03_制服じゃない
放課後、いつもの挨拶、いつもの重いカバン、いつものまぶしい夕焼け空、いつもの帰り道、いつもの曲がり角、ただし一つだけいつもと違うことがある。
今朝の遅刻の原因である少女がぶつかった曲がり角に立っていたのだ。印象的な桜色の髪が風になびいてどこか幻想的な雰囲気を覚える。
「あ!はるちゃん!」
彼女は僕を見つけると、花のような笑顔を浮かべて小走りで近づいてきた。
「はるちゃん?」
今朝変なところで名乗りをやめたせいで、僕の名前がはるだと思っているのだろうか。加えてちゃん付けとは馬鹿にされているのか?もう二度と会うことはないと思っていたために、こんなにすぐ再開するとはといった驚きが強い。
いや、果たしてこれは偶然なのだろうか。彼女は明らかに誰かを待っている様子だった。それに、どう頑張っても制服とは考えづらい服を着用していることから、学校帰り、つまりたまたま通学路が一緒だったという線もないだろう。この近辺に私服登校の中学校がないことは確認済みだ。
だとすると、僕が待ち伏せをされていたと考えるのが妥当な考えだが。
「あの、はるちゃん?」
思ったより考え込んでしまっていたようで、気が付くと少女の顔が数センチの距離にあった。
「うわっ」
思わず後ろにのけぞる。
驚いた僕を尻目に、彼女はコホンとひとつ咳払いをしてこういった。
「あの、魔法少女になりませんか!」
今朝も聞いたその台詞。魔法少女?冗談じゃない。どこの漫画の話だ。コスプレでもしろというのか、あいにく僕にそんな趣味はない。魔法少女なんて空想は画面のなかだけで十分だ。
「ならない。ではさようなら」
そうはっきりと伝え、今度こそもう会うまいと歩き出した。しかし、またもや腕を掴まれ、離れることは叶わない。
「まってください!魔法少女ですよ?皆一度は憧れるものじゃないんですか?」
「憧れない。さよなら」
変な人には関わらないのが一番だ。宇宙人も魔法も現実には存在しないのだから。そんなものをいつまでも信じているのはかっこ悪い。
「もう、こうなったら仕方ありません、魔法少女の良さを分かってもらうためです。覚悟してください」
そう言って彼女が取り出したのは棒状のなにか。武器かと思い咄嗟に構える。
瞬間、僕の体が光に包まれた。
つい最近見たアニメを思い出す。こんな光に包まれた主人公はその後目を覚ますと異世界に飛ばされていたんだっけ。
異世界も魔法もないはずなのに、現実に理解不能の現象が起こるとつい画面のなかの世界と混同してしまう。
ようやく光も収まり目を開けると、そこは中世モチーフの異世界___ではなく何も変わらない景色だった。いつもの見慣れた通学路。目の前にはいたずらが成功した子どものような笑顔を浮かべる少女。不審に思い、周囲を確かめるが、やっぱり変わらないいつもの道。
なんだ何もないじゃないかと安心したのもつかの間、僕はある違和感に気づいた。制服じゃない。僕の着ている服が替わっているのだ。
下半身の過度な開放感、これはスカートだ。やたらフリフリとしたスカートは、無駄に幅を取っている。
全体的に薄い桃色で彩られた布は目の前の少女を想起させる。
「どうですか?」
変わらぬ笑顔で問いかけてくる彼女と、今目の前で起こった現象に脳の処理が追いつかない。
少女が棒か何かを取り出し、急に体が光り出したところまでは記憶している。しかしそこからが分からない。僕の制服はどこに行ったんだ?こんな現象は今まで生きてきたなかで経験したことがない。これじゃまるで魔法___そんなわけない。そんなファンタジーが存在してたまるか。
「どうですかどうですか」
困惑する僕を横目に彼女はうれしそうにぴょんぴょん跳びはねている。
「こだわりは胸元のフリルなんです!このふわふわによって、ちょっと寂しいはるちゃんの胸元もボリューム満点に!」
「余計なお世話だ」
何言ってんだこいつ。ほんとに訳が分からない。寂しい胸元も何も僕は男だ。確かに筋肉がないから細いとはよく言われるけど、中学生で胸筋バキバキのやつの方が少ないだろう。
「ええ?かわいいですよ?とってもお似合いです!ちょっとそこまで歩きましょ!」
ね?とでも言いそうな様子で、彼女は僕の手を取りかけだした。いやいやいや、こんな格好、誰かに見られたらどうするんだ。なんとか止まろうとするが、少女の力が思ったよりも強く、引かれるがままについて行くことしかできない。
