第09話 壊れたネックレス※日和視点
「本日の実地訓練は、これで以上とする」
正体不明の男が去っていった後、指導官が日和たちに指示を出す。訓練が開始されるまでは、どっしりとした声で話す人だった。それが今は、わずかに揺れている。
無理もないだろう。先程の想定外らしい戦闘に遭遇し、謎の男が助けに入ってくれたけれど、その正体も明らかにならないまま走り去ってしまったから。
「報告書の提出は後日で構わない。今日はしっかり休め」
指導官がそう締めくくって、解散の指示が出た。
日和は仲間たちと一緒に訓練場を後にしながら、さっきのことを考えていた。あの仮面の人物。圧倒的な強さであのモンスターを一撃で斬り伏せた。自分たちが全力で立ち向かっても押しつぶされそうになっていた敵を、目にも止まらぬ速さで倒していった。
日和は最初、学校の関係者なのではないかと思った。何か起きたときに備えて、別の場所から見守っていた経験豊富な探索士。それなら、あのタイミングで現れたことにも説明がつく。
けれど、後から聞いた話では違うらしい。
あの人物はダンジョンに勝手に侵入してきた不審者だという。学校側も把握していなかったし、あの場にいた理由もわかっていない。どうしてあのタイミングで都合よく現れたのかは不可解で、学校側は調査を続けているという。
***
疲れた体で帰宅すると、珍しくお母さんが玄関で待っていた。
「日和! 大丈夫だったの?」
今日は初めてダンジョン攻略の実地試験があると伝えてあった。安全に配慮されているけれど、それでも死ぬ可能性はゼロじゃない。現に、あんなことがあったのだから。
母の顔には心配の色がはっきり浮かんでいた。エプロン姿のまま出てきたところを見ると、夕食の準備をしていたらしい。
「え、うん。ただいま。大丈夫だよ。大変だったけれど、なんとかなったし。怪我もないから」
日和は笑って見せた。疲れはあるけれど、体に問題はない。ちゃんと伝えないと。心配させたくなかった。母はただでさえ、日和がダンジョン探索士を目指すことに不安を抱えている。ここで怯えた顔など見せたら、余計な心配をかけてしまう。
「本当に? 本当に大丈夫なのね?」
「うん、本当。でも疲れたから、ご飯食べたら早めに寝るね」
母の手を軽く握って安心させてから、自分の部屋に戻って荷物をおいた。
ドアを閉める。制服のまま、ベッドに腰を下ろした。ため息が漏れた。大丈夫だと言ったけれど、本当のところ、まだ少しだけ動揺は残っている。あの瞬間の恐怖が、時間差で押し寄せてくる感覚。死ぬかもしれないと思った。本気で、そう思った。
それでも、無事に生きて帰ってこられた。運が良かったんだと思う。
もっと強くなりたい、と思った。
***
数日後、学校。
実地訓練の報告書を作成する。使用ルートや戦闘結果、消耗した装備やアイテム、ダンジョン内で起きた出来事を細かく記録していく。今回は緊急事態の経緯についても。事細かに記録して提出するのが規則になっていた。
隣には友人の美月と、実地訓練で同じパーティーだった葉山すずなが座っている。三人で書類を埋めながら、自然と話題はあの日のことに移った。
「ねえ、あの仮面の人って結局何者だったのかな」
美月がペンを止めて言った。
「うーん。わからないよ。まだ、学校側も把握できてないみたいだし」
「だよねー。あれだけ強かったら、学校側が秘密で用意していたトップランカーの人とかなんじゃないかな、って思ったんだけど」
トップランカー。ダンジョン探索士の中でも最上位に位置する実力者たち。美月の推測は的外れではないと日和も思った。あの圧倒的な力を見せられたら、そう考えるのが自然だ。
トップランカーと呼ばれている人たちの中に、テレビに出演したりして有名な人がいる。日和も顔を知っている人が居て、その何人かを思い浮かべてみるけれど、該当する人物はいない。
「でも、トップランカーなら侵入したなんて話にはならないんじゃないかな。正規の手続きを踏んで入れるはずだし」
日和がそう返すと、美月も頷いた。
「そうだよね。しかもあそこ、初心者用のダンジョンでしょ? トップランカーがわざわざ来る理由がないよね」
「あ、あの……」
すずなが控えめに口を開いた。
「ど、どうして私たちを助けてくれたんでしょうか。見ず知らずの、その、私たちなんかを……」
