『太陽の薪~ドラキュラの愛』
『 太陽の薪 』〜ドラキュラの愛
<1.転居>
カタタタタ カタタタタ・・ ・・
薄暗い森の道を、一台の馬車がはしっている。
汗がにじむ夏の季節であるというのに、御者の老人は、厚手の燕尾服を着こんでいる。
自動車の行きかう現代に、古めかしい衣装の御者と馬車なんて・・いぶかしむ人もあるかもしれない。
だが、なかをのぞけば、なるほどと頷けるはず。
灰色の狼の毛皮をはった長椅子には、黒い棺桶がおかれている。蓋に刻まれているのは神聖なる十字の印ではなく、翼を広げた蝙蝠の形。
そう、なかにいるのは、人の血を吸う闇の申し子。
星巡る年月の間に、あまたに名を変えながらも、知る人の呼ぶ名はひとつ。
・・ドラキュラ・・
馬車を操っているのは、忠実なる召使い…。
カタタタタ カタタタタ・・ ・・
馬車は進んだ、高いビルの立ち並ぶ都会にむかって。
求めているのは、町に溢れる人間の血。しかし怖れることはない。ドラキュラは、生きている人間を襲うことをやめている。
お目当ては、都会の血液センターにある期限切れ近くの血液パック。
血液センターは、田舎の町にもあったが、物流が発達したために取り壊されることになった。それで、ドラキュラは住みなれた屋敷を離れることを決めたのだ。
カタタタタ・・・
馬車は喧噪に満ちた都会の町に到着した。
「映画のロケ…」
「何かイベントでも…」
人々は足をとめ、目を見はった。
優雅にはしる馬車のうしろには、長い車の列ができ、クラクションがやかましく鳴っている。
召使いは気にかけず、マンションを見つけては、馬車を降り、管理人に入居の話をもちかけた。
だが、
「申し訳ないが…」「いくらお金をつまれても…」
首が縦に振られることはなかった。車のならんだ駐車場に、馬車など置けるはずがなかったのだ。
「御者の仕事は、先祖代々、引き継がれてきたもの。馬車を捨てるわけにはいかない。何よりも旦那様の愛着ある乗り物…」
召使いは、町の中央にある広い公園に馬車をつけた。
「さても、どうしたものか…」
噴水の脇に腰を掛け、思案している時に肩をたたかれた。
「なんとも美しい馬車だ」
声をかけてきたのは、公園のなかにある動物園の園長だった。
「よかったら、うちで客を乗せてはくれないだろうか…」
話にのれば、小さな家も貸してくれるとのこと。
他に良い案もなかったので、召使いは「こちらこそ、お願いしたい」と頭を下げた。
「しかし、旦那様はよしとおっしゃるだろうか」
小さな家に棺桶を運びながら、召使いはつぶやいた。それに応えるように、何がしかの動物の鳴き声が近くに聞こえた。
日は沈み、夜がやってきた。
だが、さすがに都会だった。闇に包まれることはなく、町の明かりが、窓のむこうに輝きはじめた。
ガタリ、棺桶の蓋が開いた。
目を見張るほどに美しい若者が姿を現した。彼こそがドラキュラ…千年余りを生きる超然とした気配が、飾り化のない簡素な部屋を、霊妙な空気に満たした。
「爺、ここが新しい住まいか」
ドラキュラは、蒼光る目であたりを見まわした。
「はい、こぢんまりとした家ですが、なにせ、へえ、血液センターの近くにございまして」
「時おり聞こえる、覚えのない獣の声はなんだろう」
「それが、実のところ…」
秘密にしておけることではなかった。召使いはしどろもどろに説明した。
「いたしかたない。時の流れには逆らえぬもの」
ドラキュラは怒ることもなく、すんなりと頷いた。
「では、さっそくに行って参る」
ほっと胸を撫で下ろしている召使いをしり目に、窓を開けたドラキュラは、大蝙蝠に変身し、都会の空に羽ばたいた。
「夜になったというに、まだ人間は働いておる」
血の香りに導かれ、すぐにも到着した血液センターの隣のビルの屋上で、ドラキュラは忍びこむ時を待った。
だが、いつまで待っても、電灯は煌々と点いたままだった。ドラキュラは、地面に降り立って、正面の玄関の自動ドアをくぐった。
「真夜中であるのに、昼であるような人々の働きぶり。何かあったのか?」
