第九話「呪詛の行方」
僕達の行なった儀式の結末は、夢の中で見聞きする事になった。
夜のような闇の中で、僕とアナントは、三日月湖の中の、鏡みたいな水面を見つめて居た。
其処に、何か唱えながら、粘土をこねている誰かが映っている。
蠟燭を燈した暗い部屋で、灰色の衣服を着て、灰色の粘土を練りながら、ぶつぶつと何かを呟いているのだ。アスクメディナの言葉のようだった。
「八の星は放たれた。封ぜられた者達よ。己が魂の求めるものを。今、食い尽くすべし」
その声は、以前聞いた事のある、蝙蝠のような声とそっくりだった。
呪文を唱える灰色の衣服の人物は、練った粘土で、不思議な化け物の姿を作り出した。
美術品として見るなら、大層腕の良い芸術家が作った、「額に三つめの目を持った山羊の頭部」に見える。
その他にも、その人物の後ろには、七つの粘土細工が置かれていた。
牙を向いている虎のように見える物もあれば、鎌首を上げている蛇のように見える物もあった。そんな獰猛そうな動物達は、どれも二つ以上ある眼を閉じている。
最後の粘土細工が出来上がった時、灰色の人物は「時は来た!」と唱えた。
粘土細工達が、瞼を開けた。
木の板の上にへばりついていた粘土細工は、黒い影のような体を得て、木の板の中から這い出してきた。
その身はガタガタと震え出し、粘土細工の悪魔達は、術者のほうに顔を向けた。
ハッとした顔で、灰色の人物が壁の一端を見る。其処に、僕達の家に送られてきていたはずの封筒の一つがある。
灰色の人物は、素早くその部屋の中の四方に目を向ける。
真四角の部屋の壁の前に一通ずつ、そして部屋の角に一通ずつ。合計八通の封筒が、其処にある。
悪魔達は、部屋の中央に居た灰色の人物の周りに、じりじりと近づいて行く。
「時は来た」と、三つ目の山羊の悪魔が言う。「見返りをもらおう、アラン・ハーディ」
「違う!」と、灰色の人物は否定した。「私は、アラン・ハーディではない!」
「いいや、お前だ」と、蛇の悪魔が言う。「位置はお前を示している」
「違う!」と、もう一度、灰色の人物は叫ぶ。
しかし、悪魔達はもう術師の言葉を聞いていなかった。
「私は右腕をもらおう」
「私は左脚をもらおう」
「私は左腕をもらおう」
「私は右脚をもらおう」
「私は腹をもらおう」
「私は頭をもらおう」
「私は目玉をもらおう」
「私は心臓をもらおう」
そう言い合いながら、粘土の頭部を持つ黒い影は術師に群がり、その体をバラバラにした。
一部始終を見た後、三日月湖は、鈍い色を返すようになった。
「ひどい有様だけど」と、アナントが切り出した。「アランが、あんな風にバラバラにされる所だったんだって思うと、同情は出来ないな」
「ヴィノ氏は、あの儀式時に、何をしたんだろう」と、僕は疑問を口にした。
「どの儀式?」と、アナントは聞き返してくる。
「僕達の家の暗室で、封筒を囲んでた時の儀式」と答えると、アナントは「今見たので、分からなかった?」と、不思議そうに言う。
「分かった事と言うと……術師の所に、封筒を送り返したんだと思うんだけど」と、僕は応じた。「どうやって送り返したのかが分からないんだ」
「それは……。僕達の知らない、『不思議な力』で、なんだけど……」と、歯切れ悪くアナントは述べる。「エリスの力については、詮索しないほうが良いよ」
「方法を聞いちゃうと、詮索になるの?」
「なるねぇ」
そんなやり取りをしている間に、目覚まし時計のアラームが聞こえてきた。
それから、僕達は普段の決まり事だけを守る、暢気な生活を送る事が出来た。
しかし、アスクメディナの人間が、わざわざこの中央大陸の南端まで、呪符とやらを届け続けて居たとは。それも、僕の知らない「不思議な力」に因るものらしい。
