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第27話 喫茶店の奥の席

 仮面を着けた貴族たちが見下ろす円形の闘技場。

 そこで灰色の髪と黒のドレスをなびかせるエレノアの姿に、周囲は静まり返る。


 後半の戦闘はやや残虐寄りだが、それで騒ぐ初心な貴族はここにはいない。寧ろ、エレノアの恐喝や屈服劇に口角を上げ、興奮する者もいた。

 ただ、それでも静寂だった理由は一つだ。


「……ヴ、ヴィクトリアの使い魔に賭けておいた」


「あら、勝てて良かったわね」


「なんや、うちもやっておけば良かったわ」


 大半の貴族はセレナの使い魔の方に賭けていた。

 理由は明白だ。強いからだ。

 強力な魔法を使える使い魔を各地に派遣し、無償でモンスターや盗賊を仕留めてきた。その評判が聖女候補の中でセレナの注目を集めることに繋がっていた。


 加えてセレナは定期的にミカエルを『血染めの舞踏会』に参加させていた。

 戦闘用の使い魔を使役する貴族が、アピールとして『血染めの舞踏会』で華々しい活躍をさせるのはある種の伝統だ。


 ミカエルはこれまで多くの貴族を負かした実績があった。

 対して、今回の相手はブラッドベリー家の使い魔ではあるが、真偽の疑わしい賞金首の討伐者だ。実績など殆どない。

 見栄を張った結果、聖女候補によって悪女が引導を渡されるのだと嘲笑する者もいた。


 だが、蓋を開ければどうだ。


 悪女の使い魔エレノア・オムニティスは強かった。

 聖女候補の使い魔ミカエルの重力魔法に対して苦戦しているように見えていたことすら一種のパフォーマンスだったのではと思わせる内容だった。

 いずれにせよ、この一戦で貴族たちの目は変わった。

 周囲の静寂が戸惑いと理解に変わり、騒めきが生じ始めようとしていた。


「いや~、ヴィトさんとこのエレっち。強いやないの。次、うちがヤりたいんやが?」


 拍手があった。フリーデリカだった。


「また今度ね。それにしても拍手が小さくて聞こえないのだけど? 見なさい、うちのエレノアが戸惑ってるわ」


「おお! それは失礼した。立ち去る前に拍手! 喝采したるわ~!」


 フリーデリカの言葉に他の貴族たちも動き始める。

 まだらだった拍手が徐々に大きくなり、やがて歓声へと変わった。



 ◇



「──大したことなかったのね。お前の使い魔」


 小さいのによく通る声がセレナの頬を強張らせた。

 ヴィクトリアだ。

 仮面をつけてなお、その気品ある佇まいは変わらない。遅れて拍手を始めた周囲を冷たい目で一瞥すると、そのまま堂々とセレナに歩み寄ってくる。


「……ふん。下品な歓声ね。花を持たせてやったことにも気づかないなんて」


 セレナの言葉にヴィクトリアは歩みを止める。


「花?」


「あなたの使い魔、今日がデビューでしょう? 折角だから箔を付けさせてあげたわ」


 周囲の視線を受けたセレナは微笑を浮かべる。

 まるで、その場の空気や視線こそが愚かだと言わんばかりの余裕の笑みだ。


「あら、そんな考えがあったの? 下らな過ぎて気づかなかったわ。だって、あんな自信満々に宣言しておいて、こんな情けない負け方しているんだもの。驚いたわ。あなた、人を笑わせる才能があったのね」


