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第14話 成長の日々※日和視点

 息を殺す。


 音を消す。存在を、削ぎ落とす。動きを止めて、呼吸すら最小限に抑える。


 日和は岩の陰に身を潜め、全神経を研ぎ澄ませていた。広大な訓練空間の中、薄暗い照明がフィールドを照らしている。


 どこかに、師匠である透がいる。


 気配察知と気配遮断。透が最初に教えると決めた二つのスキル。その訓練が始まって、数日は経ったはずだ。現実時間に換算すると、2週間ほどだろうか。ここで過ごしていると、ちょっとばかり時間の流れが曖昧になることがあると日和は思っていた。


 集中しろ。


 日和は目を閉じた。視覚に頼らず、空気の流れを、音を、気配を全身で感じ取ろうとする。


 ——いた。


 右斜め後方。かすかな、本当にかすかな違和感。空気が揺れたような気がした。


「そこですかッ!」


 ゆっくりと目を開けた次の瞬間、日和は振り返りながら叫んだ。


 そこには、腕を組んで立つ透の姿があった。


「正解」


 短い言葉だったが、日和の胸に温かいものが広がった。


「やった……!」


 思わず声が漏れる。何度も何度も失敗して、見つけられなくて、気づいたときにはもう目の前に立たれていて。そんな日々を繰り返してきた。


 今回は、接近される前に初めて発見できた。掴み取る感覚を理解できた気がする。


「そう、その感覚を忘れないように。だが、まだまだ甘い。次は俺が動く一瞬先に捉えられるように」

「はい!」


 透の言葉に、日和はうなずいた。厳しい指摘だったが、不思議と落ち込まなかった。しっかりと段階をクリアできた。次の目標が見えている。ちゃんと前進できている。それが嬉しかった。



***



 透の用意してくれた訓練場で、トレーニングを積み重ねる日々を過ごしている。訓練だけでなく、睡眠や食事なども行っている。


 もちろん平日は学校に行って授業を受けて、放課後に気配を消してアパートの一室に向かう。訓練初日に透から渡された指輪で光の門を開く。異空間に入り、訓練を積む。


 現実世界では1分30秒ぐらいしか経っていないから、夕食前には余裕で家に帰れる。


 普通の学生生活と、師匠との修行。その二重生活を、日和は驚くほど自然に受け入れていた。


 気配察知の精度は日に日に上がっていった。透が動かなくても、その存在を感じ取れるようになった。気配遮断も少しずつ身についてきた。完全に消すことはまだできないが、以前よりも長く隠れていられるようになった。


 身体も変わっていった。透が用意した器具を使ったトレーニング。最初は数回で限界だった動作が、今では何十回とこなせるようになっている。


「これ。師匠は、どれくらいできるんですか?」


 息を切らしながら日和が尋ねると、透は軽く肩をすくめた。


「さぁ、数えたことないな」


 実際、透のトレーニングを見ていると、まるで散歩でもしているかのような余裕だった。同じ器具を使っているはずなのに、汗一つかいていない。


 そんな場面をいくつも見て、この人は本当に人間なのだろうかと思うこともあった。けれど日和はもう深く考えないことにしていた。


 訓練の後の食事は、日和にとって何よりの楽しみだった。


 透の手料理は絶品だった。レパートリーが豊富だし、ダンジョン産の食材を使った料理は、食べるだけで身体の奥から力が湧いてくるような感覚があった。


 食べるだけで強くなれる。しかも美味しい。最高だ。


「おいしい!」

「それはよかった。ちゃんと食べて、強くなろう」


 透はそう言って、日和の皿におかわりを盛った。日和は、それをパクパクと平らげていく。これだけ食べたら太りそうだけど、その分運動で消費しているので問題はなかった。


 こうして師匠と一緒に食事をする時間が、日和にとって当たり前になっていた。



***



 学校での日和も、大きく変わり始めていた。


「なんだか最近、日和は凄いね。動きがぜんぜん違う」


 美月がそう言ったのは、学校での訓練中のことだった。


「そう?」

「うん。なんか、反応が凄いって感じ」


 一緒に訓練しているすずなもうなずいていた。初めての実地訓練で一緒に戦った仲間たち。あの恐怖を共有した三人は、以前よりも絆が深まっていた。


 日和は迷った末に、透から教わった内容の一部を彼女たちにも共有することにした。もちろん、異空間のことや時間のズレのことは伏せて。純粋な技術として、気配に意識を向けることの重要性を伝えた。


 透には事前に許可を貰っていた。「基本的な考え方なら教えても構わない」と言ってくれた。


 三人で放課後に自主練習を重ねるうちに、教えを請う人達が増えていく。日和の指導によって、彼らの動きはどんどん研ぎ澄まされていった。



***



 例の件があってから、しばらく実地訓練の予定が中止となっていた。1ヶ月後、ダンジョンでの訓練が再開された。


 以前と同じパーティー構成。以前と同じランクのダンジョン。けれど、中に入った瞬間から、日和は自身の成長を強く感じていた。


 空気の流れ。音の反響。気配の有無。


 以前は漠然と感じていたものが、今ははっきりと認識できる。


「左の通路、何かいるよ」


 日和がそう告げると、美月とすずながうなずいた。三人の連携は以前とは比べものにならないほどスムーズだった。あっという間に倒す。それを見て、神崎たちも感嘆の声を漏らした。


「凄いな」

「前衛は任せる」

「俺も負けていられない」


 危険を事前に察知し、有利な位置から仕掛ける。無駄な戦闘を避け、効率よくダンジョンを攻略していく。


 その様子を見ていた指導官が、感心したように何度もうなずいていた。日和たちに向ける目が、他の学生に向けるものとは明らかに違っていた。



***



 気づけば、季節が一つ変わっていた。


 学校側は日和たちの成長に注目し、課題の難易度を上げていった。それでも日和のパーティーは犠牲を出すことなく次々とクリアしていく。カリキュラムは短縮され、気づけば彼らは二年生になる前に仮資格を取得していた。


 本来なら、二年生の半ばでようやく手にするものだ。それを、日和たちは前倒しで掴み取っていた。その仮資格があれば、監督なしでダンジョンに挑戦できるようになる。


 日和たちは実戦経験を求めて、自主的にダンジョンへ足を運ぶようになった。学校の訓練と、透の指導と、実戦。三つの柱が日和を支え、成長を加速させていった。日和の周りにいる者たちも、彼女に影響されて通常の数倍ものスピードで成長していく。


 振り返ると、あっという間だったような気がする。けれど濃さは確かだったと日和は思う。以前の自分が知らなかったことを、今の自分は知っている。以前の自分にできなかったことが、今の自分にはできる。


 気配を、感じる。


 今では透の位置が、目を閉じていてもだいたいわかるようになっていた。完璧ではないし、透が本気で消したら当然わからない。けれども最初の頃のように、まったく何も感じられないというわけではなくなっていた。


 透にそれを伝えると、「もう一段階上げるか」と言われた。


 日和は少し笑った。この人は本当に、休ませる気がないらしい。


「はい、お願いします」


 答えながら、嬉しかった。


 まだ先がある。まだ上がある。追いかけたい背中が、いつでもそこにある。

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