第11話 複雑でモヤモヤした内心
随分と物騒な言葉が飛び出てきた。
「わたくしは謂れの無い冤罪と断罪を受けた。この屈辱は忘れない。然るべき報復を行うわ。お前がそんなに自分を売り込みたいのなら、わたくしが使ってあげる。喜びなさい?」
その傲慢な態度を前にして、ふと今更だが思う。
(今の発言、悪役令嬢っぽいな)
いや、ぽいではない。
今夜がヴィクトリアの悪役令嬢としてのデビューだったのだ。悪役に相応しい悪女のような微笑を浮かべていた彼女は扉を指差す。
「わたくしはもう寝るわ。部屋は外にいるセシリアに案内して貰いなさい。おやすみ」
その日は客室の一つを宛がわれた。
上等なベッドや机、調度品などがあり、窓からは王都の街並みが覗ける。水瓶からコップに注いだ水を一杯飲んで一息吐くと、室内に静寂が広がる。
──正直に言って、まだ色々と信じられなかった。
目覚めた直後から怒涛の連続だった。研究所が襲撃され、アルビーやスタッフたちが死んだ。敵を皆殺しにしてから王都に飛んで、学園を襲撃したテロリストを殺した。
戦った末に、気づいたらヴィクトリアの使い魔になっていた。同じことをやれと言われても上手くいく気がしなかった。
(こんなに外にいるのは初めてだな。ご飯も初めて食べたし……)
培養槽の中で寝て起きて、ゲームで学び、身体が勝手に動いていた日々とは全然違う。
初めてのリアル。
現実感が、胃の中にどろりとした水が落ちると共に僕の中に生まれてきた。
(……あの液体に浸かってないけど、急に肉体が崩れたりしないよな?)
なんとなく手を見てみるが異常は感じられない。
一瞬の躊躇いを無視して、漆黒の衣装を構成していた触手を解除する。
「…………おお」
備え付けの姿見で僕の姿をチェック。
豊満な胸元やくびれた腰、肉付きの良い脚に、腰まで伸びた灰色の髪。
どう見ても女性だ。
これで男性を主張するには無理があるだろう。
(うーむ……けしからん)
いくつかポーズを作ると、そのまま自分の胸を揉んでみる。
触れて分かる弾力と柔らかさ──本物だ。興奮だけではなく、不思議と安心感を覚える。
「……大丈夫そうかな」
そのまま背中を姿見に向けると、勝手に髪の毛が動いて背中が露わになった。
白い背中は滑らかで、触手の痕や穴のような物は一切見当たらない。他にも触手を出した肩や腕も普通の人間の肌で異常は無さそうだ。
髪に意識を向けると自動で髪の毛が纏まる。ふと思いついた髪型を想像すると、勝手に髪の毛が編み込まれ、下がり、見た目に変化をもたらした。
(あとは……少し体温が高いくらいで、見た目は人間だな)
アルビーに相談して彼や研究員たちによって構成された肉体だ。決してナルシストという訳では無いが、培養槽で共に過ごして愛着もある。
身体が女性であることも受け入れつつあった。この蠱惑的な女性の肉体が僕であり、内心が男であるのも僕であり、それがエレノア・オムニティスなのだ。
自分の身体を堪能しながら僕は寝巻に触れる。
……洗濯していないのか、あるいは嫌がらせなのか肌触りが良くない。
(ヴィクトリアがこんな姑息なこと……うーん、まあ、保留で)
ヴィクトリアでなくとも、使用人が勝手にやっている可能性もある。
真実は分からないが、少なくともパジャマに関してはこちらで解決できる。
【触手擬態】
ドレスを構築していた小さな触手を今度はラフな格好に変える。
記憶の中、現代日本に存在するような、ゆったりとした黒シャツと短パンだ。頭の中にある服装を触手でそれっぽく模倣できるのは便利だ。
鏡を見ると、蠱惑的に微笑む灰色の髪の女にドキッとさせられる。
(え、可愛い……あっ、下着、忘れてた。……せっかくだし女物にするか?)
