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第21話 夢に堕ちる

 アリシアとレスティナ・レイモンドは同じ子爵家の付き合いだった。

 幼い頃は確かに友達だった。アリシアはそう思っていた。

 だがアリシアの生家ヴェリーナ家はレイモンド家とは違い、事業に失敗し貧乏になった。


 アリシアは縁あってブラッドベリー家に侍女として働くことになったが惨めだった。

 セシリアや侍女長、ヴィクトリアも、皆、嫌いだった。


「ねえ、アリシア。良い話があるんだけど」


 ヴィクトリアが学園に入学した頃だった。

 とある喫茶店でアリシアはレスティナに話を受けた。

 なんでもヴィクトリアが恐喝まがいの行為や、公衆の面前で土下座を強要させ、更には権力を傘に他の令嬢や令息に手を上げたと。

 既に彼女の悪女としての評判は学園中に広がり始めていた。


「やったのはヴィクトリア様。私は関係ない」


 既にブラッドベリー家の侍女として地道に働いて、取り入って、媚びを売って、のし上がってきたつもりだ。当主の娘の気質はおおよそ理解している。


 ヴィクトリアのことは何度も見てきた。

 不遜で、我儘で、顎で指図する毒婦だ。けれども、その所作は誰よりも美しく、無視することのできない存在感がある美貌と容姿の持ち主だった。

 神に選ばれた存在とはこういう者を言うのだと、アリシアは思い知らされた。


「ねえ、聞いてる? 私、セレナ様に気に入られたんだ」


「……そうなんだ。おめでとう」


 セレナはルミナリエ公爵の令嬢だ。今まで多くの聖女を輩出してきた家系で、彼女が新たな聖女ではないかと噂されている。

 学園の評判も良い。聖女に相応しい振る舞いに盲目的に従う者も多いと聞く。


「それで、この前、カフェテラスで話をさせて貰ったんだけど……あっ、カフェテラスって知ってる?」


「……知ってるよ」


 小馬鹿にしてくるレスティナが着用したドレスは流行の物だ。

 セレナから貰ったと自慢げに語った内容は既に片手の回数を超えていた。


「ヴィクトリア様にはセレナ様もお困りになっていて。彼女って素敵でしょう? あのカリウス様も実はヴィクトリア様ではなくてセレナ様に惚れてるんじゃないかって」


「……不敬じゃないの」


「大丈夫。ここは人が来ないから」


 レスティナの話は大半がセレナに関する話だ。

 主にヴィクトリアを諫めたとか、悪女として名高い彼女に対を為す聖女について、まるで信者のような振る舞いで語る彼女は、アリシアにある話を持ち掛けた。


「……でね、少しだけそちらのブラッドベリー様にやり返したいの。協力してくれたら……私からセレナ様に口利きしようかなって。そうすればまた貴族に戻れるんじゃないかな?」


「どうやって?」


「多分、事業をご実家の方に回してくれるんじゃないかな? 知らないけど。ヴィクトリア様の動きとか、そういう情報を知らせてくれるだけでいいから」


「……でも」


「上手くやれば、貴族に戻れるかもしれないよ?」


 あの悪女を少しだけ懲らしめる。

 それは出来心だった。最初は情報とかだったが、少しずつエスカレートしていった。

 盗むべき情報は、いつからか私物に変わった。


「はい、これ。今回のお礼」


「こんなに……」


「ね? セレナ様ってすごく優しいでしょう? やっぱり聖女って違うよね」


「でも、そろそろ……」


「駄目よ。これは聖女が悪女を倒す為に必要なんだから。あなたが求められているのよ。それに今更、手を引いたらバレるかもしれないでしょ」


 手を引いても引かなくても、こんなことをしていたらバレるだろう。

 実際、何回目かの時に──セシリアに見られた。

 その瞬間は何も言わなかったが目が合った。

 まずいと思った。報告されたら終わる。どうにかしなくては。


「そういえば、ブラッドベリー家には魔族とのハーフが専属侍女をしてるって本当?」


 うまくカマを掛けたらセシリアが引っかかった。そのまま脅すことにも成功した。このままセシリアを専属侍女の座から引き摺り下ろして、アリシアも成り上がる機会がきた。

 ──もう一度、貴族に戻るのだ。

 これからが、アリシアの人生の始まりだと、そう思っていた。



 ◇



「お前はわたくしを裏切った」


 ヴィクトリアの声が部屋の空気を断ち切るように響いた。

 そうして黙り込んだ侍女アリシアに彼女は冷ややかな視線を向け、更に言葉を続ける。


「お前の行動理由にわたくしを勝手に使わないでくれる?」


 言葉の刃は彼女だけではない。僕にも刺さった。

 それは正しく、行動理由に彼女を使っているという自覚があるからだ。触手が緩み、服が乱れつつも座り込んだ侍女にヴィクトリアは冷たく厳しい眼差しを向ける。


「お前、レスティナ・レイモンドを呼び出せる? そうね、仮面舞踏会の後で良いわ。段取りを付けなさい。でなければお前はクビ。理由を添えて実家に送り返すから。その後は修道院に行くかもしれないわね」


