一話目「散々な結果」
カスパール少年は、息せき切って町を走り抜けました。
涙にくれる住人達が、手に草刈り鎌や干し草用のフォークを持って吠えながら、その後を追って来ます。
そして、道の先の、町を出る門は閉ざされようとしていました。
「急いで!」と、猫のカスパールが、少年より素早く走りながら呼び掛けます。
閉ざされかけた門の隙間に滑り込んだカスパール少年と猫のカスパールは、擦り傷の痛みを気にして居る間もなく、更に丘の上まで懸命に走りました。
振り返ると、閉ざされた門の向こうで、黒々とした「憂いの闇」が町を澱ませています。
「失敗しちゃったね」と、猫のカスパールが言いました。「あの町の人々は、『憂いている』事を選んだんだよ」
「うん……」と、力なくカスパール少年は答えます。「結局、何にも成らなかったんだね……」
「仕方ないよ」と、猫のカスパールは言って、もう新しい旅路を踏みしめ始めています。「さぁ、次の町にも『問題』は残されてるから、急ごう」
カスパール少年は、もう一度、「憂い」の町を振り返りました。
それは不思議なものでした。みんな、不幸を嘆き、叫び、悲しんでいます。だけど、誰も不幸を取り除き、「憂い」を止めようとはしません。
むしろ、「嘆き」を乾かそうとしたカスパール少年を、殺めようとさえしたのです。
複雑な心で街を眺めるカスパール少年に、猫のカスパールは、もう一度言います。
「仕方のない事だよ」
カスパール少年は、その言葉を受け入れ、新しい旅路に向けて、とぼとぼと歩を進めたのでした。
その原稿を送ってから、一回目のやり取りの時。送り返されてきた原稿には、真っ赤ペンでのしるしが付いていた。そして欄外に、赤ペンで編集者さんの意見が書かれている。
「結末が、子供の納得できるものではありません」と言う言葉が、僕の胃袋にドーンとのしかかる。
「大人の世界の理不尽を教える事を、貴方の読者は望んでいません」とも書かれていた。
僕は、そんなに暗いエンディングだったかなと首を傾げた。
今回は、確かにカスパール少年の思惑が「町の住人」に受け入れられないと言う展開である。町の住人は悲しみ続ける事を選び、穏やかな心で生きる事を拒絶する。
上手く行く事ばかりが「世界」じゃないと言う事を、執筆者の僕としては思って居たし、何時も通りに綴ったつもりだったんだけど。
どうやら、今日の児童文学には、刺激的で、子供が安心して聞ける、勧善懲悪が求められているらしい。
そんな風に思って、僕は暫く、原稿を机の上に投げて置いた。
心ならずも、書き直す事になったエンディングは、一言で言って「凡庸」なものだった。
カスパール少年の知恵と勇気で、町の「嘆き」は乾かされて、町の人からお礼を言われて、祝福されるように空が明るくなって、少年と猫は健やかな気持ちで次の旅に出る。
そう言うのを、何の感情も無く書き綴った。今までだったら絶対しなかった、「猫達の意識の中の出来事を書き換える」と言う禁忌を行なったのだ。
次の添削が戻って来た時は、細かいスペルミスの注意だけだった。どうやら、編集者さんのお気に召す「勧善懲悪」を書けたらしい。
僕としては、物凄く納得がいかない。
だけど、此処で思い立った。何も、猫達の意識からさらい出した物語を、「世の中全体」に広めなくて良いんだ。
もし、それが「万人受け」しないと言われたら、僕だけが知ってる物語として、手元に保存しておけば良いんだ。
そう言う発想の転換が行われた。
今までだったら、「猫達の知ってる事、伝えたい事を、世界に広めなくちゃ」って言う、気概があったのに。
僕はそれから、鉛色の執筆生活を続ける事に成ったのである。
