労働基準法 第一章 総則 (労働条件の原則)
頑張って連載したい。
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労働基準法
第一章 総則
(労働条件の原則)
第1条 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
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俺はいつものように終電がなくなってしまった為、歩いて家まで帰ろうとしていた。今、日本はダンジョン特需だ、失われた30年を取り戻せなどとうるさいが自分には関係ない。不景気でも好景気でも自分の待遇は変わらない。東京では珍しくだいぶ雪が積もっている。しかし、その淡く積もった雪は道路を真っ黒なトラックが通って、いとも容易く汚されていく。トラックのドアには厚生労働省のマークが刻印されていた。彼らはここ数年で最も恩恵を受けた人たちだろう。新宿ダンジョンの権益を巡って、各省庁が熾烈な管轄争いと予算争いを繰り広げた結果、1番、多く取り分を得たのが厚労省だった。彼らは武装したダンジョン攻略者への取締を担当する為、武装部隊まで設立してしまった。2番目は国土交通省。行政の効率化の為に野党の一部が提案した(仮称)ダンジョン省は結局、設立されなかった。
いつの間にか俺はコンビニで買った缶チューハイを飲みながら自然と足が渋谷ダンジョンへと向いていた。どうせすり潰されるなら俺自身の手で自分の人生をすり潰したい。もしかしたら、もしかしたらだが、流行りのなろうみたいに現実世界で無双とかもあるのかもしれない。そう淡い期待が心の中で沸き上がる。
俺は遂に渋谷へと辿り着いた。思ったより周囲は静まり返っており俺の新たな門出を祝うにはあまり相応しくないと言えるかもしれない。と言うか、新宿ダンジョンに入るためのベースと呼ばれるダンジョン攻略者たちの拠点の入口は固く閉ざされていた。門の横にはガードマンボックスが置かれ、見るからに外国人がこちらを怪訝そうに見つめて立っている。
「おい。そこで何をしている」
その外国人は思ったより流暢な日本語を喋った。黒人…ということはアフリカ人だろうか?結局のところ、新宿ダンジョンによって日本という国は飛躍的な問題の解決を行えたが、それに伴う他の問題が大量にうまれた。その1つが、外国人労働力の大量流入である。貧富の差の拡大は留まることを知らない。全ては政府の無策のせいだ。
「聞いているのか?夜は新宿ダンジョンへの立ち入りが制限されている。立ち入り禁止だよ」
「入れない?なんで?テレビで夜もダンジョンに入ってるの見たぞ!」
「規則ですので」
にべもなく黒人は無表情にはっきりと俺の言葉を拒絶する。その態度に俺はイラつきを増幅させる。俺はストレスを発散させるためなのか、自分の意見を通したいためなのか、自分でも分からないがただ言葉をぶつけてしまう。自分でもださいのは分かっていた。
「おい!どういう意味だよ!説明しろよ!日本に来たからって説明まで日本風にしなくていいんだぞ!外人が!!」
黒人は戸惑った顔をしながら後ずさる。俺は向こうの事情など知ったことかと罵声をぶつける。傍から見ればカスハラだろう。頭の中で冷静になれという思いもあった。黒人がガードマンボックスの中の受話器を取ろうとした瞬間、頭に血が上った。
拳を握りしめる。
気づいた時には俺はビルの隙間に窮屈そうに輝く星空を見上げていた。
「え?」
視界の中に、アジア系の少女がのぞき込む。整った顔立ちで冷たい目でこちらを見下ろす。どうやら彼女に投げ飛ばされたようだ。おそらく彼女も外人だろう。先のアジア大戦で崩壊した中国から生まれたどっかの国の出身だろうか?
「いつまで寝てるのかしら」
彼女も流暢な日本語でこちらに言葉を投げかける。俺は驚きながら飛び起きる。もしかして…ダンジョンに潜る冒険者だろうか?彼女は黒人に向き直り、親しげにしゃべりだす。
「アレックス、ごめんね。この人はうちで引き取るから」
「はい。デルべトワ社長」
「上には報告しないでよ?」
黒人は苦笑しながら頷く。よく分からないが助かったのか?
「…あんた、名前は?」
少女はこちらを見上げる。だが、眼光が鋭く、向こうの方が上だと思わされてしまう。俺は答えざるをえなかった。
「正道 法だ」
「ダンジョン労働者になりたいの?」
「だ…ダンジョン労働者?」
「そ。冒険者ともいうね」
ダンジョン労働者…なんかわくわくしない名前だが…もし…ダンジョンに行けるようになるなら…このチャンスを無駄にするわけにはいかない。俺は彼女の手を握る。
「契約成立ね」
「これで…もう俺はダンジョンに行けるんだな」
「ダメ」
ようやく俺の新たな人生が始まったのだ。冒険という二文字に心が躍る。思わず頬が緩んでしまう。
「ついにか…さぁ、ダンジョンへ連れてってくれ」
彼女は呆れたようにため息をつきながらもう一度宣言した。
「ダメ」
「な、なんでだよ!?」
この流れは冒険が始まる流れじゃなかったのか?困惑する俺に彼女はタブレットの画面を見せてくる。
「まだ労働条件の明示もしてないわ。PDFでいい?メール教えて」
「あ、あぁ…そこら辺…ちゃんとしてんだな」
俺がメールアドレスを教えるとPDFが送られてくる。労働契約の期間や賃金、業務内容など必要なことが記されている。ワクワクした気分に水をさされた気がする。
「それと…前の会社は辞めたの?」
「いや、まだ辞めてない」
「はぁ?」
頭を抱えられている。そんな怒られるようなことをしたか?というか…冒険者というより企業みたいに感じる。そういえばあの黒人に…社長って呼ばれてたな…
「さっきのアフリカ人と知り合いなんですか」
「アレックスのこと?彼はプエルトリコ人ね。てか、今はそれより前の会社を辞めることを考えないと」
「…退職代行とか?」
「あれは法律の穴をついてるだけ。通常、退職には2週間かかるから」
デルべトワ社長…日本人より法律に詳しいんじゃないか?てか、名前もよくわからんし幾つなんだろ。
「……ノリ。あんた、パワハラ受けてそうな顔してる」
この言葉がパワハラではなかろうかと思いつつも、実際にそうであるとしか言えないので頷いた。
「パワハラなら即日辞めることもできるから」
「そ、そうなのか?」
「うちの会社の弁護士が交渉するね。いいよね?」
「あ、あぁ…」
どんどん話が進んでいく。話がうますぎる。なんかの詐欺なんじゃないかと思ってしまう。まあ、いいんだ。きっと何も無く平凡にブラック企業に勤めているよりはマシだ。
「あ…デルべトワ社長…フルネームとか…会社の名前とか…」
「ああ。私はナタリヤ・スルタンギリエヴナ・デルベドワ。株式会社 ヴァストーチナヤ・イニツィアチーヴァ(Восточная Инициатива)の社長。よろしくね」
デルベドワ社長…ナタリヤは笑顔で手を差し出す。株式会社 ゔぁす…なんだって?何語だ?
「ロシア語よ」
俺の困惑を見越したかのようにナタリヤはニヤッと笑う。彼女はロシア人にしてはアジア人っぽいが…
「今日は遅いからもう帰ったら?うちの顧問弁護士に任せてたら明日には晴れて冒険者よ。ほら。明日はこの住所に来てね。バイバイ」
「…そうか。」
俺は頭を下げて、渋谷ダンジョンから遠ざかることにした。少し薄ら寒くなった周囲を見回しながらただ歩く。おそらくは世界の中でも有数の安全地帯を。
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