第五話「ミラと言う少女」
対流の中に身を沈めたノワは、ミラを通した視覚で「主様」を目視していた。
朧な白い物体に見えている彼は、ノワが潜った箇所の氷の穴を見つけ、近づいてきた。
ノワは、穴の真下から移動する。
主様の触手の一本がぬるりと穴から飛び出し、その周りで祈りの儀式を行なっていた岩人間達を、薙ぎ払い始めた。
朔の象徴世界に居る僕は、薙ぎ払われ始めた岩人間が、何か言って居るか聞き取れた。
「主様よ! 何故?!」と、彼等は叫んでいる。「怒りをお鎮め下さい!」
怒らせたのはお前等だろうに。
僕は言葉を我慢していた。
主様が小穴の周りの岩人間を掃除している間、ノワは両手を左右に伸ばし、自分の周りを囲んでいるミラに指示を出した。
地中の対流に混ざった「嘆きの雫」が、ミラを通して通常の影に変換される。その時、分離した「嘆き」のほうは、湯気のように氷の穴から立ち上ってきた。
それを見ている僕も、気分が憂鬱になるような気がする。
地中で変化があった事を察した二羽の黒い鳥が、小さな穴の周りに舞い上がり、その周りをくるくると飛び始めた。
「嘆きの雫」を整えているノワのダメージを、二羽の黒い鳥が吸い取って行く。
その様は、静かで淡々とした、儀式のように見えた。
一ヶ所の岩人間を殲滅した主様は、次は北方向から送られて来る「嘆きの雫」を探し、地中を泳ぐ。
白い鳥は地中からその後を追い、空中を舞っていた黒い二羽の鳥達も、エネルギーの流れを読んで空を飛翔した。
僕も、遅れ馳せながら現場に向かった。
最初に主様が姿を現した、猫達の開けた大穴の周りに、小さい穴は四ヶ所あった。歪な菱形を描くように。主様は、この菱形の東方向から始めて、北、西、南と、穴を巡るつもりのようだ。
しかし、観て聴くしかできない僕は、どう女の子達をサポートしたら良いんだろう。
何度も、空を舞う鳥達を見上げていると、一羽のほうが僕に気付いたように滑空してきた。
鳥が地面に足をつくと、その姿は緑色のドレスを着た女の子に変わった。
「レンカ。どうしたの?」と、空の高みに居るほうの鳥が声をかけてくる。
「何か居るんだよね」と、レンカは空のほうに答えた。
そう言いながら、レンカは片手を僕の方に伸ばしてきた。
僕は、「自分が吸い取られないように」、さっと身を避けた。
レンカは、触れられなかった位置で手を止める。
「ノワに置いて行かれちゃうよ」と、高みの鳥のほうが言う。
「うん」と、レンカは返し、再び黒い鳥の姿になって、空中に飛翔した。
最終的に、主様は最初の大穴に戻って来た。その周りの岩人間達は、相変わらず騒ぎ立てている。
朔の意識の中では、主様は大きな白い風船に見える。その風船の尻尾が、祭りを行なっている岩人間を打ち砕き始める。
「最後の大仕事!」と、レンカがルシアに声をかけた。
二羽の鳥は平行に旋回し、まるで黒い渦のようなエネルギーを吸い取り始めた。
雲が唸りを上げるような音を立て、流動は、主様の頭の上に居る、二羽の黒い鳥の方に集まって行く。
恐らくレンカである鳥の様子がおかしい。
目をぎょろつかせて、吐く息は荒く、僅かに震え始めた。
「駄目!」と、ルシアのほうの鳥が叫ぶ。「『それ』は、吸い取っちゃいけない!」
しかし、レンカのほうの鳥には、言葉が届いていない。ルシアも、声をかける以上には動けない。
レンカの唇が、ひきつるように笑んだ。
「すごいよぉ。これ……」と言って、少女はエネルギーを吸収する力を強める。「まるで爆弾みたいだぁ。それとも、花火かなぁ……」
僕の視界の中で、世界が二重に見えた。象徴世界の視野に、通常の世界の視野が重なる。
重なった視野の中で、ギリリと空間が軋むような音を立て、レンカの姿が変貌して行った。
