第22話 密室の衝突
「早く脱ぎなさいよ」
「……」
脱衣所で脱ぐ女王様に促され、僕は仕方なく衣装に変換した触手を解放する。
確かに僕の見た目はセクシーで美人なお姉さん──つまり同性なのでヴィクトリアが衣服を脱ぐことに躊躇しないのも分かる。
男のアレも無く太腿の紋章もあるので問題は起こらない。
……けれども、なんとも言えないモヤモヤが胸中にあった。
「セシリアから話は聞いてる?」
振り返るヴィクトリアに咄嗟に目を閉じる。何故、隠さない。
いや、ゲーム経験と多少の期間を過ごしたから、彼女の性格は分かる。恥ずかしいところなど欠片もないと仁王立ちして言うのだろう。
だから、そちらに思考を割くのを止めて質問の内容を考えて答える。
「ええっと……淫魔族の話?」
首肯、同時に近づいてくる気配に何となく胸元を腕で隠す。
「セ、セシリアさんは何も言わなかったけど、淫魔族は夢に干渉できる能力があって強いですよね。ヴィクトリアさんが傍に置くのも納得できます」
魔族は魔力や膂力が強いだけではなく、血が濃いほど種族固有の能力がある。
たとえば獣人族なら五感や更なる膂力に優れ、エルフ族や悪魔族は強大な魔力や魔法を扱えるという具合だ。
「セシリアの淫魔の能力は使えるわ。精神力の強い相手に効果は薄いようだけど、精神なんてものは事前にへし折ってしまえば関係無いわ」
「だからあんな脅しを……」
「あの程度は脅しでは無いわよ。ただ、聞いただけじゃない。……で?」
「ん?」
「いつまで目を閉じている訳?」
グイっと彼女が顔を近づけてくる気配がした。
甘い匂いが目を閉じていても分かる。挑発と艶が入り混じった声が耳元に届く。
「わたくしの肌が神々しくて見ることもできないの?」
「いえ……」
「いえ? いえって、どういう意味? バカにしてる?」
「あ、えっと……」
なんて言って誤魔化そうか。
そう考える間に、強引に手を握られて浴室内に入る。
「お前を待っていたら風邪をひくわ」
むわりとした熱気が肌に伝わる。
そんな中でヴィクトリアの小馬鹿にするような言葉が僕の鼓膜に突き刺さった。
「情けない。恥ずかしがって目も開けないなんて……男らしくないわよ?」
その言葉にカチンときた。こんなに苛立ったのは冒険組合の一件以来だ。
「……男らしくない? 誰が?」
予想よりも低い声が出たが、ヴィクトリアが怯むことは無かった。
わざとらしく息を吹きかけ、耳元で囁いて、僕の胸元を指で突いてくる。
「適当な敬語を使うお前のことよ。わたくしに従い、敬意を示したい努力は認めてあげるわ。もっとも、出来の悪い模倣だけれど」
……上等だ。初対面の時からタメ口で礼節のない人間に言われたくはない。
目を開くと白い裸体が映り込む。互いを隠す物は僅かな湯けむりだけだ。
だが目は逸らさない。胸を張って堂々としよう。何故なら──僕は男なのだから。
「……ん」
「いや、なに照れてるのよ」
顔が熱くなる。変な空気になりかけたので慌てて誤魔化す。
「ちがっ、僕の方が大きいなって思っただけだって!」
「は? よく見なさいよ、わたくしの方が形も大きさも優れてるわよ!」
そんなやり取りの合間に、洗浄場にまで手を引かれ連れて来られた。
椅子に腰掛けたヴィクトリアの背後に座る。
「いいこと、エレノア? 優しく、丁寧に洗いなさい。ガラス細工のように、愛おしさを込めて。爪なんて立てたら剥ぐわよ」
「……分かりました」
騒いで疲れたが、それでも内心はドキドキしたままスポンジや石鹸を手に取る。
セレスタリア王国にこうした物があるのは、かつての転生者が化粧品や石鹸、薬などを売って作った莫大な財で王国を築いた名残と言われている。
料理やトイレ、風呂は特にこだわったらしい。ゲームでも初代王とその臣下たちは潔癖症の美食家と呼ばれていた、という設定がある。
