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第13話 規格外な師匠※日和視点

「準備ができた。今日、時間あるか?」


 日和のスマートフォンにメッセージが届いた。


 休日の朝。まだ布団の中でうとうとしていた日和は、その短い文面を見た瞬間、眠気が吹き飛んだ。


 準備ができた。つまり、訓練が始まるということだ。


 すぐに「行きます」と返信してから、日和は飛び起きた。顔を洗い、着替え、母親に用意してもらった朝食をすぐに済ませる。


 鏡の前で髪を整えながら、胸の奥がそわそわと落ち着かないのを感じていた。


「凪原さんのところに行ってくる」

「迷惑かけないようにね」

「うん」


 母親に伝えてから部屋を出る日和。どんな訓練なんだろう。期待と緊張が入り混じった感覚が胸を満たしていく。



***



 部屋を出て階段を降りると、ちょうどのタイミングで透が管理人室の部屋から出てきた。


「来たね」

「はい。よろしくお願いします、凪原さん」


 日和が頭を下げると、透は軽くうなずいて歩き出した。


 向かった先は廊下の奥、空き部屋と思われる一室の前で透が立ち止まる。この部屋の中で訓練するのだろうか? 日和は首を傾げた。普通のアパートの一室だ。身体を動かす訓練には狭すぎる気がする。まずは座学ということか。でも、それだったら管理人室でいいんじゃないかな。


 鍵を開けて中に入っていく。日和も疑問に思いながら後に続いた。玄関を抜けて、短い廊下を進む。その先に何かを感じた。空中に浮いているそこに、透が手をかざした。すると、光が広がった。


「さあ、中に入るよ」

「は、はい」


 光に向かって歩いていく透の後に続いて、おっかなびっくり日和もついていく。すると、目の前に景色が広がった。


「わぁっ!?」


 日和は思わず声を上げた。


 広い。


 とてつもなく広い空間が、目の前に広がっていた。


 天井は遥か上方にあり、薄暗い照明が空間全体をほのかに照らしている。石造りの広場のような場所に、いくつかの建物が点在している。まるでダンジョンの中のような——。


「どうなってるの、これ……」


 日和は呆然と周囲を見回した。さっきまで普通のアパートの中だったはずだ。それなのに、いつの間にかこんな場所に立っている。


「訓練用の空間だよ。ダンジョン産のアイテムを組み合わせて作った」


 透は何でもないことのように言った。


「作った……?」


 日和は透の横顔を見つめた。


 この人は今、とんでもないことを言わなかっただろうか。ダンジョン産のアイテムを組み合わせて、こんな空間を作ったなんて。


 すごい人だとは思っていた。実地訓練で助けてもらったときに見せつけられた、モンスターとの戦い。並外れた実力者だとはわかっていた。


 けれど、これは——


「こっちだ」


 透に促され、日和は慌てて後を追った。広場を横切り、石造りの建物の一つに入る。中にはテーブルと椅子が用意されていた。


「さあ、座って」


 日和は言われるままに椅子に腰を下ろす。なんとも座り心地がいい。高級な椅子なのかと思った。透も向かいに座った。


「まず、日和ちゃんが学校で何を学んだか詳しく聞かせてくれ。ダンジョンの構造、モンスターの種類、戦闘技術。知っていることを教えてほしい」


 日和はうなずき、学校で習った内容を話し始めた。


 ダンジョンの階層構造。出現するモンスターの分類。基本的な戦闘フォーメーション。探索士として必要な知識を、順を追って説明していく。


 透は真剣に聞いていた。時折うなずき、時折首を傾げる。


「——だいたいそんな感じです」


 日和が話し終えると、透は少し考え込むような顔をした。


「学校の教育は戦闘に偏っているみたいだね。悪くはないが、足りない部分がある」

「足りない部分?」

「生存術だよ」


 透の声は静かだったが、重みがあった。


「ダンジョンで一番大事なのは、生き残ることだ。どれだけ強くても、不意打ちを食らえば死ぬ。だから俺は、まず気配察知と気配遮断を教えようと思っている」


 気配察知と気配遮断か。


「敵に気づかれる前に、こちらが先に気づく。それができれば、戦闘を避けることも、有利な位置から仕掛けることもできる。戦闘力を上げるより先に、まずそこからだ」


 日和は真剣な顔でうなずいた。


 実地試験でガルゴスに遭遇したとき、自分は何もできなかった。気づいたときにはもう囲まれていて、逃げることすらできなかった。


 もし気配を察知できていたら。もし事前に危険を感じ取れていたなら違った対処ができたはず。


「わかりました。よろしくお願いします」


 日和が頭を下げると、透は満足そうにうなずいた。話しているうちに、気づけば、かなり時間が経っていた。


「話していたら、お腹が減ってきたかな。昼食の用意をしよう」

「それじゃあ私は、一旦部屋に戻ります。お母さんが昼食の準備をしてくれているかもしれないので」

「あ、ちょっと待って」

「はい?」


 呼び止められた日和は、この空間の更に凄い事実を教えられた。


「実はここ、外と時間の流れが違うんだよ」

「え?」


 ここは特別な空間で、外と中で時間に大きなズレが生じている。この中で過ごしている間、外ではそんなに時間が経過していないらしい。そんなことが可能なのかと、日和は言葉を失った。


 すると透は、ダンジョンで手に入れた特別なアイテムによるものだと説明した。


「それで、時間のズレが生じると年を取るスピードも変わってしまう。訓練を続けると、周りとの変化で色々と問題が生じるかもしれない。だから、これも用意した」

「……えぇ?」


 年を取るスピードをコントロールする若返りの薬。それで、過ぎてしまった時間を調整するように言われた。


 世界にダンジョンが現れて、モンスターが現れ、魔法なんてものの存在も明らかになった。ファンタジーなことに触れるのも普通になってきたと思っていたけれど、もっと上があったなんて。


 時間を操作する空間。老化を防ぐ薬。そんなものが、この世界に存在するのか。いや、存在するとして——この人は、それを個人で所有しているのか。




 最初はアパートの管理人で、優しい人だと思った。だけど、それだけじゃないと知った。すごい人だと知った。だけど、その認識だけでは甘いぐらい。


 透に対する印象が、次々と書き換わっていく。


 これは「すごい」の範疇ではない。規格外だ。世界のルールから外れている。こんな存在が、普通にアパートの管理人をやっていること自体がおかしいと思う。少しだけ、背筋が冷えた。


「凪原さん」

「ん?」

「あなたは……何者なんですか」


 思わず、そんな言葉が口をついて出た。透は少しだけ困ったような顔をして、それから肩をすくめた。


「ただのアパートの管理人だよ」


 どこがだ。


 日和は心の中で叫んだ。けれど同時に、この人がそう言うなら、そういうことなのだろうとも思った。


「日和ちゃん。これは、他言無用でお願いするね」

「もちろんです、凪原さん。誰にも言いません」


 私だけが、この人の秘密を知っている。その重さと、その意味を、日和は確かに受け止めていた。


 信頼されている。だからこそ、この場所に連れてきてもらえた。鍛えてほしいとお願いして、それに応えてくれる。日和は、そんな彼の信頼を裏切らないようにしようと覚悟が固まっていくのを感じた。


 頑張って強くなろう。日和は背筋を伸ばし、真っ直ぐに彼を見つめた。

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