緑色のドレスに覆われていた体のあちこちから、虫の足のような物が生え、両眼は三倍以上の大きさの複眼になった。
両腕の付け根から昆虫の羽のようなものが出現し、腕を覆うように甲殻が発生する。
その甲殻に覆われた腕の側で、巨大な虫の羽が花開いた。
その様子を車内で観察していた男の子達は、「レンカは何のつもりなんだ?!」と騒ぎ合った。
その時、朔が意識を覚ました。ベルトで座席に括られている体を、動かそうとしている。
「朔。気がついた?」と呼びかけ、ウィールとレイユーが、ベルトを外すのを手伝った。
「今、レンカが……」と、レイユーが説明しかけると、朔は後の言葉を聞かずに車の外に飛び出した。
ウィールは、途中まで追いかけて、朔の肩にタッチした。プラズマ体の保護が展開される。
息を弾ませながら立ち止まり、「何なんだよ、一体……」と、ウィールは呟いて、吐息に凍り付いた口元をぬぐった。
キリクスが言うに、遠隔でも「空間がねじれた」のが分かったらしい。
朔は「象徴世界」に入り込んだ。自分と言う肉体を持ったまま、その世界に侵入する。
氷の地面は鋼鉄のように黒く、空は緑色に光っていた。
走る速度は加速され、レンカの「滑走」のように、一歩で数十メートルは進む。
瞬く間に、少女達が危険に遭っている現場へ辿り着いた。
空中に浮いたままの黒い鳥が一羽。体中を茨で縛られ、苦悶の表情を浮かべている少女が一人。
「一番お気に入りの服を着て行くんだ」と語っていた、あの女の子。
朔は、引っ込みかけている主様の頭を踏んずけて、茨に縛り上げられている女の子に向かって跳躍した。
腕を伸ばし、棘も構わず、茨ごと少女を抱きしめる。
少女が吸い取ろうとしてた、主様の力が切断された。
「がっ」と、少女は喉を鳴らす。
象徴世界のエネルギーを浴びて、レンカは自分の喉から茨を吐いた。
複眼は縮小して人間の目に、甲殻に覆われていた腕は人の腕に、羽は消滅し、体中を縛り上げていた茨は枯れ朽ちる。
「レンカ……」と、朔は彼女の耳に呟いた。「おはよう……」
朔が、能力の限界を超えてレンカに触れた途端、周りのエネルギー流に変動が起こった。
象徴世界が消失する。朔とレンカは大穴の傍らに着地した。
主様の頭は地中に引っ込み、影の殻を纏ったノワが大穴から現れた。
よかった、全部は治まったんだ。
僕がそう油断していた隙に、生き残っていた岩人間が、僕の真後ろから殴りかかってきた。
僕の頭が割られる直前に、ノワは自分の命を決定する言葉を発した。
「ミラ! 守って!」
その言葉と共に、黒い影の流動体が、僕の体に纏いつく。それは瞬く間に硬質化し、岩人間を弾き飛ばした。
ノワは、自分ではなく、僕を守る事をミラに命じたのだ。
彼女は安心した顔をすると、両目を閉じ、今出て来たばかりの氷の穴の中に、吸い込まれるように姿を消した。
身を守る力を失った彼女の体は、瞬く間に影の世界からの浸食を受け、肉体も意識も分解された。黒い霧の中に、消えて行くように。
主様が消えてから、十数分も経っただろうか。
僕に近づいてきたルシアが、「ノワは、どうなったの?」と、問いかけてくる。
僕は正直に、だけど静かに答えた。
「影の世界に、消えちゃったよ」
ルシアは一度ぎゅっと瞳を閉じ、「なんで……」と言いかけ、言葉を切った。
朔は意識を失ったレンカを背負い、僕はルシアと手を繋いで、輸送車のある場所まで移動した。
車のドアを開ける前に、僕は言った。
「ヴィノ氏が連絡をくれるはずだ。駐屯地まで移動して」
ルシアは、そっと手を離した。
「ハーディさん」と、改まって呼び掛けてくる。「ミラを、よろしくね」
僕は、少女の手のぬくもりが残る拳を、黙って握りしめた。




