#51 死ななきゃ治らない
ピエロが消滅すると、歪んでいた空間に次々と亀裂が入ってゆき、ガラスが割れるように弾け飛んだ。やがてそれらが完全に収まると、茶織たち四人は校舎跡地の真ん中に立っていた。
「終わった……のか?」
「はい。もうピエロはいません。完全に消滅しました」
周囲を見回し、赤錆色でない曇り空を見上げて呟いた龍に、アルバが答えた。
「お前も子供に戻ってるし」
「久し振りに魔力いっぱい使っちゃいましたから」
龍は改めて相棒に向き直った。
「色々と助かった。本当に有難うな」
「どういたしまして」
二人はどちらからともなく微笑んだ。
「イヤ~ン、サオリン許してぇ~!」
「うるさい、このド変態ジジイ!」
「ああやめて、そこだけはどうかっ!」
龍とアルバは微笑みを苦笑に変えると、騒がしい二人へと振り向いた。
「酷いやっ! 無事で良かったねって抱き合いたかっただけなのにっ」
「想像しただけで虫唾が走るわ。わたしに気安く触っていいのは綾兄だけ!」
「あー……道脇さん。体調はどうですか」
茶織は溜め息混じりに、
「もの凄く疲れてる。全身が痛い」
「そりゃあ、あんだけ動き回って戦いまくったんですから」
「動き回って……戦いまくった?」
茶織は怪訝な顔をした。
「ピエロに騙されて刺されて……次に気が付いたらあの化け物が倒れてたから、止めを刺してやったんだけど。ところで、アルバがまた見えないわ」
「あらー、残念です」
「ああ、そういえば妙な夢を見たんだっけ」
「妙な夢?」
「ねえねえ」サムディが茶織の肩を指先でちょんちょんと突いた。「アイツらほっといていいの?」
茶織たちから十数メートル離れた歩道寄りの位置には野村が、そして更に数メートル離れた位置には山井が、放心状態で立ち尽くしていた。
「誰だったかしら、あの二人」
「ピエロを生み出す元凶となった代表格です」
「ああ……」
茶織たちがやって来ると、野村の顔に、笑みとも戸惑いとも恐怖とも取れる表情が浮かんだ。
「な、なあ、オレは助かったのか?」
「ああ。俺たちが助けた」龍は無表情で淡々と答えた。
「……ハ、ハハハハ! っしゃああっ!!」
大きくガッツポーズする野村を、茶織たちは冷ややかな目で見やった。
「どうなるかと思ったぜ! ったくよー、ちょっといじめたぐれーで殺されっちまったら、たまったもんじゃねーっつーの!」
龍は野村につかつかと歩み寄ると、その左頬を殴り飛ばした。
「いっ……でえなテメエエエエ!」
よろめきながらも反撃しようとする野村の眼前を、妙な物が遮った。それが血のこびり付いた釘バットであるとわかると、自称イケメンボーカリストは慌てて飛び退いた。
「次はわたしの番」
茶織が釘バットを構え直すと、野村は慌てて逃げ出した。
「およっ、行っちゃうよ。いいの?」
「ほっとけ。一発殴れて少しはスッキリした」龍は右手をヒラヒラさせた。
「ヒョヒョッ、結構痛かったんでしょ」
「うるせえ」
「あいつがまだ残ってるわよ。どうする」
茶織の言葉に、山井も一目散に逃げ去った。
「あの男たちに天罰が下らないだろうか……」
「嫌な事言うようだけど、ああいう人間ってのうのうと生きて、仕事を成功させたり家庭を持つ事が多いみたいよ」
「……ほんっとに嫌な事言うな、あんたは」龍は茶織を睨むように見やった。
「それは悪かったわね、リュウ子ちゃん」
茶織たちを呼ぶ声が聞こえた。
「およっ、ナユタとお喋りカラスが来たよん」
カラスの姿に戻った緋雨を肩に乗せた那由多が茶織たちを呼び、歩道で手を振っている。
「良かった、二人も無事だったみたいですね」
「行こ行こっ」
サムディがスキップし、やや遅れてアルバが小走りで後を追った。茶織は龍が動こうとしない事に気付き、