逆にそれ以外はあまり発展せず、建築物や服はファンタジーに侵食されている。
「話を戻すけど、セシリアは別に能力だけでわたくしの傍に置いている訳ではないわ。お母様の遺言もあったけど、侍女としての能力なら他にも優秀なのがいるもの」
「……そうなんですか」
正直に言って、あんまり話が頭に入ってこない。
だが、ここまできたら手を動かすだけだ。
慎重に、丁寧に、戦闘時よりも集中して、白い肌を優しく擦りながら耳を傾ける。
「顔は平凡で、パッとしないし、おばかで、鈍くさいし、侍女の能力も多少はある護衛ね。あっ、お前ほど大食いではないのは利点ね」
本人が聞いたら泣くと思う。息をするようにセシリアの悪口を言うヴィクトリアだったが、その横顔は意外にも穏やかなものだった。
「あざとい声を出す癖に、図太いし、でも昔はわたくしとよく遊んだのよ」
それは、僕の知らないヴィクトリアの話だ。無言で耳を傾ける。
彼女もその言動を感じ取ったのか、振り返ることなく言葉を続ける。
「お母様が亡くなった時、墓前でわたくしを裏切らず死ぬまで尽くすと誓ってくれたわ」
「死ぬまで、ですか」
「ええ、あの子はわたくしの為に死ねるって確信があるわ」
少し疑問だったことがある。
ゲームの悪役令嬢ヴィクトリアの傍に、セシリアという専属侍女はいなかった。
単純に描かれていなかっただけなのかもしれないが、怪我や事故、もしくはヴィクトリアを何かから庇って本編開始前に死んだのかもしれない。
その結果、ヴィクトリアは悪役令嬢の道を孤独に進み……破滅した。
(まあ、想像だから実際はどうなのかは分からないけど)
これはあくまで妄想でゲームの真実は分からない。
今分かるのは、現実で進行しているルートではヴィクトリアの傍にセシリアがいるということだ。
「セシリアさんのこと、大切なんですね」
思わず口にした言葉を彼女は鼻で笑ったが、否定しなかった。
彼女なりにセシリアの言葉が嘘ではない確信がある。だから傍に置いているのだろう。
「手、止まってるわよ」
彼女の背中を洗いながら僕はふと思った。
──僕はヴィクトリアの為に死ぬことができるのだろうか、と。
(……無理だな)
そもそも誰の為であっても命を投げ出して死にたくはない。
アルビーとの約束だとしても、本当にピンチになったら、もしかしたら彼女を見捨てるかもしれない。
だから、ヴィクトリアに信を置かれるセシリアは凄いと僕は思った。
◇
女主人と浴槽にじっくりと浸かり、煩悩やシリアスな考えも全て溶かした。その後、自室に戻るヴィクトリアと僕を待っていたのはセシリアとアリシアだった。
「それで?」
「はわわ……必要な情報はこちらに纏めておきました」
「ご苦労様」
なんだか妙に艶々としたセシリアはヴィクトリアの言葉に喜色を見せる。一方で表情のアリシアは虚ろな相貌で僕を見ていた。
いや、僕ではない。
ただ目を開いているだけで、意識はどこか遠くにありそうだった。
「セシリアさん?」
「あっ、エリーさん! これ? 大丈夫だよ。先輩としてたまには後輩に指導しないとね。でも、少しだけ怒り過ぎちゃったかも。私もまだまだだね。ね、アリシアさん?」
「……はい、セシリア先輩」
ね、と小さく呼びかけるセシリアにアリシアは何度も首を振っていた。
そこには先ほどまでと違い、目には見えない上下関係が構築されたように感じた。
「……ふむ」
そんなことなど見向きもしないヴィクトリアは渡されたメモ用紙に目を通して自室に立ち去る。
彼女にとっては驚くことではないのだろう。
もしかしたら、前にも似たようなことがあったのかもしれない。
「アリシアさんについてはリトリア様に任された以上、しっかりやるから安心してね」
「……あ、安心ですね」
