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第02話 普通でいよう

 透が記憶している一番古い思い出は、暗闇だった。


 目を開けたら、真っ暗な場所に身一つで寝転がっている。空気が湿っていて、どこかから水の滴る音がする。何も見えない。何もわからない。


 怖かった。


 泣いていた。声を上げて、泣き叫んだ。助けを求めるために。けれど誰も来なかった。暗闇の中で、透はずっと一人だった。


 どれくらいの時間が経ったのかわからない。突然、モンスターがやってきて透を殺した。


 次に目を開けた時、彼は自分のベッドの上にいた。朝になっていた。窓から光が差し込んでいて、隣の部屋から母親が朝ごはんを作る音が聞こえてくる。いつもと同じ朝。夢だったのかと思った。けれど、体の芯から冷たかった。背中に硬い地面の感触が、まだ残っていた。


 夜になると見知らぬ場所に連れて行かれた。次の夜も、その次の夜も、同じだった。眠ると暗い場所に飛ばされる。泣いて、怯えて、やがて意識を失って、朝になると自分のベッドに戻っている。毎晩。毎晩。どうしてそうなったのか、彼は理解できなかった。


 幼い透は、それを母親に打ち明けた。


 母親は心配してくれた。父親も同じように心配してくれた。二人とも、透の話を真剣に聞いていた。それから、透は病院に連れて行かれる。


 診察室で、透は医者に話をした。眠ると暗い場所に飛ばされること。見知らぬ場所でモンスターに襲われること。洞窟の中、水の音がすること。怖くて泣いてしまうこと。まだ幼かった彼は、うまく説明できなかった。なんとか状況を話そうとするけれど、うまく言葉が出てこない。とにかく怖かったことを伝える。


 そんな彼の話を聞いている医者は、不機嫌そうな表情だった。


 それから医者は透の話を聞き終わると、一つ頷いて、両親の方を向いた。


「特に問題はありません。よくある幼い子供の妄想ですよ」


 そう言って、その医者は続けた。


「わざわざ病院に連れてくる必要もない、騒ぎ立てる必要のないことでしたね。診察も時間の無駄でしたよ。我々も暇ではないので、こういったことはもう少し考えて病院に連れてきてください。必要以上に騒ぎ立てないでください。いいですね?」


 医者の声は冷たかった。母親と父親を責めているようだった。


 透は医者の顔より、両親の顔を見ていた。二人とも、申し訳なさそうな顔をしていた。母親は何度も頭を下げて、すみません、すみませんと繰り返していた。父親も黙って頭を下げていた。


 透はショックだった。自分が変なことを言ってしまったから、母親と父親が医者から怒られた。そう感じた。


 帰り道、母親は透の手を握って言った。


「ごめんね、透。怖い思いさせちゃったね」


 違う。謝るのはお母さんじゃない。俺の方だ。俺が余計なことを言ってしまったから。


 そんな経験があったから、透は決めた。


 あの場所のことは、もう誰にも言わないでおこう。普通でいよう。普通の子供でいよう。お母さんとお父さんに、これ以上迷惑をかけないように。


 それから、暗闇の中で泣くことはなくなった。代わりに、その場所を探索するようになった。戦い方を考えた。モンスターに殺されないようにする。それが目標となり、その場所の奥を目指して進む。夜の透と、昼の透は、まるで別人になった。


 その場所で過ごしているうちに、強くなっていく実感があった。何度か敵を倒せるようになって、初めての武器を入手することができた。それから繰り返し敵を倒してアイテムをドロップすることも発見する。それから、がむしゃらに敵を倒す。


 その場所での生き方を実践で学んでいった。生き残れるように、モンスターのこと、アイテムのこと、自分の能力のことを調べていく。段々とその場所のルールが分かってきた。体も成長していく。戦いに慣れていく。生き残れる時間が長くなり、奥へと進める確率が上がっていく。