 嘲笑うように告げたヴィクトリアにセレナの赤い唇が歪む。


「それに、主に代わって謝罪してくれるなんて素晴らしい使い魔をお持ちなのね。……わたくしだったら恥ずかしくて憤死してしまいそう」


 ギリッと歯を食い縛るセレナはヴィクトリアを睨みつける。

 仮面の奥に、屈辱と怒り、殺意と憎悪が満ちるのが見えた。


「……やめなさい、二人共」


 一種触発の空気、そこに静かに割って入る影があった。

 フラリス・ヴェルダント。司法を司る家系の令嬢であり、冷静と理性の象徴。その声音は決して荒げず、しかし、冷たい圧がその場の空気を沈める。


「ここは血染めの舞踏会。言葉ではなく力で示す夜会よ。既にこの場のルールに従い、多くの貴族たちの目がある中で決着はついた。それに逆らえば困るのはセレナ、あなたよ」


 その言葉にセレナの拳が震える。


「……次は学園の方たち向けのお遊戯──いえ、慰安の夜会でしたね。とても楽しみです。フラリス、日取りが決まったら教えて頂けますか? あたくしも参加するから」


 そのまま背中を向けてセレナはその場を去った。

 小さく吐息するフラリスは、続けてヴィクトリアに半眼を向ける。


「ヴィクトリア。あなたもその辺りにしなさい」


「誰に言ってるのよ」


「あなたです」


 ヴィクトリアは鼻を鳴らして、顔を背ける。

 その視線は、眼下にいる黒いドレスの女性に向けられる。フラリスはヴィクトリアの横顔を見て、僅かに躊躇いながらも問いかけた。


「……それにしても今回は随分と丁寧ね。いや、むしろ丁寧過ぎない?」


 返事はない。


「私の知るあなたなら、セレナに対してとっくの昔に報復している筈。私たちを巻き込まず、夜会を開くことなく一人で報復していたでしょう?」


 返事はない。

 ただ、静かに小首を傾げるヴィクトリア。仮面から覗く紫紺の瞳がフラリスの目を惹く。その美貌と容姿が自身とを比較させ内心でため息を吐かせる。

 だが、そんなものは幼少期からの付き合いで慣れた。すぐに逃げるカルロッタとは違う。


「なんというか、復讐よりもあの使い魔を試していたかのような──」


「今日はよく喋るのね、フラリス」


 たった一言にフラリスは言葉を止める。止めさせられた。

 ヴィクトリアの瞳に見据えられた瞬間に口が動かなくなる。目は口ほどに物を言う、だったか。かつて王国を創造した転生者たちが残した言葉がフラリスの脳裏を過る。


『──あの日、何も言わずにわたくしを切り捨てた癖に友人の真似事?』

『──知った風な口をきかないで貰える? この泥棒猫が』


 実際にヴィクトリアが口にした訳ではない。

 ただ、彼女の目を見た瞬間、フラリスには何故かそんな幻聴が頭を過ぎった。頭の中に響くような、鮮明な彼女の声に息を止める。


「……ッ」


 ほんの一瞬の出来事だった。

 気がつくと興味を失ったかのようにヴィクトリアの瞳が逸らされていた。


「外に迎えが来ているようだから、わたくしはもう帰るわ。フリーデリカとカルロッタも、また会いましょう」


 ヴィクトリアは背筋を伸ばしたまま、ゆったりとした裾を摘まみ上げる。そのまま流れるように頭を下げる。

 それは長く夜会を過ごしてきたフラリスですら目を惹く淑女の礼であり、追及を拒むものだった。立ち去ろうと背中を向けたヴィクトリアが振り返った。


「お前のことだから元々、学生向けの夜会準備をしていたのでしょう? 十日以内に開きなさい。もちろん、あのバカ殿下も呼ぶように」


 そんな無茶苦茶な言葉を残して、自らの使い魔を引き取りに闘技場の控室に去った。


「……やっぱり、あなた、少し変わったわね」


 フラリスの言葉は周囲の喧噪にかき消された。



 ◇



「この……役立たずが!」


 人払いされた闘技場の廊下、跪く自らの使い魔を蹴るセレナが声を上げる。

 忠実で使える使い魔の筈だった。教会に多額の寄付をして与えられた使い魔だというのに、なんだ、この失態は。


「あたくしに恥をかかせるなんて!」


 何のためにあれだけの寄付をしたと思っているのだ。

 全ては、セレナこそが教会から聖女として認定される為だ。


 ルミナリエ公爵家は代々、聖女を輩出してきた家系だ。

 当然、セレナも聖女として認定されると思っていたが、教会は異様に渋る。あくまで聖女候補に留めるだけで、いつまでも聖女として認定しないのだ。

 だから、最近は周囲の視線も冷たくなってきているのにセレナは気づいていた。如何に聖女らしくあろうと振る舞っても、寄付金を出しても、決して認められない。


 なら、自分を上げるだけでは足りない。

 周囲の人間もバレないように蹴落とせば良いのだ。ヴィクトリアもその一人だ。おあつらえ向きに悪女なんてどこかのバカが名付けた二つ名まである。

 聖女の敵としては十分に使える。しかも婚約者は第二王子。次期国王に近い存在だ。名声を高め、地位を上げ、婚約者を奪えば、教会は必ず聖女認定する。


 幸い、セレナは公爵家の令嬢だ。

 権力も金もある。少しお願いすれば勝手に行動してくれる信者も使い魔もいる。今日の夜会だってヴィクトリアが来るという情報を教会の司祭がわざわざ教えてくれたのだ。


