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第17話 灰の蛇

 ──さて、肝心の依頼についてだが、大して語ることはない。

 やることは簡単だった。触手とゲーム知識に物を言わせたチート作戦である。


 まず依頼内容にあるコポポル村は王都から徒歩で一日掛かる距離だが、僕の触手で飛んですぐに到着できる。

 到着して、複数の触手ドローンを展開する。

 周辺一帯を探索。ゴブリンの巣とオークの隠れ家を発見したので突撃する。


 戦闘に関しては更に語ることがない。触手をぶんぶん振るって終わりだ。

 モンスターの心臓となる魔石を採取する。

 巣には18禁版ではガッツリと、全年齢版では匂わせ程度であったモンスターの被害者が数名ほどいた。依頼に無いから放置するのもどうかと思ったので、救出もした。


 村の住人に被害者たちの対応を任せて、僕は再び空を飛んだ。

 人助けをしたから運が巡ってきたのだろう。大物賞金首と認定されている空を飛ぶサメを見つけた。

 名前は確かトライデンシャーク。口からビームが出る頭が三つあるサメだ。

 コポポル村から南西に進んだ空を泳いでいたサメに奇襲を仕掛けた。


 触手ドローンで囲い、絡みつく。口や目、穴という穴から触手を注ぎ込んで脳をグチャグチャにすると死体の出来上がりだ。

 ゲームで予習したおかげで、Sランク相当のモンスターも簡単に倒すことができた。

 配下の魚たちが少し面倒だったが、襲われている人がいたので蹴散らしてあげた。助けてあげたのだからトライデントシャークの死体は貰うことにする。


 ここまでで、数時間が経過した。


『今、ホボト平原を通ったの? その距離でも繋がるのね』


『いい天気ですよ』


『この距離で通じる魔法なんて無いし、騎士団にある通信用魔道具も短時間で短距離までしか通じなかった筈。どういうことなの?』


『さあ、なんでしょうね』


『……生意気よ、エレノアの癖に』


 たまにヴィクトリアに触手ドローンを経由して、報告もする。僕の触手に大変ご執心な彼女は、ドローン経由で僕と通話できることを解明した。

 そんな彼女は現在、別邸で勉強や魔法の研鑽に励んでいる。


『初日だから許してあげるけど、今後わたくしがドローンに話しかける際に、独り言の多い不審者扱いされずに済む方法を考えなさい』


 飛行中、ドローン経由で話しかけてくるヴィクトリアの相手もする。

 主の機嫌も取らないといけないのだから、使い魔というのは大変なものである。


『人目がつかない時に小声で話すとか、情報伝達魔法とか使えば?』


『なによ、それ? は? ……魔族が使ってた魔法? 教会が習得を禁止している邪法よね。……お前の友人が使ってた? ちょっと、聞いてないわよ、エレノア!』


 雷のような怒号に思わず肩を竦める。

 平原で踊る羊の群れの頭上を通り森に入る。視界を拡張すると目的の物を見つけた。


『……あ、盗賊だ。じゃあ、後で』


『まちなさ──』


 ドローンの音声通信を切って休憩終了。後が怖いが今は置いておこう。

 トライデントシャークの死体は倒した証拠になる。魔石を回収せず身体に触手で刺したまま、僕はサメの死体と飛翔する。

 ──そして質量はそのまま兵器となる。

 触手ドローンで見つけた盗賊の集落に、僕は空からサメを投下した。


 泡を喰ったように、うじゃうじゃと出て来る盗賊たちの命を触手で刈り取る。大抵は下級貴族から廃嫡された犯罪者だ。化け物と罵る口に触手を突っ込んで貫く。

 抵抗されたが、賞金首を殺し、運よく生き残っていた人質も解放した。

 更にはボーナスが入った。盗賊が貯め込んでいた財産だ。

 15億の返済道を歩み始めたばかりだ。金に綺麗も汚いもない。

 人質たちには口止め料としていくらか渡して、ついでに盗賊たちに報復もさせてあげたら泣いて喜んでいた。


 サメと人質を連れて王都に向かう。道中、泣き出す人たちを落ち着かせるのに会話をすることに一番労力を割いたと思う。

 ……この頃になると昼食を抜いた代償か少し記憶が曖昧だった。


 冒険組合前に到着する。野次馬が周辺にいたが見るだけで何もしてこない。

 どうやらヴィクトリアが手を回してくれたらしい。あとでハグでもしよう。


 助けた人質の一人が冒険組合の従業員だったらしく、サメの死体や賞金首、助けた人質の手続きをすると言ってくれたので、後の対応は任せて屋敷に飛んで帰った。


(お腹、空いたな)


