第五話「猫は世界を牛耳るかな」
僕は、先の文章をヴィノ氏に見せてみた。バーリーと言う名の盲導犬が、自分の未来を予知していたと言う、単純に言えばそれだけの話だ。
僕は執筆用のデスクチェアに座って、ヴィノ氏の添削を待っている。絶対にお客用ではないことが分かる、一人掛けソファに座った彼は、区切りの良い所で切り取ったタイプライターの文字に目を通して行く。
「うーん……」と、唸ったまま、ヴィノ氏は黙り込んでしまった。
僕が、「つまらないかな?」と聞いてみると、「そうは言わないけど……」と言って、やっぱり黙り込んでしまう。
「正直な感想をお願いします」と、訴えてみると、「それなら言うけど」と、ヴィノ氏は前を置きを言って、こう述べた。「これ、僕が話したことを、そのまま書いてるだけだよね?」
「そうだねぇ……」と僕も前置きを言ってから、「やっぱり、オリジナリティが無いとダメかい?」と聞いてみた。
「そこは、僕も物書きじゃないから断定はできないなぁ」
そう言ってから、ヴィノ氏は目の横にかかって来てる髪を人差し指で掻いた。
「出来る所を言うなら、描写を増やしたりしてみたらどうかな。バーリーがどんな犬なのかは、説明はされてるけど、描写がされていないような気がするんだ」
「描写か」と、僕は復唱して、メモパッドにペンを走らせた。「描写。重要」と。
「それから、最後で安直に『予知』って言う言葉を、使わないほうが良いと思う。バーリーが何で未来の事が分かったのかは、この時点では秘密にしておいたら?」
ヴィノ氏はそう教えてくれたけど、一話完結の短編としてその文章を書いていた僕は、ちょっと納得いかなかった。
「シリーズものにしたほうが良いって事?」
僕の不服気な声を聞いて、ヴィノ氏は問い返してきた。
「君が書きたいのは、児童文学だったよね?」
「そうだね」と受け答えると、ヴィノ氏の返事はこうだ。
「だったら、子供達がもっとわくわくするような展開を考えたほうが良いって言うのは確かだろう? 不思議な能力を持ったワンワンを登場させたら、活躍させるのは一回だけじゃなくて良い」
「そんなもんかなぁ……」と、僕は納得していませんよの返事をしてしまった。「だけど、君が話してくれた『予知』って言うものに対しては、僕はあんまり知識がないからなぁ……」
「その点は、それこそ、物書きのイマジネーションを発揮すべき所だろう?」
そう言われてしまって、僕はしばし考える時間をもらう事にした。
話が途切れた所で、アナントが部屋の外からドアをひっかき始めた。
僕がチェアから離れてドアを細く開けてあげると、アナントはするりと部屋に入って来て、マタタビ君の膝に乗った。
ヴィノ氏は猫の背を撫でて、思い出したように言う。
「アナントの事を物語にはしないの?」
「なんで、アナントの事を書くの?」と、僕は聞き返した。
ヴィノ氏は、歯を見せない彼特有の笑顔を作ると、「アランの思い描く『子供向けの不思議なファンタジー』の主人公には、アナントがぴったりだと思う」と推薦してきた。
ヴィノ氏が帰ってから、僕はじっくりとアナントの様子を見てみました。
腹と手足が白くて、背中には濃い灰色の縞が入っている、薄い灰色の毛皮を纏っています。恐らく、まだ生まれて一年経ったばかりで、ホルモンが充実しているためか、雄猫なのに毛艶は上等です。
尻尾は長く、これも灰色の縞の毛皮に覆われています。去勢の傷は、すっかり毛皮の下に隠れて見えなくなっていますので、後姿を見ても、男の子だとは分かりません。
肉球は大概ピンク色で、所々に黒く斑点がありました。ひげはすっかりと真っ白です。
猫と言うものは鼻が潰れているのだと思っていたけど、アナントの鼻筋は通っていて、横から見ると三日月のようにくるりと輪郭が反っています。その先にある鼻もピンク色でした。
若猫は、自分が召使の注目を浴びてるのに気づいて、急にポーズを決め始めます。
まず、カーペットに爪を立てながら猫のポーズで伸びをして、大きく口を開けて欠伸をしました。それから、こっちを時々チラチラ見ながら、甘えるような声で「みゃーうみゃーう」と鳴いています。
ああ、お腹が空いたのだね……と思いながら、先を読むことをしないで放っておくと、アナントは僕の足元に近づいてきて、頬をくっつけるようにすり寄ってくるのです。
それから、靴越しに僕の足を踏み、じっとしています。
これは、アナントの「お腹がペコペコだからどうにかしなさい」の合図です。
僕はアナントの手が届かない場所に置いてある、成猫用のフードを取り出して、猫皿にフードを盛り付けてあげました。
「アナント」と、僕は呼びかけます。「君は、待て、が出来るかい?」
そんな事を言ってる間に、アナントは召使の言葉を無視してフードを食べ始めます。ポリポリカリカリと、良い音をさせながら。
本当に、芸もできない猫様が、文章の主役になってくれたりする物だろうかと訝しみましたが、この時の僕が愚か者であったことは、後々から知ることになるのです。