「ちょ、ちょっと待って、この格好じゃ、もし知り合いに見られたら__」
実は、小さい頃これと似たような服を着たことがある。まさか、自分の意思ではない。僕には二つ上の姉がいて、そいつにおもちゃにされていたのだ。あの姉は僕を妹みたいに扱って、自分の服を僕によく着せてきた。
ある日、日曜の朝に放送されているアニメを見た姉は「これだ!」といきなり大声で叫んだかと思えば、母と買い物に行き、帰ってきたかと思えばいきなり僕を着せ替えだした。よくよく見てみると、今朝見たアニメ『魔法少女ミラクルドリーム』の主人公が着ていた衣装だった。母曰く、「止めたんだけど、お姉ちゃんのお小遣いで買うからって聞かなくて」だそう。もうちょっと頑張ってくれ、、、。
そんなわけで見事に着せ替え人形にされた僕は姉にされるがまま、弟を愛でる会と称された撮影会を開催され、それはもう写真をバシャバシャと撮られた。
姉のおもちゃにされ、嫌ではあったが、変態的な趣味以外は優しい姉が好きだったから、本気で拒んでいた訳ではなかった。あのときまでは。
事件が起きたのはその数日後、いつも通り学校に行き、教室に入るとなぜか一斉に皆の視線が僕に集まった。違和感を覚えながらもそのまま自分の席に着くと、隣の席の女の子に話しかけられた。
「ねえ、これって遥斗君?」
そう言って彼女が差し出してきたものはスマートフォンの画面、そこに映るのは間違いなく数日前の僕だった。姉に着せられた魔法少女とやけにローアングルから撮られ、スカートの裾を必死で押さえる僕が映っている。
混乱した。どうして彼女がこれを?この写真は姉しか持ってないはずなのに。一瞬姉がばらしたのかと考えてしまったが、わざわざ僕のクラスメイトに写真をばらまくとは考えられない。
数年前、姉が近所の人に自分の服を着せた弟の写真だといって見せびらかしていたのを目撃した時、もう二度と口をきくまいと、本気で怒って2週間無視し続けた事がある。仕舞いに姉は本気で泣きわめき、手がつけられなくなった。あの時は高級アイス10個と、もう二度と写真をばらまかないという条件を受け入れさせて、騒動は幕を下ろした。
僕に嫌われることを恐れて泣きわめいていた姉が、また写真をばらまくはずはない。それならどうして僕の隣の席に座っている彼女がこの写真を持っているのだろうか。
様々な考えを巡らすなか、突然一つの声が上がった。
「こーいうの女装っていうんだろ。あいつ変態じゃん。」
ざわつく教室。声の主は当時クラスでガキ大将的ポジションだった男子。クラスの真ん中に作られた人だかりの中心にいる彼は、スマホを高々と掲げ、わざと大声でクラス中に宣言したようだった。
この際写真の出処は別に良い。なんとかして事態を収拾しなければ、この先の学校生活が苦行になる。そう考えた僕は、直接間違いを否定することにした。服は姉に着せられたもので決して僕の趣味ではない。
____キーンコーンカーン
立ち上がり、言葉を発そうと開けた口が、僕の意思を伝える前に始業のチャイムが声をかき消す。その直後、担任が教室に姿を現わし、ざわついた教室に特に違和感を感じるでもなく、いつものように生徒を着席させた。
それからも僕はなんとか写真の弁明をしようと、休み時間のベルが鳴るたび奮闘したが、いずれもむなしく、まるで何かの運命が働いているかのように邪魔が入り、僕の写真は変態説という誤解にさらに尾ひれをつけて広まったらしい。
「うわ、オカマが来たぞ。近寄ったらオカマ菌が移るぞ。」
思わずため息をつく。放課後の教室。たった一日で見事に浸透された僕の誤解は細菌にまで昇格したらしい。
「だからさ、それは誤解だって。服はお姉ちゃんに__」
「うわお姉ちゃんって、お前シスコンかよ。この服もお姉ちゃんのだろ?きっしょ」
こそこそと話すクラスメイトと、ガキ大将からの散々な言われように、当時小学生だった僕はさすがに弱気になり、思わず下を向いてしまった。
「あの、そういうの良くないと思うな」
声が聞こえたのはそんなときだった。少し震えた声で、勇気を振り絞ってくれたことが分かる。そんな勇敢な彼女は、僕が密かに思いを寄せていた生徒だった。春野さんという、春の日差しのような暖かな彼女はまさに僕の理想の女性。
