第二話「信じられない通達」
僕の鼻先を、一匹の精霊羽が飛んで行きます。その後について行くと、決まって港が見えました。
今晩も、港の猫達はふわりふわりと宙に手を伸ばします。そして、海の向こうからは、唯ならない気配が迫って来るのです。
その気配を打ち破る者は、神様のような衣服を纏った、少年の姿か、少女の姿をしていました。キリクスだけではなく、色んな土地の血を継いでいる、様々な子供達です。
その中の一人には、ルシアの姿もあったように思います。
何にしろ、海の向こうから押し寄せる気配は、毎夜神様のような子供達に打ち破られ、猫達はその神様のような子供達の姿を見ると、祈祷の舞いをやめるのです。
猫達は、何のために祈祷式を続けて居るのでしょうか。
そこまで書いてみて、僕は「何でだろう」と考えた。普段だったら、すらっと答えが出てくる所なのに、何故か手を止めてしまう。
それはつまり、この国の猫達が僕に「祈祷式の理由」を知らせたくないと考えていると言う事である。
アスクメディナの、猫のヴィルヘルム達は、何としてでも僕に自分達の事情を教えようと躍起になっていた。
だけど、この土地の猫達は、何処か澄ましているような様子で、あまり積極的に「このような訴えがある」と教えて来ない。
地域差と言うか、各国ごとの猫の特色もあるかもしれないけど、単純に僕が異国の猫に好かれない人間だからなのかと思えなくもない。
極地に何が居るのかを、僕は詮索してみる事にしました。ヴィノ氏は、「お化け」だと言っていましたが、それはどのような化け物なのでしょう。
幽霊のようなのか、それとも生物の様なのか、不気味な姿をしているのか、それとも神秘的な姿をしているのか。
夢の中を泳いでいる間に、ふと白い大陸の様子が目の前に浮かびました。氷で閉ざされている陸塊の様子です。
其処には、七色に光る蟲が飛んでいました。丁度、精霊羽の青い羽が、虹のような光を得た様子です。
そしてその七色羽の居る近くには、氷の割れ目がありました。その中から、何か恐ろしい者が現れようとしているのは分かりました。
遠くで、その恐ろしい物を呼び出そうとする猫達の声が聞こえます。
氷の割れ目から、触手のようなものが伸びてきました。それは、勢いよく氷の大地を叩き、白い頭らしきものが、氷の割れ目から見えました。
その後、僕の目の中にはノイズがかかり、その「触手を持つ不思議なもの」がどのような有様かは見えなくなるのです。
その代わりに、中央大陸の南端で、祈りの儀式をしている猫達の様子は見えました。
君達は、一体何のために、何を呼び出そうとしているんだい? と聞きたかったのですが、相変わらず異国の猫達は無口でした。
僕は後日、遊びに来たヴィノ氏に「お化けの夢を見た」と、申し出た。
「全体を観たの?」と、ヴィノ氏は聞いてくる。そんな訳はないだろうと言う風に。
「いや、触手と、たぶん頭の先だと思う所だけ」と答えると、「だろうねぇ」と、ヴィノ氏は答えて、膝の上のアナントの尻尾の付け根を軽く叩く。それからこう言った。
「全身が見えてたら、今頃こうして喋ってないだろうから」
「え?」と、僕は聞き返した。「どう言う意味?」
「短く説明すると」と、ヴィノ氏は前置きした。「気が触れていた可能性があると言う事」
そう聞いた僕は、道理で、起きてから何度イメージしようとしても、「お化け」の全身図が思いつかないわけだと悟った。あれは、僕の頭が無意識にやってる防衛反応だったんだ。
はっきり分かっているほうとしては、その「極地に居る何か」を、キリクスやルシアによく似た子供達が追い払っているようだと話した。
すると、ヴィノ氏は軽く頷いて、「それはアランのイメージの中での出来事だね」と述べる。
「キリクスやルシア達のような、この星の魔力と親密な者達が、極地からの影響を遮っているって、君の頭は理解しているんだよ」
「イメージ……」と、僕は復唱した。「それだと、本当にキリクス達が『陸塊を守っている』訳じゃないと言う事?」
「一概にはそう言えないんだが」と、ヴィノ氏は言って、アナントを抱きかかえ、椅子を立つ。膝に置いておくのが重たくなったんだろう。
それから彼は、以前に調査チームで知った事を教えてくれた。
「北の極致と南の極地には、それぞれ別の『異なる化け物』が眠って居る。いつ起きるかも分からない眠りだけど、どうやらこの土地の猫達は『化け物を早く起こそう』と働きかけているようなんだ。
あの化け物の姿を見たら、猫達だってまともではいられないだろう。だけど、彼等は何故か『極地への祈祷式』をやめない。何の意図があって、何のために化け物を起こそうとしているのかは、誰が調べたって分からなかった。
君が、『子供達の姿をした何者かが大陸を守っている』と言うのは、新しい情報だ。後で『調査チーム』の中で共有して、考えを纏めておくよ」
その事を聞いて、僕の頭に一つ閃いた。
ヴィノ氏に、「その『調査チーム』って言うのは、何人いて、どんな所で働いているんだい?」と聞いてみると、「各大陸の各地に居て、世界で何が起こってるか調べてる」と、さらりと返答が返ってきた。
なんでも、以前の隠れ家を提供してくれた「マリア」さんも、調査チームの一人だと言う。
「僕が、マリアを『守護天使』って呼んだのは覚えてる?」と聞き返されたので、「うっすらとは」と答えると、ヴィノ氏の返事はこうだ。
「マリアは、実際に『危険な土地』に行く時に、僕達に『予言』をくれる。以前の住処が知られたときに、すぐに逃げられたのも彼女の『予言』のおかげだね」
そう言う事は、マリアさんも「夢を見る者」の一人なのか。
アナントが、一人掛け用ソファに、大股を開いて座っている。そして、憂鬱そうに、自分の腹越しに斜め下を見つめて居た。
「アナント。リラックスしてる所、申し訳ないけど」と、僕は声をかけた。「君はお尻についていた丸い物を探しているのかい?」と訊ねると、アナントは「何を馬鹿な事を言っているんだ」と言う風に、尻尾をびったんびったんとソファの縁に打ち付けた。
「そりゃぁ、最初に『あれ』が無くなった時は、びっくりした」
アナントはそう言って、乾燥しがちな鼻先をぺろりと舐める。
「だけど、アランは僕が何歳だと思ってるんだい? ショックからはとっくに覚めてるよ」
そう言って、やはりアナントは斜め下を見る。
今まで、僕は「アナントは残った物を見つめて居るのでは」と思って居たけど、それが下らない勘違いである事が分かってしまった。
普通の猫飼いだったら、「猫は愛らしく愚かで幼稚であると言う幻想」を打ち砕かれてる所だろう。
猫と言葉が通じる事も悪い事だけでは無いのだけれど、彼等の「案外冷めている視点」を知ってしまう一因にはなるな。
猫を何時までも赤ん坊のように猫可愛がりしようとする人間のほうが、よっぽど知能指数は低い気がする。
アスクメディナの出版社から、私書箱あてに封書が届いた。
要約すると、「『児童文学スクール』に載せるために、イライザ出版からハーディ先生にインタビューをしたいとの申し出あり。取材を受けるための場所と日時の指定を願う」と言うものだった。
住所を知らせたくない事は分かってくれているらしいが、インタビューを受けるかどうかが、「受ける」の一択しかない事に、少しだけ苛立ったものである。
どんな所に住んでるんですかなんて、聞かれ無いと良いんだけど。