 ただ昼飯を抜いた分、その日の夕飯は美味だった。

 骨付き鳥が出てきたのでかぶりついた。最高に美味しかった。



 ◇



 選ばれし空の騎士、ドラゴンライダーになりたての少年は絶望していた。

 学年主席で卒業、そのまま王立騎士団に次期幹部候補として入団。期待も寄せられ、自分は優れている──その思い上がりは崩れた。

 定期的な哨戒任務として、王都近辺を飛行していた時だった。突然、雲から姿を見せた巨大空魚モンスターと、多数の空魚と遭遇してしまった。


「こいつを王都に近づけるな!」


「小隊長! 無理です! 逃げましょう!」


「ここで俺たちが逃げたら国民はどうなる! 近くには村がある。彼らが逃げる時間が必要だ。……何より、逃げ場がもうない」


 恐怖が喉元まで押し寄せる。吐きそうだった。叫びたかった。

 空に逃げ場はない。

 四方八方、スカイフィッシュの群れだ。電光石火の異名は伊達ではない。囲まれたら最後、全身を貫かれた仲間たちの後に続くことになる。


「畜生! なんでこんなところに……助けてくださいっ! 隊長! たいっ──」


 それだけではない。

 スカイフィッシュを従えるのは伝説的モンスター、トライデントシャーク。三つある頭部の内、一つが同僚を呑み込んだ。

 もう一つの頭がその同僚のドラゴンを噛み千切り、残りの一つが口を開く。


「光線が来るぞ! 回避ッ!!」


 その瞬間だった。

 突然、何かがトライデントシャークの横腹を穿った。光線が逸れる。肌を焦がす痛みは、まだ生きている証拠だ。

 そして、この時の出来事を少年はきっと忘れないと思った。


「大丈夫ですか?」


 灰色の髪の女性が空を飛んでいた。

 露出過多な黒い衣装に蠱惑的な肢体で、この世の者とは思えない神秘的な美貌。白磁の肌は汚れも染みも無く、背中から広がる黒い触手は悪魔にも堕天使にも見えた。


「──あ」


 目を見たら分かる。アレは人間ではない。

 怖い。でも、今まで見てきたどの女よりも美しい。

 見た瞬間に魂を奪われた。そう表現できるだけの衝撃が少年を貫いた。


 一瞬の出会いだった。彼女は何も言えない少年に興味を失ったように神秘的な顔をトライデントシャークに向けた。

 次の瞬間──消えた。そう表現できるほど素早い飛翔を彼女は触手で繰り広げた。


「……速い」


 黒い触手を振るう度に青白い光が奔る。

 その軌跡は風を裂き、空気を震動させ、空間が捻じれたように見える。女性の触手が魅せる美しくも不吉な光が少年たちを照らした。


 雨のようにスカイフィッシュの残骸が地に落ちていく。

 雷のような一閃がトライデントシャークに怒号を叫ばせた。それらを意に介さず、彼女は誰よりも大空を舞い、血飛沫を上げさせる。

 辛うじて見えるのは名も知らぬ女性の、風で揺れ動く長い灰色の髪と黒い衣装だ。


 彼女は誰よりも命を奪っているのにまるで踊り子のように優雅で美しく、自由だった。

 止まった思考は、小隊長に叫ばれて動き出す。


「何をしてる! 撤退だ、撤退! 我々にできることは何もない。せめて距離を取り、化け物同士の相打ちを狙う!」


「……小隊長! 彼女は化け物ではありません。あれは……味方です!」


「その保証がどこにある! 命令だ! 下がれ! 下がれ!!」


 トライデントシャークは大物賞金首に指定されたモンスターだ。

 遊びを止めたと言わんばかりに、三つの頭部から光線が絶え間なく撃たれる。

 更に従えたスカイフィッシュで周囲を囲み、一斉に突撃させる。それを回避し、斬り裂いていく触手と灰色の髪の女性は蠱惑的な微笑を浮かべていた。


「……笑ってる」


 確かに、あの間に割り込むのは無理だ。

 逃げるのが正解。所詮ドラゴンに乗れる程度では何もできないのだから。


 そう思った少年は自らを恥じた。

 空のモンスターは理不尽をもたらす強大な存在が多い。それを退け、国民の生命と王国の空を守ることが自分の使命では無かったのか。


 見ろ、彼女を。

 あの大きなモンスターを前にしても、臆さず、怯まず、堂々としている。見ているだけで鼓動が高鳴り、熱い血潮が巡る。

 あの背中こそ少年が目指すべき理想ではないのか。


 いつの間にか自分たちを襲っていたスカイフィッシュの群れは、女性だけを狙う。だが、その衣装や肢体や破けることも血が出ることもない。

 黒い触手が縦横無尽に空間を震わせ、千切れた魚が地面に向かって降り注ぐ。


「ああ……なんて……」


 あんな美しい生き物がいるなんて、少年は知らなかった。

 三つの頭部から連続して放つ光線を躱し、距離を詰めて、全ての頭部を触手で貫く。それからしばらくして、トライデントシャークは沈黙した。