「あの盗賊共も、足止めの一つもできないなんて無駄金だったわ」


 教会も何か事情があるにせよ、セレナを聖女にしたいのは間違いない。


「全部、全部、あの使い魔が悪いのよ! あの使い魔とヴィクトリアが契約してから変わった!! クソッ!!」


 だから、セレナとしてはエレノアを潰したかった。

 期待に応え、結果を出し、悪を砕いた偉大な聖女として名を上げたかった。


 そう思っていたのに、今日の夜会はなんだ。

 ──何故、逃げ帰るように去らなければならないのか。


「ミカエル。あたしっ、あたくしに対して何か言うことはない訳? ねえ!」


「……申し訳ありません」


 苛立ち紛れに使い魔を蹴り飛ばす。

 聖女に相応しいと側だけ天使に似ている魔族を用意して貰ったが駄目だったか。仕方がないが、更に寄付金を注ぐしかないか。

 幸い、教会に属している限り、使い魔を強化する方法には事欠かない。


 セレナはヒールの踵で床を強く鳴らしながら、レスティナのすぐ傍まで来ると、その肩を蹴り上げた。


「何よその顔。醜いわね」


「……すみません」


 レスティナは黙って頭を下げる。震えながら静かに次の命令を待つ。

 その姿を見たセレナはレスティナの前に立つと、甘ったるい笑みを浮かべた。


「ねえ、レスティナ? あの女、潰したいわよね。……学園襲撃の書類、うまく忍び込ませられたんでしょうね?」


「今、知り合いの侍女に対応させてます」


「それだけだと駄目よね?」


「しょ、証拠の品……イヤリングなどの回収も進めてます」


「そう。なら、次の夜会までに急ぎなさい。いいわね?」


 レスティナは再び頷き、その場を去る。

 セレナはその背を見送りながら、まるで祈るように胸の前で両手を組んだ。



 ◇



 レスティナ・レイモンドはため息を吐いた。


(あれでも他の聖女候補の中で一番可能性があったんだけど……)


 セレナが気に入らない取り巻きを玩具のように扱い、心を病ませて領地で療養させるような人物でも、将来は有望だ。

 最近はあのヴィクトリアを蹴落として、第二王子との関係も良好だ。

 順当にいけばセレナは教会に聖女として認定される。


(でも、第二王子の件は私の功績だ)


 思い出すのはセレナの家に茶会で招かれた時のことだ。


「ねえ、レイモンド。あなた、アンドリュー・シルヴァンとリュカス・アストリアとは幼馴染の関係だったわね。ちょっと誘惑して、仲を深めてきてちょうだい」


「お、幼馴染とは言ってもそんな関係じゃ……」


「大丈夫よ。ああいう男は口では理想や名誉を語っても、軽く肌を触らせて、適当に褒めてあげれば簡単に堕とせるわ。なんなら、あたくしが持ってる媚薬も貸してあげる」


 結論だけ言えば、セレナの助力もあって誘惑は上手くいった。

 第二王子の取り巻き二人に女として取り入り、そこを経由して第二王子とセレナが仲を深めることができるように手を尽くした。


 この時点でセレナの取り巻きの中でも、頭一つは飛び出たと言える。

 順当に進めば、将来の地位は約束される。

 その為なら、悪女という評判を受けている女を冤罪で蹴落として、第二王子との婚約を破棄させたことも仕方ないだろう。貴族社会とはそういうものだ。


 聖女こそが正義だ。

 そして、いずれ聖女になるであろうセレナが正義で悪はヴィクトリアだ。悪いのは彼女だ。そんな評判を立てるような派手な言動も、見た目も、家柄も、全部が悪い。


 悪い奴は聖女に懲らしめられる。

 そんなこと、王国では子供の頃から聞いている。だから何をやってもいいのだ。


 唯一誤算だったのはあの学園襲撃だったか。

 あの一件もヴィクトリアに擦り付けようとはセレナは本当に性根が腐っている。そもそもあれは直接の関与ではないと思うが、セレナが──


「お客さん、着きましたよ」


 運転手の言葉にレスティナは我に返った。

 あの夜会から数日が経過した。


 昔から付き合いのあるアリシアが、盗んだ証拠を渡したいと連絡があった。

 ちょうど良いタイミングだった。

 貴族よりも盗賊や間諜の才能がある使える友人に二つ返事で応じた。


 念には念を入れて、レスティナはブラッドベリー家の屋敷にあるヴィクトリアの自室に潜ませる学園襲撃の証拠品をアリシアに追加で渡すことにしていた。

 場所は、昔からある中々潰れない喫茶店だ。人も少なくて話をするにはちょうど良い。


「待ち合わせをしているんですが……」


「お客様でしたら、奥の席にいらっしゃいます」


 丁寧に頭を下げる店員の案内で店内を進む。

 客はいない。そのことを特に気にせずにレスティナは喫茶店の奥の席に進んだ。


「遅れて悪かったわね。ちょっと道が──」


「遅かったじゃない」


 そこには、アリシアがいた。

 だが、一人だけではない。ヴィクトリア・ブラッドベリーがいた。


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