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第12話 初めての弟子のために

「……さて、どうするか」


 掲示板に新しい紙を押し当てながら、透は小さく呟いた。


 アパートの一階。郵便受けの横に設置された掲示板の前に立ち、古くなった案内を剥がしていく。端が少し丸まった紙を丁寧に剥がし、代わりに新しいお知らせを貼り付ける。


 水道点検の日程変更。ゴミ出しルールの再周知。よくある内容だ。


 画鋲を一つ、二つと押し込んでいく。 


 作業自体は単純で、考えることもほとんどない。 だからこそ、頭の中は別のことでいっぱいだった。


 日和のことだ。


 弟子にしてほしいと頭を下げてきた少女。あの時の真剣な表情が、ふとした瞬間に思い出される。あそこまで言われて、断りきれなかった。


 という訳で、引き受けた。


 ――引き受けてしまったのだが。


(さて、どうやって鍛えるか)


 画鋲を押し込む指が止まる。


 まず基礎体力。ダンジョンでは逃げ足が命綱になる場面が多い。それから索敵の感覚。気配の読み方。足音の消し方。罠の見分け方。


 これがいいか。いや、ソレよりも効率がいい方法がある。アレと組み合わせれば、もっと伸びるかもしれない。


 次の紙を手に取る。ゴミ収集日の一覧表。透はそれを丁寧に掲示板に合わせながら、頭の中ではまったく別の地図を広げていた。


 安全なルートの構築の仕方。モンスターの行動パターンの見極め方。効率よく経験を積める狩場の選び方。それらを順番に教えていけば、最短で大きな戦力になれる。


 もちろん、重要なのは戦闘技術だけじゃない。むしろ、そっちのほうが大事。


 撤退の判断について。装備の選び方。回復アイテムの使いどころ。仲間との連携に関しては、俺にも教えられないかもしれない。だが、シミュレーションはできるか。


 毎晩ダンジョンに潜り続けた時間。その中で積み上げてきた経験と知識。生き残るために磨き続けてきた技術。全部教えられる。せっかく弟子を取るのだ、出し惜しみする理由がない。


(あとは実戦形式の訓練もやりたいよな。安全な階層で実際に戦わせて、動きの癖を修正していく。実戦経験を積む。ソレを繰り返せば――)


 誰かに教えるなんて、これまで考えたこともなかった。けれど、いざ考え始めると止まらない。一つの訓練案が浮かぶたびに、そこから派生して次の案が出てくる。


(……せっかくだし、やれるだけやってみるか)


 自然と、そんな結論に行き着く。


 そこでふと、自分の思考に気づいた。


 ――思った以上に、俺も乗り気になっているな。


 本来なら、こういうことには距離を置いてきたはずだった。目立たないように。普通でいるために。余計なことはしないように。


 それが、自分のやり方だった。なのに。


 掲示板の前で画鋲を整理しているだけの管理人が、頭の中だけで壮大な育成計画を組み立てている。冷静に考えると、だいぶおかしな構図だ。


 けれど、考えるのが純粋に楽しかった。ワクワクしていた。


 どうすれば効率よく強くなるか。どうすれば安全に生き残れるか。どの順番で教えるべきか。


 そういうことを考えている時間は、思っていた以上に悪くない。


(……いや、普通に楽しいな、コレ)


 最後の画鋲を押し込みながら、透はそう思った。無意識のうちに、口元がわずかに緩んでいる。本人はまったく気づいていない。


 アパートの掲示板に貼られた紙は、まっすぐ整っている。


 いつも通りの管理人の仕事。


 誰にも気づかれないまま。静かに、確実にこなしていく。


 その日はいつもと比べたら、少しだけ楽しげに。



***



 掲示板の作業を終えて、自室に戻る。椅子に座って、静かに考えをまとめていく。


 まず、何を最優先にするか。


 戦闘技術。探索術。体力づくり。魔力の運用。候補はいくつもある。けれど、透の中では答えがすでに決まっていた。


 ――気配察知。気配遮断。


 やはり、優先するべきはこの二つだろう。


 ダンジョンは、戦う場所じゃない。そこから生きて帰る場所だ。


 どれだけ強くなっても、不意打ちを食らえば死ぬ。どれだけ技術を磨いても、囲まれれば終わる。透が三十二年かけて学んだのは、そういう現実だった。


 だから、まず遭遇を減らす。モンスターに見つかる前に、こちらが先に気づく。見つかりそうなら、気配を消して隠れる。


 戦うなら、準備を整えてから。こちらが有利な状況を作ってから仕掛ける。


 コレが、透の生存術の根幹だった。


 実際、透自身が飛躍的に生き残れるようになったのは、戦闘力が上がった時ではない。気配察知と気配遮断を身につけてからだ。


 それまでは毎晩のように瀕死になっていた。死んで戻ってくることも多かった。どれだけ剣技を磨いても、不意の遭遇で台無しになる。


 けれど、この二つを覚えてからは世界が変わった。


 敵の位置がわかる。数がわかる。強さの目安がわかる。戦うべきか、避けるべきか、判断する余裕が生まれた。


 死んでしまうことが、激減した。


 日和から聞いた話によると、学校ではダンジョンの情報を学ぶ座学も多いけれど、戦闘訓練に多くの時間を割いて学んでいるらしい。


 派手で、わかりやすい。成長も実感しやすい。


(……生き残るためのことは、あまり教えていないのか。現実世界のダンジョンは、死んだら終わりだと思うが)


