平穏を享受して暮らしていけたはずである。
伸ばした手が南京錠に触れた。常に日陰に晒されていた為か指先に冷たい鉄の感触を感じ、そしてそれ以上に、ぞわぞわと奇妙な感覚が触れている部分から全身に流れ込んできた。なんと表現すればいいのだろう。服の隙間から猫じゃらしを押し込まれたような、こそばゆい感覚というべきか。
そこから先は瞬きの出来事だった。扉に貼り付けられていた大量のお札がすべて青い炎に包まれて消滅し、南京錠は音もなく塵となって消えてしまった。
「……すげー」
不可解な現象に驚きはするものの、魔羅に恐怖心はなかった。少年の心にわき上がったのは、新しいおもちゃを見つけたかのような喜びと、この先にいったい何があるのだろうという強い好奇心。頑丈そうな扉は七歳の子供には開くことさえ苦労したが、なんとか押し開いて侵入する事に成功してしまった。
「うわ。ほこりまみれ」
本殿の内部は予想通り薄暗く、持ってきた懐中電灯のスイッチを入れた。
まず初めに感じたのは、カビ臭い空気の臭いだった。内部は思っていたより広くはなく、長い間掃除をしていなかったのだろう。懐中電灯のライトを床に向けるとそこには薄く埃が積もっている。足を動かす度に舞い上がる埃がなんだか楽しくて、魔羅は足踏みをして遊んでいた。
「やぁ! とぉ! げほげほ……へへ」
舞い散る埃にライトが当たるとなんだか雪のように見えて、余計にはしゃいだ。
しばらく埃と戯れていたが、次第に飽きてしまい魔羅の視線は本殿の奥に向けられた。
「…………置物?」
質素だがしっかりした作りの木製机の上に置かれているのは、奇妙な形をした二つの焼き物だ。それがこの反勃神社で祭られている神の御神体であるという事を、この時の魔羅は知らなかった。元々自分の家が何を祭っているかすら知らなかったのである。御神体を知らないでいるのも当然と言えた。
一つはなだらかな丘陵の形をしており、中央に唇のような割れ目がある。よく見ると割れ目の頂点部分には小さな突起もある。
もう一つは、太くて、長くて、見事に反り返っていて、先端は丸く、そしてくびれがある。
当時の魔羅が知るはずもない事だが、なんというか、女性器と男性器にしか見えない代物だった。非常に精巧にできており神体にしては妙に生々しさと卑猥さを感じる。ある程度の年齢の人間が見れば苦笑するなり赤面するなりの反応があるのだろうが、まだ幼い魔羅には奇妙な形をした置物程度にしか見えなかった。ただなんとなく「父さんのちん○んににてるなぁ」と反り返っている方の焼き物をみて思ったくらいか。
その二つの焼き物以外には、どうやら本殿にめぼしいものは置いていないようだった。埃を舞わせながら魔羅は御神体に近づき、好奇心のままに手を伸ばした。
見事に反り返った太くて長いそれを――――ぎゅっと握った。
瞬間。
『あへぇ!?』
「!?」
誰もいないはずの本殿に突如響いた女性の艶めいた嬌声に、魔羅はびくりと肩を震わせた。
『い、いきなり我のリンガを握るでないわ不埒者! 触るのであればまずはもっとソフトに扱わんか!』
勘違いに気づく。この女性の声は本殿内で響いたのではなく、魔羅自身の頭の中に直接聞こえているのだ。
「え……あの……ごめんなさ――あっ」
頭にダイレクトに響く女性の怒声に驚き、頭の中が真っ白になった。魔羅はとりあえず頭を下げる事にした。悪い事をしたらまず謝る。父からの教えをきちんと守っての行動だったが、今回はそれが裏目にでた。焦りすぎて手に持っていた卑猥な形の剛直を滑らせてしまったのだ。
『おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!? 落とすでないわぁぁぁぁぁ!!』
視界が点滅するほどの怒声が響く。それも恐ろしかったが、だが怒声以上に、大切そうに置かれていた置物を壊してしまったら父さんに怒られる事の方が怖かった。父に拳骨される自分の姿が脳裏を過る。
「あわわわわわわ」
それだけは避けたい。ゆっくりと床に吸い込まれるように落下していく御神体を慌ててキャッチしようとしたが時既に遅し。
甲高い破砕音を立てて、表現する事がはばかれるような形の御神体は粉々になって埃まみれの床に散らばった。それと同時に耳をふさぎたくなるような、痛みに耐えかねた悲鳴が魔羅の頭の中に木霊した。
『ぬぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? リンガがっ! 我のリンガがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