 勝敗は決した。動かなくなったトライデントシャークを連れて、女性は去って行った。

 多分、数分にも満たない時間だった。

 それでも少年の何かを塗り替えるには十分だった。



 ◇



 安いから。そんな理由で乗合馬車を選択したことが不幸の始まりだった。


「全員、動くな! 盗賊だ!」


「……自分で盗賊って言うんだ」


 自称盗賊にカーラは拉致された。

 貧乏な男爵令嬢として生まれて、それでもなんとか頑張って冒険組合に就職して、各領の組合を巡って経験を積んで、王都への転属が決まった筈なのに。

 どうして、こんな理不尽な目に遭わないといけないのだ。


 最近は王都や各領地間の街道での治安悪化が著しい。

 各地で発生しているテロリストや盗賊による過激な行為もそうだが、モンスターも活性化して数を増やしている。おかげで騎士団の手が回らない。

 そうだ。本部にも進言しよう。冒険者による街道哨戒活動を増やした方がいいと。


 パン、と銃声音が響いた。

 同じ乗合馬車にいた男が一人撃たれて死んだ。


 ああ、そうだ。現実逃避している場合ではない。

 そもそも護衛として冒険者がいたのに盗賊の銃に撃たれて死んだ。魔粒子環境でも威力が低下しない銃と高威力の銃弾が裏で出回っている噂は本当だったらしい。


 現に王都を賑わせた、エリュシオン魔法騎士学園の襲撃でも平民たちによる貴族へのテロとして防御魔法を貫ける強力な銃が使われたと聞いている。


 そんな物を使うなら多少の魔法が使える程度の冒険者では太刀打ちできない。

 相手は想定を上回る戦力を有した盗賊団だ。今もこうして下卑た目をした盗賊の小銃はかなり高品質な物に見える。

 盗賊というよりは、もはや傭兵団に近い武力だ。


「おい、何を見ている」


「……いえ」


「お頭。この制服、冒険組合の従業員ですぜ。人質になるんじゃ……」


「あそこはテロには屈しないと組合長が直々に言ってる。末端を何人集めても無駄だ。……ああ、その制服は使えるから破かないよう丁重に脱いで貰え。中身はいらん」


 盗賊たちの拠点に連れて来られた時点で覚悟を決めるしかない。冒険組合で業務をしている以上、そういうことが起きた事例は何度も目にした。

 それが自分に訪れただけ。

 大丈夫、こういう時の心の保ち方も学んだから、とカーラは何度も自分に言い聞かせた。


「……ッ、この、いい加減にしなさい! こんなことをして私を誰だと思っているのよ!」


「お頭」


「奥に連れて行け」


「いやっ! 離しなさっ、いやああ!!」


 この状況に耐えられなくなったのか、叫んだ令嬢が奥の部屋に連れて行かれた。

 乱暴にされて情報を吐かされ、有益でなければ殺される。

 今はその情報を思い出す時間で、人生最後の休憩だとお頭を名乗る男に脅された。


 いずれ順番が回ってくる。

 こんなことになったのは、治安の悪い中で、もっとキチンとした護衛をつけた乗合馬車に乗らなかったカーラのミスだ。だけど、こんな罰はあんまり過ぎる。

 制服を脱ぎ、握った拳から血が垂れる。

 その瞬間、地面が大きく揺れてカーラは転んだ。


「地震!?」


 建物の一部にひびが入る。

 窓が割れ、隣の建物を押し潰す巨大なモンスターが見えた。三頭のサメが一つになったモンスターは……まさかトライデントシャークかとカーラは眉を顰めた。


「空のモンスターか!? くそっ、よりにもよって居住区を!」


「落ち着け。すぐに残存戦力を──」


 武装した盗賊たちは次々と胸元に風穴を開けられた。

 壁越しに、黒い何かが貫いたのをカーラは見た。


「……人?」


 黒い何かが引き抜かれ、生まれた壁の穴からチラリと見えた灰色の髪。

 それを襲い掛かる多数の盗賊たちは躊躇いなく引き金を引き、銃声が轟く。火花が散り、銃弾の雨がたった一人に降り注いだ。

 だが、それよりも黒い触手が速い。疾走する黒い触手は青白い光が奔り、空間を滑るように躍動した。


 流れる光の軌跡に目を奪われる。

 それ以上に、触手を操る女性に目が奪われ──その背後に迫る炎に気づけた。


「後ろッ!」


 カーラの声が届いたのかは分からない。

 でもその瞬間、女性の姿が景色に溶けるように消えた。


「──ッ!!」


 悲鳴が響いた。

 魔法を放った盗賊の首がへし折れる音がした。続けざまに青白い光が爆ぜ、破壊された銃の金属片が宙を舞った。


「クソみたいな化け物めッ!」


 盗賊が叫んだ瞬間、周囲に青白い光と共に黒い触手が乱舞した。

 それからも爆音や銃声音、悲鳴がしばらく続いたが、やがて静まり返った。


(……終わったの?)