この身体とはきっと長い付き合いになるのだから細部にこだわるのは大事だ。
(デザインが気に入らないな。現代日本の知識なら、もっと可愛くてエッチなのを……)
とはいえ、今日は頭も身体も疲れた。
ある程度見栄えの良い下着を構築して満足した僕はすぐに寝ることにした。
◇
そうして一晩を過ごした次の日の朝だった。
「改めまして、執事のレナードと申します」
「……昨日、お会いしましたよね。華麗な運転捌きの」
「恐縮です」
美味なミルク粥の朝食もそこそこに、僕はレナードとヴィクトリアと共に教会に向かうことになった。
なんでも名義上の使い魔登録を済ませる為らしい。
「あの男はいるんでしょうね?」
「昨日の内に連絡はしておきました。何よりお嬢様が向かわれるのですから、いるのは確実でしょう」
気になるワードを口にする悪役令嬢。
そんな風に見るとレナードも悪の執事に見えてくる。悪の一派は車に乗って朝の王都を走る。朝だというのに市場は賑わっていて労働に勤しんでいる。
「それよりお嬢様。今回の騒動で学園はしばらく休校になるでしょう。これを機に領地に戻られては如何でしょうか」
「そうね。考えておくわ。……お父様は?」
「旦那様は昨日のテロの件などもあり、王宮での対応が長引いていると」
「……そう」
どこか冷たく応じながら、ヴィクトリアの目は新聞に向けられる。
長い睫毛に縁取られた紫紺の瞳が、羅列された謎の文字列を追いかける。
【触手翻訳】
──視界に表示された文字列と同時に文字が読めるようになった。
どれどれと見てみる。
学園の襲撃について書かれていた。責任問題やら休校、他にもテロリストや首謀者らしき存在が浮上し憲兵団の捜査が行われている、といった内容だ。
他には老朽化により王都の結界が壊れて修復作業が行われたらしい。
「……お前、字が読めるの?」
いつの間にかヴィクトリアが僕を見ていた。懐疑的な紫紺の瞳に頷く。
「まあ……読むなら」
ガサリ、とヴィクトリアは新聞の一面をこちらに向けてくる。
「ここ、何が書いてあるか言ってみなさい」
「……襲撃事件の首謀者として、かねてより悪評のあったデュラン伯爵の名が浮上した」
新聞にある一文を読み上げると、彼女は鼻を鳴らして体勢を戻した。
「本当に読めるのね。……まあ、こんな早くに犯人を見つけられるなんて憲兵団も随分と有能ね。襲撃を防げたらもっと良かったでしょうけど」
皮肉なのか、鼻で笑ったヴィクトリアが新聞を捲る。
デュラン伯爵か。知らないキャラだが、この伯爵が何を以て、襲撃なんて馬鹿な真似をしたのかは不明だ。
「噂ではろくでもない男だったけど、こんな大それたことができたのね」
「お嬢様。記事の内容を鵜呑みにされることは淑女がされることではありませんよ。常に多角的な視点を持ってこそ淑女であると言えるのです」
「分かってるわよ。……そうね、この男が指示役だったとなれば元々の悪評もあって民衆は納得しやすい。真実が違っていても……とか?」
「そういった考えもあるかと」
微妙に眉間に皺を寄せて応じるヴィクトリアが八つ当たりするように僕を見る。
「なに見てんのよ? お前、本当に不敬な女ね」
唐突な理不尽はともかく、少しだけ引っかかることがあった。
それはたぶん、本当に小さなささくれのようなものだ。自分でもよく分からない、けれど耳と心に妙に残る言葉だった。
「女、か」
「なによ」
「実は僕……男なんです」
気がつくと口が滑っていた。
「は? 寝言は寝てから言いなさい」
少女の瞳がチラリと僕の胸元を見た。それで真偽判定したのだろう。
バカを通り越して虚言癖の病人を見る眼差しが、何かに気づいたように瞬く。
「そう言えば、お前の口調は男っぽいと思ったけど……騎士にでも憧れがある訳?」
「騎士?」
いきなり何の話だ?