入ってすぐ、受付に座る女性にきいた。
「何もございません。こちらは一日中、どの係も開いております。もちろん献血も受けつけておりますことよ…」
ドラキュラに見つめられた女性は、全ての女性と同じ、とろりと酒に酔ったような目つきになって答えた。
「都会とは、闇を忘れた世界なのか」
外に出たドラキュラは、溜息をつきながら羽ばたいた。そのまま家に帰り、寝ずに待っていた召使いに声もかけず、棺桶に身を置いた。
<2.懐かしい血>
その日の日没過ぎ、ドラキュラは棺桶から出ることもなく起きていた。
「このまま血を口にしなければ、干上がって動けなくなる。とはいえ、何処に行けばよいのだ」
暗闇でつぶやいているところに、ノックの音が聞こえた。
返事がないところをみると、召使いは外に出ているらしい。
仕方なく起き出して、ドアをあければ、美しい娘が立っていた。
「ようこそ、お嬢さん」
生き血を吸わないことには慣れていたはず。なのに、若い娘を前にしたドラキュラの胸は高まった。
不思議なことに、ドラキュラの蒼い瞳に見つめられても、娘の目つきはしっかりしたままだった。
「御者さんはいませんか」
「外に出ているようだが、何用か?」
「動物園の獣医をしている者です。御者さんに、馬のことで相談したいといわれたので、お伺いしたのですが」
「では、そなたが来てくれたことを伝えておこう」
「爺め、よけいな気を遣いおって」
娘の後姿を見送りながらドラキュラは苦笑した。
ずっと以前、血液センターというものができる前まで、召使いは、娘たちを屋敷に誘ってくれていた。おそらく、今朝の無愛想な様子をみて、血液センターに忍び込めなかったことを知ったのだろう。
「ん…」
ドラキュラは首をひねった。
先ほどの娘が、まだ近くにいるような気がしたのだ。あちこちに目をむければ、腹の膨れた蚊が一匹ふらふらと飛んでいた。パチリと叩いて、手にはじけた血をなめた。
「なるほど」
蚊はあの娘の血を吸っていた。だから、近くにいるような気がしたのだ。
「だが、これは・・」
改めて舌をまわしたドラキュラは、珍しくも息を止めて驚いた。
娘の血の味は、かつて愛した女性のものを、かすかに含んでいたのだ。
ドラキュラの正体を知り、姿を隠してしまった女性・・
再び会った時には、重い病にかかっていた。嘆いた彼は、女性の首に噛みついて、永遠の命を与えた。
だが彼女は、人間でなくなったことに耐えきれず、陽の光に身を投げて、灰となった。
この時から、ドラキュラは人の生き血を吸うことに迷いを持つようになった。そして時代は流れ、人が、血液を保管することを覚えると同時に、すっぱりとやめたのだ。
悲しみの思い出だった。胸の痛みを感じながらドラキュラは、はたと気がついた。
…あの血の味…わしが愛したあの娘は、知らぬところでわしの子どもを産んでいた。
わしに会わせなかったのは、その子どもが人間だったから。おそらく、先のあの娘は、その遠い子孫にちがいない。だからに、わしを前にしても平然としていたのだ…
娘が帰ったのを見計らったように、召使いがドアを開けて入ってきた。
「気遣いはありがたいが、わしはもはや、生き血は吸わぬと決めている」
ドラキュラは年老いた召使いに優しくいった。
「そうかとも思っておりました。では、これはいかがでしょう」
恭しく頭を下げた召使いは、燕尾服のポケットから小瓶を取り出した。中には腹に血を溜た小さな虫がパチパチと跳ねている。
「お口の潤し程度にはなるかと存じます」
忠実な召使いのすすめるもの、ドラキュラは迷うことなく、口のなかに虫たちを注いだ。
これまで味わったことのない妙な血の味が舌の上ではじけた。決して美味いものではないが、人間の血を飲んだ時にもまして、活力に満ちるようだった。
「これはいかなる虫だ。これが吸ったのは何の血だ?」
問いかけたが、召使いは答えなかった。
いや、答えられなかったのだ。虫は、血を吸ったノミ。それに人間のものならまだしも、その血は、動物園の獣たちのものだったのだから。
「まあ、よいわ。たとえ少量でも滋養に満ちたもの。礼をいう」