 床に伏せていたカーラの耳に、しばらくしてから人の声が届いた。


「頼む。金ならある。男が欲しいならやる。だから、俺だけは見逃してくれ!」


「他の人たちがそうやって命乞いをした時に見逃したんですか? ……どうなんだ!」


「……くっそがあ!!」


 それから再び銃声と悲鳴が響いた。

 盗賊ではなかった。味方とも限らないが生存の可能性に全てを賭けたカーラは制服を回収して駆け出す。


「まさかブラッドベリー公爵様の使い魔に助けて頂けるとは、感謝いたします」


「……ええ、助けられて良かったです」


 カーラが目にしたのは、ボロボロの衣服だが気品のある笑みを見せる令嬢と、漆黒のドレスを纏った灰色の髪の女性が何かを話している光景だった。

 足元には死んだらしき男が一人転がっている。

 灰色の女性と目が合う。蠱惑的な美貌、無機質に感じる瞳に咄嗟に頭を下げる。


「助けて頂きありがとうございます!」


 灰色の女性は身体から黒い触手がうようよと生えていた。

 明らかに常識外の存在だ。言葉を間違えたら、盗賊たちと同じようにカーラの命も潰える予感に胃が痛む。


「……その、お礼はするので、王都まで護衛をしてくれませんか?」


「お礼?」


「は、はい。できる限り……や、なんでもしますから」


 だが、助かってもこんな場所に放置されたら生きては帰れない。間違いなくモンスターに食われるか、別の盗賊に捕まって終わりだろう。

 なら、この魔族なのかも妖しい触手の女性に縋るしかなかった。


「……まあ、いいですが」


「あ、ありがとうございます。……えっと、私はカーラ・フェンリースと申します。王都の冒険組合に転属した職員で……冒険者の方でしょうか?」


 顔を上げる。

 灰色の髪に、同性ながら見惚れる美貌と肢体。その中で首輪の紋章が目を惹いた。ベリーと蔓の紋様はブラッドベリー公爵家の物だ。


「僕はエレノア・オムニティス。ヴィクトリア・ブラッドベリーの使い魔です」


 そう言って、彼女はカーラを抱きしめた。

 柔らかい。カーラより高い背丈の彼女に唐突に抱き締められる。


「え?」


「……よく頑張りましたね」


 そう言われて、カーラは初めて頬を伝う涙に気づいた。

 困惑と混乱と焦燥と恐怖と絶望と安堵と、様々な感情が涙となって溢れた。

 ああ、助かったのだ。カーラはようやく実感した。




 話を聞くと、エレノアは凄かった。

 あの悪女として有名なヴィクトリアが契約した使い魔は、冒険者になった初日でゴブリンやオークを数十体倒しただけではなく、大物賞金首のトライデントシャークを倒し、強力な銃と魔法使いが所属した盗賊団を瞬く間に壊滅させたのだ。


