第03話 突然の別れと出会い※日和視点
日和が中学生になる少し前、お父さんが亡くなった。
交通事故だった。朝、いつも通り「行ってきます」と言って家を出て行ったお父さんは、そのまま帰ってこなかった。連絡を受けたお母さんが泣き崩れる姿を、日和は今でもはっきりと覚えている。
葬儀が終わっても、日和の中で何かが変わった実感はなかった。まだ信じられなかった。明日になったら帰ってくるんじゃないかって、そんな風に思っていた。
けれど、お父さんは帰ってこなかった。
それからの日々は、慌ただしかった。お母さんは色々な手続きに追われていた。保険のこと、お金のこと、これからの生活のこと。まだ小学生でしかない日和には詳しいことはわからなかった。けれど、お母さんが必死に頑張っているのは見ていればわかった。
ある日、お母さんが言った。
「日和、引っ越すことになったの」
お父さんと一緒に暮らしていた家には、もう住めないらしい。お母さんが何故か謝るような顔をしていて、日和は「うん、わかった」と答えるしかなかった。ただ、お母さんをこれ以上困らせたくなかったから。
引っ越し先のアパートは、想像していたよりもずっと綺麗な場所だった。
お母さんの知り合いから紹介してもらったらしい。外壁は白くて、エントランスには小さな花壇があって、共用部の廊下にはゴミひとつ落ちていない。前に住んでいた家とは違う場所だったけれど、不思議と嫌な感じはしなかった。
しかも、自分の部屋がもらえた。前の家ではお父さんとお母さんと三人で寝ていたから、一人の部屋なんて初めてだった。荷物を運び入れながら、日和は少しだけ胸が弾んだ。
「日和、こっちの部屋が日和の部屋ね。好きに使っていいよ」
「うん!」
嬉しかった。お母さんも少し笑ってくれた。久しぶりに見るお母さんの笑顔だった。
けれど、夜になると寂しさが押し寄せてきた。
一人の部屋は、広くて、静かで、暗かった。前の家では隣にお父さんがいた。寝息が聞こえていた。今はもうない。何も聞こえない。天井を見つめながら、日和はぎゅっと布団を握りしめた。
泣いたら、お母さんに聞こえてしまうかもしれない。だから泣かなかった。
新しい生活が始まった。お母さんは朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってくる。仕事が忙しいのだと日和は理解していた。文句なんて言わない。お母さんは自分のために頑張ってくれているのを理解している。
中学校にも慣れた。勉強も運動も真面目に取り組んだ。友達もできた。学校にいる間は平気だった。やることがあるから。考える暇がないから。
問題は、家に帰ってからだった。
一人でいると、ふとした瞬間にお父さんのことを思い出す。玄関の鍵を開ける時、誰もいないリビングに「ただいま」と言ってしまう時。日曜日の朝、隣の部屋から誰かが起き出す気配を待ってしまう時。
そういう瞬間に、胸の奥がぎゅっと締まる。
お母さん、早く帰ってきてくれないかな。
そう願いながら、日和は気づくと部屋の外に出ていた。階段に座って、エントランスの方を見ていた。お母さんが帰ってくる姿を少しでも早く見たくて。無意識にそうしていた。
「あれ、君は朝倉さん家の……? 一人で、どうしたの?」
声をかけてきたのは、このアパートの管理人だった。
凪原透。背の高い、静かな雰囲気の男の人。引っ越してきた日にお母さんと一緒に挨拶をした時のことは覚えている。優しい笑顔で「何かあったら声をかけてくださいね」と言ってくれた人。
「あ、えっと……お母さんを待ってるだけです」
「そうなんだ。外は暑いから、家の中で待ってた方がいいよ」
「大丈夫です。もうすぐ帰ってくると思うので」
凪原さんは少し考えるような顔をしてから、微笑んだ。
「それじゃ、帰ってくるまで管理人室にいるかい? お菓子ぐらいなら出せるよ」
断るべきだと思った。大人の男の人に不用意についていくべきではないかもしれない。迷惑をかけてしまうかもしれないし。
けれど、凪原さんの声は穏やかで、押しつけがましくなくて、日和は気づいたら「……はい」と小さく頷いていた。一人で居たくなかったから。
