第06話 実地訓練※日和視点
「全員、揃ったな」
指導官の矢島が名簿に目を落としながら、低い声で確認した。元自衛隊員らしい、無駄のない所作。日和を含めた六人の生徒が、ダンジョンの入口前に整列していた。
実地訓練の当日。学校側が成績優秀者の中から選抜された六名によるパーティー。顔ぶれを見回すと、座学や訓練で見覚えのある面々が揃っている。
「じゃあ、軽く自己紹介しておこうぜ。俺は伊吹颯太。前衛をやる。よろしくな!」
最初に声を上げたのは、伊吹という男の子。明るい笑顔と勢いのある声。緊張しているはずの空気を一気に和らげてくれた。
「神崎蓮。盾と補助をやる。足を引っ張らないでくれよ」
続いて神崎という男の子が、ぶっきらぼうに名乗る。口調は冷たいが、目は真剣だった。伊吹と神崎は自信に満ちていて頼もしい。けれど、少し軽い印象もあると日和は思った。
「東郷誠一です。武器は剣です。よろしくお願いします」
東郷はスラッとした背の高い男の子。背筋を伸ばして丁寧に挨拶した。生真面目で落ち着いている。安心できるタイプのようだ。
「桐谷美月。索敵と罠の察知ができるよ。よろしく」
美月がいつもの調子で手を振る。日和と目が合うと、にっと笑った。友人がいてくれるのは心強かった。
「は、葉山すずなです……。あの、えっと、刀とか、使います。その、よろしくお願いします……」
すずなと名乗る女の子は、声が小さくて聞き取りづらかった。初めてのダンジョン攻略に緊張しているのか顔は青白くて、手が震えている。大丈夫だろうか、と日和は少し心配になった。
「朝倉日和です。剣で前衛をやります。みんなで無事に帰ろう」
日和が締めくくると、伊吹が自己紹介を終えた者たちの表情を見回しつつ「じゃあ行くか!」と拳を突き上げた。
成績優秀者が集められただけあって、全体の雰囲気は悪くない。やれる。そう感じた。
矢島指導官は少し離れた位置から同行するという説明をした後、短く告げた。
「いいか。何かあったら、迷わず引き上げるように。では、実地訓練を開始しろ」
準備を整え、六人はダンジョンの中へ足を踏み入れた。
***
その場所に入った瞬間、日和は不思議な感覚に包まれた。
薄暗い通路。冷たい空気。初めて足を踏み入れた場所のはずなのに、体が自然と馴染んでいく。まるで、ここに来たことがあるような——いや、この場所が自分を受け入れているような。
なんだろう、この感覚。
疑問が浮かんだけれど、今は考えている場合ではなかった。日和は意識を切り替え、周囲への警戒に集中した。
最初のモンスターが現れたのは、通路を進んで間もなくのことだった。
「来たぜ!」
伊吹が真っ先に飛び出し、武器を振るう。続いて神崎が前に出て盾を構えた。二人の連携は荒削りだが、勢いがある。モンスターはあっけなく倒れた。
「なんだ、簡単だな」
伊吹が武器を肩に担ぎ、余裕の笑みを浮かべた。神崎も「こんなものか」と鼻を鳴らす。
「ここは初心者用のダンジョンだから。でも、警戒は怠らないで」
日和が冷静に声をかけると、二人の表情が少しだけ引き締まった。東郷が「朝倉の言う通りだろう」と頷き、すずなも小さくこくこくと首を縦に振った。
奥に進むにつれ、モンスターが何度か姿を見せた。そのたびにチームで対処し、倒していく。日和も積極的に戦闘に加わり、敵を倒していく。そして、モンスターを倒し終えると残される魔石やアイテム。
「これが魔石……」
美月が落ちていた石ころサイズのものを拾い上げて、目の前に掲げた。淡く光る鉱石を食い入るように見つめている。すずなが横からおずおずと覗き込んだ。
「き、綺麗ですね……」
「これが高く売れるらしいから、いっぱい持ち帰りたいね」
攻略は順調だった。カリキュラム通りに進み、全員の動きも噛み合ってきている。初めてのチームワークは悪くない。日和は胸の中で小さく安堵した。
***
想像していたよりも、簡単にモンスターを倒せていた。全員の手に確かな手応えが残っている。
「なあ、もっと奥に行ってみないか?」
伊吹が立ち止まり、仲間たちに振り返った。
「この調子なら、まだまだ行けるだろ」
「お前、いつもそうやって突っ走ろうとするよな」
神崎が呆れた声を出したが、伊吹は構わず続けた。
「それにさ、知ってるだろ? 実地訓練の成果に応じて報酬が出るって。もっと奥に進んで、たくさんモンスターを倒せば、それだけ稼げるんだぜ」
稼げる。その一言に、全員の表情が変わった。
神崎が真っ先に口を開いた。
「……悪くない提案だな」
東郷も少し考え込んでから言った。
「ここまでの戦闘を見る限り、余力は十分にある。もう少し奥に進んでも問題ないだろう」
日和の胸にも、ある感情が浮かんでいた。お母さんのこと。少しでも多く稼いで、楽にしてあげたい。その気持ちが、冷静であるべき判断をほんの少しだけ揺らがせる。
指導官の矢島も、離れた位置からこちらを見ていた。このメンバーなら、もう少し奥に進んでも大丈夫そうだ。もう少し様子を見てみよう。そう考えて、余計な口出しはしなかった。
「よっしゃ! 行こうぜ!」
伊吹が先頭に立ち、一行は予定していたルートを少しだけ超えてダンジョンの奥へと足を踏み入れた。
***
異変は、突然だった。