「なんだよ陽菜、こいつの肩持つのか?」
陽菜というのは春野さんの下の名前だ。ガキ大将はクラスの女子を大抵下の名前で呼び捨てにしている。
「いや、そういうわけじゃないけど…」
違うのか。少しへこんだ。
「じゃあなんだ?」
ガキ大将の威圧的な態度に、春野さんは一歩足を下げた。しかし、勇敢な彼女は一歩二歩と前に踏み出し、宣言した。
「人の趣味を馬鹿にするのは良くないと思う。遥斗君、めっちゃに合ってるし。かわいいと思う!」
静まり返る教室。ガキ大将も呆然としている。かくいう僕も、あまりにも強い衝撃に、咄嗟に言葉が出なかった。
いや、趣味じゃないから!今なら真っ先にそう言いたい。
その後、彼女の宣言によって人の趣味を馬鹿にするのは悪いという了解ができ、クラスでも僕を公にからかう人はいなくなった。
あの後すぐにガキ大将が僕に直接謝りに来たのだが、悪かったと一言述べた後、さっさと走って帰っていった。
あれ?趣味で女装してるって誤解解けてないよね?ってお思いの方、はいホントにその通りです。その後僕はなんとなく友達にも避けられ、春野さんにも話しかけられはするものの、誤解を否定するタイミングがつかめず、結局何もないまま孤独に小学校を卒業した。
結局あの写真の出処というのが、直接クラスに広めたのはガキ大将だったらしい。僕の姉が昔から仲良くしていて、僕も知っている姉の親友に例の写真を送った(僕も渋々了承した)際に、親友の弟にその写真をうっかり見られてしまったらしい。その弟というのがいつもガキ大将のそばにくっついている男子生徒Aで、そこから広まったようだ。
事実を知った僕は、姉が悪くないことはもちろん分かってはいたが、ついつい強く当たってしまうことが多くなった。また、姉自身もこの件に負い目を感じていたのか、僕に自分の服を着せてくる事はあれからパッタリとなくなった。
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「ほら、はるちゃん、見てください」
彼女が指さす方を見ると、少女と同じ色の花が満開に咲き誇っている。桜色の少女に連れられてきたのは近所の公園だった。
「わあ…」
そういえば、久しく花見なんてしていなかったな。満開の花びらに圧倒され、つい自分の現在の状況を忘れて見入ってしまう。
「おい、そっち行ったぞ」
誰かの声が聞こえ、咄嗟に近くの茂みに隠れた。
「ちょ、ちょっと、どうしたんですか」
「しー、ちょっと静かに」
少女の手を引いて茂みに引き込む。自分でもどうして急にこんな行動をしたのかいまいち分かっていないのだが、なんとなく嫌な予感がする。あの声を、どこかで聞いた気がするのだ。
声の主は、男子数人でサッカーをしているようだ。
すると突然、その中の一人がこっちに近づいてくる。え、どどどうしよう。このまま見つかったら確実にやばい奴だと思われる。しかも今思い出したけど僕この格好じゃん!
息を殺して気づかれるなと願う。
「あの、ちょっとやばいかもです。ごめんなさいっ」
隣に隠した少女が、そう言うが早く、息をひゅっと吸い込み、くしゅんっと控えめなくしゃみをした。
ボールを拾い、引き返そうとした少年が後ろを振り返る。パチリと目が合った。その時見てしまった顔、その顔が過去の記憶とぴったり重なった。あの嫌な記憶だ。間違いない。こいつ、あのときのガキ大将だ。あの聞き覚えのある声も、あのときこいつの後ろで僕を馬鹿にしていた奴に違いない。
奴は、驚いた表情のまま固まっている。僕だと気づいていないのか?だとしたら好都合だ。気づかれる前にさっさと退散させていただこう。いつの間にかポケットティッシュを取り出し、チーンと鼻をかんでいる少女の手を引いて、茂みから勢いよく飛び出す。
「え、あ、あの!」
手を掴まれた。少女の手を引いている僕の逆の手を少年がつかむ。なんだこの状況。しかもなんで引き留めるんだよ。帰してくれよ。
「ごめんなさい、私急いでいるので」
裏声で対応してみた。男だと気づかれているという確信がないので、なんとか女の子だと思わせて自然にこの場を離れたい。
「それなら!連絡先だけでも教えてくれませんか?」
なに、なんで?なんでこんなぐいぐい来るの?君、そんなキャラだったっけ?