とても虐められていた少女には見えない。
まるで立場が逆転したような光景に、僕は頷くしかなかった。
◇
そんな一日を経て、しばらく時間が経過する。
ひたすらに仮面舞踏会の為に必要な所作やマナーなどを学び続ける毎日だった。そんな日々の中で一度だけ冒険組合のカーラがやってきた。
「実は上司からエリーさんに伝言を預かってまして……」
「何の?」
「昇級試験の件、最悪見送りになるかもしれないから早めに受けるか、大物賞金首をもう一度狩ってくれないかって」
なんでもトライデントシャークや盗賊団の撃退に関して、魔族の活躍を快く思わない一部の冒険者連中が、討伐は偶然だと騒いでいるらしい。
頭のおかしい連中のクレームなんて相手にしなければ良いと思うのだが……。
僕に用があるというのに、同席したヴィクトリアは鼻で笑った。
「偶然で狩れるなら賞金首にはなってないと思うけど? いいわ。騒ぎ立てる連中には口よりも成果で黙らせてやりましょう。舞踏会後に他の賞金首を狩ってきなさい」
断る理由もないので僕も了承する。
「魔族と蔑み、下に見ている相手が実は圧倒的な格上だった。それを理解した瞬間の無様な顔をぜひ見てやりましょうか」
性格の悪い悪女は実に楽しそうに笑った。
討伐に失敗するとは思っていないらしい。それが考え無しなのか信頼なのかは分からなかった。もちろん、負ける気など欠片もないのだが。
そんな訳で賞金首のリストを大量に受け取って、更には僕の予定までも勝手に決められた。礼節を仕込まれ、夜会に出て、暇ができたら楽しい狩りの始まりである。
勝手に予定を決められることに多少思うことはあったが、不満はない。
どのみち倒して金を稼ぎ、ランクを上昇させる方針なのは変わりないのだから。
アリシアに関しては大人しい様子が続いていた。精魂抜けたように静かで、たまに擦れ違うも隅に退いて姿が見えなくなるまで会釈される始末だ。
特に意味もなく触手を出して見せると、腰砕けになって泣かれるのは驚いた。セシリアはいったい何をしたのだろうか。
そんなセシリアの部屋は修復されたらしい。その後は何かある訳でもなく、今は立場が逆転したかのように先輩後輩として、アリシアと仲良くやっているようだ。
「……エレノア。その衣装って黒以外の色にもできる?」
「え? どう……でしょうか」
「やってみなさい」
今後の夜会に参加するにあたり、僕の服装にも彼女は口を出してきた。
普段、僕が着用しているのは黒色だが、所々に青と白の光の線も存在する衣装だ。
露出多めのドレスで深いスリットが入っているのは人によっては痴女とか言うかもしれないが、僕は気に入っている。
そんな衣装──正確には擬態した触手を弄って分かったのは、
「無理ですね。青白いラインの比重は増やせても黒なのは変えられない」
「よし、脱ぎなさい。しょうがないからわたくしのドレスを貸してあげるわ」
まるで着せ替え人形のようにドレスや装飾品を付けさせられた。反発する気にもなれずに従う僕は戦闘のことも考えて露出の多めな物を要求した。
◇
そんな日々を経て、あっという間に仮面舞踏会の日になった。
その日の僕は緑を基調としたドレスを着用していた。いつもの触手ではない生地の感触はしばらく着ていたから慣れてきた。そこに仮面を着ければ完成だ。
「まだ仮面は着けなくて良いわよ」
「ああ……そうでしたね」
仮面は現地──王都郊外にある広大な敷地面積を有する豪邸──で着ける。
移動は車だ。ただし、ブラッドベリー家の家紋がない貴族向けのタクシーに乗る。
貴族が夜会に行く際に、平民へ慎ましさや質素さをアピールする為に豪華な乗り物や家紋が付けられたような車は使用しない……という仮面舞踏会の伝統なのだとか。
「クソみたいな伝統よね。昔はこうだったからっていつまでも引きずって」