 はっきり言って、意味が分からない。

 それ以上に、トライデントシャークの死骸に座らせられて空の旅をすることになっている状況はもっと意味が解らなかった。

 頭上にはエレノアが複数の触手をトライデントシャークのあちこちに刺して、持ち上げたまま飛翔している。このまま王都に行くと聞いた時は笑うしかなかった。


 絶対大騒ぎになると思うけど、でも死ぬ訳ではない。

 最低限、事務手続きの方はカーラの方で行おう。そう進言するとエレノアは喜んでくれた。


「では、コポポル村に被害者たちの対応を依頼したんですね?」


『ええ』


「ありがとうございます。なら本部に到着後、正式に救援を送りますね」


 何にせよ、こちらは逆らえる立場ではない。

 他にも盗賊団に捕まっていた者は多く、すすり泣く人たちの手を握るように巻き付いた触手が口を開いて話を聞いていた。

 ぎょろりとした目や、大きな口も、あの経験を経たからか可愛らしく思える。


 先ほどの戦闘で疲労もあるのだろう、徐々に口数を減らすエレノアにカーラから話しかけ、気がつくと自分のことを話すようになっていた。


「それで実家からは結婚しろって言われてて。でも、今の仕事はやりがいを感じるから結婚はまだいいかなって。エレノアさんは……長いからエリーって呼んでもいい?」


『う、うん。カーラさんは美人でスタイルも良いし、慌てなくても良い人は見つかりますよ』


 敬語は砕け、いつの間にか友人のように接していた。

 エレノアも特に言及してこなかった。あまり細かいことは言わない人なのだろう。


「ありがとう。今日、あなたに出会えてことは私にとって人生の宝ね」


『そうですか』


「改めて、助けてくれてありがとう、エリーさん。あっ、せっかくだから、私さ、エリーさんの担当組合員に立候補してもいいかな? これでも仕事はできる方なのよ」


「いいですよ。魔族の担当をする人なんていないでしょうし」


「ありがとう。これからよろしくね」


 少し気安かっただろうか。でも仕方がない。

 死の危機を乗り越えて、こんな人と出会える機会なんてそうそう無いのだから。


『……あっ、カーラさん。もうすぐ王都に着きます』


「分かりました。そうだ、お礼をしたいから今度一緒にご飯でもどう?」


『ご飯!? ……もちろんです』


 空の旅なんて一部の貴族しか使えない高価な浮遊船のみだと思っていた。でも、そんな貴族だってこんな旅はしたことが無いに違いない。

 初めて空から見下ろす王都。普段よりも近くに感じる茜色の空。

 カーラの頬を撫でる風がやけに心地よく感じた。



 ◇



「それで、悪女ちゃんの使い魔が来るって?」


「ああ……トライデントシャークを持って来るから組合経由で好きに使って良いと。盗賊団に拉致された人も連れて来るから保護するようにと」


「え……アレに勝ったのか!?」


 ヴァルターの驚愕も理解できる。三つの頭を交代して光線を撃ち続けるトライデントシャークは、過去にドラゴンライダーによる討伐軍を壊滅させたのだ。

 それを倒した、しかも死体をここに持って来れば騒ぎになるだろう。


「もし、これが嘘だったら」


「いや、それはない。仮にも私の親友の婚約者だった女だ。それより通行規制は完了したか?」


「もうとっくに。騎士団連中の鼻を明かすんだって若い連中を中心に働いてるよ」


 マーティンの指示で、一時的に冒険組合の周辺は通行止めになった。

 その周囲には何が来るのかと野次馬が集っている。


「……おい、来たぞ」