「あ、それは……」


「できるの? できないの?」


「で、できます!」


「なら、セシリアに監視させるから下がりなさい」


 監視役として僕ではなくセシリアを指名した。

 その采配で大丈夫だろうか。

 その後、アリシアは女王に命じられるまま部屋を退出して、僕は一息吐く。


「──お風呂に入るわ」


 一段落ついた途端、ヴィクトリアが言い出した。

 彼女は机に置かれたクリスタルや書類をそのままに立ち上がる。もうそんな時間か。


「……お風呂に入るわ!」


 なんだ。急にどうした? 壊れたロボットか? 僕に何の反応を求めているのだろう。


「……どうぞ」


 振り向いたヴィクトリアは続けざまに僕に言った。


「お前も来るのよ」


「…………なんで?」


「お前がわたくしの背中を洗いなさい。その栄誉をあげるわ」


「いや、いいよ。というか背中くらい自分で洗ったら?」


 思わず敬語を忘れて答えてしまった。

 どういうつもりだと困惑する僕に、彼女は腕を組み、顎を逸らしたポーズをする。


「は? お前、口答えするってどういうこと? その触手は飾りなの? エレノア、お前は誰の使い魔なのか言ってみなさい」


「僕の触手はボディスポンジじゃないんですけど……!?」


「いいから。わたくしに従いなさい」


 何度でも言いたい。僕は男だ。誰に言われたって僕は男なのだ。

 太腿に刻まれた紋章を発動させて従わされても、僕は男だということを、どうか覚えていて欲しい。

 ……段々と紋章の強制力が強まっているのは気のせいだろうか。

 別邸の複雑な廊下を歩くヴィクトリアの背後に続くと、セシリアに出会った。


「セシリア」


「リトリア様」


「あの女は好きにしていいわよ。わたくしが許可するわ」


 その途端、セシリアは笑った。普段の物とは違う淫欲に満ちた笑みだった。気のせいかと見直すと普通の笑みを専属侍女は見せていた。

 きっと気のせいだったのだろう。

 深く礼をした彼女はヴィクトリアの部屋の方向に向かって行った。



 ◇



 主とその使い魔が部屋から立ち去った。

 アリシアは二人が去ったのを確認して、ヴィクトリアの私室に入り込んだ。暗い部屋に入り込み、机に目を向ける。

 ヴィクトリア側に今更鞍替えしても処罰は免れない。何せ相手はあの悪女だ。


 それなら、今すぐにレスティナの下に向かい、ルミナリエ公爵家の庇護に入れないか交渉した方がまだ良いだろう。

 その為の手土産を大急ぎで手に入れたい。


「映像結晶に、このリストは……セレナへの報復ってこと? これを知らせれば……」


 もう取返しのつかないことをしている。

 でも、だって、どうしようもないではないか。


「こほん」


 わざとらしい咳払いに反射的に振り返る。

 スカートに隠した護身用のナイフを向けるも、弾き飛ばされる。それだけではない。その人物はアリシアに肉薄すると、足払いと共に腕を掴み、壁に叩きつけた。


「かはっ!?」


 息が肺から抜ける。

 躱す暇もなく、腹に膝を受けて、意識が飛んだ──気がした。



 ◇



「あ、あの……大丈夫ですか?」


「……え?」


 気がつくとヴィクトリアの私室ではなかった。

 アリシアに宛がわれた部屋にいた。

 簡素な机や本棚、清潔なベッドにいつの間にか腰を掛けていた。


「どうなって……ひっ!?」


 アリシアの隣には緑の髪の少女がいた。セシリアだ。

 直後、記憶が蘇る。

 先ほどアリシアを投げ飛ばしたのは、この侍女だ。おどおどしていて、ドンくさい、平凡でパッとしない癖に、ヴィクトリアの専属侍女をしている少女だ。

 咄嗟に退こうとしても、何故か身体が寝台から離れられない。


「せ、セシリア」


「どうしましたか? アリシアさん」


「そうよ! お前も同罪じゃない! 穢れた血め! お前も裏切者だってことを彼女に教えてやる!」


 もう何もかも終わりだ。

 この様では本当に王都のスラムに捨てられる。焦る中、アリシアが回した頭が導いたのは他人の脚を引っ張り、道連れにすることだった。


「構いませんよ。リトリア様は全てをご存じでしたから」


「……え?」


 そのアリシアの考えを、セシリアは微笑んで粉砕した。


「まさか、物が無くなったことにリトリア様が気づかないと本当に思っていたんですか? リトリア様は物を大切にするお方です。ジュリアナ様の教育の賜物ですね」


「なに、を」


 セシリアはアリシアに笑いかける。

 あれだけの嫌がらせをして、物を壊して、辱めて、どうして笑える。いや、いつもそうだった。唯一困ったような顔をしていたのはあの使い魔が介入した時だけ。

 まるで同情を乞うような動きで、哀れみを誘うような仕草は何かと思ったが。


