#28 悪意
「あった。ここだ」
那由多と緋雨は二丁目の〈藤紫第二ビル〉前に辿り着いた。外観や大きさは四丁目の〈藤紫ビル〉とほぼ変わらないようだが、若干新しいように見える。
「まさか四丁目からこっちに場所が変わっていたなんてね……スタッフの人たちがすんなり教えてくれて良かった」
「今度こそ間違いないだろうな」
「だといいんだけど」那由多はスマホに目をやった。「一〇時二二分……リハーサルもあるだろうし、もう来ていてもおかしくないよね」
「またアルバイトスタッフを名乗るつもりか」
「TAROの所属事務所の人間って事で。偽物の名刺も作ってあるし」
「周到だな」
那由多はドアまで近付いた。受付に警備員の男性の姿が見える。
「……よし」
意を決して中に入り、目が合うと会釈した。
「突然すみません。私、TAROが所属する芸能事務所〈シャイニング〉の山田と申します」
「ああ、どうも」警備員は素っ気なく返した。
「あのー、実はTAROが忘れ物をしたとマネジャーから連絡が入ったので、本社から持って来たんですけど……TAROはいますか」
「ん……ああ、外に出てたよ」
「外に?」
「二、三分くらい前に一人で出て行った。特に誰にも何も言ってなかったみたいだから、マネジャーさん怒ってたよ。そのマネジャーさんも探しに出ちゃってる」
──ちょっと面倒だな……。
周囲の目を盗み、TARO一人連れ出すだけなら何とかなると那由多は考えていた。果たして、マネジャーよりも先にTAROを探し出せるだろうか。
「そうですか……有難うございます。じゃあちょっと探して来ます」
「ここで待っていた方がいいんじゃないの。すれ違っちゃったら──」
「あ、いや、あまり時間がなくって。マネジャーに連絡入れてみます。では……」
那由多はそそくさとビルを後にし、数メートル離れた路地裏まで移動すると、堪え切れずに苦笑した。
「なぁんかツイてないなあ」
「まったくだな」
「ちょっと休憩ね。茶織さんたちにも連絡するよ」那由多は道の端に寄り、スマホを取り出した。「緋雨、ちょっと表の方を見張っててくれない?」
緋雨は頼まれた通りにはせず、那由多の肩から足元のアスファルトに降りた。
「あれ、圏外なんだけど」
「那由多、ひょっとすると一足遅かったかもしれんぞ」
「遅い?」
緋雨が答えず空を見上げたので、那由多もつられた。
「あれ……」
つい先程までは、雲一つない秋晴れだったはずだ。それがいつの間にやら一面雲に覆われてしまっている。
「天気予報では今日一日快晴だって──」
「TAROは既に連れ去られた後かもしれん」
「え……」
「第二ビルに到着する少し前から、六堂町一帯の気の流れに明らかな変化があった。そして今、僅かではあるが禍々しい気配も感じている」
緋雨は淡々と喋ってはいたが、その声からは若干の苛立ちが感じ取れた。
「嘘でしょ……」那由多は脱力してしゃがみ込んだ。
那由多と緋雨が二丁目に到着する約一〇分前、〈藤紫第二ビル〉四階の一室。
──マジダリぃ。
野村は朝から機嫌が悪かった。トークショーは一三時開催で、リハーサルは一一時から行われる。だったら一一時少し前に来ればいいものを、「他の仕事の打ち合わせもしたいから、一〇時前には現地に着いていたい」と、鈴木のババアが急かしたのだ。
──三流芸人共だってまだ来てねーっつーのによ。
現地到着後、スタッフに手渡された昨日発売の音楽雑誌を開いた。[RED―DEAD]のライブレポート記事以外はすっ飛ばし、最後に読者投稿ページのレターコーナーに目を通す。そこにはファンによる[RED―DEAD]への賞賛、特にKILIKの容姿を褒め称える文章がズラリ。
──オレの方がイケメンだろーが!
気を取り直して『女性読者が選ぶ! イケメンアーティストTOP10』に目を通した。自分は果たして何位だろうかと期待に胸を膨らませたが、圏外だったうえにKILIKが三位に入賞していた。
悪態を吐き、怒りに任せて雑誌を床に叩き付けると、一人しかいない広い部屋に大きな音がよく響いた。それだけでは気が済まず、更に足で何度も踏み付けた後で、ゴミ箱に投げ付けた。
──喉渇いたな。イライラし過ぎたか?
ここに来てから、何十分が経過しただろうか。スタッフへの挨拶が長引いているのか、鈴木はまだ戻って来る様子がない。
本来だったら鈴木かスタッフにでも飲み物を買いに行かせるところだが、せっかくなので新鮮な空気を吸い、気分を落ち着かせたかった。
野村はビルから出ると適当に周囲をうろつき、路地裏で自販機を見付けた。
「TAROさん」
野村は飛び上がらんばかりに驚いた。カジュアルスーツ姿にナチュラルメイクの女性が、いつの間にやら後ろに立っていた。
「突然すみません。芸能事務所〈ジョイフル〉の畑野と申します」
「……はあ」
畑野は周囲を見回すと、警戒するかのように声を落とし、
「[にじいろストロベリーX]のメンバー、李里奈のマネジャーをしておりまして」
「えっ」
「うちの李里奈がTAROさんの大ファンでして、どうしても会いたいとワガママを。実は今日、仕事の合間にこの近くまで来ているんです」
「李里奈が……え、ちょっ、マジで!?」
畑野が自分の口元に人差し指を当てると、野村は慌てて口を閉じた。
「もし李里奈が誰かに見付かってしまったら、大騒ぎになります。大スターのTAROさんと一緒だったとなれば尚更」
「あ、ああ~そっか」
「TAROさん、今から李里奈にお会いしていただけませんでしょうか」
「お、おお……!?」
野村は歓喜に震えた。あの[にじスト]の李里奈──彼女であんな事やこんな事を妄想するのはしょっちゅうだ──に直接会えるなんて!
「これは夢……じゃねーよな」
「ええ、現実ですよ」
「うわ……マジか……」
雄叫びを上げ、そこら中を走り回りたい衝動を、野村は何とか抑えた。あれは正夢だったのだ! あの日の自分に教えてやりたい!
「で、何処に?」
「こちらです」
畑野は早歩きで路地の奥へと進んでゆく。
「……え、そっち?」
「急いでくださいTAROさん。あまり時間がありませんし、誰かに見られたら……」
野村は振り返った。幸い、通行人の姿はない。一般人にならまだ気付かれないかもしれないが、鈴木やスタッフに見付かれば厄介だ。
「さ、早く」
野村は慌てて後に続いた。案内人が意地の悪い笑顔を浮かべているとは知らずに。