 敵からドロップしたアイテムを使って、元の世界に戻る方法を見つけた。もう殺されなくても、元の世界に戻れる。


 それから更に探索を続けて、その場所の最奥まで辿り着いた。美しい球体を見つけた。おそらくこれを使えば元の世界に帰れるだろう。透の直感と知識が真実を導き出した。これで、クリアなのだろうか。もしかしたら、もう夜にこの場所に連れてこられることはなくなるかも。


 期待は外れた。その場所を無事にクリアしても、また別の場所が待ち構えていた。終わることのない探索の日々。


 誰にも言えなかった。あの日の両親の顔を思い出すと、口が動かなくなった。心配させたくない。嘘だって思われたくない。あんな世界が本当にあるのかなんて、証明することもできない。なので透は、一人で黙々と探索を続けた。


 透の学生時代は、特に語ることがない。


 普通に学校に通って、普通に友達と遊んで、普通に勉強した。成績は真ん中ぐらい。運動は得意だったけれど、目立たない程度に抑えた。部活には入らなかった。帰宅部。


 大学は一般的な大学に入って、四年間を無難に過ごした。卒業後は一般企業に就職した。営業職。毎日スーツを着て、名刺を配って、頭を下げる。極めて普通のサラリーマン生活。


 黙々と働いた。印象の薄い社員でいるように心がけた。それが透にとっての「普通」だった。


 転機は、2010年に訪れた。


 現実世界にダンジョンが出現した。


 最初にニュースで見た時、透はテレビの前で固まった。画面に映っていたのは、地面にぽっかりと開いた巨大な穴。そこから這い出てくる、見覚えのある形をしたモンスター。


 知っている。透は、アレを生まれたときから知っている。もしかして、自分が連れていかれていたのは、あそこなのか?


 そして、その場所が現実にも現れたというのか?


 世界中が大騒ぎになった。各国が対応に追われ、犠牲者が出て、情報が錯綜した。テレビもネットもダンジョンの話題で溢れかえっていた。


 透は黙って、それを見ていた。


 自分なら対処できる。モンスターの弱点も、ダンジョンの構造も、攻略の方法も、全部知っている。三十年近く毎晩潜り続けてきたのだから。名乗り出れば、きっと力になれる。


 そう思った。何度も思った。


 けれど、透の体は動かなかった。表舞台に出ることを拒否した。


 頭の中で、あの診察室の光景が再生される。医者の冷たい声。両親の申し訳なさそうな顔。母親の「ごめんね」。


 名乗り出たとして、信じてもらえるのか。説明したところで、どう思われるのか。頭のおかしい人間だと思われるのではないか。また周りに迷惑をかけるのではないか。


 そうやって悩んでいる間に、世界は動いていった。各国がダンジョンへの対策を整え、日本でも探索士の国家資格が作られた。魔石の活用法が発見され、エネルギー問題や医療の分野で革命が起きた。社会は透がいなくても、ちゃんと前に進んでいた。


 名乗り出るタイミングを、完全に逃した気がした。今さら「実は俺、三十年前からダンジョンに行ってました」と言ったところで、どうなるというのか。


 だから透は、これまで通り普通のサラリーマンを続けた。朝起きて、スーツを着て、会社に行って、働いて、帰って、眠って、ダンジョンに飛ばされて、攻略して、朝になって、また会社に行く。その繰り返し。


 サラリーマン生活は、それなりに順調だった。


 順調すぎた、と言うべきかもしれない。目立たないように、影を消すように働いていたつもりだった。仕事の成果を上司や同僚たちに持っていかれても気にしなかった。むしろ、こちらから望んで持っていってもらう。透に成果は必要ない。


 けれど、それが逆に上の目に留まったらしい。扱いやすくて、文句を言わなくて、それなりに仕事ができる社員。昇進の話が出始めた。


 まずい、と思った。


 昇進すれば注目される。注目されれば、色々と調べられるかも。調べられたら困ることが多すぎた。投資で膨れ上がった資産のこと。ダンジョン出現後、関連銘柄に投資していたら想定以上に増えてしまった。説明できない額の資産を持つサラリーマンになっていた。