これまでの出来事を文章にまとめている今でも、ヴィノ氏や一部の術師の持ってるらしい「不思議な力」については、未解明のままだ。
キリクスにねだられて、ヴィノ氏がまた物語を語っている。
外国の呪詛士達からの攻撃に、メリュー達が反撃し、その時にメリューが「透視」の視力を奪われた。以前は此処まで話を聞いていたはずだ。
魔術を使うためには重要な視力である、「透視」の力を奪われたメリューでしたが、その時の反呪で、メリュジーヌのかけられていた「言語転写」の術は解除されました。
沈黙を余儀なくされていたメリュジーヌは、ようやく医院から離れることを許され、自宅である屋敷に戻りました。
彼女は帰り道の途中で、アシュレイの家に立ち寄り、保護されているメリューの様子を見舞いました。
メリューは、両目に術を仕込んだ包帯をして、「透視」を使わないようにされていました。
「すまなかったな。私の落ち度だ」と、メリュジーヌは年の離れた姉妹に声をかけ、労わるようにその小さな肩に手を乗せました。
「大丈夫。このくらいなんでもない」と、メリューは口元を笑ませます。「それより、旅の先で何があったのかを、ジークさん達にも説明してあげて」
メリュジーヌは少し肩をすくめ、「そうだな。話さない理由が無い」と述べて、もう一度姉妹の肩に手を当てると、「今は休め」と声をかけてアシュレイの家を去りました。
屋敷に戻ったメリュジーヌは、まず浴室で身を清めて、普段着のドレスに着替えました。
シャニィが用意した、大きな鶏の腿肉のローストを二つと、サラダとパンの「昼食」を得て、食後にコーヒーを含みました。
琥珀の液体を飲み込んでから、海の女主人は愛おしそうに白い磁器のカップを見つめます。
物陰に隠れていたシャニィは、女主人の非常に満足したと言う横顔を見て、一つ頷きました。
「メリュジーヌ。食事が終わったばかりの所、申し訳ない」と、ジークの通信が聞こえてきます。「北の海で何があったか、教えてくれないか?」
「勿論だ」と、返事を返してから、メリュジーヌはゆっくり話し始めました。
「私は何時も通りに、北の海の海賊船と戦闘を続けて居た。大型のランケークが一匹、陸地を荒そうとしていたので、追い払った時だ。
箒に乗った、朱緋眼の魔女が、ランケークを追い払う手助けをしてくれた。その魔女はアンとよく似ていたが、別人である事は分かった。
その人物は『十七歳の頃のアン』と同じ姿をしていたからな。
その人物はこう言った。『私が意思を委ねている者達は、貴女の帰還を待っている。凱旋の日には、貴女に付き添わせてほしい』と。
私は、その魔女が意思を委ねている者と聞いて、『誰かがアンを脅かそうとしている』と直感した。その勘は伏せて、暫くその朱い瞳の魔女と行動を共にした。
その魔女と、幾つかの戦闘を共にしたが、互いが互いの様子を見ながら、能力を測り合っているような戦い方が続いた。
凱旋の日の夜、朱い瞳の魔女は私の後方を飛翔して来ていた。街の明かりが見える頃に、突然、魔女は私に向かって術を掛けてきた。
町の上空で戦闘をするわけには行かない。弱みを握られた私は、攻撃を回避しながら水面に飛び込んだ。その直前で、背中に呪詛の籠った真空の刃を受けた」
話を聞き終え、ジークは「経緯は了解した」と答えました。
どうやら、オリュンポス医師団の術師達は、最初からメリュジーヌを狙っていたようです。
アン・セリスティアの存在を脅かそうとしていると言う、女主人の勘も、外れてはいません。
何せ、アン達はメリュジーヌが帰ってくるだいぶ前から、山の中に隠れて居なければならくなっていたのですから。