管理人室でお菓子を食べながら、日和は少し恥ずかしくなった。純粋に心配させてしまったのを理解したから。子供の私を放っておけなくて、付き合ってくれたんだ。お母さんだけじゃなくて、他の人にまで迷惑をかけている。自分はまだまだ子供なんだと思い知った。
このままじゃダメだ。
早く大人にならなきゃ。お母さんを支えられるぐらい、強くならなきゃ。
お菓子を食べ終えて「ありがとうございました」とお礼を言った。凪原さんは「また困ったことがあったらいつでもおいで」と言ってくれた。
部屋に戻ると、お母さんが帰ってきていた。
「おかえりなさい、凪原さんから話は聞いているわよ。後でお礼を言いに行かないと。日和も、ちゃんとお礼を言った?」
「うん」
連絡してくれていたらしいことに気づく。日和はその日、少しだけ温かい気持ちで眠ることが出来た。
それから、日和と凪原さんの距離は自然と縮まっていった。
お母さんが帰りの遅い日に、夕食をご馳走になることが何度かあった。凪原さんの作る料理は美味しかった。品数が多くて、味付けが丁寧で、一人暮らしの男の人が作るにしては上手すぎるんじゃないかと思った。お料理が趣味なんだろうか。私も、料理を勉強したほうがいいのかな。そんなことを日和は考えていた。
食事の後、学校の話をしたり、テレビを見たり、何でもない時間を過ごす。凪原さんは聞き上手だった。日和が話すことを、ちゃんと聞いてくれる。大げさに反応するわけでもなく、適当に流すわけでもなく、ちょうどいい距離感で相槌を打ってくれた。
不思議な人だった。
身近にいる大人の男の人って、中学校の先生ぐらい。でも、学校の男の先生たちと比べると違うような気がする。何がどう違うのかを、日和はうまく言葉にできなかった。凪原さんから、もっと別の何かを感じ取っていた。
甘えてしまう。
そばにいたいと思ってしまう。ダメだとわかっていても、一緒にいると安心する。凪原さんの近くにいると、胸の奥のぎゅっとした痛みが和らぐ。悲しいことが薄れていく気がする。
だから一緒にいたいのだと、日和は自分の気持ちを分析した。
でも、ちょっと違う気もする。それだけじゃない気がする。自分でも自分の気持ちがよくわからなかった。
中学の三年間は、あっという間だった。
日和は真面目に勉強して、優秀な成績を維持し続けた。定期テストでは常に上位に入り、体育の成績も良かった。サボることは一度もなかった。サボる理由がなかった。頑張ること以外に、今の自分にできることはないと思っていたから。
中学三年生になって、進路を考える時期がやってきた。
日和がまず考えたのは、どうすればお母さんを楽にできるか、だった。普通の高校に行って、普通の大学に行って、普通に就職する。それが一般的な道だろう。けれど、それだとお母さんを楽にできるのはずっと先の話になる。
もっと早く稼げる仕事はないか。日和は調べた。
ダンジョン探索士。
国家資格を持つ者だけがダンジョンに入ることを許される、今の時代の花形の仕事。危険は伴うけれど、報酬は高い。しかも、専門の高校に通えば在学中から実習で稼ぐ機会もある。
若いうちから、大金を稼げるらしい。
日和の目が、そこに止まった。
調べれば調べるほど、現実的な選択肢に思えてきた。学費はそこそこ高い。けれどネットの口コミを見ると、実習で集めた魔石を換金すれば学費や生活費を十分に賄えるという声が多かった。成績優秀者には奨学金制度もあるらしい。
運動は得意だ。体力には自信がある。勉強もできる。これなら、自分にもやれるかもしれない。
すぐ、お母さんに相談した。
「ダンジョンの学校に行きたいの」
お母さんは驚いた顔をしていた。心配そうな顔。それはそうだろう。娘がモンスターのいる危険な場所に行きたいと言い出したのだから。
「危なくないの?」
「学校でちゃんと教えてくれるし、いきなり危ない場所には行かないよ。最初は安全なところから練習するんだって」
自分で調べた情報を、一生懸命説明した。お母さんの不安を少しでも和らげたくて。
結局、お母さんは反対しなかった。「……そうね。日和が決めたことなら、応援するわ」と言ってくれた。
その言葉が嬉しくて、日和は絶対に合格しようと心に決めた。