 ヴァルターの言葉にマーティンは顔を上げる。王都に影ができた。

 トライデントシャーク。

 その巨躯を目の当たりにした瞬間、城壁を超えたところで多くの者が悲鳴を上げた。


「いや、結界をすり抜けるということは既にあれは死んでる」


「それでも心臓に悪い光景だな。逮捕か? 逮捕しちゃうか?」


「それをするなと我々が呼ばれたんだ。オムニティス嬢に誰も近づかせるな」


 本当にあのモンスターを倒したのがエレノア・オムニティスらしい。

 ドラゴンライダー率いる王立騎士団から交戦に関する記録があったが、その個体だろう。


「……本当に空を飛べたんだな」


「王都の結界を破壊した件でいけると思うか?」


「いや、既に使い魔の首輪がある。古の物だけではなく教会指定の首輪も。今のオムニティス嬢は魔族ではなくヴィクトリアの所有物。連行するのはブラッドベリー公爵家を相手にするのに等しい」


 マーティンからの要請で、冒険組合の者たちが指定した場所にトライデントシャークの死骸が地面に置かれる。

 それを為したのは、黒い衣装を着た灰色の髪の女性。

 表情の抜け落ちた容貌はまるで精密な人形のようだ。多数の魔導カメラを持った男たちの視線が彼女に向けられるが、気にした様子もない。


「よし、行こうか」


「ちょっ、おい!」


 ヴァルターの静止を無視して、マーティンは歩みを進める。

 トライデントシャークから降りる盗賊団に拉致された生き残りたちに頷き、組合の制服を着用した人物に微笑を見せたエレノアは、ふとマーティンに顔を向けた。


「……オナカ、スイタ」


「ん?」


 なんだ? 今、彼女はなんと言った?

 少し考えたマーティンは穏やかな口調で呼びかける。


「オムニティス嬢。討伐の件、ヴィクトリアから聞いている。盗賊団の壊滅についても話を聞かせて貰いたいが、よろしいかな?」


 返事はないが、こちらを見上げる深緑の瞳に一瞬だが目を奪われる。

 宝石のような眼差しはマーティンではない、別の物を見ているようだ。方向は貴族の住宅街だろうか。

 そこに、マーティンとエレノアの間に入るようにギルド職員が入り込む。


「お待ちください。話でしたら私が対応致します」


「……君は?」


「カーラ・フェンリースと申します。そちらのエレノアは私の担当冒険者です」


 聞いたことがある。フェンリース男爵家の者か。

 マーティンの眼差しに凛とした表情でカーラは応じる。


「彼女は度重なる戦闘により消耗している模様。調書の類は一度、実際に被害を受けた私たちの方で対応します。既に移動中に一通りの話は確認しております。本件の証拠や賞金首はトライデントシャークの体内に放り込んだとのことです」


「……君は仕事よりも先に病院か教会に行くべき人間ではないのか?」


「いいえ、彼女は私が担当する冒険者です。まずは私を通して頂きます」


「いいだろう」


 職務に真摯な態度は嫌いではなかった。

 マーティンとカーラ、その二人の横をエレノアは静かに離れて行く。

 その灰色の髪はまるで何かに苛立つ蛇のように蠢いている。近づけば噛みつく、そんな殺意すら感じさせる。

 誰かがぽつりと言った。「灰の蛇」と。エレノアは見向きもしなかった。


 どこか威圧感を漂わせる姿に道を妨げる者はいない。

 触手が空を裂き、灰の女性が再び飛翔する。

 その影が空の彼方に消える瞬間まで誰も声を上げることはしなかった。


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