「ひぃ!?」
絶叫とともにみしみしと音を立てて本殿全体が揺れ始める。あまりの事態に涙すら浮かべる魔羅だったが、事態はそれだけにとどまらない。粉々に砕けた御神体から、もわもわと煙のような光が立ち昇り始めたのだ。光は空中で形をなし、次第にそれは人の輪郭を取り始めた。
魔羅の目の前に現れたのは、日本人には絶対見えない青黒い肌をした絶世の美女だった。
服装は虎柄の腰巻だけで、上半身は裸である。弾けんばかりの豊満な胸は、しかし一匹の巨大な蛇が巻きついてなんとか大事な部分は隠れていた。
問題なのは、そんな美女が恥も外聞もなく股間に手をやって涙ぐんでいる状態だという事。七歳だった魔羅にも、その状態がどういった状態なのかは知っていた。どれだけ痛いのかも、身をもって体験した事があるからだ。奇妙な点があるとすれば、それは相手が男性ではなく女性である事だが。
目に涙を浮かべた美女はギロリと魔羅を睨みつける。たったそれだけで、言いようのない恐怖が全身を締めあげて息苦しくなる。まさに蛇に睨まれた蛙。暑くもないのに背筋に汗が流れ、口の中がからからに乾いた。
「ぐ、ぬぬぬぬぬ……そこな小僧ぅ……よくも、よくも我の象徴であるリンガを壊してくれよったなぁ……今のは痛かった……痛かったぞーー!」
「ぎゃーーーー!!」
美女の叫びと連動して本殿が更に揺れる。先ほどまではガタガタという程度だったが、今ではもうガッタンゴットンと建物が倒壊しないのが不思議なくらいの揺れ方である。もはや立っていられなくなった魔羅は埃まみれになるのも気にせず悲鳴を上げながら床に這いつくばった。
「ごめんなさーい! ごめんなさーい! おとーさーん!」
「ふわはははははは! 今さら謝っても誰が許すかバーカ! それに小僧の父親が出かけて留守にしている事は知っているぞ。助けを呼んだところで誰も来ぬわふわははははははは!!」
怒れる美女の表情はまさに鬼女と呼ぶに相応しいものだった。子供の魔羅が恐怖に耐えきれずに号泣してしまうのも無理はなかった。いや、おそらく大人でも泣くだろう。それほどまでに鬼気迫った顔だった。もともとが綺麗な顔つきだから余計恐ろしいのだ。
痛みに顔を歪めながらも呵々大笑と笑う美女は、なんとかして逃げ出そうと這いつくばりながら出口へ向かっていた魔羅を軽々と股間を抑えていない方の手で持ち上げた。
「ひぃぃぃぃぃ」
「さぁて、どう料理してくれようかな」
「だれかたすけてー!!」
この時魔羅は、このまま殺されてしまうのかと本気で考えていた。それとも皮をはがされてしまうのだろうか。それとも……嫌な想像ばかりが頭の中に浮かんでしまう。何とか逃げ出そうと暴れるが、まったくの無意味だった。とんでもない怪力でこちらを掴んでいる手は微動だにしない。
美女がこちらの顔を覗きこんでくる。そこには先ほどまで浮かんでいた怒りはなりを潜め、代わりに嗜虐する事に悦びを感じている事がありありとわかってしまう笑みが浮かんでいた。
「くっふふふ。泣けど喚けど小僧の運命は変わらん。これから与えられる罰を身に刻み、己がしでかした罪の大きさをよーく噛み締めるがよい」
「や…………やだぁ」
「くふふ。存外と良い顔で泣くではないか。我のヨーニがキュンキュンしているぞ」
好色そうに頬を朱に染めた美女はベロリと真っ赤な長い舌が魔羅の頬を一舐めする。今まで感じた事のない、ぬるりとした熱い舌の感触にびくりと体を震わせた。
「舐め!? え、えぇぇ?」
「安心せい。そこまで怖がる事はないぞ。我は短気で知られるが何も無分別というわけではない。小僧くらいの童が粗相をしでかしてしまうのは仕方のない事だ。それを鑑みて相応の罰をくれてやろう。小僧が考えているような血生臭い行為はさすがに哀れなのでなぁ」
にんまりと、そんな擬音が聞こえてきてしまいそうな笑顔を浮かべる美女。彼女の言葉の内容とは裏腹に、魔羅には嫌な予感しかしなかった。ろくでもない事を考えている。理解したくもないのに、そう理解してしまった。
…………我の名はシヴァ様。よいか小僧。お前にこれから呪いをかける。それもうんっと強力な呪いをな…………
子供は好奇心が旺盛だ。良くも悪くも。
今回はそれが悪い方向に転がったにすぎない。ただそれが、負の極みだっただけで。
反勃摩羅。この時七歳。彼は長い生涯においてこれが人生最大の失敗だと嘆くことになる。