 バレたくない秘密が増えていた。隠さなければならないことが、どんどん積み重なっていく。このまま会社にいたら、いつか破綻する可能性があるかも。普通じゃ、いられなくなる。


 だから透は、サラリーマンの仕事を辞めた。


 退職金と投資で得た資産を使って、アパートを購入した。自分で管理人をやる。住人との関わりは最小限。誰にも深入りされない生活を作った。


 これなら大丈夫そうだ。普通のアパート管理人として、静かに暮らしていけるだろう。


 透は、そう思っていた。


 アパートの管理人になってすぐ、新しい住人が入居してきた。母親と、その娘。朝倉さんと、日和ちゃん。


 シングルマザーだという朝倉さんは、仕事に忙しい人だった。朝早くに出て、夜遅くに帰ってくる。丁寧で感じのいい人。挨拶を交わすたびに、疲れた顔をしているのが少し気になった。大変そうだ。


 娘の日和ちゃんは、中学に上がったばかりの女の子だった。明るくて、元気がよくて、会うたびに「凪原さん、おはようございます!」と礼儀正しく声をかけてくれた。


 管理人と住人。それ以上でも以下でもない関係。透はそのつもりだった。


 けれど、母親の帰りが遅い日に、日和ちゃんが一人でアパートの階段に座っているのを見かけることが何度かあった。鍵を持っていなかったわけではない。ただ、一人で部屋にいるのが寂しかったのだろう。


 流石に見過ごせない。最初は声をかけるだけだった。もちろん、そのことを母親に伝える。そうすると、何故か夕飯を一緒に食べることになってしまった。それから母親の朝倉さんが仕事で遅くなる日は、日和ちゃんの分も作って一緒に食べる日があった。


 こんな未婚の男を警戒せず、娘の面倒を見させてもいいのだろうか。けれど、朝倉さんは積極的に関わらせようとしてきた。信頼されているのを感じた。


 気づけば、朝倉母娘との距離が近くなっていた。


 でも、これ以上は踏み込まないようにしよう。そう透が思っていた矢先だった。


 ある日の夕方、朝倉さんが珍しく早く帰ってきた。管理人室の前で、少し立ち話をした。世間話のつもりだったのだろう。話題は自然と娘の日和ちゃんの進路の話になった。そうか、彼女はもう高校に進学する時期なのかと思いながら。そして彼女の話を聞く透は、そんな個人的な話を聞いても大丈夫なのだろうかと心配になったりしながら。


「実は、日和がダンジョン探索士の学校に行きたいって言い出して……」


 朝倉は困ったように笑っていた。


「あの子、昔から言い出したら聞かないところがあるんです。でも、やっぱり親としては心配で。ダンジョンなんて、危ないんじゃないかって」


 その顔を見て、透の胸の奥がざわついた。


 娘を心配する母親の顔。彼も知っている表情だった。


「凪原さんは、どう思います? ダンジョンの学校って、やっぱり危険なんでしょうか」


 自分に聞くのか、と内心で苦笑した。ダンジョンのことなら、それなりに詳しい自信がある。けれど、ダンジョン探索士の資格すら持っていない自分がそんなことは言えるはずもない。


「危険な場所らしいですね。でも、学校ならちゃんとした指導があるでしょうし。日和ちゃんなら、きっと大丈夫ですよ」


 当たり障りのない答えだった。


 朝倉は少しだけ安心したような顔をして、「ありがとうございます」と頭を下げた。そして二階へ上がっていった。


 その背中を見送りながら、透は考えていた。


 あの子、ダンジョン探索士を目指すのか。あの元気な女の子が、モンスターのいる危険な場所に足を踏み入れるのか。なにか自分にできることはないか。透はそう考えていた。

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