「王立騎士団よ。昨今は働く女性も増えてきたけど、それでも騎士になれる女性はほんの一握り。大抵は実力よりもコネでの入隊が殆どと聞くわ。それに、入隊できても精々、事務作業とか男たちの慰め者になるなんて陰湿な話も──」
「お嬢様。それ以上は淑女的ではありませんよ」
黙り込む僕を他所に、レナードがヴィクトリアに声を掛ける。
「生前にお母様がそう言っていたわ。今もそんな腐った状態でしょう? だから女が成り上がるなら冒険者になるか貴族との婚姻とも言ってたわ。レナード、覚えてる?」
「さて、私もそろそろ歳ですので。……エレノア様」
「はい」
再び新聞に顔を向けるヴィクトリアに代わり、レナードが話しかけて来る。
フロントミラー越しに彼は僕に視線をよこす。
「失礼ながら、魔族と言えども、貴方のような見目麗しい淑女こそ淑女らしくするべきかと。今後お嬢様の使い魔として活動されるのでしたら特に」
「……どういう意味ですか」
「お嬢様に同行されるなら夜会を始め、公の場に出る機会も多いでしょう。その場合、使い魔である貴方も相応の言動や礼節が求められる」
それを言われた瞬間、眉間に皺が寄るのを自覚した。
繰り返しになるが僕の中身は男だが実際の見た目や身体は女だ。それは別にいい。時や場合によっては空気を読んで女っぽい対応だってしようと内心では思っていた。
「女だから、淑女らしく振る舞えと」
そうやって他人に強要されるのは我慢ならない。
僕は男だから、という単純な理由じゃない。
ただ、性別を盾にして役割を押し付けられるのが──嫌なのだ。
培養槽にいた時は、性別は記号でしかなく僕は研究対象でしかなかった。
けれど、こうして誰かに『女』であることを断言され、言動や態度を強要されるのは、なんというか……良い気分ではなかった。
(上手く言えないけどモヤモヤする)
我ながら複雑でモヤモヤした内心がいつの間にか言葉となって口をついた。
「レナードさん、僕はそういう淑女らしいとか、女だからとか、女としての行動を強要されるのは非常に不愉快です。僕は僕として行動します」
「……例えば?」
「ヴィクトリアさんに貢献できることはあるはずです。戦闘とか。……僕はそういう役割をするつもりはありません」
こっそりと鏡の前で自分を楽しんだり、セクシーなお姉さんムーブをしても、知らない男を楽しませる気など欠片もない。そういう方向で期待されるのは……。
「当然、僕が目を惹く存在なのは確かです。しかし──」
「ぺちゃくちゃとうるさいわね! 朝から騒がないでちょうだい!」
びしっと新聞を閉じて、ヴィクトリアの理不尽な叱責が僕に飛んできた。
睥睨し、僕に指を差す。
「エレノア。うちの爺が言っているのは、そんなに難しい話じゃないわ」
要するに、とヴィクトリアが僕に対して手を上げる。
殴るつもりかと警戒したが、振り上げた手は僕の太腿を叩くに留まった。
「我が家は公爵家よ。五大公爵の一つ、ブラッドベリー! その娘であるわたくしの使い魔になるというのなら、相応の振る舞いをしなさい。誰も魔族になんて期待していないけど、お前が軽率な言動をすれば、わたくしが恥をかくのよ」
分かる? と指先で人の豊満な胸元を突き刺してくる。
「そんなことをしたら使い魔はクビよ。クビ!」
端正な顔を近づけて、綺麗な瞳を見開いてくる彼女はむんずと僕の太腿を掴む。
「例えば、脚を開いて座るなって言いたいのよ。はしたないから閉じなさい」
「……」
「返事は?」
「……分かりました」
ぐいっと脚を押されて脚を閉じる。
(別に下着なんて見えないと思うけど)
そういう所作も含めて最低限、淑女らしくあれということか。
「あと、僕口調と、その衣装も変えなさい。魔族だからって露出が多すぎよ」
「……嫌です」
「は?」
「断固として拒否します」
ヴィクトリアの主張は分かった。とりあえず脚は閉じて座ろう。
しかし、それは嫌だった。
「僕がどう喋ろうと僕の自由だ」
口調は男としてのアイデンティティだ。これを失えば本当に女になってしまう。
「そして、これは現状で僕が力を発揮する為にデザインされた衣装です」
衣装が露出過多なのは、触手使用時の放熱対策とアルビーたちがいつだったか言っていた。無意味な露出ではない。
……そういえば、ゲームに登場した魔族も魔力排出の関係で薄着や露出の多い衣装が多かった。だから捕まった際は嫌がらせとして厚着の拘束服を着させられていた。
いや、今はそんなことを思い出している場合ではない。
「ヴィクトリアさん。これだけは言っておきますね。基本的には使い魔としてあなたの指示に従います。でも、譲れないものもある。嫌なことは嫌だと断りますから」
あくまで僕はアルビーとの約束で彼女を学園卒業まで守るつもりだ。
その分の恩義が彼にあった。
でも、彼女の為に死のうとか自己犠牲をしようとまでは思わない。嫌な命令を我慢して従い続けるくらいなら、恩を返したと判断したタイミングで去ろうと思う。
「……わたくしに歯向かうとは生意気ね、お前」
無論、ここでヴィクトリアが癇癪を起こして僕をクビにするなら仕方ない。
アルビーには心の中で謝罪するとしよう。
僕の太腿を掴み、ヴィクトリアは僕を睥睨する。……目力が強い彼女と見つめ合う。
「……もうすぐ到着します」
冷静なレナードの言葉に先に目を逸らす。
視界の端で睨み続けるヴィクトリアを無視して、彼女の言った教会に目を向ける。
(大聖堂か)
それはゲームでも何度も訪れ、そして所持金の大半を奪われた場所だった。