「さて、いかがいたしょう。この地に落ち着かれますか」
「今の世のこと、住まいを変えても同じであろう」
「おっしゃるとおりでございます。ではまた、今の虫を集めておきましょう」
主人の口に合うものを見つけることができた召使いは、さも嬉しそうに頭を下げた。
<3.夜の語らい>
ドラキュラは動物園の片隅にある小さな家に住みついた。
数回ほどは血液センターにいってみた。だがやはり、明かりは消えることはなく、血液が保管されている奧の部屋には忍びこむ隙もなかった。
ドラキュラは日々、召使いが集めてくれたノミを噛みしめた。
闇夜を自由に羽ばたき、夜の社交界では、味わわずとも様々な血の香りを楽しんでいた田舎の屋敷での暮らしとは大違いだった。
だが、彼は静かな喜びを感じはじめていた。時折、あの娘が家を訪ねてくれたからだ。
この地を離れなかったのは、そのことを期待していたからなのかもしれない。
彼は、娘の前では、召使いの孫ということになっていた。
「おじいさんに話をするときには、尊敬の気持ちを込めなければだめよ。御者さんだって、自分の孫にぺこぺこするのはおかしいわ」
娘はそう言っては、よくドラキュラと召使いを睨みつけた。二人はこっそり顔を見合わせて笑っていた。
新しい生活に慣れたころには、ドラキュラは夜の動物園を、娘と散歩するようになっていた。
動物たちは、二人を歓迎するように檻の向こうに静かに座った。
ドラキュラが「自由にふるまえよ」と声をかけると、盛んに愛嬌を振りまき、また 昼間には出せなかった吠え声を轟かせた。
「あなたって不思議。動物たちと話ができるみたい」
「それほどのことではない」
目を丸くする娘に、ドラキュラはあっさりと答えた。
彼にとって、動物と心を交わすのは容易いことだった。獣医である娘も、少しばかりは動物と心が交わせられるようだった。それは遠いながらもドラキュラの子孫であったからなのかもしれない。
ドラキュラは幸せだった。
かつて愛した女性の姿を重ねながらも、純朴な娘の笑顔に出合い、悲しみの気持ちは、温かな流れとなって胸を巡った。
娘との会話から、自分が口にしているものの正体に気づいたが、人間の価値観とは別のこと…それは取るに足らないことだった。
一方、年老いた召使いも幸せだった。
人の喜びを乗せて馬車をはしらせる仕事に、これまでにない生き甲斐を感じていた。
それに、秘密にしていた虫のことを知っても、主人の笑顔は消えない。何も不安をもつことなく、日々を溌剌と過ごしていた。
こうして、時は穏やかに流れていった。青い葉を繁らせていた公園の木々は赤く色づき、やがて、季節は木枯らしの吹く晩秋となった。
ある日、いつもの風変わりな食事の際に、ドラキュラは首を傾げた。
「このノミはどのあたりの動物から採ってきたのだ」
「はて、衛生の行き届いた園内にて、広く歩いて集めておりますので、どのあたりとはわかりませぬが」
「ある動物の血が泣いている」
ドラキュラは唸るように低くいった。
その夜の遅くに、ドアがノックされた。
昼間の仕事に疲れた召使いは、深く寝入っている。代わりに出たドラキュラの前に立っていたのは娘だった。悩みごとがあるように暗い顔をしている。
「動物に何事かが?」
「ええそう。彼らと話ができるあなたに会ってもらいたいの。ちょっと来て」
娘はドラキュラを、園の医務室に連れていった。
「この子、三日前にここにやってきたのだけど。ぜんぜん食事をとっていないの」
見れば、顔立ちの丸いインパラの子どもが、柵の中のベッドに横たわっていた。舌をたらした口から漏れる息はとても弱い。
ドラキュラは、心を覗こうと毛皮に手を当てたが、急に顔を背けた。
身体を焼き尽くすような太陽が、インパラの心の隅に見えたのだ。ドラキュラは即座に得心した
「かれは、故郷で浴びていた眩しい光を求めている。かれに必要なのは、燃える太陽の光」
「飼育員たちは、ただの旅の疲れだといっていたけど、やはりそうなのね」
自分の考えと同じだったらしく、娘は深く頷いた。