 戦闘技術は点数がつけやすい。順位も出せる。授業として形にしやすいのか。気配察知も気配遮断も、極めて感覚的なスキルだ。数値化できない。テストにならないとか。


 だからこそ、自分が教える意味がある。



***



 次は、訓練場所を用意するために透は動き始めた。


 アパートの一階、奥の突き当たり。物置として使っている空き部屋の前に立つ。鍵を開けて中に入ると、埃っぽい空気が鼻をついた。


 古い棚。使わなくなった掃除用具。段ボール箱がいくつか。


 透はそれらを手際よく片付けると、何もない壁の前で足を止めた。


 ここに作ろうか。


 これまでダンジョン攻略で手に入れたアイテムは、膨大な量になっていた。魔石。武器。防具。希少素材。スキルストーン。普通なら一つ手に入るだけで大騒ぎになるようなものが、山のように眠っている。基本的にはボックスに収納している。だが、そこに収まりきらないものや危険の少ないものなどをこの部屋にも置いていた。


 売ったり処分する手段がなかったから、どんどん溜まっていく。透のダンジョンは夢の中の異空間だ。そこで手に入れたものを現実に持ち出すことはできるが、出所を説明できない。だから、ずっと溜め込んでいた。捨てていくのももったいないしな。


 今まで、使い道がなかった。でも今日は、色々と必要になった。


 透はボックスから、いくつかの素材を取り出した。空間を歪める効果を持つ結晶。時間の流れを操作する砂時計型の遺物。空間を固定するための楔石。


 壁に結晶を埋め込む。床に楔石を四隅に配置する。砂時計の遺物を中央に据えて、魔力を流し込んで起動させる。


 作業は淡々と進んだ。透にとっては、本棚を組み立てるのとそう変わらない感覚だった。


 数分で完成した。


 外から見れば、何の変哲もない壁。けれど透が指輪をかざすと、壁面に光の線が走り、人一人が通れる大きさのゲートが開いた。


 中に足を踏み入れる。


 広い。ダンジョンの一区画に匹敵する広さが、薄暗い空間の中に広がっていた。地下の石造りを思わせる壁と床。照明代わりに、淡く光る魔石を壁のあちこちに埋め込んでいく。殺風景だが、訓練にはちょうどいい。


 そしてこの空間の最大の特徴は、時間の流れだ。


 内部の時間は、外の千分の一。現実で1分30秒ほど経過すれば、この中ではおよそ1日の時間が流れる。外から見れば少し部屋に入って出てきただけ。その間に、1日の訓練ができる計算だ。


(足りなかったら、後で調整しよう)


 続けて、空間の中に装備を運び込んだ。


 剣。槍。弓。短剣。盾。軽装の鎧から重装備まで。ダンジョンで手に入れた武器や防具を、壁際にずらりと並べていく。初心者向けのものから、そうでないものまで。日和の成長に合わせて段階的に使わせるつもりだった。


 回復薬。解毒薬。体力回復の食糧。それらも棚を作って整理した。


 さらに、もう一つ。


 透は小さな瓶を取り出した。中には琥珀色の液体が入っている。


 若返りの薬。


 時間倍率のある空間で長期間過ごせば、当然、老化する。この空間で過ごした分だけ歳を取っていく。現実世界とのズレが生じていく。この薬を飲めば、時間経過による老化を相殺できる。


 これもダンジョン産の素材から調合したものだ。使う分を事前に用意しておく。


(この場所への出入りの制御も必要だな)


 透は指輪を一つ、新たに加工した。日和専用にチューニングを施す。この指輪を持つ者だけがゲートを開ける。他人が壁に触れても、何も起きない。間違って入ってくる心配はない。


 外から見れば、ただの空き部屋。電気の点滅すら起きない。


 すべての準備を終えて、透は空間の中央に立った。


 広い訓練場。充実した装備。時間の制約を超える仕組み。老化への対策。アクセスの管理。


 一通り、揃った。


 客観的に見れば、これは完全に規格外の環境だった。探索士を育成する学校でも、こんな訓練施設は用意できない。


 けれど透の感想は、至ってシンプルだった。


(これぐらいあれば、まあ大丈夫かな。必要最低限、ぐらいか)


 溜め込んでいたものを、ようやく使えた。それだけのことだ。


 透はゲートをくぐって現実に戻ると、壁の前で指輪を外した。何事もなかったかのように、空き部屋の鍵を閉める。


 あとは、日和に指輪を渡すだけだ。


 アパートの廊下を歩きながら、透はポケットの中の指輪に触れた。小さな金属の輪。これ一つで、あの空間への扉が開く。


 これまでは全部、自分のためだった。生き残るために。ただ、それだけだった。


 誰かのために、ここまで準備をしたのは初めてだった。


 悪い気分では、ない。ただ、慣れない。


 透はいつもの無表情のまま、管理人室である自室に戻っていった。

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