「クソって」
「この国って伝統だの、いらない物が多いわ。こういう意味のない慣習が一番嫌いなの」
「じゃあ、普通に車に乗って行けばいいのでは?」
「そうすると参加資格が無くなるわ」
「クソじゃん」
ぶつくさ言う主人と共にタクシーに乗る。
王都の郊外に行くと舗装がされていないからか、震動が尻に響く。運転手がレナードなら、もう少しなんとかできたのかもしれないが今日は休みだ。
「レナードさんもお腹を壊すんですね」
「あれで意外と胃が弱いのよ。それに歳の所為もあるかもね」
「もうじき引退ですか?」
「本人は死ぬまで働くつもりでしょうけど、そろそろ後継を──」
郊外を走る車が止まった。
仕切りの向こう側から運転手が申し訳なさそうな顔で声を掛けてきた。
「すみません。どうもタイヤの様子がおかしいので見てきます」
「あ、はい」
既に日は傾きつつあった。
表街道から外れた通りで停車しているので人が来ることもない。王都の郊外とはいえ閑散としていた。
「なんでこんな時に……」
隣の席に座る彼女は苛立ったように懐中時計を弄る。
気持ちは分かる。こういう時にハプニングがあると焦るものだ。
「最悪、飛べば──」
「出発します」
「あ、はい」
少し待たされたが運転手が乗り込んできた車はゆっくりと動き始めた。
席に腰を掛け直した僕は、ふとヴィクトリアが眉をひそめているのに気づいた。
『エレノア』
情報伝達魔法だ。わざわざ口頭ではない対応に僕は警戒心を強める。
『どうした?』
『……道が違う』
『え?』
『迂回にしても遠回り過ぎる。どうしよう』
どうしようと言われても。
カーテンの隙間から車窓を覗く。迂回理由は渋滞ではなさそうだ。
日が沈みそうな郊外の道を車は殆どいない。だが、この車の速度はやや遅いと感じる。これでは後方から走ってくる車に追いつかれそうだ。
(いや、違うな)
僕の予感を裏付けるように、意思に応じて視界に長方形の緑の枠が浮かび上がった。その枠内に対象が映し出され、徐々に拡大表示されていく。
まだ距離はあるものの、運転席と助手席の人物たちはすでに銃を構えており、明らかにこちらを狙っていた。
行儀よく後ろに並んでいる車列も同様だ。
「……どうかされましたか?」
仕切りの向こうから運転手が声を掛けてくる。
「いえ、何も」
「そうですか」
嫌な沈黙が広がる。
ヴィクトリアを床に押し倒したのは触手的直感だった。直後に仕切り越しに発砲される。何発か被弾するがこの身体はびくともしない。
「エレノア!」
「頭を下げろ!」
触手で仕切りごと運転手を狙うも、急にハンドルを切ったのか狙いが逸れる。
壊れた仕切りから直接、運転手がこちらに乗り込んでくる。
ハンドル部分には尻尾が巻き付いている。獣人族か。
腕力ではなく、拳銃をヴィクトリアに向ける運転手の腕を掴んで、捻じる。
「ぐっ、ぁぁああッ!!」
手首を握り締めると銃が落ちる。
顔を殴られる。殴り返すと運転手が姿勢を崩す。そこにヴィクトリアが手をかざす。バチバチッ!! と紫電が迸り、相手に悲鳴を浴びせかける。
「このッ……誰に手を挙げてるのよ、下郎が!」
爛々と瞳を輝かせる彼女は運転手を爆破させる。
最小限の火と風の複合魔法は車のドアを吹き飛ばす。同時に僕の蹴りで運転手を外に放り出した。斬り裂いた尻尾に代わり、触手をハンドルに巻き付けて、運転を代用する。
「……決まったわね」
一瞬、ヴィクトリアと見つめ合う。
星を内包したような輝きを放つ紫紺の眼差しにニヤリと口元を緩めている。
僕もまた小さく笑みを見せた瞬間だった。
ドン! と強い衝撃が横から与えられた。車に衝突された。
ハンドルの制御が利かない。
僕はヴィクトリアを抱きしめて、横転する車の中で触手を展開した。




