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音色  作者: 上野奏空
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恋色①

「ほろろろろん。」

 校内にピアノをの音が響き渡る。

 僕はこの音に恋をしている。


 入学してから二度目の春を迎えた。去年から変わったことと言えば、後輩ができたことと、放課後に毎日ピアノの音色が聴こえてくるようになったこと。

 初めてピアノの音色を聴いた時、その音は胸に吸い込まれて、液体となって目からこぼれ落ちた。美しい、と思った。一耳惚れだった。

 音楽に触れてこなかったため、誰の何という曲かはわからなかったが、曲に、ではなくピアノの音色に惚れていたため、そんなことはどうでもよかった。最近、買い換えたスマートフォンは、音質の良さを売りにしていたが、それで聞いたピアノの音は、全く響かず右耳から左耳へ流れ出た。学校で聴こえてくるこのピアノの音が好きなんだと改めてわかって嬉しかった。

 今まで誰かを、何かを、好きになったことはほとんどなし。そんな僕にとってこの気持ちは初めて。初めてなのに絶対に恋だとわかった。「恋」という単語がどこか気恥ずかしくて、目をぱちくりさせた。


 僕の唯一の趣味は絵を描くことだった。その中でも油絵が好きだった。油絵の重厚な質感が好きだ。重ねれば重ねるほど味が出る油絵が大好きだ。

 そんな僕は、迷わずに美術部に入部した。ピアノの音色が聴こえてくるのは決まって放課後だったから、帰宅部だったらこの音色に出会えていなかっただろう。運命だなぁ。「運命」という単語が僕のどきどきを強くした。


 ピアノの音色は毎日、校舎全体を包み込むように響き渡っていた。

 廊下の遠くで笑い声が響き、グラウンドからは野球部の掛け声が聞こえてくる。そんな中、音楽室から流れるように漏れるピアノの音は、まるで別世界のものだった。

 柔らかく、時に力強く叩かれた鍵盤から響き渡る音が校舎の空気を震わせる。

 この音に対する、行き場のない好きという思いをこめて、ひたすらに絵を描いた。

 絵を描いている時に、ピアノの音と重なると、まるで世界が自分とピアノの音色だけでできているような感覚に陥った。ピアノの音が僕の絵に色を与えてくれているようでもあった。それがどこか心地よくてぽかぽかした。


「静谷くん、最近、頑張ってるじゃん。うちの学校から何人かコンクールに出したいなって思ってて、静谷くんどう?」

 美術室の鍵を返しに行った際に、顧問の伊藤先生からそう問われ、口元が緩む。褒められることも、人から認められることも嫌いではなかった。

 しかし、即答はできなかった。今、描いているこの絵を他の人たちに見られるのが恥ずかしかった。好きという気持ちを込めて描いたこの絵を。

 でも誰にも届けずに終わりそうなこの思いを、誰かに届けられたらいいな、ピアノの音色のように、僕の絵も誰かの「好き」になれたら、もっといいな。

 僕は今までたくさん選択を誤ってきた。この選択は大切だとなんとなくわかった。「やらない後悔よりやる後悔」そんな言葉が頭をよぎる。

「やります、出したいです!」

 伊藤先生は笑顔でうなずいた。


 コンクールに出すと決めてからは、より一層、本気で絵に向き合った。辛くは無かった。ピアノの音があったから。それに合わせて筆を動かすのが楽しかったから。

 ピアノの音はいつでもまっすぐと僕の胸に響いてきて、鼓動を速めた。

 どきどきどきどき。

「おえっ。」

 ピアノの音と、僕の胸の音と、筆の音が合わさって、それがあまりにも素敵で、吐きそうになった。

「だいじょーぶ?」

 同じ美術部の菊池くんが馬鹿にしたような笑みを浮かべて聞いてくる。

 僕はこの人が苦手だ。キンキンの金髪に着崩した学ラン、僕よりも友達がたくさんいて、部活中もふざけていて、でも絵だけはすごく素敵。それがすごく嫌だった。

 作り笑顔でうなずいた。


 ミーンミンミン。

 最近は春でも暑いから、セミの音で夏を実感する。

 べったりと纏わりつくシャツが気にならないくらい、絵が完成した達成感に包まれていた。

 夕焼けに照らされた校舎に桜の花びらが舞っている絵。ピアノの音に出会った時の感動と、今まで続く恋心を込めて描いた絵。

 大きく息を吸い込むと油絵の独特な臭いが全身にまわった。


 まだ暑さの残る九月。

 文化会館のロビーに飾られた僕の絵の下には「入選」という文字。菊池君の絵の下には「審査員特別賞」と書いてあった。彼の絵はあいかわらず素敵で鼻の奥がツンとした。

 僕たちの絵は一週間ほど、県が運営している文化会館のロビーに展示された。

 最終日である日曜日、僕は外との温度差で小さく震えていた。公共の場所はクーラーがガンガン。長袖にすればよかった。また間違えた。

 そんなことを考えながら、遠くからぼーっと自分の絵を眺めていると、僕の絵の前で女の子が立ち止まる。同じ学校の制服だった。じーっと絵を見るその目は潤んでいた。

 胸がぎゅっとした。

 今回の選択はあっていたのかも。


 よかった。描いてよかった。

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