「どうしたのよ。早く行くわよ」
「なあ……今さっき俺の事、何て呼んだ?」
「お互い様でしょ。あなただってまたタメ語使ってるじゃない。まあ、別に今後も構わないけど」
「あ、ああ……どうも」
「早く早くぅ~! ワシくたびれて死んじゃいそ~う!」
「ったく、大袈裟ね」
「……いや待て──」
茶織は既に走り出していた。
「あんた本当に覚えてないのか? なあ待てって、おい!」
頭上では、どんよりとした雲の切れ目から、少しずつ夕日が顔を覗かせ始めていた。
「ああ痛ぇ……クソッ!」
龍に殴られた左頬を押さえながら、野村は楼風台内にある小さな神社の拝殿の階段に腰を下ろした。中学時代、友人たちとここに寄り道しては、くだらない話や誰かの悪口で盛り上がり、管理者が見当たらない時には、菓子を食べたりふざけて走り回ったりもしていた。
──どうするよマジで……。
野村は頭を抱えた。とっとと帰宅したいところだが、鈴木を始めとした関係者たちに、自分の身に起きた出来事をどう説明すればいいのかわからない。
──スマホと財布もどっかで失くしちまったし……!
誰かが石段を上って来る足音が聞こえ、野村は舌打ちした。
──考えに集中出来ねーだろーが!
姿を現したのは、背が低くガリガリに痩せた、目の下の隈が目立つ化粧っ気のない女だった。赤と白のギンガムチェックのシャツはヨレヨレで、蛍光色のショルダーバッグが目立っている。
──うわ、ダッセ~……。
「アハッ、やっと見付けた!」
自分を見るなり笑顔を浮かべて近付いてくる女に、野村は何処かで見覚えがあるような気がした。
「六堂町内を片っ端から探したんだけど、なかなか見付からなくって困ってたのよ! でもあの子が夢の中で、楼風台の中学校の話をしていたのを思い出したから来てみたら! ああ良かった!」
──何だコイツ。
「野村君、あたしの事覚えてるぅ?」
どう答えていいのかわからず、野村はうろたえた。
──そもそも何でオレの名前を?
「まさか忘れたとは言わせないわよ」女からスッと表情が消えた。「あたしは──」
女から名前を聞かされ、野村はようやく思い出した。小学生時代の同級生であり、三年から六年までクラスが同じだったが、途中で不登校になって以降、一度も見掛けた事はなかった。
──今の今まですっかり忘れてたぜ。
不登校に追いやったのは、他でもない野村自身だ。ブスのくせに、勉強が出来るからとチヤホヤされているのが気に入らなかったので、ちょっとした嫌がらせをしたら勝手に来なくなったのだ。
「あー……えと、何の用?」
「ふざけてんじゃねえよこの野郎!!」
女の怒号が響き渡った。怒りに目を吊り上げたその顔は、まるで般若の面のようだ。
「何の用、じゃねえんだよ! あたしはな、五年の時にあんたに嫌がらせされ続け! 挙句の果てにゃ、学校の近所で起きたイタズラの濡れ衣着せられて! あんたに人生狂わされたんだよ!!」
野村は慌てて立ち上がると、後ずさって距離を取った。
「あのピエロ君の言ってた通りだ! あんたは性根の腐り切ったクズ! 自分のせいで誰が傷付こうが死のうが、一ミリだって罪悪感を覚えない!!」
女はショルダーバッグから、刃渡り一五センチはある先端が鋭い包丁を取り出した。
「あんたのその人間性は、不治の病なんだ……死ななきゃ治らないんだ! だからあたしが治してあげるよ! アッハハハアッッ!!」
女が笑顔で包丁を振り上げると、野村は悲鳴を上げて逃げ出した。
「誰かあああ!」約五〇段ある石段を駆け下りながら、野村は叫んだ。「助けてくれ! 誰か助──」
二〇段程下りた所で、野村は足を踏み外し、断続的に悲鳴を上げながら丸太のようにゴロゴロと転がり落ちていった。