僕が夢の中の、三日月湖の傍らに座り込んでボケーッとしていると、スッと雫が滴るように、「黒い森」を切り裂く白い空間が広がった。
何時の間にか、僕は白い空間の中に取り込まれていた。
「アラン」と、僕を呼ぶ声がする。
声のしたほうを見て、「ノワ?」と聞き返すと、十二歳くらいになった彼女が、白い空間からジワリと滲み出すように現れた。
彼女は白いノースリーブと黒いスカートを身に着けていた。そしてその周りには、煙か靄のような黒い何かが纏わりついている。
「随分、背が伸びたね」と、僕は声をかけた。
「ええ。貴方と初めて会ってから、もう七年も経つもの」と、その女の子は言い、僕の隣にポンと座り込んだ。
僕は、ノワの夢を見るようになってから、その日で四週間目である事を思い出した。
恐らく、僕と初めて出会ったノワが「過去のノワ」だったのか、それとも、今、目の前に居る女の子が、「未来のノワ」なのか。
「私ね、エリスに協力する事にした」と、ノワは幼い頃よりはっきりした口調で言う。「君になら出来るって、エリスも言ってたもの」
僕は「そう」と呟いてから、「ミラは?」と聞いた。
十二歳のノワは不思議そうな顔をして、「此処に居るでしょ?」と言う。
その時、彼女は両手を広げて、自分の周りにいる黒い靄を示しているようだった。
どうやら、ミラは実体を失ったらしい。
ノワは明るく、「エリスの考えた作戦」を僕に教えてくれた。
僕はそれを話半分にしか聞いて居なかった。
「アラン?」と、僕の肩に手をかけ、ノワは呼びかけてくる。「何かあったの?」
僕は、「あった」と、肯定した。
それから、「ノワは、嘘吐きは嫌い?」と聞くと、ノワは僕が「その問いで本当に聞きたいのはどう言う意図」なのかを考えたらしい。
考えた後で、「優しい嘘吐きなら、嫌いじゃない」と答えてくれた。
僕は鉛色に沈んだ心で、「優しい嘘って言うのも、世の中にはあるんだなぁ」と考えた。
「優しい嘘を吐き続けなきゃならないって、言われたら?」と、僕は重ねて聞いた。「子供達を傷つけないために、信念と違う事を書き続けなきゃならない……とか」
その言葉を聞いて、ノワは考え込んでいた。それから、口を開いた。
「あのね、昔、まだミラが女の子だった頃。ミラは、私にもよく分かんない難しい事を話す時があったの。
その時、私が『分かんない』って言うと、『分からないなら、分からないままで良いの』って、ミラは言ってくれたの。
ミラは、私が『教えて』って言ったら、どんな事でも答えてくれた。でも、その時に私が理解できなくても、絶対に責めたりしなかった。
その時に、私が分かりやすい方のお話をしてくれた。私は、今、それがミラの『優しい嘘』だったんだって、分かってる」
「ミラは良い子だね」と、僕は言った。それから、ノワの頭を撫でて、「ノワも」と続けた。
ノワはくすぐったそうに笑ってから、僕の手を頭からそっと退けて、「やめてよ。私、もう十二歳だよ?」と言う。
「これは失礼しました、レディ?」って返すと、「気持ちがこもってない」と笑われた。
もうじき、ノワは戦場に行くんだ。ヴィノ氏達の作戦に協力して、きっと、上手く「何者か」を眠りに就かせることが出来るだろう。
その物語だけは、バッドエンドに成らない事を、僕は祈った。
目を覚ますと、僕は自分の眼の横に涙の筋がある事に気付いた。僕は、「優しい嘘吐き」に成らなきゃならない。
傷つけて、突きつけて、「これが真実だ」って言いたがる、傲慢な大人じゃなく、子供と言う幼い生き物が、安心して受け入れられる「優しい嘘」を吐き続ける作家に。
僕はもう一度目を閉じた。
頭の中で、成長したノワを思い出す。
「うん」と、僕は呟いた。「やってみるよ」と。