「あっ、勝手に話を進めちゃいましたね。はわわ……私の悪い癖です」


 怖い。なんだこの生き物は。本当に同じ侍女なのか。

 反応を観察するように大きな瞳でアリシアを見るセシリアは両手を叩く。


「それで、アリシアさんの今後については私に対応を任されました」


「どういう……」


「これからは、私がアリシアさんを管理するということです。リトリア様が慈悲深くて良かったですね」


 主人からの指示だと言ってふにゃりと笑うセシリア。

 バカにしている。思わず頭に血が上ったアリシアは手を振り上げて──


「暴力は、いけません」


 アリシアの振り上げた手は、次の瞬間には止められていた。

 信じられない速さで掴まれたその手に、力が込められる。抗えない。何もできない。


「っ、ちょっと……なに、触ってんのよ、汚らしい魔族の手で!」


「私、新しくできた後輩に嘘を吐いてしまったんです。確かに私は魔族と人の間に生まれた無能で、弱くて、パッとしない地味な存在です」


「聞きなさいよ!」


 いつの間にか隣にいたのは侍女ではなかった。


「何度も境遇を呪ったし、力のある方を羨んだこともあります。弱い自分が赦せなくて、悔しくて……あはは……みっともないですよね」


 セシリアの緑の髪の奥から、ねじれるように角が伸びる。

 骨が鳴り、皮膚がうねる。華奢だった体つきは妖艶な丸みを帯び、まるで夢魔のような姿に変わっていく。

 侍女服もそれに合わせるように露出過多な物に改造される。


「……でも、こんな私でも一つだけ取り柄があるんです」


 ゆっくりとアリシアはセシリアに押し倒された。

 必死に抗っても、逆らうことはできず、寝台に押し付けられる。


「──夢の中でなら、私は何者にだってなれる。そう、ジュリアナ様が教えてくれた」


 首筋を撫でた手が、そのままアリシアの首を絞めつける。


「ここでなら、なんだってできる。痛いことも苦しいことも、なんだって」


「はな、せ」


 息ができない。苦しい。アリシアの手足がバタつくがセシリアを退かせない。


「ええ、私です。ジュリアナ様の使い魔にして、ヴィクトリア様の専属侍女。そして、淫魔のセシリアです」


 ぎりぎりと首が絞まる。苦しい。息ができない。

 蠱惑的に微笑むセシリアを睨みつけ、そこで初めてアリシアは気づいた。


「随分と久しぶりにリトリア様に許可を貰えたんです。だから、念入りに時間を掛けますね」


 この女は誰だ。


「エリーさんと出会った時に本当に興奮しました。あの触手は、いつか必ず、夢で使おうって。ごめんなさい、エリーさん。あなたの触手、使わせて下さいね」


 セシリアの指が黒い触手に変貌し、アリシアの衣服の隙間から肌を撫で、遠慮なく這う。

 それは拘束目的ではない。もっと別のおぞましい何かだ。


「……っ、待って、セシリア。ごめんなさい……ごめんなさいってば……セシリア先輩……! もう、しないから……っ、いじめないからッ……!」


 セシリアが首から手を離した瞬間に、震える声で必死にアリシアは声を上げた。

 涙を流しての懇願に、セシリアは小さく溜息を吐いた。


「……うん。私って駄目だな。また嘘吐かれちゃった」


「うそ、じゃ」


 セシリアは微笑む。その瞳はアリシアを見ているようで見ていない。


「私、アリシアさんのこと、そんなに嫌いじゃないですよ。昔のリトリア様みたいで。容姿も少しだけ似ているところが個人的に気に入ってました。だから、……いつかこうしたいなって。……はわわ、こんな劣情を抱いてしまってごめんなさい、リトリア様!」


「ま、まって」


「……お二人がお風呂から上がるまでに、アリシアさんが、ちゃんとリトリア様のご指示に従って頂けるように、私、頑張りますから!」


 顔は平凡なのに乗せられた表情がまるで違った。

 まるで女神からの神託を受けた巫女のように、恍惚で、多幸感に満ちていた。艶めかしく笑う姿は、ひどく魅力的な女性に見える。


「裏切者のアリシアさんを、リトリア様の従順な駒にできるように頑張りますから。見ていて下さい、ジュリアナ様……」


 理解した。あの言動は全て演技だったのか。

 なら、暴れ、脅し、羨望と嫉妬で動いた自分はただの道化で、ヴィクトリアとセシリアに最初から弄ばれたのか。

 ──そう理解した瞬間、あまりの屈辱にアリシアは震えた。


「まずはお仕置きから始めますね。私、いじめられて少しイラついていたんです。だから手加減なんてしません。大丈夫、時間はいくらでもありますよ。だって、夢の中だから」


「や、やだ……」


「そう言わないで。まずは100回、ごめんなさいって心を込めて言いましょうね」


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