「せめて、かれの生まれた土地で育まれた植物はないのか。それを口にしなければ、命の炎は燃え尽きてしまう」
「そのようなものはここにはないわ。現地の餌を取り寄せるには時間がかかるし、生の植物は税関が認めてくれない…」
娘は力なくうなだれた。
娘は、どうしようもない別れを前にしていた。
行き場のない悲しみを沈めた暗い表情に、ドラキュラも悲しくなった。
また翼をもつ自分を恨んだ。すぐに羽ばたいて出れば、夜中の内に異国の土地につき、餌を手に入れることができる。しかし、帰りの羽ばたきの途中で朝日が昇る。そして光に焼かれ、灰になってしまうのだ。
ドラキュラは悩んだ。
…わしが毛皮に噛みつき、血を分け与えれば、インパラの子は永遠の命を得ることができる。だが、彼が求める陽の光とは永遠に会えなくなってしまう。では、では、どうすれば…
時間は空しく過ぎていった。娘は話をすることもなく、インパラの子の頭をただ撫でつづけた。
<4.太陽の薪>
娘の悲しみを前にしての胸の痛み…
消えていく幼い命が突きつける自分のふがいなさ…
永年の命をもつことへの疑問…
ドラキュラの頭の中で様々な感情が交差し、やがて、それは大きな疑問の渦となった。
…生きるとは一体なんなのだ…
…総てのものは、生きることの果てに死を迎える。夜空に浮かぶ星とて同じ…儚くも美しく瞬いて命があったことを示す。ところが、わしには死はない。それは生きているということなのだろうか…
…連綿と続く命の血の綱、愛した娘は残してくれていた…
…血の綱の流れに淀みのようにある決して解けぬ結び目。それが自分…
「灰になる…それはそれでよいのではないか」
天窓の暗闇が、青く滲みはじめたとき、ドラキュラは静かにつぶやいた。
…わしは命を持ちたい。血綱のなかで流れて生きたい。たとえ灰になる結末と引き換えになっても…
「夜が明けるまで、わしひとりに任せてはくれまいか」
ドラキュラは黙って項垂れたままの娘の肩に、そっと手を置いた。
「何か方法が?」
「ああ、そうだ。事情を知ったそなたが救いを施すまで、きっと彼は命を長らえらえる」
瞳を上げた娘に、しっかりとうなずいた。
「お願いします、夜にしか会えない不思議な人」
娘は、ドラキュラの冷たい頬に、優しいキスをして出ていった。
「遠い子孫に口づけをされるというのは、なんともこそばゆいものだ」
ドラキュラは含羞むように微笑みながら、東の窓にかかるカーテンを開けた。
小さな家が窓の端に見えた。
「光の世界に生きる喜びを知った者。もはや、おまえはわしの召使いではない。爺よ、世話になった」
感謝の思いを噛みしめるようにつぶやいたドラキュラは、窓に向かい、大きく腕を広げた。
紫がかった空の下、朱色の朝日が木々の合間、ビルの谷間から顔を出した。
放たれる光は柔らかいものだったが、ドラキュラにとっては、無数の打ちたての剣先のように熱く鋭いものだった。
黒い服に覆われた身体は、瞬く間に貫かれ、激しく燃えはじめた。
遥か昔から闇の世界にしまわれていた『太陽の薪』…
見た人がいれば、そう呼んだにちがいない。
朝日は、灼熱の国を照らす光に増幅されて、ベッドに横たわる獣に降り注いだ。
「これぞ、我が生きてきた証、今を生きている証…」
晴れやかな声が高らかに響いた。
インパラの子どもがむくりと起き上がった。眩しそうにしばたく黒い目のむける先には、埃のような灰が薄く人の形に散っていた。
終わり
<余章 天上の会話>
「我が父よ、私が導くべきものながら、それがかなわない魂が下界にあります」
「かの者の魂は、光のかたまりをもたず、お前は導くことはできない。しかし、お前は導かねばならない。さて、如何にする?」
「ならば、あの者の魂を導けるものにせねばなりませぬ。それは言い換えれば、有限の命をもった肉体を授けるということ」
「お前は、かの者の魂を導かねばならない。たとえ、それが数十年後の先になろうとも…」
「承りました、我が父よ」
空のはるか彼方から飛来した一点の光が、人の形の灰を包み、美しく煌めいた。




