#32 グレードアップ
体育館の外には、住宅街が続いていた。
「異界から出られたわけじゃなさそうね」
辺り一帯、空に至るまでセピア色をしている。静寂さも相まり、まるで時が止まってしまっているかのようだ。
「古い写真の中に入り込んだみたいだ」
茶織とサムディが先に進み、龍、アルバと続く。
「疲れてきたわ。気持ち悪いのと戦わされるし、バットは重いし……」
数メートル先にバス停を見付けた茶織は、早歩きで向かい、古びたベンチの端に腰を下ろした。
「休憩!」
龍とアルバも座り、サムディは後ろで宙に浮き胡座を掻いた。
茶織は足元に釘バットを置くと、バス停看板に目をやった。印刷のほとんどが剥がれたり掠れていて、まともに読めなかった。
「サオリィ、早く行こうよ」
サムディが宙で胡座を掻いたまま、茶織たちの正面へ移動してきた。
「休んだばかりでしょ」
「えー、ワシもう充電完了よ?」
「壊れかけの電子機器ってすぐ充電終わるわよね」
「どういう意味さ!」
龍はうっすらと笑った。
「わたしはまだ疲れてるの。暇なら、この先を偵察して」
「へーい」
サムディは平泳ぎするように宙を進んでいった。
「それにしても」アルバが茶織の足元に置かれた釘バットに目をやった。「凄い物持ってるのね」
「骨の十字架をサムディが変化させた。日高君の武器はどうなってるの」
「待ち合わせ中に、緋雨に羽根を貰ったんです。それが姿を変えて」
「わたしもそっちの方が良かった」茶織は乾いた血であちこち汚れた服に目をやると、苛立ったような溜め息を吐いた。
「おーい、皆の者~」サムディがアスファルトをスキップして戻って来た。「向こうに人間の男が二人いたよ~ん」
「人間が?」
「ワシ程じゃないけど渋いイケオジと、扇子を持った眼鏡君」
「眼鏡君て……那由多さんか?」
「何かでっかい木の人形の化け物と戦ってた」
「早く言えって!」
龍が慌てて走り出すと、サムディが追い掛けて隣に並び、その後ろにアルバが続いた。
──あと一〇分は休みたかったわ。
茶織は立ち上がると大きく伸びをし、右肩を何度か回した。間違いなく明日は筋肉痛だ。
「サオリー、置いてくよーん」
「今行くわよ!」
茶織は小さく溜め息を吐くと、足元の釘バットを拾い上げた。
大きな木製のデッサン人形が両手で那由多を捕らえ、ゆっくり持ち上げると、そのまま肋骨をへし折らんばかりにギリギリと締め上げた。
「痛っ……いだだだだっ!」那由多は閉じた鉄扇で、デッサン人形の左腕を下から何度も突いた。
助けに向かおうとする緋雨のふくらはぎに、子供が噛み付いた。
「ぐっ……ええい、やかましい!」
緋雨は子供を振り払って向き直ると、西朝倉に住む少女の夢の中でピエロに使用したものと同じ呪文を唱えた。子供たちの足元を破魔の光が照らし、直後に光輝く炎が発生すると、あっという間に一人残らず焼き尽くされた。
「うう……ぐっ」
痛みと苦しみで意識が遠のきかけていたが、那由多は鉄扇で突き続けた。すると、徐々にデッサン人形の締め付ける力が弱まってゆき、パキリという小さな音が聞こえたかと思うと、鉄扇で小突いていた部分にヒビ割れが生じて全体に広がっていった。
やがて動きの止まったデッサン人形が砕け散ると、那由多はやっと解放された。
「大丈夫か」
「だ、大丈夫……でもあちこち痛いや」
那由多は服の上から肋骨付近をさすり、緋雨が差し出した手を取ってゆっくりと立ち上がった。
「ちょっと休まない?」
「知らんぞ、そいつが再生しても」緋雨は意地悪く微笑み、散らばったデッサン人形の欠片を顎で指した。
「え……今ので倒したんじゃないの?」
「完全に消え去っていない。復活する可能性がある」
「わかったよ、行こう……」
長い回廊を進み続け、ようやく木製の大きなドアに辿り着いた二人は、用心しつつも勢い良く開いた。
目の前に広がるのは、一面セピア色の住宅街だった。二人が外に出るとドアはひとりでに閉まり、振り向いた時には建物ごと忽然と消えて行き止まりになっていた。
「とにかく進むしかないみたいだね。まあ、あの人形が来ないって事で安心した」
脇道もあったが、二人は本道を真っ直ぐに進んだ。
「静か過ぎて何か落ち着かないね。これじゃあ、街全体が死んいるも同然だよ」
「……死んでいるも同然といえば、先程のあの女も似たような状態だったな」
「え……?」
左右の分かれ道に差し掛かると、何かに気付いた緋雨が那由多を制止した。分岐点の真ん中に立てられた、何も貼られていない古びた掲示板を指差す。
「見ろ」
掲示板の表面で何かが蠢いたかと思うと、突如として映像が浮かび上がってきた。不鮮明ながらも、中学生くらいの少年とその周囲の風景──学校の教室のようだ──が確認出来るが、音声は聞こえない。
一人の少年が席に座り読書をしている。少年の周囲にも何人かの生徒たちがおり、更に少年から離れた位置では、男子生徒数人が談笑しているが、少年の方をチラチラ見ては、何か言って笑っている。
──嫌だな。
笑っていた男子生徒たちの内の一人が、少年にテニスボールを投げ付け、頭部に命中させた。少年の手から本が落ちると、男子生徒たちは大きく手を打ったり腹を抱えて爆笑した。周囲の他の生徒たちは無視を決め込んでいる。
少年が逃げるように席を離れて何処かに去ってゆくと、男子生徒たちは目で追いながら笑ったり中指を立てた。映像はそこで途切れた。
「何だ今の……胸糞悪い」那由多は久し振りに強い怒りを感じていた。「いじめ……いや、暴力行為だ」
「あの男子生徒たちの中に、TAROによく似た者がいたな」
「え、本当? 全然気付かな──」
カツカツカツカツ……
カツカツカツカツ……
後方から二つの音が重なって聞こえ、二人は同時に振り向いた。
「なっ……!」
「出たあっ!」
カツカツカツカツカツカツカツカツカツ!
早歩きで姿を現したのは、三メートル超の色違いの木製のデッサン人形が二体だった。
「増えてる! グレードアップしてる!」那由多は緋雨に抱き付いた。
「落ち着かんか。一人一体だ。お前は自分側の色の薄い方をやれ」
「次捕まったら絶対骨折じゃ済まないだろこれ!」
「上手く回り込め。奴らはあの図体だ、あまり機敏な動きは出来ないはずだ」
デッサン人形は、二体揃って那由多に狙いを定めたようだった。
「おい、お前の相手は我だ」
緋雨は右の掌を色の濃いデッサン人形に向けて突き出した。掌から青白い気の塊が飛び出し、デッサン人形の胴体に直撃する。
色の濃いデッサン人形はゆっくり振り向くと、緋雨の方へ向かって来た。
「そうだ、来い──っておい!」
色の薄いデッサン人形までもが緋雨に向かって来た。
「一人一体だと言っただろうが!」




