#2 茶織②
一週間後、綾鷹の出発の日の夕方。
「ねえ綾兄、もう何十回も聞いてるけど……」
フライトまで時間があるため、物置から自分用の部屋に格上げされた四畳半でくつろいでいる綾鷹に、茶織は駄目元で尋ねた。
「綾兄の仕事って一体何なの?」
葬儀から何回目かの再会の日に初めて尋ねたものの、その時もそれ以降も、大雑把な答えしか得られずに今日に至っている。
「あれ、もう何十回も答えているけれど、忘れちゃった? 俺の仕事は〝人助け〟だって」
案の定、叔父は今回もはぐらかそうとしている。
「もう、何で? そんなにわたしが信用出来ない? これも何十回も言ってるけど」
「それにも何十回も答えているけれど、そうじゃないんだよ。いずれちゃんと話すから……って言うと、いずれっていつなのよって怒られちゃうんだよな」
笑う綾鷹に茶織は、綾鷹以外の人間の前では絶対に見せる事のない、子供のような膨れっ面をしてみせた。
数十分後、身支度を整えていた綾鷹は、自分のリュックサックの中からある物を取り出して茶織に見せた。
「綾兄、それ……十字架?」
「ああ、骨で出来た十字架。動物の骨らしいんだけれど、何の骨かは俺も知らない。この間まで滞在していたハイチで手に入れた、ヴードゥーのアイテムだよ」
「ヴードゥー……」茶織はゆっくり小首を傾げた。「怪しい宗教とか、呪いのイメージが強いわ。確かゾンビも元々はヴードゥーよね。本来は人を食べたり、感染させたりはしないんだっけ」
「そう、よく知ってるね。でもイメージに関しては誤解なんだな。多くの人間が茶織と同じように答える──邪教、呪術、黒魔術……って。まあ確かにそういう面もあるけれど、実際はもっと陽気な感じだし、極端に恐ろしいものではないんだよ」
「へえ……」
綾鷹がそう言うのならそうなのだろうと、茶織はすんなり信用した。
「ハイチって国はね、様々な問題を抱えているし、ヴードゥーと同じでネガティブなイメージを持たれやすいけれど、俺が出会ったハイチの人々は、前向きでタフで、明るく気のいい人たちばかりだったよ」
いつか連れて行ってよ。私も一緒にあちこち旅して回りたい──茶織はそう口にするつもりだったのだが、直後に綾鷹の話が全く予想外の展開を迎えたため、言わずじまいとなる。
「で、この骨の十字架は、ヴードゥーの精霊ゲデのリーダー、バロン・サムディを象徴するアイテムの一つなんだけれど……」
綾鷹は神妙な面持ちになると、骨の十字架を茶織の手に握らせた。
「茶織、これを持っているんだ。何か困った事件が起こって、万が一それに巻き込まれてしまったら……その身に危険が迫ったら、その時はサムディを呼び出すんだ」
「……え?」
「格好良く言うなら〝召喚〟だね。サムディは変な奴だけれど何だかんだで頼りになる。ああ、酒と煙草が大好きだから、ちょっと金が掛かるかもしれな──」
「ちょちょちょっ、ちょっと綾兄」茶織は思わず制止した。「ねえ、一体何の話? よくわかんないよ」
「今言った通りさ。おっと、もうそろそろ行かないと」
困惑する茶織をよそに、綾鷹は身支度を整え終えると部屋を出た。
「あ、あのね綾兄」
玄関まで来ると、茶織は綾鷹のパーカーの裾を掴んで引き止めた。グレー一色のシンプルなこのパーカーは、茶織が高校一年生の夏にアルバイトで得た人生初の給料でプレゼントした物で、今ではだいぶ使用感がある。
「今ので理解出来る人間っていないと思うの。バロン・サムディを召喚? その前に困った事件て何なの」
「ああ……ちゃんと詳しく説明するべきなんだろうけれど、それだと時間が掛かる」
「時間なら今まであったじゃない」
茶織が綾鷹に本気で怒りを覚えたのは、これが初めてだった。裾を掴む手に自然と力が入る。
「いずれ話す。絶対に。だから今は一旦納得してくれ……な?」
綾鷹の表情と口調は穏やかだったが、有無を言わせぬ迫力があった。納得出来るわけがなかったが、茶織は仕方なく手を離した。
「ごめんな」
茶織は返事をせず、目を伏せた。気まずい空気が漂う。
「色々とお世話様」やがて綾鷹が静かに口を開いた。「次また帰国する前にも連絡するよ」
外に出た綾鷹は、すぐにはドアを閉めなかった。
「……早く行きなよ」茶織は目を伏せたまま冷たく言い放った。
「元気でな」
静かにドアが閉まった。階段を下りる足音が徐々に遠ざかってゆく。
茶織は壁にもたれ掛かり、大きく溜め息を吐いた。手にした骨の十字架をぼんやりと見つめ、それからギュッと、怒りを込めて握り締める。後を追い掛けたかったが、最後まで意地を張り続けた。
──馬鹿。
自室に戻ると、ノートパソコンの横に骨の十字架を置き、倒れ込むように畳の上に横たわった。充電中のスマホが目に入る。
──綾兄の連絡先、知らないんだよな。
自分の連絡先を教えたうえで、以前から何度も何度も綾鷹の連絡先を聞き出そうとした。しかしその度に叔父は、互いのやり取りが道脇一族に発覚してしまう恐れがあるとして教えてはくれなかったし、稀に電話が掛かってきても公衆電話や宿泊先からだった。
──もしかして……避けられてる?
怒りが沸々と湧いてきた。可愛い姪が、困った事件とやらに巻き込まれるかもしれないと懸念しておきながら仕事とやらを優先し、変な十字架を置いて海外の何処かに旅立った。仕事内容も行き先も明かさない、連絡先も教えない。不可解な点が多過ぎる。
もっとも、今の今までろくに疑問を抱かず、脅してでも聞き出さなかった自分も自分だ。どうしても綾鷹の前だと判断力が鈍ってしまう。
──よくよく考えてみたら、連絡先どころか、綾兄自身の事をろくに知らないじゃない。
怒りが徐々に鎮まると、再び大きな喪失感が顔を出した。茶織は横たわったまま、気が済むまで頬を濡らした。
今では綾鷹がいない寂しさよりも、怒りが圧倒的に勝っている。頭が重いのも、胸の奥がモヤモヤしてスッキリしないのも、些細な事で苛立ってしまうのも、ついやけ食いしてしまったり転職活動する気が余計に起こらなくなっているのも、全部叔父のせいだ。
「次の再会が楽しみね」
道脇茶織は、いつまでも落ち込んでいたり、くよくよ悩み続けるような人間ではなかった。
「今度再会した時こそ、絶対に全部喋ってもらうから。覚悟しておきなさいよ、道脇綾鷹!」
茶織は骨の十字架をへし折らんばかりに強く握り締め、鬼気迫る表情で宣言した。