何も見えない。音も聞こえない。それなのに日和の全身が、警鐘を鳴らしていた。
背筋を這い上がるような、冷たい感覚。空気の質が変わった。さっきまでと同じダンジョンのはずなのに、何かが決定的に違う。
「……みんな、武器を構えて」
日和の声に、仲間たちが怪訝な顔を向けた。
「どうしたんだよ、朝倉」
突然警戒し始めたメンバーに伊吹が首を傾げた、その瞬間——
奥の暗闇から、地鳴りのような音が響いてきた。何かが走ってくる。大きい。重い。そして速い。
ソレが姿を現した。
ゴリラのようにゴツい体躯。暗灰色の体毛に覆われた全身は分厚い筋肉の塊で、地面に届くほど長い腕を振り回しながら突進してくる。小さな赤い目が、暗闇の中でぎらりと光った。
「な……!?」
矢島指導官の声が、背後から飛んできた。
「なんで、こんな場所にあんなモンスターが——」
ガルゴスという名前。見つかったら最後、仲間を呼び集めて数の暴力で襲いかかってくるモンスター。
初心者用のダンジョンには、出現記録がないはずの存在。
ありえない。だがソイツは確かに目の前に現れてしまった。
指導官の声に動揺が混じっていた。長年の知識と経験が「ありえない」と叫んでいる。その驚きが、撤退指示を一瞬だけ遅らせた。
「に、逃げるんだ!」
その一瞬が、致命的だった。
***
「うおおおお!」
神崎が仲間を守るように前に出て、盾を構えた。ガルゴスの突進を正面から受け止めようとする。
衝撃。盾越しに伝わった力は、想像を遥かに超えていた。
「がっ!?」
神崎の体が吹き飛んだ。まるで紙切れのように、壁に叩きつけられる。盾が悲鳴のような音を立てた。
恐怖が、全員を凍りつかせた。
動けない。足が地面に縫い付けられたように、誰も動けない。訓練で学んだことが、頭から吹き飛んでいる。
けれど、日和だけが違った。
怖い。怖くないわけがない。けれど体は止まらなかった。握りしめた剣に力を込め、日和はガルゴスに向かって踏み込んだ。
「はぁぁぁぁ!」
渾身の一閃。今の自分が出せる全てを振り絞った斬撃が、ガルゴスの腕を切り落とした。
血が飛び散る。だがガルゴスは止まらない。腕を失ったまま体全体で暴れ回り、周囲を破壊していく。
「やった! そいつ、倒せるぞッ!」
それでも、日和が戦っている姿を見て、仲間たちの表情がわずかに変わった。体が動く。戦える。いける。倒せるかもしれない。
「ダメだ! 今のうちに逃げるんだ!」
矢島指導官の必死な声が響いた。
「逃げる!? どういうことですか、教官?」
倒せそうなんだから、ここでとどめを刺して倒さないと。伊吹が叫び返した。その答えは、すぐにわかった。
奥から、足音が聞こえてきた。一つではない。二つ、三つ——いや、もっと。何かが大量に走ってくる音。
「なっ!?」
ガルゴスの叫び声が、仲間を呼んでいたのだ。
暗闇の奥から、次々と赤い目が光り始めた。二体、三体、五体——あっという間に十体が群れをなして迫ってくる。
伊吹たちの顔から血の気が引いた。美月が息を呑む音が聞こえた。
「——俺が時間を稼ぐ。お前たちは今すぐ撤退しろ!」
矢島指導官が覚悟を決めた顔で前に出た。囮になって注意を引きつけ、生徒たちが逃げる隙を作ろうとしている。
だが、敵の数が多すぎた。前からも横からも迫ってくる。一人だけでは止められない。逃げてもすぐに追いつかれる。
「……」
すずなの表情から、感情が消えた。
あれほどおどおどしていた目が、別人のように静まり返っている。すずなは無言で刀を抜き、一歩前に踏み出した。
スイッチが入った。そうとしか言いようがなかった。
鮮やかな一太刀が、最も近いガルゴスの体を深く切り裂いた。迷いのない、苛烈な斬撃。先程までオドオドした態度だった彼女からは想像もできない動きだった。
日和はすずなに続いた。すずなの斬撃で怯んだガルゴスに、追撃を叩き込む。
「くそ、やるしかねえ!」
吹き飛ばされていた神崎が壁際から立ち上がった。伊吹が吼えながら突撃し、東郷が冷静に指示を出す。美月が後方から状況を伝え続けた。
逃げられないなら、倒すしかない。全員がその覚悟で武器を握った。
何体かのガルゴスを倒すことに成功した。けれど——
倒しても、倒しても、数が減らない。
一体倒すたびに、その何倍もの増援が奥から駆けつけてくる。ガルゴスの本質。叫び声が叫び声を呼び、増援が雪だるま式に膨れ上がっていく。
いつまでも戦闘が終わらない。止まったら殺される。だから、止まれない。
腕が重い。息が上がる。視界が霞む。全員の動きが目に見えて鈍くなっていた。
全滅。その二文字が、日和の脳裏をよぎった。
もうだめだ。
どれだけ頑張っても、倒しきれない。全員の限界が、すぐそこまで来ている。そうなったら、死。
——ごめん、お母さん。
諦めそうになった、その瞬間だった。
胸元が、熱くなった。
日和は目を見開いた。首にかけたネックレスの小さな石が、眩い光を放っていた。凪原さんがくれた、お守り。あの石が今、闇の中で太陽のように輝いている。
何が起きているのかわからない。けれど光は止まらなかった。ダンジョンの暗闇を切り裂くように、どこまでも強く、強く——
ペンダントが、光り輝いていた。




