第六話「安眠を邪魔される数多の理由」
色々ドタバタした後、ようやく僕はこれが書けるようになった。
一番最初に起こった事を思い出してみよう。確か、あの写真に取り込まれた一件から、アナントが夢の中でも「影」と「歪み」に襲われるようになったんだ。
アナントは、写真の中で見ていたと言う「灰色の町」を中を、夢の中でも逃げ回る事になった。
捕まりそうになっては目が覚めるので、アナントはすっかり寝不足になってしまった。ついでに、僕も。
アナントの夢の中には、僕も付いて行く事に成るため、アナントが灰色の町の中で逃げ回っているのを、何も出来ずに空中から見守っていて、捕まりそうになると同時に目が覚めると言う状態を数日続けた。
その事をヴィノ氏に相談すると、「それについては、僕の方で何とかしよう」って言って、アナントは彼の生活用品ごと、ヴィノ氏の家に暫く御厄介に成ることになった。
もう一つの出来事は、キリクスの方だ。変な事態が起こってから、キリクスにはラジオを触らせないようにしてたけど、敵は静々と襲ってきた。
郵便受けに入れられていた幾つかの手紙の中に、宛名も何も書いて居ないものがあった。
それは、誰かがこの家まで来て、直接郵便受けに入れた事を示している。
「気味が悪いけど……開けて見ようか」と、僕は提案して、ペーパーナイフで封筒の口を切った。その時、ナイフの角度を間違えたためか、便箋の一部を傷つけてしまった。
封筒を開けて、便箋を開いてみると、異国の文字がズラーッと書いてあって、何が何だか分からない。
「何だこれ」と僕は呟いてから、便箋の一部が切れて文字が読めなくなっている事に気付いた。
ヴィノ氏にはアナントの事を任せていたので、僕は変な手紙を、先の寺院の僧侶の所に持って行った。
相談してから便箋を見せると、僧侶は「ははぁ」と声を漏らした。それから咳払いをして、「これはですね。一種の、呪いのかかった手紙なんです」と説明する。
何でも、呪い文と呼ばれるものだそうだ。書かれている文字その物に呪術的な力があって、それを正確に読む事で呪いにかかる。
だけど、開ける時に封筒と一緒に、呪符である便箋の一部を破ってしまった事で、呪いは機能しないようになって居るのだそうだ。
「貴方はとても強運に恵まれている人のようですね」と、僧侶は変な誉め言葉を言う。
「だけど、自分でも注意するようにしないと成りませんよ。運と言うのは、頼り切ると使い切りますから」
それを聞いた僕は、なんだか変な感じがして、聞き返した。
「運と言うのは、使うと減る物なんですか?」
僧侶は頷く。
「そうです。毎日『徳』を積む事で、『運』と言う力は蓄積されます。詰んだ『徳』が失われた時、『運』も尽き果てるものなのです」
また、この国独特の不思議な価値観を教えてもらったわけだが、これは唯の例え話ではないようだった。
僧侶に相談をしに行った日の夜。自宅で眠って居ると、変な音が聞こえてきた。とても空気の澄んでいる場所で、水晶でも叩いているような綺麗な音。
何となく目を開けて見ると、石の天井が見えた。僕はゆっくりと体を起こす。綺麗な音が響くその空間は、石で出来た回廊が、何処までも続いていた。
「アラン」と声をかけられ、そちらの方を見ると、アナントを腕に抱いた友人が立っていた。
「ヴィノ氏……。此処は、何処だい?」と聞くと、「ある人の領域だよ」と答えが返ってくる。「アナントが、猫としては危険な状態だったからね。一時的に此処に逃がしてたんだ」
「おかげでたっぷり眠れたよ」と、アナントも返事をする。そして欠伸もした。
僕は、ようやく、昼間起きていた時に「呪い文」と言う物を受け取った事を、ヴィノ氏に話せた。
「呪い文が、直接アランの家に届けられていた」と、ヴィノ氏は復唱する。「そのお坊さんの話し方からも察するに、たぶん、呪いはアランにかかるように設定されていたんだろう」
「なんで僕に?」と、聞くと、「保護者がいなくなれば、子供の霊体なんて簡単に捕まえられるだろう?」と、ヴィノ氏は答える。
確かに、世の中を逃げ回ると言うのは、子供の力じゃどうにもできない所はあるだろう。
ヴィノ氏は言う。
「これからも、アランに対する『間接的な攻撃』は続くだろうね。今日起きたら、キリクスの様子をよく見てあげて。もしかしたら、彼も何か仕掛けられて来るかもしれないから」
「ワインさん」と、全然聞いた事のない、誰かの声がした。「またお友達を連れて来たのか?」
その声をのほうを見ると、黒い軍服を着た、体格の良い人物がいた。だけど顔の上半分に、影がかかっていて見えない。
「ああ」とだけヴィノ氏は答えて、アナントを床に置き、その軍服の人の方を片手で示した。「紹介する。この領域も持ち主だ。名前は、アルフォード」
座り込んでいた僕は、ようやく石の床から立ち上がって、片手を軍服の人のほうに差し出した。
「初めまして。アラン・ハーディです」
「初めまして」と言って、アルフォードは僕の手を握り返す。見た目に反さず、大分ぎっちり握り返された。「アルフォード・コナーズだ」
その名前を聞いた途端、彼の顔にかかっていた黒い影が消えた。
短髪で、凛々しい目をした人物だった。
肩を揺すられて、僕は目を覚ました。
キリクスが何か言っている。
「先生。先生。起きて下さい」と、懸命に囁きかけてきている。
「ん? 何?」と言いながら、僕が寝ぼけ眼を開くと、キリクスは唇の前に人差し指を立ててから、もう片方の手で、玄関の方を指さした。
すごく小さな声で、扉の向こうから、囁くように誰かが何か言っている。
「開けておくれ。開けておくれ。キリクス。迎えに来たよ」と。
背筋だけじゃなくて、腕から足まで鳥肌が立つような、気味の悪い声だった。
僕はキリクスの肩を掴むと、僕の胸のほうに引き寄せた。父親が子供を庇うように。
声はまだ何か言っている。
「一緒にチョコレートを飲んで、楽しいパーティーをしよう。クッキーやケーキだってある。明るい音楽をかけて、ふわふわと踊ろうじゃないか」
何やら、子供にとっては楽しいらしいことを言っているのだが、真っ暗な家の中で、蝙蝠の鳴き声のようなきぃきぃ声が響いていると言うのは、中々に不気味である。
「キリクス。良い子だ。良い子は、こっちにおいで」と、声は言う。
返事をしちゃいけない。僕はそう直感が働いた。返事をすれば、取り込まれる。
キリクスの唇が動きそうになったので、僕は反射的に彼の口をふさいだ。
それから一睡もせず……と言いたい所だが、僕はウトウトしながら、何とかベッドの上に座ってる姿勢を取って、朝を迎えた。
キリクスが言うに、東側のカーテンの裾が明るい光を零す前に、声は自然と聞こえなくなったそうだ。
とりあえず、居留守を決め込む事は出来た。
だけど、これが毎晩来たら、流石にきつい。
何とか出来ないかなぁと考えて居たけど、「日が射したらいなくなるなら、昼間に眠っておけば良いんだ」と言う事に気付いた。
昼間のうちにカーテンを引いて部屋を暗くし、僕とキリクスは、お腹いっぱい食べてから、蜂蜜入りホットミルクを飲んで、前日の睡眠不足の力を借りて昼間中眠り続けた。
僕達はこの「お昼寝作戦」で、更に二週間の居留守を決め込む事に成功したのである。