僕の記憶のなかのこいつは、ガキ大将で、威張ってて、自分から人に歩み寄るのはダサいって思ってるような奴だった。何十年も経ってない。たった数年。顔は間違いなく奴だ。
それなら、まさか僕だって気づかれて____?
真意を確かめるために(一応少し裏声で)尋ねた。
「あの、もしかして僕のこときづい__」
「はい!一目惚れです!」
「は?」
は?なに?聞き間違えかな。聞き間違えだな。きっとそう。
とにもかくにも、僕だって事には気づいていないみたいなので、面倒なことになる前に逃げよう。
「連絡先はごめんなさい。わたし、スマホ持っていないもので。それでは失礼いたしますわ」
ボールの代わりにスマートフォンを掲げた少年をおいて、僕は少女の手を引いて走った。なんでお嬢様口調なんだよ。と自分で自分にツッコミを入れたくなるが、咄嗟にでできた言葉がそれだったんだからしかたないだろ。
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「おい、急にどうしたんだよ」
数メートル先から掛けてくるのは友人。俺が小学生だったときからの付き合いだ。俺が、あるきっかけでへこんだときに、一緒に変わろうと言ってくれたのもこいつだった。そのおかげで、誰かを貶める事でしか自分の強さを主張できなかった弱さに気が付く事ができた。
あのときのことは今でも後悔している。偶然知ったクラスメイトの知られたくないであろう事を、ましてやクラス中に言いふらすだなんて、本当に最低なことをしたと思う。あのときはまだ自分の間違いを認められなくて、中途半端な謝罪しかできなかった。
もし、もう一度彼に会うことができたら、今度は本心から謝罪をさせて欲しい。
「いや、何でもない」
「何でもなくはないだろー。お前、なんか女の子と話してなかったか?」
そう言うのはもう一人の友人。
「女の子~?まさかナンパか?やるなおい」
えいえいと肘で小突いてくる。いてえなおい。
「やめろやめろ。全然そんなんじゃないって。でも__」
「「でも?」」
そろえた動作で首をかしげる友人。フクロウみたいだな。
「すっげーかわいかったんだよね。」
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「はるちゃん、良かったんですか?彼、お知り合いですよね」
公園から数十メートル離れた交差点で止まったとき、少女が聞いてきた。
「なんで知り合いって分かったんだ?」
知り合いだと思われるような会話ではなかったはずだ。少女はのんびりとした口調で答えた。
「いやー、ただ、なんとなく、はるちゃんの行動とか、言葉の節々に苦手な人と対峙する時の癖が出ていたというか」
「どういうこと?」
「あのですね、私か思うに、初対面だと今日のような動作はあんまりしないものかなって。なんとなくですけど」
確かにそうだ。僕は咄嗟に隠れたとき、聞き覚えのある声が聞こえたから隠れた。他にも歩いているお年寄りや、犬の散歩をしている人だっていたのに、桜に気を取られて気にすることもなかった。
この謎の少女は、僕の予想より観察眼に優れているのかもしれない。僕が魔法少女を嫌がってる事は分からなかったみたいだけど。
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「はー、驚いたな。あれって同じクラスの遥斗君、だよね?」
ワークスペースで勉強をしていると見慣れない格好をした少女が入ってきた。しかしよく見ると、遠くからでも分かる。遥斗君だった。
同じクラスで私とは正反対。まるで少女のような顔立ちに、今日の服はよく似合っていた。本物のお姫様みたいでかわいらしい。私は彼が少しうらやましいと感じている。背が高くて、王子様みたい、だなんて言われて、周りから頼られるのは嫌いじゃない。むしろ誇らしくすら思う。
でも、私だってかわいく見られたいときもあるのだ。名前だって「薫」だなんてすこし男らしくないだろうか。中性的な名前も相まって、私はいつも男の子みたいと言われる。
遥斗君はいつも女の子みたいと言われて少しへこんでいる。本当に私と逆。だけどそんなところが私と彼の共通点といえるだろう。
「それにしても、あの格好は…魔法少女__?」
そんなわけないか。