すずなの声は小さかった。いつもの彼女だ。けれど、その疑問は日和も感じていたことだった。あの人物はなぜあの場所にいて、なぜ自分たちを助けたのか。理由が見えない。
「わざわざ侵入してきたから、見つかったらまずい立場ってことだけど。それじゃあ普通は関わらずにやり過ごすはず?」
日和の言葉に、すずなは頷く。その疑問に美月が予想を答える。
「それは、将来有望なダンジョン探索士を見殺しにしたくなかった、とか? ちゃんとした理由はわかんないけど、助けてもらったのは事実だしね。感謝しかないよ」
助けてもらった感謝。それは、日和もすずなも同じ気持ちだった。助けてもらわなければ、もしかしたら生きて戻ることはできなかったかもしれない。
話は一段落して、美月とすずなはペンを動かす作業に戻った。
日和も報告書に視線を落とした。あの人物の剣筋が頭から離れない。一振りで、あの敵を真っ二つにした。自分が渾身の力で斬りかかってようやく腕を一本落とせた相手を、あの人はまるで何でもないことのように。
トップランカーの探索士は、あれだけの強さを持っているのだろうか。それとも、あの人くらいの強さは普通でトップランカーはもっと強いのか。
どちらにしても、自分はまだまだ弱い。訓練をもっと頑張らないと。あの日感じた無力さを、二度と味わいたくはなかった。
***
報告書を提出してしばらく経った頃、職員から通知があった。
あの日、正体不明の人物が置いていった大量の魔石とドロップアイテムの換金が完了したという。報酬の分配に関する書類が配られた。
日和は書類に目を通して、思わず二度見した。
一人あたりの分配額——百五十万円。
経費やら手数料やらを引くと手取りは百万円ほどになるらしいが、それでも十分すぎる額だった。
「ひゃ、150万!? ちょっと、すごくない?」
美月が目を丸くして声を上げた。日和の隣で、書類を何度も見返している。
「あ、あの。私、こ、こんなにもらって良いんですかぁ?」
すずなが泣きそうな顔で言った。予想外な金額に慌てふためいている。これを受け取る資格が自分にもあるのかと。
「私、何もしてないのに。分配の金額は再考するべきじゃ……?」
「何言ってんの。すずなは、刀でバッサバッサと敵を倒してたじゃん」
美月がすかさず突っ込んだ。日和も、その時の光景を覚えている。
「すごかったよ、すずなさん」
あの戦闘で、すずなのスイッチが入ったような瞬間は忘れられない。普段のおどおどした姿からは想像もつかない、苛烈な斬撃だった。
「い、いや。えっと。たまたまです。体が勝手に動いただけで……」
すずなは顔を赤くして俯いた。まだ自分の実力は信じきれなかったけれど、二人に褒められて嬉しそうでもあった。
報酬の話を伝えられた男子たちも喜んでいたらしい、と美月から話を聞いた日和。
神崎は「まあ、妥当な額だな」と冷静を装いつつも口元が緩んでいたとか。伊吹は大はしゃぎで、東郷に「落ち着け」と窘められていたという。
噂に聞いていた通り、ダンジョン探索はとんでもない金額を稼げる。それを実感した。ただし、今回の報酬は正体不明の人物がもたらした戦利品が大半を占めている。毎回これだけ手に入ると思うのは楽観的すぎるだろうと日和は気を引き締めた。
けれど、初めてのダンジョン攻略でこれだけ稼げたのだ。自分のレベルが上がっていけば、手に入る金額も増えていくはず。期待は膨らむ。
帰宅してすぐ、口座に振り込まれるという金額を母に報告した。
「お母さん、これ生活費に使ってよ」
母は一瞬、言葉を失ったように目を見開いた。
「ちょっと待って。これ、本当に日和が稼いだの?」
「うん。今回のダンジョンで」
金額をもう一度確認して、母は小さく息を吐いた。
「高校生の日和が……、すごい大金ね」
しばらく黙り込んだあと、母は顔を上げて、いつもの優しい笑みを浮かべた。
「日和の気持ちは、とても嬉しいわ。ありがとう」
そう言ってから、ゆっくりと首を横に振る。
「でもね、それは日和が命がけで稼いだお金でしょう。自分のために使いなさい」
「でも——」
「いいの」
やんわりと、でもはっきりとした口調だった。
「お金のことは気にしなくて大丈夫だから。生活のことは気にしなくていいのよ。日和は、自分のやるべきことに集中して頑張りなさい。絶対に無理しないように」
