#5 那由多
磨陣市湯虎町、磨陣市立湯虎図書館前。近隣の小学校の方から賑やかな声が聞こえてくる以外は、図書館内とほぼ同じくらいであろう静寂さに包まれている。
「まさかアイルランド出身の本物のデュラハンに会えるなんてね。それも日本で」
ヒンヤリとした感覚の残る右の掌を左手の人差し指でなぞりながら、天空橋那由多が嬉しそうに言うと、彼の後方、まだあまり落葉していない桜の木の枝に止まっているカラスが一声鳴いた。
那由多が振り向くと、カラスは枝を離れ、当たり前のように那由多の左肩に止まった。
「ふん、どうだかな」冷めた低い男の声は、カラスから発せられていた。「勝手に自称しているだけで、実際は事故で首がもげて死んだ、ただの人間の子供の霊かもしれんぞ」
「ハハッ、緋雨は相変わらず疑り深いな」那由多は驚く事もなければ、気分を害した様子もなかった。「でも少なくとも、握手した時に悪い感情は伝わって来なかったよ。じゃ、帰ろっか」
青年とカラスは、元来た道を戻ってゆく。
「で、会いに行くのか? あのデュラハンの相棒だという人間に」
「勿論。俺と同じ〝見える〟人間で、しかも一人で無茶しようとしているなら、ほっとけるわけないでしょ。その子だって高校生なんだ、下手すりゃ殺される」
那由多がピエロの化け物の存在を耳にしたのは、つい最近の事だった。市内の中高生たちが、睡眠中に突然死する不審な出来事が相次いでいるらしいという噂が、人外の存在たちの間で広まり始めた頃、謎のピエロがあちこちに姿を現すようになったという。
「中高生たちの突然死は自分の仕業だと、自慢げに口にしておったよ」
「長い間この町の人間たちの陰で暮らしてるけどさ、初めて見たよ。何なんだろうねえ、アイツ」
ピエロは霊体であるようだが、非常に邪悪な気を放っており、はっきり実体化してこそいなかったものの、深く関わるのは危険だろうという意見は、人外たちの間で一致していた。
本来なら避けるべき相手なのだが、話を聞いてしまった以上、無視するわけにもいかないと那由多は考えた。このまま放置しておけば、ピエロは今後も夢の中から殺人を続けるだろう。
「湯虎図書館裏の小さな山に、一〇〇〇年前から住み続ける大蜘蛛の地霊がいるぞ。そいつなら何か知ってるかも」
数日前にとある妖怪から情報を入手した那由多は、大学の講義が終わるとすぐに湯虎町まで戻り、緋雨と共につい先程大蜘蛛を訪ねたきたばかりだ。しかし残念ながら、大蜘蛛は物忘れが激しくなっており、話したそばから直前の会話内容を忘れてしまう始末だった。
収穫ゼロのまま登山道を下り、図書館に差し掛かると、一人の少女とすれ違った。身長は一三五センチ程、天然パーマの金髪に、透き通るような碧い瞳のそばかす顔。血の気のない青白い肌をしているが、なかなか可愛らしい──自分の首を小脇に抱えた、異様な姿ではあるが。
「何だあの小娘は……趣味の悪い」
「緋雨、声がデカいよ。……あの子、上手く説明出来ないけど、ちょっと特殊な感じがする。あの子にも聞いてみるよ」
少女はアルバと名乗った。アイルランド出身のデュラハンであり、現在は梛握町の人間の少年の家で暮らしており、彼と共にピエロの殺人鬼の情報を収集しているという。話はトントン拍子に進み、翌日に少年の元を訪ねる約束を交わしたのだった。
「リュウ君かあ。一体どんな子だろうね」
帰りの下り道は、通行人がほとんどいないので堂々と喋りやすい。思わぬ収穫もあった事から、那由多の声は弾んだ。
「お前と同じように眼鏡を掛けているかもしれんな」
「それは……どうだろね。そういえばピエロで思い出したんだけどさ、確か来月の上旬頃に六堂大道芸があるよね。良かったら一緒に──」
那由多の腹の虫が盛大に鳴った。
「おい……まさか」
「うん……お腹空いた」那由多は恥ずかしそうに笑った。
「牛丼をどんぶり二杯食べてから、二時間程しか経過しちゃいないだろう」
「仕方ないだろ。ちょっとした山を登ったり坂道往復したりお喋りしたんだから」
小さな男児とその母親とすれ違った。男児は母親に手を引かれ、キョロキョロしながら歩いていたが、那由多に気付くと視線が釘付けになった。通り過ぎてからも振り返って見つめていたが、やがて母親の手を引っ張り興奮気味に声を上げた。
「ママァ、カラシュ! おしゃべいカラシュいた!」