母は笑って、そう言った。
「うん、わかった」
受け取ってくれない。それなら、もっともっと稼いで十分な金額が用意できたら改めて提案しよう。とりあえず今は、このお金を大事にする。いつか必ず、母を楽にさせてみせる。日和のダンジョン探索士になるという目標は、変わらずそれだった。
***
学校でそんなことがあった一方で、日和は向き合わなければならない問題があった。
首にかけていたペンダントが壊れてしまったこと。
気づいたのは、ダンジョンから無事に生還した後のことだった。防具を取り外しているときに、胸元の異変に気がついた。鎖は繋がっていたけれど、中央にはめ込まれていた宝石の部分が粉々になっていた。砕けた破片がいくつか鎖に引っかかって残っているだけ。原型を留めていない。
戦いの最中にぶつけて壊れてしまったのだろうか。あの激しい戦闘の中だ。いつ衝撃を受けてもおかしくはない。
その日はすぐに帰宅して休み、報告書の提出にも追われていて、これを後回しにしていた。けれど、報酬の受け取りも終わり、学校の手続きも一段落した今、後回しにし続けるわけにはいかない。
日和は壊れたネックレスを手のひらの上に乗せて、改めて見つめた。
せっかくもらったプレゼント。凪原さんが、入学のお祝いにとくれたもの。ダンジョンで発掘された貴重な品だと聞いている。もしかしたら、もう二度と同じものは手に入らないかもしれない。
それを壊してしまった。申し訳なさが胸の奥から込み上げてきた。大切にしていたのに。ずっと肌身離さず着けていたのに。故意じゃない、戦いの最中での事故だから仕方ない、とは言えない。
謝りに行かないと。
***
次の休日。
日和は壊れたネックレスを手に持って、アパートの管理人室を訪ねた。
インターホンを押す。少し待つと、見慣れた顔がドアの向こうに現れた。凪原透。いつもと変わらない穏やかな表情。普段着のシャツに、作業用のエプロンをかけている。部屋の掃除をしている途中だったのかもしれない。
「おや、日和ちゃん。どうした?」
「凪原さん、あの、これ」
日和は手のひらに乗せた壊れたネックレスを彼に見えるように差し出した。粉々になった宝石の残骸が、日の光を受けて鈍く光っている。
「せっかくプレゼントしてもらったネックレスを壊してしまって、本当にごめんなさい」
頭を下げた。正直に言うしかなかった。余計な言い訳はしたくない。壊してしまったのは事実だから。
「あぁ、そっか。大丈夫だから頭を上げて、気にしないで」
透の声は穏やかだった。怒った様子はまったくない。日和が顔を上げると、こちらを気遣うような、なんでもないことだとでも言いたげな表情が見えた。怒られないだろうとは思っていたけれど、想像以上に優しい反応だった。
「まだ予備があるから。こっちを持っていって」
透はそう言って、部屋の中に一度引っ込んでからすぐ戻ってきた。手には、壊れたものとよく似たネックレスが乗っていた。同じデザイン。同じ宝石。予備があるということ自体に驚いた。でも、日和は受け取ることができない。
「そんな! また壊してしまうかもしれません」
「いやいや、気にせず持っていって。壊れてもいいから」
「駄目です。新しいものを貰っても、ダメにしてしまいます!」
受け取れない。ダンジョンで手に入ったという貴重なものを、また壊してしまうかもしれないのに。受け取るわけにはいかない。日和は首を横に強く振った。
透が困った顔をしているのが見えた。眉を寄せて、どうしたものかと考えているような表情。それから、ふっと息を吐いた。
「あー、その、ね。日和ちゃん」
声の調子が変わった。さっきまでの軽い雰囲気ではない。珍しく、真剣な目をしていた。
やっぱり、壊したのはマズかったのだろうか。受け取りを拒否してしまったことで、気分を害してしまったのか。日和の胸に不安がよぎった。
けれど、透の口から出た言葉は、日和がまったく予想していなかったものだった。
「実は、そのネックレスが壊れたのは俺のせい、だと思うんだよね」
「え?」
意味がわからなかった。凪原さんのせい。どういうことなのか、頭が追いつかない。
「どういうことですか?」
日和は思わず聞き返していた。




